重苦しく、見上げる気すら起きない灰色の空、そこから降り落ちる雨がより一層、上を向く気力を失わせる。
雨が染みて色が変わるように、重くなるように、心にこれから味わう恐怖が広がる。
この世界のどこの国、地域でもある生贄という伝統。
生贄に選ばれる者の基準、それは、変わってしまった人間かどうかだということ。
それは十代の子供に多い。今まで興味を持っていなかったものに興味を持つ、親の言うことを聞かずに反抗するなど、まるで悪魔が憑りついたかのように変わるため、悪魔憑きと呼ばれる。
ただ、そんな生贄に選ばれる基準なんて考えず『生贄として捧げられる悪魔憑き達』とだけを考えていればよかった。いや、それすら考えず『生贄を捧げる伝統』があるということに疑問を抱かずに生きていればよかった。
それか、それができなくなった時点で、神に生贄を捧げる巫女として生きることなど辞めてしまえばよかった。
馬鹿だ私は。その考えは、変わってしまい、自分自身が生贄になったからこそ持つものだ。
私を変えた、あの日読んだ古い本。日焼けでボロボロになっていて、タイトルすら分からない本の一文。
――人が神を創り、人が神を殺す。姿形の無い災いに、人は恐れをなしてそれを神と崇める。やがてその神は姿形を持ち、人はその形ある災いに立ち向かう。
その言葉が少し私を変えてしまった。
今までなにも考えずに、ただ幼い頃から巫女として、生贄の世話をして送り出す。そうやって生きてきた私が初めて抱いた疑問。
人が神を創り神を殺す。私の仕えている神は人が創ったものだったのか。なぜ、誰も立ち向かわないのか。
でもそれが、その疑問が私を変えてしまった。あの文の続きはなんて書いていたのだろう。
雨がやみ、ふと暗くなった空を見上げる。
「……え?」
私の抱いた疑問の答えがそこにはあった。
無駄なことをしてしまった。
なにも考えなければよかった。
抱くだけ無駄な疑問。
立ち向かうなんてできやしない。
傘のように私の上に広がるのは、石柱のような歯が生えた口だった。あまりにも大きすぎて、その持ち主の姿は分からない。ただ、私みたいなただの人間には立ち向かうことができない。今まで私が送り出してきた生贄達の恐怖をこの身で味わう。
あの歯に磨り潰され、愚かな私の人生は終わるのだ。
あまりの絶望に、私の目の前が真っ暗になった時――。
「スイィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィ‼」
すぐ近くに雷が落ちたような閃光と音が響き、地面が揺れた。
再び雨が降り出し、涙で濡れた顔を隠してくれる。
目の前に降り立った声の主は、なに色にも染まらない烏羽色の髪を持ち、私が一瞬で無くしてしまった、強い感情が燃えているかのように赤い。
その赤い瞳が私に向けられる。
「よかった。間に合って」
朗らかに笑う彼女、手に持った木の棒を捨てる。
さっきまで纏っていた張り詰めた空気はいつの間にか弛緩し、私はその場にへたり込んでしまう。
礼を言うこともできず、ただ自分の命が助かったのだという事実を受け入れるので精一杯だった。