「さて、赤ちゃんのお世話は夜に全然眠れないと聞きますし、あまり長居するのもご迷惑でしょうから、このあたりで……」とアリシアが切り出したタイミングで、イヴが少々慌てた様子を見せた。「そうだわ!」とアリシアの手を取る。
「えっと、あの、アリシア様、家の裏に、玉ねぎやベリーを干して冬支度をしているのです。畏れ多いお願いなのですが、ネットを吊るしていますから取り込んできてくださいませんか。レオさんも一緒に」
そう言われて、アリシアもレオも大いにうろたえて相手の存在を意識してしまう。どちらもが自分の感情処理で手一杯になっていた。
(か、顔が熱いわ……! でも、マンジュ卿と一緒にいられる機会なんてそうそうないし……)
アリシアがレオと二人きりになる状況を受け入れようとした矢先、「あっ、リデルもいくー!」と少女が割って入った。
「あら、リデルも? じゃ、じゃあ……」
「リデルちゃん!」
リデルの要望にそのまま応えようとしたアリシアの返答を、レナルドが遮った。
「リデルちゃん。もうすぐタチェが目覚めそうなんだ。お姉ちゃん目線で、どんな絵本を読んであげたらいいか、一緒に選んでくれるかい? おもちゃを何か選ぶのもいいかもしれない」
レナルドの予想通り、リデルは好奇心と自尊心をくすぐられたようで、「ママ、わたくし、お外はやめておくわ」と意見を翻す。レナルドとイヴの言動から、どうもレオとアリシアの後押しを狙っているらしいと本人達とリデル以外の客人──ニナ、ルーガ、キャスが察して、目線だけでレナルドのファインプレーを讃えていた。
もともとレナルドが一人で暮らしていた家の裏手は、数軒で共同使用する庭のようになっている。家の裏口から数段の階段を降りて、アリシアとレオは庭に出た。イヴが話していた食材を干すためのネットを木の枝から回収し、一旦ドアノブに引っかける。すぐにリビングに戻るのもためらわれて、アリシアは「いい天気ですわね」と石で作られた階段に腰かけた。レオは、庭に植わった木に触れて空を見上げながら「そうですね」と相槌を打った。
「……アリシア様、このたびは本当にお疲れ様でした」
レオの
「謝らなければと思っていたのです。その……ジェイド王子から婚約の話が出た際、差し出がましくも口を挟んでしまい、誠に申し訳ありませんでした」
アリシアのほうは謝罪を受ける必要など全く感じていなかったから、レオの浮かべる深刻そうな表情と何だか噛み合わない。アリシアは首を振る。
「いいえ。そんなことはありません。あのお話をお受けするつもりはありませんでしたし」
そう答え、以前のわたくしならいざ知らず……と考えかけたアリシアは、急いで口を噤んだ。
(確かに、以前の、まだこのライゼリアで生きたことのない自分なら、ゲームの選択肢のようにジェイドを選んでいたかもしれませんわ。
……じゃあ今は? 今は違うとわたくしが感じているのなら、やはりわたくしが好きなのは……)
そう考えて、もうほとんど答えが出ているはずの自分の恋心に戸惑ってしまう。焦る気持ちから話を切り替えようと、アリシアはもともと気になっていたことを早口ぎみに尋ねた。
「あ、あの、マンジュ卿。もしよかったら教えて頂きたいのですけれど……その、ハイエナ型の
少々うろたえた様子のアリシアだが、その表情には憂いと慈愛が見える、とレオは思った。彼女がこうして問うてきた理由は、アナヒェを脅威として警戒する意味合いよりも、行方知れずとなった相手を心配しているからだというのは火を見るより明らかだった。
レオは、
「そうですね。彼らも、ライオンの一族のように、基本的にはチームとしてのコミュニティを好みます。姿を消したアナヒェもいずれ、いや、すでに故郷に帰っているのかもしれません」
「……そうであれば、と願いますわ」
「はい。あとは……彼らが稀に雌雄同体と見
思いがけない解説に、アリシアは目をまるくする。
「そんなことが……! ですが、その説明で納得できたかもしれません。時々アナヒェの印象ががらりと変わるなと思っていたのです。最初は粗野で大柄な男性のように思っていたのですが、王都で会った時は華奢な女性に見えました」
アリシアは視線を遠くへやり、「わたくしに元の世界へ帰る道が示されたように、アナヒェも未来を選べているといいのですが」と、まるで祈りを風に乗せるようにつぶやいた。
「なっ……」
レオは焦った。今、アリシアは確かに「元の世界へ帰る」と言ったのだ。