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第121話 気のせい

 人生とは、決められたレールの上をゆくようなものだ。

 裕福な家に生まれれば、そういった価値観の両親に教育をされる。

 それが政略結婚なら、なおのこと。


鷹月たかつき財閥の御曹司のようないいひとはまだ見つけられないのかと、母に急かされました」

「いや、理想が星夜せいやさんって、それ結構なことだからね?」


 和紗かずさの発言にうわぁ……と隠しもせずに引いたのは、七海ななみだ。


「娘が振り袖を着ようが白無垢を着ようが、よろこぶのが母親だと思っていたんだがな。相変わらずだなぁ、きみのお母さまも」


 そして星夜が、真顔でうなずいてみせる。


 ふたりとは長い付き合いだ。

 正確には幼いころから兄弟のように育っている七海と星夜の距離のほうが近いのだが、中学生になるころには、そこに和紗も加えてもらうことができた。世間では幼なじみ、というのかもしれない。


 和紗にとって、母親の存在が悩みの種だった。

「女は夫を立て、家庭を守るもの」という思想が強く、彼女自身もそうして生きてきた。そのため不動産業をいとなむ家は息子、つまり和紗の兄があとを継ぐものとして、和紗には兄をも立てるよう言い含めていたのだ。


「俺だったらそんな家、嫌気がさして出ていくな。おまえはなんとも思わないの?」

「嫌というか、反応に困っています。母のことも兄のことも嫌いではないですし……結婚はいずれ必要なことだとは思いますが、いまではないのかと……」


 結局のところ、自分はどうしたいのか。

 和紗自身が、よくわからなかった。


「たびたび申し訳ございません。とりとめのない話を」

「気にするな。それよりも、きみがどうしたいかだ。いまはわからなくても、いつかきっとわかるときがくるさ」

「……ありがとうございます、星夜さま」


 こうした相談を、星夜は嫌な顔ひとつせずに聞いてくれる。

 七海もなんだかんだで情のある男だ。飾らない距離感での会話は、和紗にとっても心地よかった。

 そんなふたりに支えられながら、和紗はいつも考えていた。

 おのれはいったい何者で、なにをすべきなのかを。



  *  *  *



 ──自分は何者なのだろう。


 物心がついたときから、和紗は妙な違和感が尾を引く日々をすごしていた。

 母の言いつけで勉学にはげみ、さまざまな習い事にも精を出した。だがひととおりのことはこなせても、熱中するまでにはいたらない。

 淡々とした和紗を、母は「冷めた子」と称した。


(もしかしたら、ここは私の居場所ではないのかもしれない)


 家庭での居心地の悪さは七海に指摘されたとおりではあったので、大学に進学するタイミングでひとり暮らしを申し出た。「社会勉強のため」と理由をつければ、卒業するまでという条件つきで、母も了承した。


 ──思えばその選択が、大きな転機だったのかもしれない。



「きゃっ……!」

「──!」


 どんっという衝撃に、和紗は意識を引きもどされる。

 休日の駅前ともなれば人通りも多くなるのに、よそ見をしていた。


「ごめんなさい、考え事をしていました。大丈夫ですか?」


 和紗はすぐに、ぶつかってしまった相手へ謝罪する。


「いえ……私のほうこそ……」


 そしておずおずと返事をしたその相手に、目を見ひらいた。

 亜麻色の髪をした、和紗よりも小柄な少女。彼女に見覚えがあったのだ。


「『カリン』さん……?」

「えっ……?」


 驚く少女をじっと見つめるほどに、和紗は確信した。


「駅の、東口のほうにあるカフェではたらいていらっしゃいますよね……?」


 そのカフェは大学から近く、和紗も好んで利用していた。

 窓際の席に座って往来をながめていると、注文したブラックコーヒーを運んでくる。それが少女だった。

 ほかの店員に「カリンちゃん」と呼ばれていたから、和紗も名前だけは知っている。

 だが、少女が次に見せたのは困惑の表情だった。


「あの……人違いだと、思います……私、まだアルバイトできませんし……」

「──!」


 そこでようやく、和紗は我に返る。

 少女はセーラー服すがただった。このあたりでは一般的な公立中学校の制服だ。


(私が見たのはたしかに彼女で……いや、もっとおとなびて、高校生くらいだった……? え……?)


 思わず手のひらで口もとを覆う和紗。

 ドッドッドッと、動悸がする。

 すると突然、キィィイン! とけたたましい耳鳴りがひびき──


 ──危ないッ!


 白猫を追って、車道に飛び出す少女。

 そして真っ青になって手を伸ばす星夜のすがたが、脳裏をかけ巡った。


「うっ……!」


 強烈な頭痛に襲われ、和紗はその場にうずくまる。


「だ、大丈夫ですか!?」


 血相を変えた少女が、頭をかかえる和紗のもとへ駆け寄ってきた。


「どこか具合でも……きゅ、救急車……!」

「いえ……おかまいなく」


 しばらく痛みを耐えしのんだ和紗は、深く息を吐き出しながら少女を手で制した。


(……そうだ)


 やがて動悸がおさまり、思考がクリアになる。


(思い出した……)


 まだ余韻の残る強烈な頭痛の意味を、和紗は正しく理解した。


(私は……私の人生は、……!)


 面識があるにもかかわらず少女が困惑していたのは、当然だったのだ。

 和紗が例のカフェで少女を見かけたのは、もっと未来、

 和紗が知る少女は、『彼女ではない彼女』だったのだから。


(私は和紗わたしとして生きる人生を、くり返している……!)


 違和感がぬぐい去れない日々の正体が、やっとわかった。

 そしてもうひとつ、いやふたつだけ、わかることがある。


(星夜さまも七海も、『前』の人生では親交がなかった)


 くり返す和紗の人生の中で、彼らがなにかしらの『鍵』をにぎっていること。


(そしてもうひとつ、彼女……『カリン』さんは、もっと特別な存在なんだわ!)


 なぜなら、いつの人生にも、少女の存在だけはかならずあったから。


「あの……!」


 少女と親しくなれば、この摩訶不思議な回帰の意味が解明できるかもしれない。

 その思いで口をひらく和紗だが、神のいたずらとは無慈悲なもので。


「っ! いけない、いま何時!?」


 駅の方角から聞こえてきた警笛音に、少女が飛び上がる。


「文化祭の準備、間に合うかな……急いでいるので、すみません!」


 慌ただしく和紗に向き直った少女は、


「えっと……もしあれだったら、無理しないで、病院に行かれてくださいね……?」


 と気遣わしげな言葉を最後に、会釈をして走り出した。


「……行っちゃった」


 あっという間のことで、和紗が引きとめるひまもなかった。


「日曜なのに登校なんて……」


 文化祭の準備がどうのこうのと言っていたが、そんなに切羽詰まっているのだろうか。


「……また会えるかしら」


 和紗にできるのは、遠ざかる少女の背を、祈るような気持ちで見つめることだけ。


「……ん?」


 そのときだった。和紗は何度かまばたきをする。

 見間違いだろうか? 少女に、黒いもやのようなものがまとわりついているように見えたのは。


「気のせい、よね……?」


 そう信じたい一方で、和紗の胸はざわついていた。

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