歌には不思議な魅力があると思う。歌が上手いとそれだけで人を魅了するし、好みの歌声ならなおさら。歌に救われたという人は少なくないし、歌で人生を変えられたという話も聞く。
私もまさにそのタチで、人生の……前の人生のどん底にいた時に推しの歌を聴いた。当時はまだその人は推しではなかったけど、たまたま見かけただけだったけど、それでもちゃんと〝救われた〟と心から感じた。
「これが……VTuber……!」
いつも浴びているブルーライトが、その日は一層強かった気がした。心なしか視界も歪んでいるような気もする。趣味もなく、仲の良かった友人とも疎遠になり、ただひたすらに仕事をこなす日々。そんな毎日が輝いているわけもなく、ただ惰性で生きるだけだった。そんな私の人生を、彼女だけが彩ってくれた。
『こんソルト〜。あ、ハルカさん今日もスパチャありがとねー!』
「……! また名前、呼んでくれた……」
その日から毎日配信に通うようになり、すっかり常連になっていた。彼女を応援するファン達とも次第に打ち解けて、何人かとSNSでやり取りするようにもなっていた。VTuberにも認知してもらえていて、少しだけ毎日が楽しくなった。
推し活はオタクにとっての唯一の生きがいと言ってもいい。彼女に出会い、人生が変わったと言っても過言ではない。
『今日もみんな来てくれてありがとね! じゃあまた来週!』
「あー、今日も楽しかった。雑談はそるとんのこと色々知れるからいいんだよねー」
推しの配信が終わり、余韻に浸りながらSNSを開く。今日も今日とて配信の感想を書き込む。そして他の人の書き込みやファンアートタグを漁って好きな絵柄の人を探すのも趣味とかルーティンみたいになっている。
「ん? なんか見慣れないタグがあるな」
そのタグは、どうやら有志の人が作ってくれたらしい。そのタグには【#そるとんに歌ってほしい曲】と書かれていた。他にも【#そるとんとコラボしてほしいゲーム】【#そるとんの秘密】などのタグがあった。本人が作っているわけじゃないから願望が多かったけど、覗いてみるとこれが結構面白い。
私が気になったのは【#そるとんに歌ってほしい曲】。解釈一致なものもあれば、その発想はなかったと驚かされるセトリを考えている人もいた。そういうのをずらっと見ていくと、ふと自分はそるとんに何を歌ってほしいのか、そもそもそるとんに歌ってほしい曲があるのかを考えた。
「あ〜……確かに、そるとんに歌ってほしい曲なんて考えたことなかったなぁ」
これといって好きなアーティストがいるわけでもないし、歌に詳しいわけでもない。だから私はそもそも、そるとんに歌ってほしい曲なんてなかった。でも、そるとんの歌声は唯一無二だ。
私は知っている、推しの歌声が世界一だということを。推しが歌ったら死ぬほど名曲になる自信もある。そんなわけで自分の好きな曲の中からいくつか候補を出したけど、どれもいまいちピンと来なかった。
「でも、せっかくならなにかリクエストしたいよな〜……言うだけならタダだし」
そもそもこのタグは公式じゃないからそこまで深く考えなくていいし、そるとんの目に留まるかどうかすらもわからない。だけど、私は真剣に考えた。そして、ひとつ思いついた。
「これだったら……歌ってくれないかな?」
それは、私がそるとんに出会うきっかけになった曲。私がそるとんに心を奪われた曲。
「『さよならを言い出せなくて』……また歌って欲しいな」
そるとんの歌を聞いた時の衝撃は今でも覚えている。初めて聴いた時は、息が止まるかと思った。こんな声を持っている人がこの世にいるのかと。歌声に魅了されるってこういうことなんだと、はじめて知った。
私にとってのそるとんは、私の人生を彩ってくれた、生きる道しるべとも言える。そんなそるとんに歌って欲しい曲はいくらでもあるけど、やっぱり私はこの曲が一番似合うと思う。
「推しに歌ってほしい曲……か。我ながら、ちょっと気取りすぎてるかな」
でも、それでも構わない。それぐらい本気でこの曲を推しに歌ってほしいと思ったし、これからもずっとそるとんに歌って欲しいと願うだろう。それはファンとして当然の願いだ。
そんなわけで私は『さよならを言い出せなくて』をリクエストとして書き込んだ。このタグがそるとんの目に触れるかわからないけど、でも見てもらえたら……そしてリクエストを聞いてもらえたら……きっと私は死んでも悔いはないだろう。
そして、数週間後。またいつものようにそるとんの配信を心待ちにしている時、それは唐突に訪れた。――そるとんの唐突な卒業報告。
彼女が何をしたというのか。彼女の様子からまだ配信を続けたいという気持ちが伝わってきたのに。彼女に大きな問題があるようには思えなかった。人柄もよく、いつもニコニコしていてネガティブなことはあまり出さない。そんなそるとんが突然、VTuberを引退。私には理解できなかったし、したくなかった。
「なんで……どうして……」
私は絶望した。推しが突然いなくなる。それはオタクにとって最大の絶望だ。そして、同時に私は怒りを覚えた。そるとんにこんな仕打ちをした何者かに対して。
「絶対に許さない……!」
そるとんを悲しませたことが許せなかった。そるとんがどんな気持ちで配信をしていたのかはわからなかったけど、でもリスナーと戯れる彼女はとても楽しそうに見えた。少なくとも配信に対して不満はなかっただろうと思う。それどころか彼女の配信に対する熱意は嫌という程伝わっていた。
「一体誰が……!」
そるとんを追い詰めた存在に対して怒りと憎悪を募らせるも、何もできない無力さが私を苛んだ。許さないと豪語しても、実際はなにか案があるわけでもなく犯人を特定する技量もない。私ではどうしても彼女の力になることはできないんだと実感し、悔しさで胸がいっぱいになる。
「とりあえずコンビニに行くか……」
そのあとにまさか事故に遭うなんて。死んで過去の自分に生まれ変わるなんて、今の自分には知る由もなかった。