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第120話 なるほど

「──だめっ!」


 夢中で飛び出したセフィリアは、レイにしがみつく。


「あなたは……!」

「……リア?」


 驚いた拍子に、リュカオンの手が離れる。

 突然のセフィリアの乱入にレイも驚きを見せつつ、そっと肩を抱いた。


「リア、いまにも泣きそうだ。どうしたんだ?」


 それは、リュカオンに対するものとはまったく違う、やさしい声だった。

 レイがいまも特別視をしてくれていることを再確認する一方で、セフィリアはぬぐいきれない不安にさいなまれていた。


「だって……」

「だって?」

「レイが、離れていっちゃうと思って……」

「きみを置いて、どこに行くというんだ? 俺はきみのそばを離れないぞ」

「でも、レイはやさしいから……殿下のお話は、断れないでしょう?」

「なんで突然、殿下が出てくるんだ?」

「え?」


 きょとんと首をかしげるレイ。ここでようやく、セフィリアは話が噛み合っていないことに気づく。

 なにかがおかしいことに気づいたのは、リュカオンも同様だった。


「セフィリア嬢、わたしがなにか粗相をしましたでしょうか?」

「粗相だなんて、とんでもないです。でも、その……レイのこと、すごく熱心に追いかけていらしたので……」


 あんなに熱い視線をそそいでいたのだ。レイに対して、リュカオンが並々ならぬ感情をいだいていることは間違いないのだ。


「つまり、わたしが彼を独占してしまうのではないかと、不安に思われたと?」

「う……」


 即座に否定ができなかった。それだけで肯定になるだろう。


(こんなの、幼稚な嫉妬よね……言えるわけないわ)


 羞恥と劣等感が、交互に降り積もる。

 縮こまるセフィリアだが、次にリュカオンが見せた反応は、予想外のものだった。


「っふふ……あははっ!」

「……えっ」


 間の抜けた声が、セフィリアの口からこぼれた。

 それもしかたないだろう。だって、リュカオンが笑ったのだ。

 生真面目でぴくりとも笑わなかった、あのリュカオンが。


「なるほど、そういうことでしたか。これはわたしが悪かったです。ふふっ!」


 なんだろう、ものすごく笑われているのだが。

 謝っているわりには、リュカオンは悪びれていない。

 嘲笑されているというよりは、セフィリアに親しみを感じているような、屈託のない笑みだ。


「あの……失礼ですが、殿下」


 どうにも釈然としないセフィリアがむっとして返すと、リュカオンがぱちぱちとまばたきをし。


「ふはっ!」


 またも、吹き出した。

 なんだというのだ、いったい。


「殿下……?」

「ごめんなさい、おさえきれなくて。あなたはかわいいひとですね」

「かわ……え?」


 聞き間違いだろうか。首をひねるセフィリアだが、目前でリュカオンがにっこりと笑みを深める。なんだか嫌な予感がする。


「わたしも、あれからいろいろと思うところがありまして。強くなろうと思ったんです。守りたいひとがいるから」

「は、はぁ……ん?」

「そのために、レイに剣を教えてもらおうとお願いしていたのですよ。……彼のお兄さまにお願いするのは、ちょっと気が進まないのでね」


 なにを言われたのか、セフィリアはすぐに理解できない。


「殿下の言うとおりだ。剣の手ほどきをたのまれたんだが、断っていた。稽古とはいえ、俺ごときが王子殿下を地面に転がすわけにはいかないからな」

「殿下がレイにたのんでいたのは、剣のお稽古……え? それじゃあ、えっ!?」

「セフィリア嬢、あなたはどんなかわいらしいかん違いをしていたのでしょう?」


 くすくすと、リュカオンの笑い声が聞こえる。セフィリアの『かん違い』がなにか、確信している言動だ。

 とたん、セフィリアの全身がカッと熱をおびる。


(そんなこと、言えるわけない……)


 うつむいて黙り込んでしまったセフィリアに、なにを思ったか。

 ゆっくりと歩み寄ってきたリュカオンが、セフィリアの手を取り──


「きゃ……!」


 ぐい、と引き寄せられる感覚で、セフィリアは前のめりに体勢を崩す。

 だが、セフィリアが転ぶことはない。リュカオンに抱きとめられていたから。

 エバーグリーンの髪が風にさらりと揺れ、きらきらと陽光を七色に反射するチョコレートオパールの瞳が、すぐ目前にある。


「わたしが、彼に恋をしていると思いましたか? それは大きなかん違いですよ。ふふ……本当に、かわいらしいやきもちですね」


 内緒話をするように、セフィリアの耳もとでささやくリュカオン。

 このときになって、ようやくセフィリアは悟った。

 彼が熱をおびた視線で一心に見つめているのは、だれなのかを。


「誤解をとかせてもらいましょうか。わたしがお慕いしているのは、今も昔もあなただけですよ」

「えっと……」

「『和紗かずさ』が恋をしていた相手は、あなただということです──花梨かりんさま」

「……へっ」


 ここでふと、セフィリアの脳裏をよぎることがある。

 そういえば、心の準備がどうのこうのと、カイルが言っていたような気がするが。


「よかった。今世は結婚できますね」

「あの、殿下、ちょっと待っ……」

「わたしはもう遠慮するつもりはありませんので、どうぞよろしくお願いしますね?」


 セフィリアが涙目になって訴えても、リュカオンには聞こえていないようだった。

 まるでおとぎ話の王子さまのように、セフィリアの手の甲にうやうやしくキスをする。いや、王子に違いはないけれども。


「だから言ったでしょー、お嬢さま。ったく……早速好き放題やりやがって」


 どこからともなく、盛大なため息をつきながら現れたのは、カイルだ。


「存分に抜け駆けはできたでしょう。次はわたしの番でかまいませんよね?」

「こいつ……」


 カイルとリュカオンのあいだに、バチバチと火花が散る。

 もうなにがなんだか、セフィリアもわけがわからなくなってきたころ。


「なんか面倒なことになってるな。逃げるか」


 セフィリアの手を取って、レイが颯爽と駆け出した。


「あ、ちょっと!」

「こら待て、レイ!」


 当然制止の声は聞こえるものの、セフィリアも聞こえないふりをする。


(あなたは私の救世主です……レイ)


 ともに青空のもとを駆け抜けながら、セフィリアは人知れず、感動の涙をのんだのだった。

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