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第十七章 前世の因縁

五十七 実の息子

幸一こういちはまず玄誠鶯げんせいえい幸雲こううんのことを報告した。

幸雲が狼の妖怪と結婚したことに驚いたが、仙道名門の幸一が大丈夫と言ったから、玄誠鶯はとりあえず、深く問い詰めなかった。

幸一は玄誠鶯に珊瑚たちが来ることを伝えてから、自分で韓婉如と幸世が住んでいる別館に向かった。

別館に入ったら、幸一は使用人たちを下がらせた。

自分一人で足音を忍ばせて韓婉如かんえんにょの部屋の外まで来た。

午後の陽射しが暖かく、部屋を明るく照らす。

幸世こうよは嬉しそうに華やかな芝居衣裳を母に見せている。

「……初めての演技と思わないって褒められたの!脇役で人気が出たら、次は主人公の選抜に参加させてくれるの!」

「すごいわ!でもいろいろ気を付けてね、仙縷せんる閣は下品なところではないとは言え、青楼街にあるのよ」


玄誠鶯から聞いた。

幸世はお金を稼ぐために、仙縷閣で役者として働き始めた。

あんなに抵抗したのに、結局先輩が示した道に入ったのか……

先輩は幸世の演技才能を見抜いたから、わざと一芝居を売ったのかもしれないな。


二人が幸一の到来に全く気付いていなく、親子の幸せの時間を楽しんでいる。

「そういうところだからすてきな出会いがあるかも!そのうちいい旦那に出会って、お母様の負債も全部返してあげる!」

「そんなの要らないわ、幸世が幸せになれば、母はもう満足だよ」

「わたしだけじゃダメなの!わたしは、絶対に幸せな結婚を成し遂げて、お母様を幸せにしてあげる!」

そう言って、幸世は韓婉如の腕に飛び込んで、母の胸で猫のようにすりすりした。

「……」


談笑している二人を陰で見ている幸一の気持ちは、前よりもずっと複雑なものになった。

自分の前で震えて号泣する二人は、自分のいないところでこんなにも楽しく笑っている。

継母と異母妹だったら、笑って過ごせるのに……

本当は実の母と妹だと思うと、幸一は心が締め付けられるように、息が苦しくなる。

幸一は、韓婉如から三歩以内に入った記憶がない。

幸雲の話によると、韓婉如は自分の授乳さえも乳母に投げたそうだ。

ああやって抱きしめられたこともないだろう。


(なんでだ……)

幸一は思わず拳を扉に当てた。

大きな音が立てていないが、室内の二人の注意力を引くには十分だ。

「お、お兄様?!」

「っ!」

幸一を見て、韓婉如は緊張しそうに幸世を抱きしめた。

「……幸世、ちょっと離れてくれないか?母様に聞きたいことがある」

幸一は真剣顔で、部屋内に一歩進んだ。

「ふ、復讐するなら、わたくしを虐げてください!」

幸世は両手を広げて母を守ろうとした。

「……風術」

幸世の芝居に付き合う気分じゃないし、説明をする気もない。

幸一は旋風を起こして、幸世を外へ送り出して、扉を締めた。


「幸雲姉様は無事だ。いい妖怪さんと結婚してる。生活が落ち着いたら母の見舞いに来るように頼んだ」

幸一はまず姉のことを簡潔に伝えた。

「えっ!?ど、どういう……」

「叔父様は、幸雲姉様を彼女に相応しくない男に売ろうとした。妖怪の雷鳴さんは姉様を攫ったのではなく、守っていたんだ。二人は意気投合で、そのまま結婚した」

「う、嘘よでしょ!?」

韓婉如は信じない声をあげた。

「じゃあ――本当は、俺は復讐のために、姉を人食い妖怪に送ったと言ったら?」

「まさか、あなたは以前のことに根を持って幸雲まで…!!」

韓婉如の顔は青ざめた。

「……」

母親の反応を見て、幸一の眼差しの温度がガクンと冷めた。

声が一段静かになって、韓婉如に聞き返した。

「母様、『実の息子』の俺は、そんなに信用できないのか?」

「?!!」

「姉様からすべてを聞いた。母様は、俺の本当の母だよね」

「そ、そんなこと……」

驚愕で取り乱した韓婉如は、反射的に逃げようとしたが、幸一の視線に掴まれたように、一歩も動けなかった。

「俺はもう仙道の人間だ。いずれ親族との縁を切る。だから、本当のことを母様の口から聞いてくれれば、もうなんの未練もない。母様にご迷惑をかけない」

幸一は韓婉如を真っすぐ見つめていて、答えを待っている。

しかし、その真実に焦がしている真摯な目に、韓婉如は目を逸らした。

「……ち、違う……」

「!?」

「違うわ!あなたは、私の息子じゃない……!」

韓婉如は震えるように、頭を小さく横振りし続ける。

「!?どうして……?」

幸一は小さく前に進んで、問い詰めた。

「とにかく違うのよ!私たち、なんの関係もないわ!!」

「…………」

「……なぜだ!!」

短く沈黙の後、幸一の声が爆発した。

「幸世をあんなに可愛がっていて、実の子じゃない姉様たちの安全も案じているのに!なぜ俺だけがだめだんだ!!」

「俺は、特別な何かがほしいわけじゃない!!ただ、母様の口から、自分の本当の出身を聞きたいだけだ!!」

「なぜそんなちっぽけなものも、もらえないんだ!!」

幸一の表情が歪んで、どんどん韓婉如に迫る。


今まで、自己満足のいい子でいるために抑えていた寂しさ、悲しみ、不服、怒りは、韓婉如の断然の拒絶によって解き放たれた。

母親の一件はあくまで人生の始まりの段階の事。

仙道を歩む人間にとって、そんな束の間の出来事に執着しても意味がない。

だから、何を言われても気にしないと決めた。

なのに、この時、感情も体も理性の制御を聞かない。

心が苦しく、体が熱く、涙腺が酸っぱい……


「そんなに、俺のことが嫌いのか……」

「俺は、母様に、何か悪いことでも、したのか……」

怒りの火の後に襲って来るのは、悲しみの波。

姉の話によると、自分は母親に災難をもたらす不吉な子だった。

しかし、それでも、そんなことは自分の本意ではないと訴えたい。

本当の母親だったら、それを分かったくれると信じている……


流すつもりない涙はぽろぽろと幸一の目から落ちてくる。

それを見た韓婉如は、強い衝撃を受けた。

子供の頃に、どんなに冷たいことをされても、自分や姉たちの前で決して泣かない幸一は泣いている。

こんな大きく、強くなっていても、自分の一言の否定によって感情が崩れた。

韓婉如は今までのない強い罪悪感に良心を問われた。

あの修良は言ってたじゃない?幸一のせいで自分が危険に遭ったのではない。幸一のおかげで、自分が救われたんだ。

だったら、ここは幸一に謝って、母親としての責任を果たすべきではないか。

玄家の土地を幸一に渡したのも、罪滅ぼしのためだ。

なのに、どうして幸一にここまでの拒絶感を持っているのだろう……

母親が子供を愛するのは本能じゃないの?

幸一の言った通り、自分は実の娘を愛していて、義理の子供たちの世話もちゃんとやっていた。

決して薄情で無責任な人間ではない。

どうして、幸一だけがだめなんだ……


混乱した情緒で一生懸命理由を探していたら、韓婉如はやっと一つの言い訳を見つけた。

「違うのよ……認めてはいけないのよ……そんなことを認めたら、私はきっと、殺されるわ……」

「殺される!?誰に!?」

幸一は更に進んで、韓婉如の両肩を掴んだ。

韓婉如は怯えながらも細い声で修良の名前を出した。

「あの、天修良てんしゅうりょうというもの……彼は、彼はすべてを知っているの……彼は、私に警告したの、幸一に余計なことを言ってはいけないって……」

「先輩?嘘だろ、先輩はそんなことをするはずがない!」

もちろん、幸一は信じない。

「本当よ!!」


その時、扉の外に、珊瑚と紫苑は密かに部屋内の状況を覗いている。

「珊瑚さん、止に入らなくていいですか?あのご婦人、精神がとても不安定です。このままですと、心の魔に取りつかれて、苦しめられます」

心魔である紫苑は、韓婉如が発された「恐怖の気持ち」を感じた。

「そうですね。母親に拒絶された上に、大好きな人の印象が崩壊したら、幸一もかなり辛い」

珊瑚はその意見に同意し、韓婉如が修良のことを詳しく話す前に、扉を軽く叩いた。

「幸一、入ってもいい?」

二人の登場は幸一親子に息を吸う余裕を与えた。


「それがしは捕快です。娘さんの件について、説明いたします」

珊瑚は韓婉如に名札を見せて、話しを幸雲に戻した。

紫苑は幸一の袖を引っ張って、幸一を片隅に誘った。

「幸一様、おかしいのです」

「何が?」

「お母様の気持ちは、母親が子供に対する感情でもありません。あんな強くて、闇のような気持ちは、平和に暮らしている人間が持つような恐怖心ではありません」

「!?ということは?」

「幸一様はあの方を傷付けるような人間ではありません。おそらく、あの方の魂、つまり『過去の生』に何か深い葛藤があるのでしょう」

「!!」


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