蔵書室で『妖界大全』と書かれた本を読んでいた沈楽清は、隣に座って本を読む洛寒軒の肩にトンっとその頭を乗せた。
「お茶、飲まない?」
「そう言って、さっきも席を立っただろう?もう少し頑張れ。」
本から目を上げ、沈楽清の頭をよしよしと撫でた洛寒軒は、再び本に視線を落とす。
「・・・勉強、好きなんだね。」
「ああ、俺は幼い頃は村の手習い程度しか習っていなくて、ちゃんと学んだのは藍鬼に会ってからだったから、実は知らないことが多い。だから、ちゃんと勉強しないといけないんだ。一応、妖王なんて肩書があるから、そんな男がバカでは困ると藍鬼に言われたしな。」
(力が全ての妖界で、頭の良し悪しって関係あるのかな?)
洛寒軒に頑張れと言われてしまった手前、頑張るしかなくなった沈楽清は、再び本に視線を戻すも、すぐに眠気に襲われた。
うとうとし始めた沈楽清に気がついた洛寒軒は、苦笑するとその半開きの唇に舌を滑り込ませる。
「ん・・・寒、軒・・・」
座っている長椅子に、眠気で動きが鈍い沈楽清の身体を押さえつけた洛寒軒は、ゆっくりとその口腔内を堪能する。
静かな室内に、幽かな水音が響き、その音に沈楽清の顔がみるみるうちに真っ赤に染まった。
「目は覚めたか?」
「わざと聞こえるように大きな音を立てるなんて・・・ずるい・・・」
涙目になって荒い息をする沈楽清に、洛寒軒はフッと笑うと、沈楽清の持っている本をその手に取った。
「それにしても、そんなにこの本は退屈なのか?」
「・・・いや、この本、もう何度も読んでるから飽きてるんだよね。ここに来た日に一日一回絶対に読めって栄兄に言われたんだけど・・・なんていうか、図鑑みたいで、あまり興味がないっていうか・・・」
「ふぅん。」
パラパラとページをめくり、数ページ読んだ洛寒軒は、珍しく声を上げて笑い出す。
「寒軒?!」
「い、いや・・・これ・・・すごいな・・・仙人の目にはこう映ってるのか。」
クククと笑いながら、洛寒軒は一つのページを開く。
「ちょうどこいつが、この前、天清山の真下の村で人を喰っていた奴だ。だからもう、その記述に意味はない。俺が殺したからな。」
「ええっ?!」
「あ、あと、こいつももういないぞ。これと・・・これもか。藍鬼の奴、自分で殺した奴くらい消して渡せばいいものを。」
「え・・・これって、本当の妖族の情報なの?お化け大百科みたいなものじゃなく?」
「当たり前だろう?ああ、なんだ。もしかして物語か何かだと思っていたのか?実在する妖族だぞ。お前の討伐対象だ。」
洛寒軒から本を返された沈楽清は、まじまじとその本を見た。
(ずっと、単なる百科事典だと思ってた)
改めて、自分の認識の甘さを再確認させられた沈楽清は、がっくりとその肩を落とす。
「・・・俺、本当に大丈夫なのかな・・・?」
そんな沈楽清の肩を洛寒軒はそっと抱くと、ぽんぽんとその頭を軽く叩いた。
「お前は、まだここへ来て1か月程度なんだろう?しかも、ここから出ることもなく過ごしてきた。そんな生まれたての子どもみたいな状態で、全てがきちんと分かる訳ないだろう?そんな事は、藍鬼だって分かっている。」
「・・・でも、俺、宗主なんだもん。」
「あいつを頼ればいい。ここに残るなら。もし、俺と行くなら、大丈夫だ。一生全てから守ってやる。この世界の事は一生かけてゆっくり勉強すればいい。俺の隣で。」
「・・・そうやって、また甘やかす。俺がダメ人間になったらどうするんだよ。」
「ならない。」
洛寒軒は腕の中の沈楽清に自身の顔が見えないよう、彼をその胸に抱きかかえる。
「・・・お前は、絶対にそうはならないよ、楽清。」
沈楽清に決して見せようとしなかったその顔は、悲しみに満ちていた。
月がすっかり昇りきり、太陽に比べれば弱い光りながらも、青白い光が煌々と地上を照らしている。
一人目を開けた洛寒軒は、一緒の寝台で眠る沈楽清の顔を覗き込んだ。
洛寒軒の腕の中、安心しきった表情で眠る沈楽清から、すうすうと規則正しい寝息が聞こえてきて、その可愛らしい様子に、洛寒軒はフッと微笑むと、その頬と額に小さく口づけた。
そっと彼の身体から腕を外し、その衝撃で沈楽清が起きていないことを確認すると、洛寒軒は廊下へ出る。
廊下に出て、柱にもたれかかった洛寒軒は、そのままぼんやりと庭を見つめた。
沈楽清と想いを確かめ合って以降、洛寒軒はほとんど眠ることが出来なくなっている。
(もしも、あいつも同じだったら・・・いっそ抱いてしまえるんだが・・・)
しかし、自分の隣でああも安心して眠られると、沈楽清を大切にしたい洛寒軒は、もう彼に対して指一本動かすことが出来なかった。
「・・・眠れないんですか?」
急に至近距離で声がして、洛寒軒は苦笑すると真後ろにいる彼の方を見る。
「今夜もご苦労なことだな、藍鬼。」
自分が来て以降、必ず夜中になると一度彼が見回りに来る。
「いえいえ、お仕事ですから。」
にこにこと笑い、玄肖から本来の姿に戻った沈栄仁は、洛寒軒の隣に来て欄干に座ると、すっと盃を一杯差し出した。
「久々に飲みません?変な薬は入れてませんから。」
「一杯だけなら。」
沈栄仁から盃を受け取った洛寒軒は、一気に杯を呷る。
そうして、今度は酒瓶を沈栄仁から受け取ると、その盃へ注ぎ、沈栄仁へと渡した。
「ごちそうさま。」
盃と酒瓶を返された沈栄仁は酒瓶を欄干に置き、盃の酒を一口だけ飲む。
「・・・とうとう酒で失敗でもしたのか?」
「違いますよ。失礼ですね。貴方と、ちゃんと話がしたいだけです、寒軒。」
沈栄仁は自分の隣をぽんぽんと叩き、洛寒軒に座るよう促した。
沈栄仁の求めに従って隣に座った洛寒軒は、黙ったまま彼が話し始めるのを待つ。
「・・・寒軒。貴方に、ずっと黙っていたことがあります。」
沈栄仁はそこから滔々と、淡々と、ある昔話を話し始めた。
その内容に次第に洛寒軒の目が見開かれ、沈栄仁が話し終わるころには瞬き一つ出来なくなる。
「・・・それが、俺の・・・そして・・・」
洛寒軒は、カラカラに乾いた喉から、かすれた声を出す。
再び差し出された杯を一気に呷った洛寒軒は、はぁっと大きなため息をつくと、両手で顔を覆った。
「なんてバカなんだ!揃いも揃って。」
洛寒軒の嘆きに、「本当にそうですよね」と同意した沈栄仁は、自分もぐっと杯を呷る。
「・・・これを、他に知っている者は?」
「いません。でも、阿清は薄々勘づいている様子でした。でも、楽清は何も知りません。だから、私は貴方にあの子を連れて行ってほしかった。龍王窟で、ひっそりと二人で幸せになって欲しかったんです。」
「・・・でも、もう分かっているだろう、藍鬼。」
「ええ・・・」
沈栄仁は立ち上がると、今度は酒瓶から直接酒を呷り、ふらふらとした足取りで帰り始める。
「楽清には明日、宋岐村へ討伐に行っていただきます・・・答え合わせをしましょう、妖王。」
「・・・分かった。」
そのまま去ろうとする沈栄仁の背に、洛寒軒が声をかける。
「藍鬼、話してくれてありがとう。」
「・・・あなたは、もっと世界を恨んでも良かった。恨んで、全て壊しても、誰も文句が言えないのに・・・なんでそんなに優しい子に育ったんだか・・・」
「・・・お前のおかげだろう?それに、楽清がいるのに、全てを壊すなんてもう出来ない。昔それを聞いていたら・・・でも今は、あいつを悲しませたくない。」
沈栄仁の姿が見えなくなるまで、その姿を見送った洛寒軒は、そのまま寝室に戻る。
沈楽清を起こさないようそっと寝台に潜りこみ、洛寒軒は沈楽清の顔をじっと見つめた。
「ふふ・・・寒軒・・・」
どんな夢を見ているのか、嬉しそうに自分の名を呼ぶ沈楽清に、たまらない気持ちになった洛寒軒はその唇を塞いだ。
(明日が討伐・・・その前に、今夜、こいつを抱いてしまえば・・・)
酒に酔った勢いに任せて、沈楽清の服に手をかけた洛寒軒は、その中の滑らかな肌へ自身の手を滑らせる。
沈楽清の唇から唇を離すと、その白く細い首筋をわずかに噛んだ。
「う・・・ん・・・?」
身体に感じた違和感にわずかに目を開けた沈楽清は、自分の上に跨る洛寒軒をぼーっとした表情で見る。
「寒軒?眠れないの?」
「・・・ああ・・・」
覆いかぶさった洛寒軒が、ちゅっと音を立てながら、沈楽清の肌へ軽い刺激を与えるも、何をされているか今いち分かっておらず、未だに半分夢の中にいる沈楽清は、ふふふっと笑うとぎゅっと洛寒軒に抱き着いた。
「・・・寝よう、寒軒。子守歌、歌ってあげる。」
「楽清・・・」
沈楽清に抱きつかれ、それ以上、彼を襲うことが出来なくなった洛寒軒は、その小さな歌声に耳を傾けた。
全く聞いたことがないメロディーと歌詞を歌う沈楽清に、洛寒軒は彼が歌い終えたところで、「それはなんて曲だ?」と尋ねる。
「星に願いを、だよ。」
「そうか・・・綺麗な曲だな。」
「でしょう?」
胸に洛寒軒を抱きしめたまま、ふふふ~と少し自慢に笑う沈楽清に、洛寒軒は自分もぎゅっと抱きついた。
「楽清・・・お前の願いは?」
「願い?」
「ああ、星に願いを、なんだろう?」
「ん~、俺、俺は・・・立派な宗主になれますように、かな。今度の会合では、もうあんな真似はしないけど、でも、あいつらにお前がいい奴だって証明してやるんだ。洛寒軒は良い王だって、敵じゃないって、俺が証明するんだ。それで・・・争いのない世界にして・・・それで・・・」
沈楽清は最後むにゃむにゃと何事かを話すと、そのまま意識を失う様に再び眠ってしまった。
そんな沈楽清の願い事を聞いた洛寒軒は、少し寂しそうに笑うと、自身が乱した沈楽清の衣服をきちんと整え、いつものようにその身体を優しく抱えると、その額に軽く口づけた。
「おやすみ。」
すでにしっかり眠っている沈楽清にそう挨拶をして、洛寒軒は自身もその目を閉じた。