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第119話 デート

 四月二十八日月曜日。

 仕事を終えた私は、日が暮れた町を足早に駅へと向かって歩いていた。

 映画は七時過ぎからだ。

 駅の、イートインがあるパン屋で軽めの夕飯を食べてから、映画館へと行く予定になっている。

 あのあと調べたら、綾斗のインタビュー記事を見つけた。

 彼が声優をやりたかったのは事実らしく、レッスンを受けたりしていたらしい。でも前の事務所では難色を示されていたという話も書いてあった。

 映画のレビューや評判は、見ないようにしたから情報は知らないけど。前に映画の試写会見たとき、彼の演技は普通だったし期待外れってことはないだろう。でも声優だと違うのかな。私、そこまで詳しくないからよくわかんないけど。

 駅は、行き帰りの人たちで混みあっていた。

 しかも連休前、ということもあって大きなキャリーケースを引きずって歩く人の姿も目立つ。里帰りかな。どんどん駅へと人々が吸い込まれていく。

 人の波をかいくぐり、私はパン屋の前に向かう。人が多くて湊の姿を探すのに難儀してしまうけど、店の前に立つ、紺色のパーカーを着た湊の姿を見つけた。

 彼は私に気が付くと、軽く手を振ってきた。

 人の波をぬって、私は彼に近づいて、


「お待たせ」


 と、声をかけた。

 彼は微笑み、


「お疲れ様」


 と言った。

 二日休んで今日一日働いて、明日休みでまた働いてってけっこう怠いんだよね。

 世の中では有給使って連休にする人もいたり、会社によっては休みにするところもあるらしいけれど、うちは業界柄そういうわけにもいかない。問屋業だから出荷は休みでも止まらないしね。小売店は祝日も休日も関係なくやっているから、注文はバンバン入るもの。

 私はお腹に手を当てて、


「お腹すいたから早く中に入ろう」


 と、疲れた声で言った。

 私たちは一緒にパン屋さんに入る。中はちょっとお客さんの姿があって、イートインスペースも半分くらい埋まっている。

 意外とこの時間にパン食べる人いるのね。

 私と湊はふたつずつパンを買い、飲み物を頼んで隣り合ってカウンターの席に腰かけた。

 そこからは外の光景が見えて、たくさんの人たちが行き交っている。


「でもこれ絶対夜お腹すくよね」


 コロッケパンを掴んで私が言うと、湊は頷く。


「そうだね。そしたらどこか飲み行こうよ。せっかく出てきたし、駅前、お店おおいし」


「あぁ、それいいねぇ」


 夜に出かけることが少ないから、ちょっと特別感を感じてしまう。

 映画に居酒屋かぁ。ちょっと普段とは違っててすごく楽しみだな。

 そう思って正面を見ていると、左右へと流れていく人の中に見覚えのある姿を見つけた。

 帽子にマスクをしているから自信ないけど……あれ、柚木さん、じゃないかな。

 深緑色のスカート、黒っぽいジャケットの彼女は人の波の中にすぐ消えていってしまう。

 気のせい……かな。でもこの辺りに住んでいるんだからいてもおかしくないもんね……駅前、お店多いし買い物とか外食とかするだろうから。

 私は隣の湊の方をちらり、と見る。

 彼は気が付いた様子はなく、サンドウィッチにかじりついている。

 帽子とマスクしていたし、本当に本人かなんてわかんないしな……まあ気が付いていないならいいか。

 私は何となく嫌な予感を抱えつつ、パンを食べてお茶を飲んだ。

 食べ終わり映画館に向かうと、思った以上に人がいた。

 中にはどこかで見たことのあるぬいぐるみや、グッズを透明なバッグに入れている女性の姿もある。

 あー……あれは綾斗ファンかな。

 この映画、声優として出ているわけであって顔出してるわけじゃないのに、ファンって見に来るんだなあ……

 それだけ綾斗が愛されているのかもしれない。

 私は、売店のカウンター上にあるメニューを見つめる。飲み物にポップコーン、チュロスやホットドッグなどがある。

 さっき食べたばかりだけど、こういうの見るとお腹すくのよね。でも見ている最中にトイレに行きたくなるのも嫌だしな。


「飲み物とか買う?」


「うん、ないと二時間近くは辛いかな」


 言われてみれば確かに。

 開場まえでまだ人がまばらなカウンターに近付き、私たちは注文をする。

 アイスティーとウーロン茶。互いに飲み物を持って、私たちは開場を待つ。


「人、多いね」


 時間も時間なので上映される作品はもう少ないはずだけど、数十人はいるようだった。

 これから私たちが見る予定のアニメ映画の他に、邦画や洋画も上映があるからかな。

 上映が終わった作品があったのだろう、人々が中から出てくる。

 人が多いと目が回ってしまって未だに苦手なのよね。

 私は無意識に下を向き、人々を見ないようにする。


「グッズあるんだ」


「劇場でしか買えないグッズとかちょっと心惹かれるのよね」


 そんな他愛もない話をしているときだった。

 湊が短く呟き、私の腕を掴む。


「え……?」


 驚いて私は彼の顔を見る。すると湊は驚きの顔をして人の波を見つめているようだった。


「どうかしたの?」


 不思議に思い私も彼が見ている方向を見る。

 その時、私たちが見る予定の映画の開場を知らせるアナウンスが流れる。

 湊は、ハッとしたような顔をしてこちらを見た後、何かを誤魔化すように笑顔で言った。


「う、ううん、何でもない」


 と言い、首を横に振る。そして私の腕を掴んだまま、


「行こうか」


 と告げて歩き出した。

 どうしたんだろうな。全然分かんないけど……気にしても仕方ない、かな。

 もやもやを抱えながらも私はスマホを出してチケットの画面を開いた。



 映画が終わったのは九時過ぎだった。

 綾斗ファンと思われる女性たちの姿が多く目立ち、時間も遅いのに半分以上の席が埋まっていた。

 映画を見ている間、湊は普通だったけど、終わって館内が明るくなったとき、そわそわした様子で辺りを見回していた。


「ねえ、何かあったの?」


 そう声をかけると、彼は目を見開いて私を見つめた後、首を横に振り、


「いいや、大丈夫だよ」


 と、ぎこちなく笑う。


「いや、絶対何かあったでしょう」


 話ながら私たちは映画館を後にする。

 飲みに行こう、と話していたのでそのまま居酒屋さんに行こうと駅の反対側へ向かおうとしたときだった。


「あら、こんばんは」


 聞き覚えのある声が後ろからかかり、私は振り返った。

 あぁ、こういう偶然ってあるんだな。

 振り返ったのはもちろん私だけじゃない。湊も同じ反応をしただろう。

 そしてきっと、彼女と湊は同じ顔をしたに違いない。

 声をかけてきたのは、会社の近所で知り合った女性、柚木さんだった。

 帽子を被っているしマスクをしているけれど間違いないだろう。

 映画館に来る前、パン屋の前を通り掛かったのを見たけたけれど、その時と同じ服装をしている。あぁ、あれは見間違えではなかったんだ。

 彼女は笑顔から一気に驚きの表情に変えて、私の隣りにいる彼の顔を見つめる。


「あ……」


 柚木さんは目を泳がせた後、私の方を見て言った。


「え、あの……え?」


 何を言いたいのかはわかるけれど、私は何を応えればいいのかわからない。

 とりあえずどうしたらいいんだろうか。

 それよりも、隣で荒い息をしている湊の方が気になる。


「ごめんなさい」


 震える声でそう言った柚木さんは、足早に歩いて行く。

 なんて声をかけたらいいのかわからないまま、私はただその場に立ち尽くした。

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