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第124話 やり遂げてみせる

 ピリリリ、ピリリリ……


 耳もとで、着信音が鳴りひびく。

 意識が浮上した和紗かずさは、しばらくぼんやりと天井を見つめたのち、のそりと上体を起こす。


「私、どうして……たしか……うっ!」


 記憶をたどろうとしたとき、強烈な頭痛が襲う。


 ──こんにちは。


 たしか自分は、街で花梨かりんのクラスメイトを名乗る青年に呼びとめられたはずだ。

 しかし彼の尋常でない様子に危機感を覚えたのもつかの間、和紗の記憶はそこでとぎれている。


(あれは現実……それとも、夢……?)


 どちらともつかないもどかしさが、胸をざわめかせる。


 ピリリリ、ピリリリ……


 和紗が頭をかかえているあいだも、着信音は鳴り止まない。

 ひとつ息を吐き出した和紗は、ベッドサイドのスマートフォンへ手を伸ばす。

 画面には、七海ななみの名が表示されていた。


「はい、もしも──」

『なにやってんだよおまえっ!』


 開口一番に電話口で怒鳴られ、和紗は思わずしかめっ面でスマートフォンを遠ざける。


「……朝っぱらからなんですか、騒々しい」

『文句言いたいのは俺のほうだわ! おまえ今何時だと思ってんの!?』

「何時って……」


 スマートフォンの画面を確認すると、『9:21』と表示されていた。


「今日は日曜日ですよ」


 学校は休みで、花梨から出かける等の連絡も受けていない。つまり和紗にとっては休日の認識だったが。


『はぁ? 寝ぼけてんのか? おまえは朝イチ空きコマかもしれないけど、ふつうに平日だし! ていうかそんなことはどうでもいい。星夜せいやさんが登校してないって学校から連絡があったの!』

「…………はい?」


 ここでようやく、和紗は違和感に気づく。


(空きコマって……私はとっくに大学卒業してるのに……それより星夜さまが、『登校してない』って……)


 とたんスマートフォンをにぎりしめる和紗のこめかみに、冷や汗が浮かぶ。


(まさか……いや、でも『この感覚』には、覚えがある……)


『それ』を、和紗は幾度となく経験してきた。


『どうした、黙り込んで。聞いてるのか? おい!』


 矢継ぎ早に言葉を投げかけてくる七海をよそに、和紗はスマートフォンを操作し、スケジュール調整に使っているカレンダーアプリを起動。そして、絶句した。


(やっぱり……まただわ。また『くり返されている』!)


 そう、スマートフォンに表示された日付は、和紗の想像とはまったく違ったもの。5年前のそれだったのだ。


 ──あなたは、今日ここで起きたことを忘れてしまう。


(あれは、夢などではなかった)


 突然現れた青年。彼と会った直後に、こうしてふたたび過去に回帰したのだ。偶然とは思えない。


(なぜだかわからないけど、彼は私を邪魔者あつかいしていた。だから消そうとしたものの……そう上手くはいかなかったってことかしら)


 なぜなら、和紗は青年のことをたしかに覚えているからだ。


(これまでの回帰には、彼が関わっていた? 彼は何者で、目的はなに……?)


 わからないことばかりだが、ひとつだけたしかなことがある。


(星夜さまが学校に遅刻したことは、ただの一度だけ)


 和紗の予想どおりなら、七海が大慌てで連絡を寄越してきた理由にも説明がつく。

 そうとなれば、和紗が取るべき行動はひとつだ。


「最寄り駅へ向かってください。私もすぐに向かいます」

『は?』

「駅前で通行人の女性が倒れたとか。その方を学生の方が看病しているとのことです。星夜さまの高校の通学路からも近い場所です」

『待てよ、そんな情報どこで……』

「SNSに目撃者の投稿がありました。いいから早く!」


 実際ほんとうにそんな投稿があるかどうか確認したわけではないが、もう知ったことではない。

 遅かれ早かれ、『あのニュース』はSNSどころかテレビにラジオ、新聞と、ありとあらゆる報道機関によって報じられる。

 なのだから。



  *  *  *



 和紗が現場へ駆けつけたとき、サイレンを鳴らした救急車が駅のロータリーから発進するところだった。


「ありがとうございました……私ひとりだったら、どうにもできませんでした」

「いや。きみはよくがんばっていたよ」


 人ごみをかき分ければ、いた。

 ブレザーすがた──まだ高校生の星夜が、疲弊したセーラー服の少女に言葉をかけている光景が映る。


 ──こころやさしい彼女に、ひとめぼれをしたんだ。


 のちに少女を婚約者とさだめる未来にたがわぬように、少女をねぎらう星夜のまなざしは、淡い熱をやどしたものだ。


(……お似合いのふたり。私なんて、あいだに入れっこない……)


『前』の和紗は、事後報告を受けただけ。

 そのときは想いを自覚してすらいなかった。

 だがいま、こうして実際の光景を目にすると、泣きたくなるような気持ちになる。


「……マジかよ……花梨さん」


 ふいに声がして、和紗はふり返る。

 いつの間にだろうか。すこし遅れて七海も駆けつけたようだ。

 しかし、星夜たちを見つめる表情があきらかに動揺している。


「七海、あなた……花梨さまを知っているのですか?」

「──!」


 我に返ったように、七海の視線が和紗へ向けられる。


「そういうおまえこそ、知ったような口ぶりだな」

「私はちょっと、前に街で偶然彼女とぶつかってしまったことがありまして」

「なんだそのよくできた話」

「うそではありません」


 和紗や七海が花梨と正式に顔を合わせるのは、花梨が高校3年生のとき、星夜が婚約を申し込んだあとの話だ。

 それなのに、なぜ七海は花梨のことを知っているのだろうか。疑問は残るものの、聞いたところで答えてくれるような空気ではない。


(もしかしたら、彼も私とおなじように回帰しているのかも……なんて)


 なんとも滑稽な推論だと思いながら、和紗は七海へ向き直る。


「ひとつ、提案があるのですが」

「なんだよ?」


 七海が花梨を見つめる表情。それをひと目見て、和紗は確信したことがある。


(彼はもう、花梨さまのことが好きなんだわ)


 そうでなければ、花梨と星夜が寄り添う光景を目にして、複雑そうな顔はしないだろう。ならば。


「契約をしませんか。私とあなたで、たいせつなひとを守るための契約を」


『前』は単なる同盟で終わっていた関係を、もうすこしふみ込んだものにしてみよう。



  *  *  *



 和紗は記憶を保ったまま、回帰した。

 花梨がこころに傷を負う過去にまでさかのぼることはできなかったけれど、これから待ち受ける未来ならば、変えていける。


(これでいいの。花梨さまがしあわせになる未来を守ることが、私の役目なのだから)


 花梨のためにも、想いをつたえるべきではない。

 それが最善なのだと言い聞かせ、自分の気持ちにふたをした。


 だが、運命は残酷だ。

 和紗の回帰に関与しているものと思われる青年──不破螢斗ふわけいとが、今回も花梨のクラスメイトとして現れる。


「──今日は一段とすてきですね」


 そして螢斗はあろうことか、しあわせの絶頂期、花梨と星夜の婚約パーティーに乱入してきたのだ。


「花梨さまにはふれさせません!」


 いまは誤作動を起こしたセキュリティーのチェックで、星夜も七海もいない。自分しか、花梨を守れる者はいないのだ。

 果敢にも螢斗へ立ち向かう和紗だったが……


「人間にしては見上げたものだね。でも、その霊力を使いこなせていないなら、きみは赤子も同然だ」

「なっ……!」


 ぞわりと、和紗の背すじを悪寒がかけ巡る。

 彼には敵わない。そう直感した。


「邪魔はしないでくれるかな?」


 美しい青年のすがたをした得体の知れないモノが、笑みを浮かべる。

 和紗の手足は言うことを聞かない。


「……和紗さんっ!」


 自分を呼ぶ花梨の悲鳴が、最期に和紗が耳にしたものだ。


 薄れゆく意識の中、和紗は詫びる。


(ごめんなさい、花梨さま……また、あなたをお守りできなかった……)


 思い返しても、後悔ばかりの人生だ。


(どうして私は、こんなに無力なの……!)


 また回帰するのだろうか?

 いや、これまでとは違い、和紗というひとりの人生が終わろうとしている。

『次』を望むのは、とうてい馬鹿な話だろう。


(それでも、もう一度だけでいい……チャンスがほしい)


 このまま終わりたくない。

 後悔したまま終わるなんて、納得できるはずがない。


(力がほしい……強くなりたい。今度こそ、花梨さまをそばで守り抜きたい!)


 その一心で、強く願ったそのとき。


 ぱぁああ──……


 和紗のからだは、まばゆい金色の光につつまれる。

 そして次に気づいたとき──『和紗』としての記憶を取り戻したとき、彼女、いや彼の目の前には、いじらしい少女のすがたがあった。


「リュカオン殿下? どうなされました?」


 淡いストロベリーブロンドに、エメラルドの瞳。

 まだおさない少女だが、その声を聞いた瞬間、胸がふるえた。


(あぁ、わたしは……なんて幸運なんだろう)


 魂がさけんでいる。あの少女こそ、花梨なのだと。

 そして和紗も生まれ変わったのだ。

 今度は彼女と対等に接することができるルミエ王国唯一の王子、リュカオンに。


(今度こそやり遂げてみせる。わたしが、彼女を守る)


 リュカオンはかたく胸に誓う。

 太陽の光がまぶしい、午後のことだった。

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