「誰だあ? こんな時間にこっちまで来たのは」
どこか軽薄で、おちゃらけているような男の声、この男はこれが通常だ。声に反してかなり警戒しているだろう。
姿を消してはいるが、この男が反応しないレベルで気配が消せているのかは分からない。
「どこだあ? 隠れてないででてこいよ」
やはり不審に思っている。こうなれば、ぶちかますしかないのだろうか。
部屋から完全に出た団長の姿が見える。
背丈が百八十はあるだろう、身体は薄いシャツが張り裂けそうなほど分厚い、小さな松明に照らされた髪はくすんだ金色、いたずらっ子を探すように口角は上がっているが、それに反して鋭い目で辺りの様子を伺っている。
この男はアオがどの方向から来たか気づいている。やって来たのがアオということはバレていないだろうが、居場所に気づくのは時間の問題だろう。
動くなら早い方がいい。仮に見つかったとしてもなんとかごまかすことはできるだろうが、アオは早くこの場を出てスイを探しに行かなければならない。
不意を突いて全力で逃げれば、追いつかれる頃には外に出られそうだ。外に出れば、洞窟に入って来るより多くの風が吹いているだろう。
(ごめん仙人、ぶちかます)
別に謝る必要は無いのだが、一応言っておく。
アオは脚に力を込め、出口に向かって一気に加速する。
この速さで動いてしまうと罠を作動させてしまうだろうが当たらなければどうということは無い。
「そこか⁉」
今の一瞬で遂に捉えられたのだろう。気づいた団長が後を追ってくる。しかし運動能力はアオの方が少し劣るはずだが、なぜかアオには追いつけない。
アオは壁を蹴って敷き詰められたロープを踏まないように動く。さらにそのまま地面に足を着けることなく外へ出ることができた。
出たからと言って油断せず、すぐに入口から見えない方向へ転換、立ち止まること無く全身全霊で走る。
動いた時から姿を消す術は解けている、出ていったことを知られた今、いなくなったのはアオだということはすぐに知られるだろう。だから追いつけない場所まで走るしかない。
なにも考える隙が無い程走り抜ける。
拠点のある洞窟は、大きな山と山の間にある。四方は木々が生い茂っており、拠点まで辿り着ける者は限られている。アオは道無き道を駆け続ける。団員達は迷わないように、印が至る所にあるのだが、敢えてアオはその印の無い場所を進み続ける。
沼があったり恐ろしい野生動物がいるなどして、使うことができない場所だ。こんな場所、団長一人なら来られるかもしれないが今は夜だし、他の団員を放って来られるはずがない。
仮に追ってこられたとしても、自然があれば戦いようがある。
ということで、さすがに短時間なら大丈夫だろうと、アオは少し休憩を取ることにする。別に疲れていないが、状況報告とこの先の方針を相談しなければならない。
(終わったよ、なんとか逃げ切れた)
集中したアオは仙人に話しかける。
『おお、上手くいったか』
(なんとか。ぶちかまそうと思ってたけど、なんか普通に逃げ切れた)
『そうなのか』
本当なら、追いつかれそうになれば風を使ってぶちかまそうとしたのだが、なぜか追いつかれなかった。アオの記憶を辿ってもあれ程早く動けたことは無かった。
(うん。まあ逃げ出したのがバレたけど)
『遅かれ早かれバレてしまうんじゃろうが、早すぎるのう』
(団長が思いの外厄介だった)
『まあバレてしまっては仕方がない。これからの方針を考えんとのう』
(うん。まずは人が多い場所に行きたいんだけど、スイがどこにいるか調べないと)
当然スイを見つけなければ、スイの感情を解放することはできない。
そのためには当然ながら情報収集が必要だ。それに、人が多い場所に行けば逃げ出したアオを追いにくいはずだ。
(ただまあ……どこに行けばいいのか分からないけど)
『川があれば、それに沿って行くことでやがて人がいる場所へ辿り着くことができるんじゃがの』
(そう言った分かりやすいとこは、既に移動ルートにされてるよ。結局、このどこに行くか分からない道を進むしかないんだよね)
『そうじゃ碧よ、上空から見下ろして見るのはどうじゃ? その場で高く浮くぐらいならできるじゃろう?』
(あ、確かに。浮いてみる)
暗いし目立つことは無いだろうと、アオは深呼吸をして心を落ち着かせる。するとゆっくりと、ふらふら揺れながらアオが浮かび上がる。徐々に高度を上げていき、木よりも更に高い場所まで浮かび上がる。そしてアオはゆっくりとその場で回る。
今は山の中腹辺り、いくつか広い山道が見えるが、そこはいつもアオ達が行商人達を襲っている場所だ。
その道から繋がる場所は、間違い無く団員が探すだろう。目を凝らすと、豆粒サイズの人が動いていた。
(うっそ! もう探してる⁉)
「ぎゃっ」
あまりの動きの速さに驚いたアオ、気持ちを乱されて落下しかけるが、慌てて持ち直す。
そのいくつかある山道が続く先、山を抜けた先には広大な土地や河川が広がっており、アオの知っている中で一番大きな、都市と呼ばれる場所があった。
『怒』の世界で見た城よりも遥かに大きい。城だけでなく、城下町もどれだけの人が住んでいるのか分からない。かなり上空に浮かんだアオから見ても、その大きさは途轍もないものだと分かる。
存在は知っていたが、アオたちそこには行ったことが無い。
こうしてみるとその都市は大きな円型で、真ん中の城を囲むように城下町が広がっている。そしてそこから四方に向かって河川が伸びている。土地を綺麗に四等分しているみたいだ。
あそこまで目立つのなら、スイはその中にいるのが自然のような気がする。まずはあの都市を目指そうかと、そう思ったアオだったが、念の為アオが進んでいる方向に向き直して先を見てみる。
山を越えた先、さっきの都市までは大きくないが、大きな街と呼べるものがあった。この時間でも灯は付いており、人の営みが活発であることが伺える。その街の中央に高い塔が建っており、独特な街だなと感想を抱く。
こちらの方が近い。それに、あの場所へは行った記憶が無い。姿を隠すには打ってつけだ。ひとまずはそこで体制を整えることにしようと決める。
慎重に地面に降りたアオ。今から動けば、夜明けまでには辿り着けるだろう。
(とりあえず近くに街があったからそこ目指してみる)
『おおそうか。それはよかった』
(ちょっと今から全力で移動する。なんか元の世界みたいに動けるんだよね)
『なるほどのう……』
(なに、なんか知ってるの?)
『予想はついておる。ただ、今は無事にその街に辿り着くのが先じゃ。それからでも遅くない』
(分かった、また連絡する)
とりあえず無事にこの山を抜けるのが先だ。それに、この世界で元の世界のように動けても、お腹は減るし喉も乾く。一番近くの街に決定してよかっただろう。
向かう先は分かった。迷うことなく進めばいい。
アオは再び走り出す、足場が不安定な場所は木を登って通り過ぎる。障害などの無いも同然だった。
ただ――大きな沼地にやって来たアオは立ち止まる。こういった水辺は迂回しなければならない。沼地から木が生えているのならその上を進めばいいのだが生えていないし、水の上を走ろうにもアオには走れない。足は着くだろうが、ぬかるんでうまく進めないため危険だ。万が一底なし沼だったら目も当てられない。
とりあえず迂回しようと足元に注意しながら歩く。
風で揺れた水面に、星の光が反射する。おどろおどろしさの無い沼地。木は無いが草の類が生えている。
「結構雰囲気いいかも」
そんなことを言いながら歩く。今のところ野生動物には遭遇していないが、昼間ならここに集まって来るのではないかと考える。
僅かだが、張り詰めていた気持ちが楽になる。
沼地を迂回したアオは、再び走り出すのだった。