四月九日水曜日。
今日は私の誕生日だ。この間温泉でお祝いをしたから今日はケーキだけ食べる予定になっている。
ケーキは町中にあるケーキ屋さんのチョコレートケーキだ。
誕生日でも平日なので私は今日も仕事に行く。
出勤してまず私が向かったのは近所の公園だった。
桜は満開を迎え、吹く風に桜の花びらを散らしている。
平日の午前中であるのに、普段よりも人が多くて皆スマホやデジカメを構えて写真を撮っている。
こんなに人、来るんだな、この公園。
普段は十人もいたら多いな、って思うけど、今日はそれ以上に人がいる。
私もその人たちに混じって桜の写真を何枚か撮って辺りを見回す。
今日はいないのかな、柚木さん。
まあ、いつも会えるわけじゃないしな。それに会ったところで何をする?
そう思い、私はその場を後にして、会社に戻り今日の桜をSNSに投稿した。
すると、たくさんの桜の写真が集まってくる。
その多くは満開の桜だけれど、地域によってはまだ満開は遠いらしく、半分ほど桜の花をつけた写真を投稿してくれる人もいた。
そんな写真を見るのも楽しい。
SNSは、家にいながら遠くの町の様子を知ることができるから楽しいのよね。
午前中の仕事をこなし、お昼に食堂へと向かう途中、千代に会った。
「あ、灯里!」
彼女は私に手を振ると、ばたばたと走ってきてそして、紙袋を差し出しながら言った。
「はい、誕生日おめでとう!」
「あ、ありがとう」
うれしい、覚えていてくれたなんて。
その袋は、駅前のショッピングセンターの中にある雑貨屋さんのものだった。
何買ってきたんだろう。
「灯里、今日はお弁当?」
「ううん。誕生日だから作らないで食堂の買おうって思ってて」
「あはは、それいいね。そういえば去年もそう言っていたっけ」
誕生日には極力家事をしたくないのよね。
それはひとり暮らしの時からの習慣だった。
「それならどこか食べ行かない? せっかくだしさー」
そう言いながら、千代は私の腕に絡みついてくる。
確かに、外に食べに行くのもいいかも。
「いいよー。何食べようか」
「そうだなぁー。そんなに時間ないし、食べられるところも限られるよねー」
確かにそうなんだよね。休憩時間は長くないから食べる所って決まってきちゃうんだよね。
結局私たちは、近所のパン屋さんでパンと飲み物を買い、公園で桜を見ながらお昼をいただいた。
夕方。
仕事を終えて私は足取り軽く帰路につく。
夕食はいつものように湊が用意してくれている。
こんなに心が弾む誕生日は久しぶりだな。昔、お父さんが生きていた頃は一緒に作ったりしたっけな。
少し前に湊と一緒にチョコレートケーキをつくったのも楽しかった。美味しく出来たからまた作ろうね、と言っている。
マンションに着き、私はリビングへと向かう。
「お帰り」
と言い、湊はダイニングテーブルの所で私を出迎えてくれた。
「ただいまー」
答えて私はドアを閉め、ダイニングテーブルを見つめる。
そこにはすでに料理が用意されていて、ピザに唐揚げ、サラダなどが並んでいる。
「おいしそー」
「ケーキもあるから少な目にしてあるんだけど、大丈夫かな」
いや充分量があると思うけれど?
ピザは多分、注文したものだろう。Mサイズかな。ソーセージにピーマン、チーズなどがのっているのがわかる。から揚げは少な目だけど、ポテトサラダとキャベツのサラダ、それにローストビーフもあるからこれ全部食べたらお腹いっぱいになる。
「絶対足りるよ。っていうか余るでしょ」
「そうかなー。ピザって普段食べないからいまいち量がわかんなくって」
そう言って、彼は困ったような顔で首を傾げた。
確かに、ピザがあると量がよくわかんなくなるかも。
私もたぶんわからないもの。
「とりあえず食べよう」
「そうだね。飲み物はどうする?」
「お茶で」
仕事の前の日は飲まないって決めているのよね。それは誕生日でも変わらない。
ふたりで向かい合ってご飯を食べて。案の定余ったから、それは明日食べることにして。
次はケーキだ。湊が用意してくれたケーキには、数字のろうそくが刺さっている。
「25」のキャンドル。こんなキャンドルを見るのも久しぶりだ。
「わざわざキャンドルまで用意してくれたの?」
ケーキを見つめて笑いながら言うと、
「だって誕生日だしね」
と、湊が答えライターを用意する。
「火、つけるね」
「灯りは消さなくていいからね」
そこまでされるとさすがに恥ずかしさが過ぎる。
私の言葉に湊は、笑いながら頷き、
「わかったよ」
と答え、ろうそくに火をともした。
誕生日のケーキに誕生日のキャンドル。普通の事だろうけれど、普通がとてもうれしい。
スマホかな。ハッピバースデートゥーユーのメロディーが流れてきてそして、曲の終わりに湊が言う。
「誕生日おめでとう」
「ありがとう」
はにかんで答え、私はキャンドルを吹き消した。
「じゃあケーキ食べ……」
「ちょっと待ってて」
私の言葉を遮り、湊はバタバタと自室へと向かっていく。
なんだろう。
不思議に思い、彼が消えていった方を見つめていると、何やら大きなパネルを持って出てきた。
尚更意味が分からなくて、私は首を傾げてパネルと湊の顔を見つめる。
彼は私の前に立つと、
「これをあげたくて」
と、ちょっと恥ずかしそうな顔をして言い、私にパネルの表面を見せてきた。
それは、だいぶ前に湊と一緒に買い物にいったときに買っていたイラストボードだった。
そこに描かれているのは青い空を背景にして立つ、白いドレスの女性の姿だった。
ドレスは白い雲に溶け、大きくひろがっているように見える。
ところどころに赤い花が咲いていて、それがアクセントになっていた。
その女性の顔に、とても見覚えがあった。毎朝毎日、鏡の中で出会う顔。
「え、これ……私?」
その顔はどう見ても私だった。
その絵は普段の湊のタッチとは明らかに違う、写実的なイラストだ。
「うん、普段と違うから描くのに時間、かかっちゃったけど」
そう言って、彼ははにかむ。
「誕生日にあげたくてずっと準備してきたんだ」
「こ、これってずっと前に一緒に買い物したときに買ったやつだよね」
「そうだよ。何描こうかずっと悩んでいたんだけど、灯里ちゃんのために描いてみようって思って。それなら誕生日がいいかなと」
そんな前から準備していたんだ。
「仕事の合間に描いていたからけっこう時間かかったけど、間に合ってよかったよ」
そうよね、仕事忙しいよね。
人生の中で自分の絵をプレゼントされたのはもちろん初めてだ。
私は彼の首に抱き着き、
「すっごい嬉しい、ありがとう!」
と、弾んだ声で伝えた。
「あ、うん。よかった、喜んでくれて」
そう言いながら彼は私の背中に手を回す。
「嬉しいよー! だって私のために描いてくれたって事でしょう?」
「うん。絵を貰うのって嬉しいのかなって悩んだんだけど」
「いや嬉しいって。これ、このまま飾れるんだよね」
イラストボードはいわゆる額に入っているし、裏には紐を通せるような金具もついていた。
「うん。紐はあるから、金具に紐通せば飾れるよ」
「じゃあ部屋に飾るね」
「よかった、よろこんでくれて」
そして湊は私に顔を近づけてきてそして、すっと目を細めて低く響く声で囁く。
「誕生日おめでとう」
そして、そのまま唇が重なった。