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第190話 治療室


 あれから、色々なことが精査され、私のデビュタントどころではなくなり、少し後味が悪くなってしまったパーティーを終えた私は、お父様や、アルとセオドアと共に皇宮の治療室までやってきていた。


 因みに、ウィリアムお兄さまは皇宮で働く騎士達と共にパーティー会場に残り、より詳しい痕跡が残っていないかなどを調べるのに尽力してくれていて。


 ギゼルお兄さまや、テレーゼ様は、現在、別室で待機しているのだけど。


 私が此処に来ることに違和感を覚えたテレーゼ様から……。


【陛下、なぜわざわざ、そのような場にアリスを連れていかれるのです?】


 と、言われてしまって、ちょっとだけドキっとしてしまった。


 これがもし、ウィリアムお兄さまが一緒に行くというのならば、お父様の仕事を任されていることもあって、お父様の助手のような形で行くから可笑しくないけれど……。


 私がそこについていくことを不思議に思われてしまったのだろう。


 お父様は私というよりも、アルを連れて行きたかったからだと思うのだけど。


 それを正直に言うわけにもいかないし……。


【アリスは、あの貴族を助ける為に尽力したからな。

 当然、アリスも自分のデビュタントであのような事が起こってしまって、その安否を気にしているだろうから、私の判断で連れて行くことにした】


 私がどう言えばいいか迷っていたらお父様がテレーゼ様にそう言ってくれたことで、何とかその場を切り抜けることが出来た。


 治療室の中は棚に綺麗に薬品のビンなどが整理されて置かれていて。


 他の調度品が置かれた豪華な宮の中の部屋とは違い、白を基調とした部屋の中は清潔感が保たれていた。


 ツンとしたアルコールの匂いなどが漂ってくるのもここが治療室だからだろう。


 あまりキョロキョロする訳にもいかないので、簡易的なベッドの上にいる貴族に視線を向ければ、彼が私達の姿を確認して、ベッドの上で慌てたように上半身を起こそうとしてきたのが見えた。


「……あっ、へ、陛下……っ」


「私がいるからと言って無理に身体を起こそうとはしなくてもいい。

 調子はどうだ?」


 バートン先生達が治療してくれているお蔭もあってか。


 大分顔色も良くなっていることに、ホッとしながら、目の前の貴族を見れば、彼は、お父様の言葉で、再び治療室のベッドに横になってから……。


「はい、この通り。

 まだ少し気持ちの悪さは残るものの、殿下や皇女様が迅速に対応して下さったお蔭で、順調に回復に向かっているようです」


 と、はっきりとした言葉で私達に伝えてきてくれた。


【良かった。

 ……言語もはっきりと喋ることが出来ていて、問題もなさそう】


「そうか。

 ……体調が良くなっているようなら何よりだ。

 だが、まだまだ辛いだろうが、2、3、お前に聞きたいことがある。質問には答えられそうか?」


「えぇ、問題ありません。

 どんな質問にもお答えします」


 そこから、お父様が質問してくれて、分かったことが幾つもあった。


 倒れたこの貴族の人は同行者を連れての来場ではなかったみたいで、お一人での参加だったらしい。


 会場で飲んだのは、一回だけで、飲んだお酒の種類は赤ワイン。


 ボーイから渡された物では無く、飲食スペースに置いてあったグラスを手に取りそこに飲み物を入れたということ。


 誰かに入れて貰った訳でもなく、自分で注いで入れたということ。


 自分の目に見える範囲では誰にも自分が手に取ったワイングラスを触らせたり、触っている姿は確認しなかったということ。


「ふむ、そうか。……話は分かった」


 目の前の貴族の人の話を聞いて、お父様は考え込むように黙ってしまった。


 ここの治療室に私達が来る前に、他の貴族の証言などから、倒れてしまったこの人と親しいという間柄の人や、分かる範囲で彼に接触した人達には特に皇宮で働いている騎士などから厳重に色々と質問がなされ。


 会場に置かれていたグラスや食器、カトラリーなどに関しても下げられたあとの別室でかなり念入りに調べられていた。


 といっても、何かの検査などをしなくても、直ぐにそこに毒が使われているかどうか判断することが出来るアルがお父様に頼まれて駆り出されたのだけど。


 そのお蔭で事件が発覚してから調査するまでの時間も普通に捜査する時と比べてかなり短縮されてスムーズに事が運べることにお父様も安堵している様子だった。


 アル曰く、毒が使われていたグラスは倒れた貴族の人のワイングラスのみで、他は、食べ物にもグラスなどにも特に毒物が混入している形跡はなかったみたい。


 この倒れてしまった貴族の人の証言や、状況的なことも踏まえて色々と考えると。


【誰が手にするかも分からないワイングラスの一つに、毒が塗られていたことになるってことなのかな……?】


 確実にそのグラスを取るとも限らないし、ピンポイントでこの貴族の人を狙うことは不可能にも思える。


 もしかして……。


 ――誰かを狙ってではなく、誰でも良いという無差別的な犯行、だったのだろうか?


「それで、バートン、病状から詳しく調べることは出来たのか?」


「えぇ、陛下。

 恐らく使用されたのはクルルソウという植物から抽出される毒でしょう。

 ……甘い蜜を出して虫をおびき寄せることでも知られている食虫植物ですが。

 その蜜は一滴でも毒としてはかなり強い部類で、口にすれば吐き気なども催してしまいます」


 バートンさんの発言は、ここに来るまでの間にアルがお父様に説明していたのと全く同じ内容だった。


 アルくらいの嗅覚の持ち主だと嗅ぎ分けることも出来るけど。


 殆ど匂いもしないのが特徴で、その蜜は無色透明なんだよね。


 ワイングラスに一滴付着してても、気付かなかったか、グラスを洗った時の水が付いていると思って気にもとめなかったのかもしれない。


 お父様の視線を受けて、毒を摂取してしまった貴族が……。


「申し訳ありません、ワインを飲んだときはそのような物が付着しているとは気付きませんでした」


 と、言葉を出してくれる。


「それと……。

 事前に、胃の中で食べたものなどに成分が付着してしまうと、その毒性が一気に体内に吸収される速度が強くなり、症状が早まってしまうという作用がありますのでな。

 先ほど、その子供の方が……。

 アルフレッド様が仰っていたように、食べた時に吐き出させるのはかなり有効な処置だと思います」


「ふむ、私が事前に聞いていた話とも一致しているな」


 そうして、バートンさんの言葉を受けて、お父様が、アルの方を見たあとで、バートンさんに向かって声をあげるのが聞こえてきた。


「あぁ、だが。

 クルル草の毒は確かに毒性は強くて、症状も直ぐに出るものだが。

 大人であるならばどんなに大量に摂取したとしても死ぬ事はないであろう。

 もしも子供が飲んでしまったら、その身体が出来上がっていないが故に死んでしまうことも考えられる話だがな」


 それに対して、アルが補足するようにそう言ったことで。


「えぇ、その通りですっ。

 ……大変、感服致しましたっ!

 アルフレッド様は、そのお歳でありながら、私にも判断出来ぬ嗅覚もお持ちで、何よりこう言ったことに本当にお詳しいのですなっ?」


 と、バートンさんから驚いたような言葉が返ってくる。


「あの、それなら……。

 ワイングラスに毒が付着していたということは、悪戯目的か何かで、誰かを殺したいという気持ちはなかった、ということでしょうか?」


 色々な言葉が飛び交う中で……。


 みんなの意見や話を聞いていて、率直に思いついたことを、私は口に出した。


 ワイングラスということは、当然ジュースなどを入れるグラスとは異なるし、成人していない子供が手にするということは絶対にあり得ないものだ。


【つまり、誰かを殺したいという気持ちまではなかった】


 ――あの場で、誰かが苦しめばそれで良かった……?


 それなら、犯人の動機などもそれが正しいかどうかは分からないけれど、朧気ながらに見えてくるような気がする。


 例えば、パーティー自体を台無しにしたかったとか……?


 もしも、そういう意味合いが強いのだとしたら、犯人の狙いは、貴族の人ではなく、“私”だったのではないだろうか……?


 そうだとしたら、犯人は、私に何か恨みを持っている人だとか、お父様に認められ始めた私が力を持つことなどを快く思っていない人などに限定されてくる。


【あの場で、私のことを不吉な存在だと言ってきたあの人とか……?】


 そこまで考えついたところで、皆の視線が私の方を向いていることに気付いて、私はパッと顔を上げた。


「ふむ、その可能性は高いだろうな。

 悪戯目的というよりも、パーティー自体を台無しにしたかった可能性とかな……。

 それならば、犯人は無差別に苦しい思いをすれば誰でも良かったととれる。

 当然その狙いは、アリス、お前のことを快く思っていない人間に限定されてくる、だろうな」


 私の発言を聞いて、お父様が私に向かって苦々しい表情でそう声をかけてくれて。


 その言葉に、こくりと同意するように頷けば……。


 アルもセオドアも、その言葉の意味を正しく理解して怒ったような表情を浮かべてくれるのが見えた。


「何にせよ、あの飲食スペースに一度でも近づいた人間に関しては、今、騎士やウィリアムが調べてその話を聞いてくれている筈だ。

 ……それで少しでも犯人は絞ることが出来るだろう」


「あぁ、そう言えば。

 ……マルティス。

 確か患者様がワインを飲む少し前、お前もあの飲食スペースに行っていただろう?

 その時、何か気付いたことなどはなかったのか?」


 お父様がそう言ってくれて、ホッと安心していると。


 バートン先生から今、思い出したのだろうか? 不意に、マルティスに向かって言葉がかけられた。


 さっきから、棚の中に薬品を片付けて整理していたマルティスが、突然話を振られて驚いたような表情を浮かべたあとで……。


「……へっ、わ、私ですかっ!?

 いえ、特に何も無かったと思いますがっ」


 と、慌てたように言葉を出し……。


「あっ……」


 手に持っていた薬品を、その場にがしゃんと、落としてしまうのが見えた。


 幸いビンは、割れることはなく、大丈夫そうだったけど……。


「もっ、申し訳ありません、直ぐに片付けますっ!」


 と、声を出し、マルティスが慌てたようにビンを持つと、そのタイミングで彼が手に持っていた別のビンが下に落ちてしまう。


【……この人、もしかして、凄くドジな人なのかな?】


 内心でそう思いながら、彼が落としたビンの一つが、その拍子にごろごろと此方に向かって転がってきたので、それを拾った私は……。


「……あの、こっちに落ちたビンが転がってきましたよ?」


 と、言いながら、彼に向かってそのビンを差し出した。

「あぁっ!

 どうもありがとうございますっ。……あ、こ、皇女様……」


 私が拾ったビンを受け取って、お礼を言ったあとに、顔を上げてから、マルティスが驚いたように目を見開き、私のことをジッと見てきて……。


 その姿に首を傾げていると。


「マルティス、いつも言っているが、お前はもっとしっかりとせんかっ!

 薬品の取り扱いには注意しろといつも口を酸っぱくしてあれほど言っているだろう?

 少しの量なら治療に利用出来るものも、大量に摂取すれば人体に影響を及ぼすものもあるんだからなっ!」


 と、バートンさんから怒ったように、強い口調で言葉が飛んで来た。


 そのことで、私を見ていたマルティスが弾けるようにバートンさんの方を向いて。


「申し訳ありませんでした、バートン先生。

 ……以後、気をつけるように致します」


 と、声を出して謝罪する。


 バートン先生の方を見ながら、どこか怯えたような雰囲気を見せているのは、いつもこんな風に怒られているからなのだろうか……?


「もうそこはいい。

 後は私がやっておくから、お前は患者の使ったタオルなどを洗濯に回すようにしてくれ」


 バートンさんにそう言われて、頷いたあとで……。

 マルティスが『失礼します』と声を出して、一礼してから、慌てたように治療室から出て行くのが見えた。


「陛下、皇女様、私の弟子が申し訳ありません。

 アイツはいつも、こうでしてな……」


 それを呆れたような表情を浮かべながら、どこか、苦々しい口調で、バートンさんが此方に向かって声を出してくる。


「後からでも構わないが、あの男も飲食スペースに行っていたというのなら、調べる対象だ。

 バートン、お前の弟子であろうが、調査はしなければならない」


 お父様の一言に、バートンさんも深刻そうな表情を浮かべてこくりと頷き返す。


「ええ、勿論ですとも陛下。

 因みに、私はあちらのスペースには行ってはおりませんが、私の弟子も含めて他にそちらの飲食スペースに行ったかどうかは綿密にお調べになって下さい」


 そうして、バートンさんの言葉に、お父様が……。


「あぁ、そうさせてもらう」


 と声を出した。


 そのタイミングで、必要な情報はしっかりと聞けたと判断したのだろう。


 お父様が、私達に目配せをしてくる。


 これ以上長居して、色々と慌ただしそうに動き回っているお医者さんたちの邪魔をする訳にもいかないし。


 倒れてしまったこの貴族の人も私達がいるとゆっくり休む訳にもいかないだろう。


 私はお父様の目配せの意味を正確に察知して、治療室から出ることにした。


 私がそっと扉の方へと視線を向けると、私達が外に出ようとしていることに気付いたのだろう。


「皇女様、ハンカチを汚してしまって申し訳ありません。

 誰もが周りで見ている中で、殿下共々、直ぐに対応して下さり本当にありがとうございました」


 と、貴族の人からお礼を伝えられて、私はぱちくりと目を瞬かせた。


「いえ、順調に回復しているようでホッとしました。

 ご自身の身体を労ってあげて下さい」


 にこりと、笑って声を出せば、深々と頭を下げられたあとで。


「皇女様はとても立派な方だと私は思っています。

 そのお歳で、出来る範囲のことをされているお姿に感動致しました。

 これからも是非、私でもお役に立てることがありましたら、皇女様の力になりたいと思っていますので、いつでもお声かけ下さい」


 と、言ってもらえて……、私は、驚いたあとで、お父様へと慌てて視線を向けた。


「ああ、そうだな。……アリス、お前がしたことの結果はこうして返ってくるものだ。

 お前のしてきたことに対しての厚意だと言うのならば、遠慮せずに受け取りなさい。

 私もお前のことは誇りに思うし、これからも、皇族として上に立つ者として真に民を思いやれるような、正しい姿であり続けるんだぞ」


 目の前の貴族の人にどう言葉を返せばいいのかという私の視線を受け取って、お父様からはそんな言葉が返ってきた。


 その事に、この貴族の人が私に向けてくれる厚意などは受け取ってもいいのだと理解して……。


 私は、目の前の貴族の人に……。


「ありがとうございます。

 そう言って頂けると凄く嬉しいです」


 と声に出して伝えたあとで、ちょっとだけほっこりしたような気持ちになれた。


 【自分のしたことがこうして返ってくる、か……】


 あんまり、意識的にそうなればいいのにな、って思ってしたことではないけれど。


 お父様からの言葉は、皇族として、人の上に立つ人間としてしっかりと胸に刻まなければいけない大事な事だな、と思う。


 それと同時に、何だかお父様にちょっとでも認めて貰えたような気がして。


 嬉しい気持ちがじわりと胸の中に広がっていくような感覚がした。


「バートン、後は頼んだぞ。しっかりと治療してやってくれ」


「はい、陛下。……承知しました」


 お父様がバートンさんに声をかけてくれたあとで、私達は治療室の扉を開けて宮の廊下へと出た。


 長く続く廊下は、いつも働いている人が誰かしら通っていたりするのに今日は珍しく本当に誰もいなくて。


 殆どの人が私のパーティーに参加していたり、仕事を任されて駆り出されているっていうのもあるけれど、宮で働く人もあんな事件があって、更にそこに人員が割かれているから……、今は驚くほど、宮の廊下が静かだった。


 それでも、周囲を気にして慎重な素振りを見せていたお父様の後を私達がついていけば、少し歩いた所で、お父様が別の部屋に繋がる扉を開ける。


 そこはローテーブルとソファが置かれ、応接室のような場所になっていて、私とアルをそこに座るよう促すと。


 お父様が少しだけ、低い声を出しながら……。


「精霊王様、今回の件に関しての見解が聞きたいのですが。

 ……どのように思われますか?」


 と、畏まった様子で、アルに向かって声を上げたのが聞こえてきた。



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