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第156話 今はなにも聞かずに俺を信じて

(俺……今、瑛斗先輩と話したら……)


 嬉しい、悲しい、怖い。


 自分でも何を口走ってしまうかわからない不安に、俺は、今の俺には向かい合うことはできそうになかった。


「理央……」


 名前を呼ばれると、痛いほど胸が締め付けられたが、俺は見えないドアの向こう側に向かって首を横に振った。


「ごめんなさい、瑛斗先輩……。もう少し、俺に時間をください……」


「時間って……。理央! 私が車椅子姿の理央を見て、冷静でいられると思っているのか!」


「これはただの捻挫です! だから! お願いですから、瑛斗先輩! 今はなにも聞かずに俺を信じて、どこかに行ってくれませんか?」


(俺は卑怯だ……)


 信じて欲しいだなんて、ズルい言葉なのは分かっていた。


 そして、瑛斗先輩がそう言われたら、強く出られないと分かっていながらも、俺は使ってしまった。


「理央……」


 罪悪感に苛まれた俺は、唇を噛みしめて、膝の上で重ねていた手に力を込めた。


「ごめんなさい。俺もちゃんと瑛斗先輩と話がしたい。瑛斗先輩が怒っていた理由とか、全部ちゃんと! でも、今はダメなんです。お願いですから、分かってください!」


「理央……あれは……」


 言いかけたまま瑛斗先輩は黙ってしまったことで、俺たちとの間に沈黙が訪れた。


 俺は瑛斗先輩と距離が離れてしまったような気がして、胸がキュッと締め付けられたのを感じた。


(ごめんなさい。瑛斗先輩……)


 目を深く瞑り、俯きながら心の中で瑛斗先輩に謝ることしか、今の俺にはできなかった。


「……。分かった。だが今は、これだけはハッキリ言わせて欲しい!」


「……!」


 ドアに何かを勢いよくぶつけたような音が響き、俺は思わず肩をビクつかせた。


「私はバカだ! 大バカものだ! 嫉妬に駆られて理央を怖がらせるなんて……」


(瑛斗先輩……)


「だが、これだけは伝えたい。私は、他の誰にも理央を渡すつもりはない! もちろん、波多野にもだ! 今日はそれを証明する! だから、私を見ていてくれ! あと、弁当の卵焼き! 一切れでいいから私のために残しておいてくれ!」


(えっ? た、卵焼き……?)


 聞き間違いかと俺が狼狽えている間に、瑛斗先輩がドアからどんどん離れていく足音だけが、廊下から響いて聞こえてきた。


「……。はぁー……」


(卵焼きって……。俺を渡すつもりはないって宣言した後に、そのセリフいります? ほんと、瑛斗先輩って……)


 いつもの調子で、突拍子もないことを言い出す瑛斗先輩。


 俺はさっきまで締め付けられていた胸に温かいものが広がり、自然と口元から笑みが零れるのを感じた。


「おい、リオン」


「……!」


(あっ……! レンさんたちがいるのを忘れてた! ど、どうしよう……)


 俺は慌てふためいてしまい、目の前で繰り広げてしまった瑛斗先輩とのやりとりを、どう説明したらいいか分からなかった。


「……」


 だが、いつまでも黙って背を向けているわけにもいかず、とりあえず俺はレンさんたちに向かって車椅子を回転させた。


「えっ、えっと。今のはですね……」


 向かい合ったはいいものの、三人を目の前にして、どう説明していいか分からず、俺は言葉を詰まらせてしまう。


 すると、レンさんは急に手を二回ほど叩いた。

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