彼女が去り、外灯がぼんやりと灯る通りに静けさが訪れる……こともなかった。
映画館から出てきた人たちが、感想を言い合い通り過ぎていく。それはそうだろう。だって駅へと向かう道だもの。たくさんの人が行き交うに決まってる。
だけれど私たちだけ時間が止まったかのように、私も湊もじっとその場に立ち尽くしていた。
偶然、なのだろうけれど、柚木さんも映画を見に来ていたんだろうな。
公開したばかりだしありえないことではないんだけど、ピンポイントでこの時間が被るなんて誰が想像しただろうか。
きっと湊は、映画館で柚木さんを見かけたんだろう。だからちょっとようすが変だったんだろうな。
どうしようこれ。何年も会っていなかったであろう親子の再会。でも因縁深くて喜べないこの邂逅。なんでこんなことになるんだろう。彼になんて声をかけようか悩んでいると、湊の方から声がかかる。
「行こうか、飲みに」
言われて私は湊の顔を見る。
彼はこちらを見つめて微笑んでいた。その顔は普段と変わらないように見えるけど……大丈夫、かな。無理しているようにも見えて、私の心がざわついてしまう。
ちょっと心配だけど、かける言葉が見つからない私は、
「うん、そうだね」
と、なんとか笑顔で答えて一緒に歩き出した。
偶然は必然、とも聞くけれど、私と柚木さんの出会いも今日の鉢合わせも必然、だったのかな。
そんなこと考えたって答えは出ないけど、疑っちゃうな。
ぽつぽつと映画の感想を話しつつ、駅をつっきり居酒屋が多い一画へと向かう。
その中のひとつ、ちょっと高めな居酒屋に入りふたり、席につく。
ビールや唐揚げ、ポテトなどを注文して私たちは顔を合わせた。
何だか気まずい空気を感じるけれど、何をしゃべろうか。
そう悩む私とは裏腹に、湊は語り出す。
「映画、けっこう面白かった。綾斗がやりたい、っていっていて、頑張ってたのを聞いたけど、思ったよりもずっとうまいなって思った」
「え? あぁ、そうだね。声優さんじゃないから違和感あるかなって思ったけど、思ったよりずっとうまいし、声、合ってて驚いちゃった」
どこか飄々とした雰囲気のある綾斗だけど、映画で演じたキャラは元気で情熱的なキャラだった。
全然イメージにないからどうかなって思ったけど、ちゃんとキャラになっていて驚いた。
私の言葉を聞いて湊は嬉しそうに、どこか恥ずかしそうにも見える笑顔で頷く。
「あぁ、うん、そうだね。したいことして、それを形にできてるってすごいな」
なんて言い出す。
いや貴方。
私は、テーブルの上に置かれた彼の手に私の手を重ねて言った。
「湊だってイラストで自分の世界表現してるじゃない」
すると彼は苦笑して首を横に振った。
「あれは仕事だからね。生きていくためにやっているから。最初の頃は趣味だったし好きに描いていたけど、仕事になってからは好きに描かなくなったな」
と、寂しげに言った。あ、そうなんだ。そうか、そうだよね。絵が仕事なんなもんね。うーん、なんて言えばいいのか。
悩んでいると、湊はにこっと笑い言った。
「だから、灯里のために描いた絵、あれ久しぶりに好きに描いたかも。アナログであの大きさを描いたのは初めてで、時間かかったけど、描いていて楽しかったな」
そんなこと言われると、なんだか私の方が恥ずかしくなってくるんだけど?
そこにビールが運ばれてくる。
私たちはジョッキを手にして、軽くカンパイをしてそれに口をつけた。
その後唐揚げや料理が運ばれてきて、私は箸を手にした。
あっという間に唐揚げが終わり、湊はメニューを見つめて言った。
「ねえ、あと何食べる? サラダとお刺身もいいね」
そう湊は言い、私の意見を待たず注文をしていく。
店内はざわつき、笑い声が響いてる。皆がどこかに出かけるわけじゃないし、明日は休みだからきっと、遅くまで飲んで帰る人たちもいるだろうな。
二杯目のお酒を半分飲み終えたとき、湊は目を伏せて言った。
「映画館で見かけたときまさかと思ったけど……あの人がいるとは思わなかったし、まさか声をかけられるとは思わなかった」
そう言った彼の声は震えているように思えた。
やっぱり動揺してるよね。
「あの、彼女って……」
遠慮がちに私が尋ねると、お酒の力もあっての事か、湊はさらり、と言った。
「母親だよ」
やっぱりそうなんだ。
偶然って怖いな……
「前にもイベントを見に来ていたことがあったんだよね」
そう言って、彼は悲しげな顔になる。
そう言えば、チャリティーイベントの時そんなこと言っていたっけ。
あの時はもっと動揺していたし様子もおかしかったな。
それを思い出せば今はだいぶマシなのかもしれない。
私は、チューハイが入ったグラスを握ったまま柚木さんの事を話した。
「実はね、私、彼女と会ったことがあるの。というか、知り合いと言うか……」
すると、湊は一瞬驚いた顔をしたけど、納得したような顔になる。
「あぁ、そういうことなんだ。声をかけられたのは俺じゃなくって」
「たぶん私だと思う。偶然、会社の近くの公園で顔を合わせて、それ以来時々話すから」
「あはは、そんなことあるんだ」
乾いた笑いで言い、彼はチューハイをぐい、っと飲んだ。
二杯目はあっという間に終わって、彼は三杯目を注文する。
これ、大丈夫かな……飲みすぎたり、しないかな。
ちょっと心配になってくる。普段そこまで飲むことがないし、こういう店のお酒だからそんなに濃くはないと思うけど。
すぐにお酒が来て、湊はチューハイが入ったグラスに口をつけた。
私は揚げ出し豆腐を食べつつ言った。
「最初、名前も知らなかったから、名字や家族の話を聞くまでわからなかったけど」
「……そんな話、したの?」
たぶん、本人としてはそんなつもりなかったんだろうけど。声がちょっと低くてなんだか空気が張りつめたような気がした。
「う、うん……大して話をしたわけじゃないけど。子供がいるとか、一緒に暮らしてないとか……子供が絵を描いてるって話もしてたかな」
「あぁ、うん、そうだろうね。会いたい、みたいなメールとか送ってきてたし。なのにいざ顔を合わせたら逃げたもんね」
自嘲気味に笑って言い、彼はさらに酒を飲む。
「驚いたんじゃないかな」
「まあうん、そうだろうね。あんなところで会うなんて思わなかったし」
それは互いにそうだろう。私だって驚いたんだから。
やっぱり湊、動揺してるんだろうな。お酒飲むペース早いし。
これ、大丈夫かな。
一抹の不安を抱えつつ、私はお酒をちびちびと飲んだ。