目次
ブックマーク
応援する
いいね!
コメント
シェア
通報

第122話 悲しませないで

「……和紗かずささん? どうかなさいましたか?」


 名を呼ばれる声に、意識を引きもどされる和紗。

 茜の光をあびた少女が、不思議そうにこちらを見上げている。

 そうと理解した直後、車道を流れるクラクションや行き交う人々の雑踏が、遅れて耳に届いた。


「いえ、なんでもございません」


 平静をよそおう和紗だが、内心はやってしまったと気が気でない。


(むかしのことを思い出すなんて)


 先ほどまで思いふけっていたのは、まだ少女──花梨かりんと知り合う前のこと。

 和紗が花梨と出会ったのは街でぶつかってしまったあの日がはじめてだが、花梨のほうはそのことを覚えていないようだった。

 あれから5年。運命とは不思議なもので、花梨は国内でも有名なホテルを経営する愛木ひめき家に養子入りした。

 こころやさしい少女が持病の発作で倒れてしまった社長夫人を献身的に看病したことは一大ニュースとなり、花梨もいまや一流ホテルの社長令嬢だ。


『きみには彼女のボディーガードを任せたい。たのめるか、和紗』


 そして星夜せいやのひと声で、和紗は花梨の護衛役をになうことになった。

 これは、和紗にとってもチャンスだった。


(花梨さまのそばにいられるなら、いまだ解明できずにいる回帰の真相に近づけるかもしれない)


 ゆえに和紗は護衛役という名目を利用して、花梨を観察していた。

 今日もいつものように校門前まで花梨を迎えに行き、自宅に送り届けるところだ。

 こうしたやり取りが日常の一部になってひさしいが、進展があるかというとそうでもない。


(なにか気の利いた話題でも振れたらいいのだけど……)


 和紗はあまり口がうまいほうではない。感情も顔に出にくいため、なにを考えているのかわからないと他人も敬遠してしまう。


(お母さまのおっしゃるとおりだわ。私って本当、冷めた人間ね)


 おのれの至らなさに辟易していたそのとき、となりでふと気づいたように花梨が声をあげた。


「あら、あのお店……」


 立ち止まった花梨が視線を向けていたのは、クレーンゲームなどの景品をあつかうアミューズメントショップだ。


「あちらがどうかなさいましたか?」

「それがですね、以前鷹月たかつきさまとあのお店の前を通りがかったことがあったんです。そうしたら、突然鷹月さまがクレーンゲームでテディベアをとってきて、『カップルはこういうことをするんだろう』ってドヤ顔を」

「星夜さまが……」


 そういえば、花梨くらいの年頃の少女なら、ああいった可愛いものが好きだったりするのだろうか。

 星夜もそんな考えで、唐突にクマのぬいぐるみをプレゼントなどという行動に出たのかもしれない。

 花梨と、打ち解けるために。


(……私もできるかしら)


 話すことは得意ではない。しかし、花梨には他人行儀ではなく、もっと気兼ねなく接してもらいたいと思う。

 ならば、行動で示すべきではないか。そうと結論づけた和紗の行動は早かった。


「花梨さま、あちらにある景品ですと、どのぬいぐるみがお好みですか?」

「そうですね、今日はクマちゃんはいないみたいですが、ウサギさんがふわふわしていて可愛いです……って、あら?」

「ウサギさんですね。承知いたしました。こちらで少々お待ちを」

「和紗さん? えっ、ちょっと待っ……和紗さん!?」


 花梨の呼び声は、もはや聞こえない。

 ウサギを捕獲する。和紗の脳内は、それだけでいっぱいだった。



  *  *  *



 結論からいうと、ウサギのぬいぐるみは花梨にプレゼントされた。しかし和紗のほうは、どっと疲れた様子である。


「一発でクマさんを仕留めたなんて、星夜さまは天才ですか……?」


 奮闘すること20分。なんとか勝利はおさめたものの、険しい顔つきの自分がムキになってクレーンを操作しているさまを思い浮かべ、和紗は遅れて羞恥に駆られる。


「ふふっ!」


 だが、花梨の反応は和紗の予想とは違うものだった。

 突然ウサギのぬいぐるみを押しつけられて困り顔を浮かべるかと思ったのに、くすくすと笑い声をあげている。


「和紗さんって、お茶目なひとだったんですね」

「お、お茶目……」

「こういうの、サラッとやってのける鷹月さまみたいなのは可愛げがないです。和紗さんみたいに一生懸命なひとを見ていると、私まで応援したくなっちゃいました」

「そういうものですか……?」


 何事もスマートにこなせてこそだと思っていたのに、花梨にとっては違うらしい。


「和紗さんは、私をよろこばせようとしてくださったんですよね? 一生懸命な気持ち、つたわってきました」

「それは……」


 ウサギのぬいぐるみをかかえた花梨が、ほほ笑みを浮かべる。


「和紗さんは思いやりのある、あたたかいひとですね。私のためにありがとうございます。この子、だいじにしますね!」

「っ……!」


 たまらず、和紗は視線をそらす。


(……まぶしい……)


 花梨の笑顔が、まぶしくて直視できない。


(あたたかいひと、なんて……はじめて言われた)


 実の母にさえ、冷めた子ね、もっと愛想よくなさいとたしなめられていたのに。


(私いま、ぜったいに変な顔をしてる……)


 燃えるように顔が熱いけれど、不快な羞恥ではない。

 思わず走り出したくなるようなこの感情を、ひとは歓喜と呼ぶのだろうか。


「和紗さん?」

「いえ、大丈夫です、お気になさらず……」


 絞り出した声はか細く、まったくもって大丈夫ではない。

 結局この日はどうやって帰ったのか、和紗はあまり記憶にない。



  *  *  *



「最近機嫌がよさそうじゃん」

「そういうあなたは虫の居所が悪そうですね」


 ある日のこと。星夜が代表をつとめるセキュリティー会社のオフィス内で、和紗は七海ななみと鉢合わせた。まぁ七海は星夜の専属秘書兼ボディーガードなので、いてもおかしくはないのだが。


「私がなにかしましたか」

「べつにー?」

「はぐらかさないでください」


 七海との付き合いも短くはない。これはなにかしら腹に溜め込んでいることがあるときの言動だ。そう直感した和紗は、容赦なく追及する。

 しばらく視線を交わしたあと、七海が深いため息を吐き出す。


「胸くそ悪いもん見ちゃってさ」

「というと?」


 眉間にしわを寄せた七海が、無言で手にした書類を突き出してくる。見たところ、なにかの報告書のようだったが──


「これは……!」


 和紗は目を見はり、受け取った報告書に隅々まで目を通す。


「前にさ、体調の悪くなった花梨さんを星夜さんが送っていったことがあったろ。なんか気になって、調べたわけ」


 その報告書には、衝撃的な事柄が記されていた。

 花梨がまだ愛木ひめき家の養子に入る前、中学1年生のころに、先輩の男子生徒に襲われた事件についてだ。

 さいわい未遂に終わったが、そのとき花梨に刻まれた精神的苦痛は、相当なものであったはずだ。

 だが花梨が星夜にこのことを打ち明けたとしても、星夜がそれを他者に言いふらすことはしない。となれば。


「花梨さまの過去を、勝手に暴いたのですか?」

「人聞きが悪い言い方するなよ。まぁ……星夜さんに知られたら、大目玉なのは違いないけど」

「どうしてあなたが、そこまで……」

「おまえにはわからないだろうな」

「なんですって……!」


 煽るような言葉にカッとなる和紗。

 しかし、七海に言い募ることは叶わない。


「花梨さんに乱暴しようとしたクソガキ、俺がこの手でぶん殴ってやりたくてしょうがない。けど、あの子はそんなこと望まないだろ。だから……あの子の知らないところで、社会的に抹殺する」


 抑揚のない声音でつぶやく七海の瞳にやどっているのは、狂気ともいえるだろう。


(あぁ、そうか……彼は……)


 花梨に対する尋常ではない七海の感情に、和紗はようやく気づいた。


「……花梨さまが望まないとわかっているなら、そんなことはやめてください。報復したところで、虚しいだけです」

「俺はそれでもかまわない」

「あなたがよくても、あなたの手が汚れることを、花梨さまは悲しまれるはずです! 花梨さまを傷つける可能性がある以上、私はあなたを止める義務があります!」


 気づけば、声を荒らげていた。

 はじめてだった。和紗がこんなにも感情を乱した経験は。

 じっと和紗を見つめた七海が、静かに口をひらく。


「それ、ほんとに義務?」

「なにをっ……」

「ボディーガードの仕事範囲じゃないよな。花梨さんのこと、放っておけないんだろ。それって俺となにが違うの?」

「っ……!?」


 なにを言われたのか、和紗はすぐに理解できない。


「俺にそこまで説教垂れるなら、そういうおまえにとって花梨さんはなんなんだよ!」


 今度は、和紗が容赦なく追及される番だった。


(私は……私はただ、彼女におだやかにすごしてほしい……笑っていてくれるなら、それで……)


 いや、違う。


『和紗さんは、あたたかいひとですね』


 その言葉を聞いたとき、胸が高鳴った。

 淡々と日々を過ごす自分の世界に、彼女は淡い色を与えてくれた。

 彼女のそばにいる時間は心地よく、手放し難かった。


(そうか……そうなのね……)


 自分にとっての花梨は、どんな存在なのか。

 自問した和紗は、やがて答えにたどり着く。


(私は……花梨さんに惹かれているのね)


 だからこそ、花梨を想って憤る七海の心情も、痛いほどに共感できるのだ。


「……何度言われようと、私はあなたを止めます」


 なにをしたいのか、なにをすべきかもわからず、無意に過ごしていた日々。

 けれど、今は違う。和紗には守りたいものができた。


「花梨さまは、私のたいせつなひとです。彼女を悲しませないで!」


 今なら胸を張って言える。 

 ──彼女を守るために、自分は生まれてきたのだ、と。

 痛いほどの沈黙が続き、はぁ……と七海が嘆息する。


「やっと自覚したか。手のかかるやつ」

「……はい?」


 緊迫した状況から一変。へらりと、七海がほほをゆるめる。


「素直じゃないよなぁ、和紗ちゃーん?」

「……えっと」

「俺が発破かけないと、一生気づかなかったろ? あんなに花梨さんの前じゃデレデレなのになぁ」

「……えっ」


 なにかがおかしい。和紗がそう気づいたときには、もう七海に主導権をにぎられており。


「もしかして……ハメました?」

「あはっ!」

「なーなーみーさーん?」

「あのねぇ、俺は花梨さんにたのしー気分でいてほしいの。どんより気分のやつはお呼びでないの。だからさっさとその辛気くさい顔どうにかしてほしかったわけ、わかる?」

「うっ……」


 ということは、つまりだ。

 七海は花梨に対する和紗の気持ちを見抜いていて、自覚させるためにわざとひと芝居うったということである。

 そういえば思い出したが、花梨を前にしたとき、七海はいつもへらへらと陽気な言動を崩したことがない。


「あなた……ものすごい演技派ですね」

「愛の力ってやつよ」

「社会的に抹殺うんぬんの話は?」

「あれは本音だけど、行動には移さない。花梨さんを悲しませたくはないからねー」


 いまさらながら、七海はすごい男だ、と和紗は思う。

 だってこんなにも想っているのに、報われないことが決まっている恋だなんて。


「……失恋同盟でも組みますか」

「なんかやだな、そのネーミング」


 花梨のことはたいせつだ。だからこそ、星夜としあわせになるべきなのだと思う。


「でもま、とりあえず今夜は呑みに行くか」

「そうですね」


 ──こうして、和紗と七海の秘密の同盟関係は生まれたのだった。


この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?