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第116話 温泉へ

 四月の頭。正確には四月九日は私の誕生日だ。そうだ、私にだって誕生日がある。


「ねえ、誕生日プレゼントって何が欲しい?」


 と、少し前に湊に聞かれ、私は大いに悩んだ。

 欲しいものなんてたくさんあるのに、いざ欲しいものを聞かれると、何がいいのかわからなくなるのよね。


「え、なんだろう……欲しいもの……グッズ? いや、それは自分で買うし……アクセサリーはそんなにしないし。えーと……ガラスペン増やす? いや、シーリングスタンプもいいよね。使うところがないけど。あ、レジンもやってみたいかな。いやでも……」


 と、ぶつぶつ言っていたら湊がじっとこちらを見つめて笑っていた。


「な、なに?」


「ごめんね、悩んでいる姿がちょっと面白かったから」


「お、面白い、かな」


 そう言われるとちょっと恥ずかしい。


「いろいろ欲しいものってあるよね。でも人に買ってもらおうと思うとそこまでじゃなかったりして」


「そうなの。そうなのよね。だから決まらないっていうか」


 いくらでも欲しいものは思いつく。だけどそこまで欲しいか、と言われたら微妙なのよね。

 それなら物じゃない方がいいかも。

 お金では買えないもの……想い出とかかな。

 じゃあ何がいいだろう。お出かけ? でも人が多いところは嫌だから。そうなると場所は自然と限られてくる。

 私は悩みそして、


「そうねぇ。それなら一緒にお出かけしてご飯食べて温泉入るほうがいいかもしれない。想い出ってプライスレスでしょ?」


 そう私が提案すると、彼は頷き、


「それもいいね」


 と言った。

 でも私の誕生日は平日なので、その前の四月五日土曜日に出かけることにした。

 ノアがいるので泊まりのお出かけはできないから、日帰り温泉だ。

 温泉と夕食がセットになったプランを湊が申し込んでくれた。

 そしてやってきた土曜日。

 朝が苦手な湊は、会いわからず起きるのが遅い。

 まあ予約はお昼過ぎだし、夕食を食べて帰ってくるわけだからのんびりだしいいんだけど。

 時間までガラスペンで落書きしたりノアを構って過ごし、そしてお昼過ぎにのんびり家を出た。



 車で一時間ほど離れた温泉のあるホテルが目的地だ。

 四月の頭。町の至る所で桜が満開になっていた。

 穏やかな風に揺れ、桜の花が散っていくのが見える。


「桜綺麗だねー。ねえ、帰り、桜見に行こうよ」


 そう提案すると、車を運転している湊は頷く。


「あぁ、いいね。桜なんて全然見に行ってないや」


「だよねー。わざわざ見に行かないよね。会社の近くにも桜が咲いている公園があるんだけど、そこに毎日写真撮りに行ってるんだ。仕事だから行くけど、じゃなくちゃ行かないだろうな」


 そこで私は言葉をきる。

 私はそこで何があったのか、湊に話していない。

 話していいものなのか悩んで、そのままだ。写真があるし見せれば一発でわかるだろうと思うけど、でも少し前の週刊誌の報道があった時明らかに動揺していたから辞めた方がいいかな、と思って言えていない。


「あの辺に公園なんてあるんだ」


 皆同じこと言うなぁ。それはそうよね、オフィス街だもんね。


「うん、あるよー。少し入れば住宅街だもん。小学校もあるしね」


「あぁ、そういえばランドセル背負った子、見かけるっけ」


「そうそうだからけっこう公園、あるんだよね」


 彼女の事には触れないでおこう。

 そう決めて私は話を続けた。


「町に桜見られるところけっこうあるよね」


「うん。そういえば今年、お堀の桜のライトアップのデザイン、会社の方で頼まれたんだよね」


 お堀、という言葉を聞き、私はドキリとして湊の顔を見た。


「あ、あぁ、そうなんだ。お堀の桜って毎年ライトアップしてて綺麗だっていうよね。人多そうだから行ったことないけど」


「あはは、そうだよね」


 今でも私は人が多いところが苦手だ。以前に比べたらだいぶ慣れてはきたけれど。


「行けたら、そこ見に行ってみない? 城址公園で出店もあるっていうし。そこならうちに車おいて歩いて行けるから」


「え? あ……うん、そうだね」


 うちから歩いて行けるっていうのはちょっと魅力的で、断る理由が思いつかなかった。

 まあ大丈夫だよね。柚木さん、現れないよね。そんな偶然そうそうないよね。


「絵の題材にするのに桜の写真も撮りたいし」


 笑顔で湊はそう話す。


「イラストの題材?」


「うん、仕事だけじゃなくって趣味でも描くしね。素材集めるのにネットも見るけど、欲しい構図は写真撮りに行ったりするんだ」


 引きこもりだと思っていたけど、実は知らないところで外に出かけたりしてるのね。

 そういえば出かけるとけっこう写真、撮ってるっけ。

 そんな話をしているうちに車は山の中に入りそして、ホテルへとたどり着いた。

 いわゆる温泉街の一画にあるホテルで、辺りには人の姿がそこそこあった。平日でも人、意外といるのね。

 山の中だから桜はまだ半分も咲いていないけれど、湊は駐車場から見える風景の写真を撮っていた。

 あれはしばらくかかりそうだな。

 そう思い私はひとり、辺りの風景を見回した。




 温泉と食事を楽しんだ私たちは、ホテルを後にしてマンションに戻る。

 そこで車を置いて歩いて二十分ほど。

 城址公園へとたどり着く。公園には出店がいくつも出ていて、用意された椅子やテーブルにたくさんの人々が座っているし、地面にシートを敷いて桜を楽しんでいる人たちもいる。

 城址公園にも桜が植えられているけれど、お堀端の方が人が多いように思えた。

 桜を照らす照明に、水面に映る桜の影。

 幻想的なその光景を写真におさめようとする人たちが、通りにたくさんいた。

 人が多いところが苦手な私は、思わず顔をひきつらせてその様子を見つめた。


「すごいなぁ……」


「あはは、そうだね。人、多いから早めに帰ろうか」


 そう、湊は苦笑して言う。


「しゃ、写真だけは撮る」


 そう宣言し、私は湊の腕をつかみ人ごみに突進していった。

 とりあえず水面に映る桜の写真を撮れれば満足だ。

 私と湊、それぞれ桜の写真を撮りそして、早々にその場を離れる。


「こんなに人、来るんだね」


「ね。初めて来たけどびっくりだよ」


 そう答えて私は、城址公園のほうから人ごみを見つめた。

 もう次はいいや。やっぱり私は、人が多いの苦手。

 湊がいなかったら近づきもしないだろうな。

 ……でも、彼がいるからこんな綺麗な桜を見られることができる、ともいえる。

 こういう光景は、その時しか見られないものだし。

 そう思って、私は湊の方を見つめ、


「一緒だから私、こういう所に来られるし、一緒だからこんな綺麗な桜が見られるんだよね」


 と言った。

 すると、湊は驚いた顔をしたあと小さく首を傾げて笑う。


「どうしたの急に」


「私、ひとりだったら絶対にこういうところ来ないから。人、多いし。紅葉だって、桜だってその季節のその瞬間しか見られないじゃない? そう思うと貴重だなって思って」


「あぁ、そうだね。桜も紅葉もその時しか見られないものだからね」


「うん。桜だって明日になったら様子が変わるし、時間でも変わるでしょ。だからこの一瞬を見られて良かったなって思ったの」


「そうだね。灯里と一緒に見に来られて良かったよ」


 そう言ったかと思うと、湊は私の腰に手を回したかと思うと、身体を抱き寄せてくる。


「きゃっ」


 そして、額に口づけたかと思うと、私の顔を見つめ、言った。


「そろそろ帰ろう。はやくふたりきりになりたいから」


 そんなことをこんな近くで言わないでくれるかな、恥ずかしいから。

 私は顔が熱くなるのを感じつつ、


「そうね」


 と、上ずった声で答えた。


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