広間に響き渡る剣戟の音。
グレアスの剣は鋭く、容赦がない。
ジュエルドは全力で応戦するものの、その剣技の差は歴然としていた。
「ジュエルド、これ以上の戦いに意味はない! 降伏しろ!」
グレアスの声が広間に響き渡る。
しかし、その言葉にジュエルドは応じるどころか、さらに剣に力を込めた。
「黙れ!私は王だ、この手でお前を討たなければ、誰も私を認めない!」
ジュエルドの剣は激情に満ちており、攻撃は荒々しい。
しかし、グレアスは冷静だった。
「それが王のあるべき姿か……愚か者め。」
そう言いながらグレアスは一歩踏み込んでジュエルドの剣を払い、その剣筋をずらす。
そして、即座に反撃の一撃を繰り出した。
ジュエルドはかろうじて身を引いて避けたが、肩口をかすめるようにグレアスの剣が通り、鮮血が床に散る。
「ぐっ……!」
肩を押さえながらジュエルドは一歩下がる。
その動揺を見逃すグレアスではなかった。
「これで終わりだ。」
グレアスは一気に距離を詰め、ジュエルドに剣を突きつける。
完全に勝負が決したかに思えたその瞬間────
「動くな!」
声とともに鋭い音が響き、広間にいる全員がその方向を見る。
そこには、クレアの首元に短剣を突きつけたジュエルドの兵士が立っていた。
フェルは他の兵士の相手をしており、クレアとの距離が離れた隙を突かれていた。
「クレア……!」
グレアスの顔が険しくなる。
「手を止めろ、グレアス。お前の一挙一動で、この女の命は消える。」
ジュエルドは血を流しながらも口元に不敵な笑みを浮かべた。
その目には狡猾さと勝利の確信が宿っている。
「お前のような小細工に屈する私ではない……!」
そう言いながらも、グレアスは剣を振り下ろすことができなかった。
クレアの首元に輝く短剣が、その動きを封じている。
「ほら、剣を捨てるんだ。貴様が降伏しない限り、この女は助からないぞ」
ジュエルドの言葉に広間の空気が凍りついた。
グレアスは歯を食いしばり、剣を握り直す。
「……俺は、クレアを失うわけにはいかない。」
グレアスは静かに剣を床に置き、その場に膝をついた。
ジュエルドの兵士がグレアスの剣を拾い上げ、ジュエルドに渡す。
剣を受け取ったジュエルドは、血に濡れた顔を歪めて笑った。
「貴様もただの男だ。結局は女一人を守るためにひれ伏すとはな。」
「ジュエルド、俺の命なら構わない。だが、クレアだけは解放しろ。」
グレアスは苦渋の表情を浮かべながら、ジュエルドを見上げる。
「ははは、それこそが間違いだ。お前の命も、女の命も、私が手に入れる!」
ジュエルドはそのまま剣を振り上げ、グレアスに向けて一気に振り下ろした。
その瞬間───
「やめて!」
叫び声とともに、持っていた余力のほぼ全てを使い、兵士を突き飛ばしたクレアがジュエルドの前に飛び出した。
「クレア、何をしている!」
グレアスが叫ぶ間もなく、ジュエルドの剣はクレアの腹部を貫いていた。
「……クレア……?」
ジュエルドはニヤリと笑った。
クレアの口元からは血が流れ、顔が真っ青になっていく。
「グレアス様……ごめんなさい。これしか……方法が……」
クレアは微笑みながらグレアスに視線を向けた。
その目には、確かな愛と覚悟が宿っていた。
「クレア! しっかりしろ!」
グレアスは駆け寄り、倒れ込むクレアの体を抱きしめた。
その手に触れる彼女の体は、すでに冷たくなり始めている。
「どうして……どうしてこんなことを……!ジュエルド……お前が奪ったものの代償を、これから思い知るがいい。」
グレアスは怒りを込めた目でジュエルドを睨みつける。
広間の空気が再び凍りつく。
広間に血が広がり、静寂が訪れる。
その静けさは、悲しみと怒りに満ちたものだった。
「……クレア、必ず助ける。だから、目を閉じるな。」
グレアスの言葉が広間に響く中、彼の心には新たな決意が芽生えつつあった──すべてを終わらせるための、最後の決意が。
グレアスの腕の中で倒れるクレアを支えながら、彼はその場に膝をついた。
ジュエルドの剣はまだクレアの体から抜けておらず、彼女の命が少しずつ削られていることを痛感していた。
「誰か! 医者を呼べ! 急げ!」
グレアスの叫び声が広間に響く。
しかし、敵地の中、応じる者はいない。
ただ冷たい空気が漂い、ジュエルドの兵たちも動揺し、その場に立ち尽くしているだけだった。
ジュエルドは剣を握り直し、グレアスとクレアを見下ろしていた。
「哀れな男だ」
「ジュエルド……!」
グレアスの怒声にジュエルドはグレアスの顔を見る。
その目は、もはや冷静さを失った怒りと憎しみに満ちていた。
「覚悟はできているのだろうな?」
グレアスの声には、静かながら確かな殺意が宿っていた。
それはジュエルドにとって、剣の切っ先よりも恐ろしいものだった
「グ……レアス……様……」
クレアの弱々しい声が、グレアスの怒りを一瞬止めた。
彼女の目は半ば閉じており、意識を保つのが精一杯の様子だった。
「無理をするな、クレア。すぐに助ける。だから、何も言わなくていい。」
グレアスは優しく彼女を抱きかかえ、その顔を覗き込む。
しかし、クレアは首を微かに横に振った。
「……私……この戦いが……終わってほしいです……グレアス様……どうか……」
その言葉を最後に、彼女の目が閉じていく。
「クレア! 目を開けろ! まだ、話してくれ……!」
グレアスの声が、悲痛に響き渡る。
その瞬間、グレアスは決意した。
彼女を助けるために、そして、この争いを終わらせるために、何があっても最後まで戦うのだと。
「ジュエルド、これで終わりにしよう。この戦争も、無益な憎しみも」
グレアスはゆっくりと立ち上がった。
その腕には傷ついたクレアを抱きながらも、彼の目にはもはや迷いがなかった。
「貴様に勝利などない。今ここで、この場ですべてを終わらせる。」
グレアスの宣言に、ジュエルドは剣を構え直した。
彼の心には焦りと動揺が渦巻いていたが、今さら後戻りできるはずもない。
その時だった。
「殿下!」
外から大勢の足音が響き、ジュエルドの兵士たちがざわめき始める。
グレアスの部下たちが援軍として駆けつけたのだ。
「殿下、こちらへ!」
グレアスの部下が声を上げ、彼に駆け寄ろうとする。
しかし、ジュエルドの兵士たちがそれを阻むように立ちはだかった。
「ここまでだ、ジュエルド」
グレアスはクレアを守りながら、その目でジュエルドを睨みつけた。
「戦うことが王の全てではない。お前のような愚か者が王冠を持つ資格などない。」
援軍がジュエルドの兵士たちを押さえる間に、グレアスはクレアをフェルに預け、安全な場所へと向かった。
彼の部下が医師を呼びに行き、治療の準備を進めている。
グレアスは傷ついたクレアを抱きながら、彼女の命を救うために全てを尽くすことを心に誓った。
そして、この戦争を終わらせるため、最後の一歩を踏み出す決意を固めたのだった。
ロレアス王国の城には静寂が訪れたが、それはこれから訪れる嵐の前触れに過ぎなかった。
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グレアスは執務室の窓から外を眺めていた。
戦いの中で負った傷も痛むが、それよりも心を締め付けるのは、傷ついたクレアの姿だった。
彼女は大量に血を流したことで、まだ衰弱しており、完全な回復には時間がかかると医師から告げられていた。
だが、彼は帝国の王子であり、国を守る使命がある。
ロレアス王国に対し、終止符を打つために動かなければならない。
「筆を持て。」
グレアスの低く鋭い声が、執務室に控えていた文官に命じる。
文官はすぐに机に向かい、彼の言葉を記す準備を整えた。
グレアスは机に座り、目を閉じる。
言葉を慎重に選びながら、冷徹かつ的確な命令文を口にした。
「ロレアス王国宛。 この手紙を受け取った時点で、貴国に猶予はない。これ以上、民を巻き込み、血を流すことを良しとするならば、その責任をすべて貴国の指導者が負うべきだ。 私たちは、この争いを早期に終結させる意向を示す。降伏を表明するのであれば、我がジュベルキン帝国は、貴国に対して賠償金のみを求め、それ以上の罰則を課さない。だが、もしこれを拒むならば、帝国の軍が再び動き出すことになる。貴国の賢明な判断を待つ。」
グレアスは言葉を区切ると、目を開け、文官に目を向けた。
「それを書き上げたら、直ちにロレアス王国に届けさせろ。返答の期限は三日だ。」
文官は深々と頭を下げ、素早く手紙を仕上げていった。
手紙を書き終えると、文官は退室し、グレアスは再び一人になった。
執務室の静けさが、彼の胸に残る不安と怒りを浮き彫りにする。
「クレア……」
その名を小さくつぶやく。
彼女の笑顔が脳裏に浮かび、そして血に染まった姿がそれを塗りつぶす。
「もしまた……あのようなことがあったら……」
グレアスは拳を握りしめ、窓枠に力を込めた。
帝国の王子として冷徹でいなければならない一方、彼女を失う恐怖が彼の中で渦巻いていた。
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数時間後、執務室を出たグレアスは、医師の報告を聞くためにクレアの部屋へと向かった。
部屋に入ると、ミーシャが疲れた表情で椅子に座り、眠っているクレアを見守っていた。
「ミーシャ、彼女の容態はどうだ?」
グレアスの声に、ミーシャはハッとして目を覚まし、慌てて立ち上がった。
「殿下、今のところ容態は安定しております。ただ……やはり無理をされたのでしょう。傷は癒えつつありますが、完全に回復するにはもう少し時間がかかるかと……」
ミーシャの言葉に、グレアスは少しだけ表情を緩めた。
「そうか……。彼女が目覚めたら、何か欲しいものがないか聞いてやれ。できる限りのことをするように」
「はい、かしこまりました。」
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グレアスは手紙を送った後、ロレアス王国からの返答を待ちながらも、日々の軍務と政治の仕事に追われていた。
帝国全土がこの戦争による緊張状態に包まれており、兵士たちも国民も早期の終結を望んでいた。
しかし、グレアス自身の心は平静を保てていなかった。
「ロレアス王国が愚かな選択をしないことを祈るばかりだ……。」
彼は呟きながらも、万が一の事態に備え、軍を再編成するよう命じた。
数日が過ぎた頃、ついにロレアス王国からの返答が帝国に届く。
その内容は、戦争終結を望むものではなく、新たな衝突を予感させるものだった。
ロレアス王国は、条件を受け入れない旨を伝え、再び戦場への道を選ぶ意思を明確にしていた。
グレアスの怒りと悲しみは、さらに深まっていくのだった。