幸雲が狼の妖怪と結婚したことに驚いたが、仙道名門の幸一が大丈夫と言ったから、玄誠鶯はとりあえず、深く問い詰めなかった。
幸一は玄誠鶯に珊瑚たちが来ることを伝えてから、自分で韓婉如と幸世が住んでいる別館に向かった。
別館に入ったら、幸一は使用人たちを下がらせた。
自分一人で足音を忍ばせて
午後の陽射しが暖かく、部屋を明るく照らす。
「……初めての演技と思わないって褒められたの!脇役で人気が出たら、次は主人公の選抜に参加させてくれるの!」
「すごいわ!でもいろいろ気を付けてね、
玄誠鶯から聞いた。
幸世はお金を稼ぐために、仙縷閣で役者として働き始めた。
あんなに抵抗したのに、結局先輩が示した道に入ったのか……
先輩は幸世の演技才能を見抜いたから、わざと一芝居を売ったのかもしれないな。
二人が幸一の到来に全く気付いていなく、親子の幸せの時間を楽しんでいる。
「そういうところだからすてきな出会いがあるかも!そのうちいい旦那に出会って、お母様の負債も全部返してあげる!」
「そんなの要らないわ、幸世が幸せになれば、母はもう満足だよ」
「わたしだけじゃダメなの!わたしは、絶対に幸せな結婚を成し遂げて、お母様を幸せにしてあげる!」
そう言って、幸世は韓婉如の腕に飛び込んで、母の胸で猫のようにすりすりした。
「……」
談笑している二人を陰で見ている幸一の気持ちは、前よりもずっと複雑なものになった。
自分の前で震えて号泣する二人は、自分のいないところでこんなにも楽しく笑っている。
継母と異母妹だったら、笑って過ごせるのに……
本当は実の母と妹だと思うと、幸一は心が締め付けられるように、息が苦しくなる。
幸一は、韓婉如から三歩以内に入った記憶がない。
幸雲の話によると、韓婉如は自分の授乳さえも乳母に投げたそうだ。
ああやって抱きしめられたこともないだろう。
(なんでだ……)
幸一は思わず拳を扉に当てた。
大きな音が立てていないが、室内の二人の注意力を引くには十分だ。
「お、お兄様?!」
「っ!」
幸一を見て、韓婉如は緊張しそうに幸世を抱きしめた。
「……幸世、ちょっと離れてくれないか?母様に聞きたいことがある」
幸一は真剣顔で、部屋内に一歩進んだ。
「ふ、復讐するなら、わたくしを虐げてください!」
幸世は両手を広げて母を守ろうとした。
「……風術」
幸世の芝居に付き合う気分じゃないし、説明をする気もない。
幸一は旋風を起こして、幸世を外へ送り出して、扉を締めた。
「幸雲姉様は無事だ。いい妖怪さんと結婚してる。生活が落ち着いたら母の見舞いに来るように頼んだ」
幸一はまず姉のことを簡潔に伝えた。
「えっ!?ど、どういう……」
「叔父様は、幸雲姉様を彼女に相応しくない男に売ろうとした。妖怪の雷鳴さんは姉様を攫ったのではなく、守っていたんだ。二人は意気投合で、そのまま結婚した」
「う、嘘よでしょ!?」
韓婉如は信じない声をあげた。
「じゃあ――本当は、俺は復讐のために、姉を人食い妖怪に送ったと言ったら?」
「まさか、あなたは以前のことに根を持って幸雲まで…!!」
韓婉如の顔は青ざめた。
「……」
母親の反応を見て、幸一の眼差しの温度がガクンと冷めた。
声が一段静かになって、韓婉如に聞き返した。
「母様、『実の息子』の俺は、そんなに信用できないのか?」
「?!!」
「姉様からすべてを聞いた。母様は、俺の本当の母だよね」
「そ、そんなこと……」
驚愕で取り乱した韓婉如は、反射的に逃げようとしたが、幸一の視線に掴まれたように、一歩も動けなかった。
「俺はもう仙道の人間だ。いずれ親族との縁を切る。だから、本当のことを母様の口から聞いてくれれば、もうなんの未練もない。母様にご迷惑をかけない」
幸一は韓婉如を真っすぐ見つめていて、答えを待っている。
しかし、その真実に焦がしている真摯な目に、韓婉如は目を逸らした。
「……ち、違う……」
「!?」
「違うわ!あなたは、私の息子じゃない……!」
韓婉如は震えるように、頭を小さく横振りし続ける。
「!?どうして……?」
幸一は小さく前に進んで、問い詰めた。
「とにかく違うのよ!私たち、なんの関係もないわ!!」
「…………」
「……なぜだ!!」
短く沈黙の後、幸一の声が爆発した。
「幸世をあんなに可愛がっていて、実の子じゃない姉様たちの安全も案じているのに!なぜ俺だけがだめだんだ!!」
「俺は、特別な何かがほしいわけじゃない!!ただ、母様の口から、自分の本当の出身を聞きたいだけだ!!」
「なぜそんなちっぽけなものも、もらえないんだ!!」
幸一の表情が歪んで、どんどん韓婉如に迫る。
今まで、自己満足のいい子でいるために抑えていた寂しさ、悲しみ、不服、怒りは、韓婉如の断然の拒絶によって解き放たれた。
母親の一件はあくまで人生の始まりの段階の事。
仙道を歩む人間にとって、そんな束の間の出来事に執着しても意味がない。
だから、何を言われても気にしないと決めた。
なのに、この時、感情も体も理性の制御を聞かない。
心が苦しく、体が熱く、涙腺が酸っぱい……
「そんなに、俺のことが嫌いのか……」
「俺は、母様に、何か悪いことでも、したのか……」
怒りの火の後に襲って来るのは、悲しみの波。
姉の話によると、自分は母親に災難をもたらす不吉な子だった。
しかし、それでも、そんなことは自分の本意ではないと訴えたい。
本当の母親だったら、それを分かったくれると信じている……
流すつもりない涙はぽろぽろと幸一の目から落ちてくる。
それを見た韓婉如は、強い衝撃を受けた。
子供の頃に、どんなに冷たいことをされても、自分や姉たちの前で決して泣かない幸一は泣いている。
こんな大きく、強くなっていても、自分の一言の否定によって感情が崩れた。
韓婉如は今までのない強い罪悪感に良心を問われた。
あの修良は言ってたじゃない?幸一のせいで自分が危険に遭ったのではない。幸一のおかげで、自分が救われたんだ。
だったら、ここは幸一に謝って、母親としての責任を果たすべきではないか。
玄家の土地を幸一に渡したのも、罪滅ぼしのためだ。
なのに、どうして幸一にここまでの拒絶感を持っているのだろう……
母親が子供を愛するのは本能じゃないの?
幸一の言った通り、自分は実の娘を愛していて、義理の子供たちの世話もちゃんとやっていた。
決して薄情で無責任な人間ではない。
どうして、幸一だけがだめなんだ……
混乱した情緒で一生懸命理由を探していたら、韓婉如はやっと一つの言い訳を見つけた。
「違うのよ……認めてはいけないのよ……そんなことを認めたら、私はきっと、殺されるわ……」
「殺される!?誰に!?」
幸一は更に進んで、韓婉如の両肩を掴んだ。
韓婉如は怯えながらも細い声で修良の名前を出した。
「あの、
「先輩?嘘だろ、先輩はそんなことをするはずがない!」
もちろん、幸一は信じない。
「本当よ!!」
その時、扉の外に、珊瑚と紫苑は密かに部屋内の状況を覗いている。
「珊瑚さん、止に入らなくていいですか?あのご婦人、精神がとても不安定です。このままですと、心の魔に取りつかれて、苦しめられます」
心魔である紫苑は、韓婉如が発された「恐怖の気持ち」を感じた。
「そうですね。母親に拒絶された上に、大好きな人の印象が崩壊したら、幸一もかなり辛い」
珊瑚はその意見に同意し、韓婉如が修良のことを詳しく話す前に、扉を軽く叩いた。
「幸一、入ってもいい?」
二人の登場は幸一親子に息を吸う余裕を与えた。
「それがしは捕快です。娘さんの件について、説明いたします」
珊瑚は韓婉如に名札を見せて、話しを幸雲に戻した。
紫苑は幸一の袖を引っ張って、幸一を片隅に誘った。
「幸一様、おかしいのです」
「何が?」
「お母様の気持ちは、母親が子供に対する感情でもありません。あんな強くて、闇のような気持ちは、平和に暮らしている人間が持つような恐怖心ではありません」
「!?ということは?」
「幸一様はあの方を傷付けるような人間ではありません。おそらく、あの方の魂、つまり『過去の生』に何か深い葛藤があるのでしょう」
「!!」