『アルバート、お待ちなさいませ!』
すると、どこからともなく赤いまだら模様のヘビ……アルバートの守護精霊であるニョロがぴょこんとアルバートの腕の中に飛び込んできたのである。
いないと思っていたら、いつの間にかドラゴンの姿からヘビの姿に戻っていたらしい。そして長い下をチロリと出すとやれやれとばかりに首を横にふった。
『乱入者にびっくりしていたらとんでもない気配を感じ取りましたのよ。確認してきましたけれど……とんでもない大物でございますわ。ほら、あちらをご覧なさいませ』
そう言ってひょいっと向けた尻尾の先が示した方向をよく見ると、なんとそこにはヒロイン……ルルが茂みから身を乗り出しすぎて丸見えになった状態でこちらを見ていたのである。
私とバッチリ目が合うと、ルルは慌ててその場に立ち上がり慌てた様子で手足をパタパタと動かし始めた。
「やだ、ほら、見つかっちゃった!?ご、ごごごごごめんなさいぃ!いやほんと、全然!覗き見とかするつもりはなかったんだけど……!いやまぁ、結局は見ちゃってたんだけどね?!ほ、ほんとド修羅場とかちょっと興味あったりなんかしてないから!あ、でも今の平手打ちはすっごい良かった!いい音が鳴ってたし、あのジュドーはちょっとないわーとか思ったからなんかスカッとしたし!────って、ほらセイレーンも謝って!やっぱり覗き見とかっていけないことなんだから!」
ルルはまるでねじ巻きで動く絡繰り人形のようにぎこちない動きをしたかと思うと何も無い空中にぱっと手をやった。すると、それまで何も無かったその場に……虹色の鱗の持ち主がキラキラと光を反射させながら姿を現したのである。
『……もぉう!ルルがバラさなかったら、わたくしの姿はこいつらには見えてなかったのにぃ!』
セイレーンと呼ばれた
それはまるで、神様が娯楽のついでにと教えてくれた“人魚姫”のようにも思えた。実は神様は、漫画以外にも絵本というジャンルの子供向けの物語も色々と教えてくれていたのである。乙女ゲーム作りの参考資料だと言われたが……目の前に広がる山ほどの自分の知らなかった物語たちに夢中になっていた天界での生活を思い出してしまった。
その中で一番気になったのが人魚姫の絵本だった。神様によれば解釈は様々で“世界”によっては結末は色々と違うらしいのだが……。
私があの時に目にした絵本の、美しい鱗を持つ光り輝く人魚姫の挿絵がセイレーンに重なったのだ。
「……これが、セイレーン…………」
力の強い精霊が空想生物の姿をしているのはもちろん知っているが、その姿には同じ空想生物とされるドラゴンとはまた別次元の美しさがあった。ドラゴンの力強い美しさとは全然違う……幻想的な美しさというべきか。
なぜならば、その上半身は人間の女性と酷似しているように見えるが肌も髪も瞳すらも輝く真珠色をしている。人魚姫と同じ下半身の大きな魚の部分は瑞々しく潤っていてその鱗は輝く虹色だ。さらにバサリと広げた両腕には腕の代わりに大きな翼が備わっていた。ルルよりも一回り大きな体は迫力さえ感じる。
目の前のルルのイメージがヒロインのそれとはまったく違っていて呆気にとられていたが、初めて目にしたセイレーンの姿にも驚きを隠せない。
「すーはー……あの、本当にごめんなさい!あ、知ってると思うけどこの子はセイレーンって言ってあたしの守護精霊で……」
『やだぁん!わたくしは誰かに怒られるのなんか好きじゃないのよぉう!それに、ルル以外の人間なんてぇ、みぃんな大きらぁいなんだからぁん!!────だからぁ……みぃんな、ルルの虜になりなさぁぁあい!!!』
ルルが、なんとか落ち着きを取り戻そうと深呼吸をしてからセイレーンに振り向いたその時。セイレーンは苛立ちを隠せないように両手で真珠色の美しい髪を掻きむしりながら追い詰められたように叫んだ。そして私とアルバートに向かって(たぶん倒れているジュドーにも)大きく口を開いてきた。
ついさっきまで幻想的だと感じていたセイレーンの形相が、まるで別の生き物のように不気味に変貌していったのだ。
「ちょっと、セイレーン?!まさか魅了魔法を使う気なの?!やめっ────」
ルルが止めるのも聞かず、セイレーンはパカッと無機質に開いた口を引き裂かれんばかりに広げた。
『キィィィィィィィィィィイィィィイイィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィイイイィィィィィィィィィィィィイィィィイイィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィイイイィィィィィィィィィィィィイィィィイイィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィイイイィィ!!!!!!』
「うっ!!!」
それは“歌”と言うよりは、まるで“悲鳴”のようだった。
鼓膜が破れるんじゃないかと感じるくらいの大音量の悲鳴に、思わず耳を押さえるが少しもマシにならない。これのどこが魅了魔法なのかと思うくらいに、心の中には〈不安〉、〈恐怖〉、〈悲しみ〉、そんな感情が渦巻いて流れ込んでくるのだ。
私が耐えきれなくなってその場に座り込むと、アルバートも耳を押さえながら膝を付いていた。