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第128話 電話の相談

「……実は、少し前に……ちょっと、怖いことがあって」


 少しずつ、慎重に言葉を選びながら話す。駅前で出会った少女のこと。自分を「邪魔」とまで言い放った彼女の異様な雰囲気。そして、金槌。

 KEYの口から、その名前が出てきたこと。


「……夜啼、鈴芽。……って、名乗ってました。……たぶん、あの子です」


 言い終えたとき、深く息を吐いた。ようやく話せたことに、安堵と怖さが同時に押し寄せてくる。

 電話口で、少しの間、沈黙があった。


『……なるほど』


 アルの声が、いつもよりわずかに低かった。


『確かに、聞き覚えがあります。その名前、以前少しだけ調べたことがあるんです。だから知っているんでしょうね』

「……え?」


 何か、日本語が不自然な気がする。

 なにか意図的に、避けているような。

 桃花はアルの言葉の違和感に気がついた。


『でも……そうですね。たぶん、それは僕が関わるとろくなことにならないタイプの話です。だから僕が桃花を直接助けてはいけない』


 思いがけない言葉に、桃花の胸がきゅっと締めつけられた。


「……助けて、くれないんですか?」


 そう呟いてから、しまったと思った。責めるつもりじゃなかった。ただ、頼れる相手がアルしかいなかったのだ。そんな自分の弱さが、にじみ出てしまった。

 けれど。


『違いますよ、桃花』


 アルの声は、やさしかった。どこまでも、やわらかく、しかし芯があった。


『僕が、彼女に対して前面に出るのは、逆効果だと思ったんです。そういう方は執着の対象が明確で、それに干渉するものへの攻撃性が非常に強い』

「……でも……」

『だからこそ。僕じゃなくて、別の誰かを盾にした方がいい場合がある。正確には、盾じゃなくて、壁ですね。全体を見て、止められるタイプの人です』


 アルはそこで声を少し低くした。


『ちょっと、僕自身が動くのではなく、もう一人の助っ人をちゃんと用意しますから。……待っていてくださいね』


 言葉の意味を理解しきれないまま、桃花はただ黙っていた。助っ人? 誰かを頼んでくれるの? それは、いったいだれなのか。

 思考を巡らせる間もなく、インターホンが鳴った。

 心臓が跳ねた。まるでタイミングを計ったように、玄関のベルが鳴ったのだ。

 時刻はまだ午後九時を過ぎたばかりだが、誰かが訪ねてくるような時間でもない。


「……誰?」


 声に出した自分の声が、ひどく頼りなく響いた。


「えっと……お姉さん居る?」

「えっと、もしかして凛くん……?」


 玄関のインターホンに表示された映像を見て、桃花は一瞬、目を疑った。

 そこに映っていたのは、深くキャップをかぶり、パーカーのフードを首まで上げた青年の姿だった。帽子の影で目元はよく見えない。けれど、その輪郭、その肩の細さ。それには見覚えがあった。


「やっぱり……凛、くん?」


 つぶやくように名前を呼びながら、桃花は反射的にドアのロックを外した。

 そして、そのままドアノブに手をかけて開けてしまった。

 ドアの向こうにいた凛は、桃花の姿を確認すると、少し口をとがらせたような顔をした。


「ねえ、あんまり早く開けないで。危ないから」

「あっ、ごめ……なんか、タイミングが、ね……」


 言い訳のように答えながら、桃花はドアの外に佇む凛の姿をまじまじと見つめる。

 彼はその場で軽くキャップを上げ、笑ってみせた。どこか無邪気で、それでも芯のある瞳。


「うん、僕もこっちで仕事入って、一緒にいろって言われて……それで、あいさつに来たんだけど」

「……え、一緒って……」


 言いかけたところで、桃花の背後にまで届くような、少し低くて、どこかふてぶてしい声が飛んできた。


「いやいやいや、同居とかはあかんやろ、さすがに。まだ未成年やぞ、こいつ」


 その声に、桃花は驚いて目を見開く。

 凛の背後から、ゆっくりと現れたのは、見覚えのある派手な男だった。


「京志郎さん……!?」

「よぉ、久しぶりやな。忘れとったんかと思たで?」

「京志郎さん……!?」


 玄関の明かりに浮かび上がったのは、かつての撮影現場で何度か顔を合わせたことのある男だった。鮮やかなチェックのジャケットにスキニーパンツ、小物まで完璧に揃えられたスタイルは、どこにいても目を引く。だが、その見た目の派手さとは裏腹に、それがきっちり似合っている着こなしはある意味KEYと正反対だった。


「……ほんとに、京志郎さん?」

「おうおう、そっちの記憶が飛んどるのかと思たわ。久しぶりやな、桃花お姉さん」


 にやりと笑いながら片手を軽く上げる京志郎の態度に、桃花は一瞬、どう反応していいか戸惑った。


「なんでここに……?」

「俺? んー、まあ、あいつとは取引でな……言うてなかったか、助っ人て」


 その一言で、さっきアルが電話越しに言っていた言葉が、急に重みを持って蘇る。


『ちょっと、僕自身が動くのではなく、もう一人の助っ人をちゃんと用意しますから。……待っていてくださいね』


 まさか、それが京志郎だったとは思ってみなかった。

 その場で目を丸くした桃花に、京志郎は軽く肩をすくめてみせる。


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