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第62話 他の誰でもない

「ふぅー、歌った歌った」

「さ、さすがに喉が……しぬ……」


 ひすいさんが作ってくれた候補の歌を全部歌い終わると、さすがに息苦しい感覚があった。慣れないスタジオという環境や名のある音楽クリエイターと一緒に歌っているという状況も喉や精神を疲れさせる原因になっていそうだが。


「それで……なにか掴めましたか?」

「そうだな……やっぱりイニシャルKさんは高音の伸びがいいな。肺活量もあるからロングトーンの安定感も申し分ない」

「えっ、あ、ありがとうございます」


 ひすいさんは分析しているだけだろうけど、褒められて悪い気はしない。音楽に精通している人に音楽のことで褒めてもらえるなんてこれ以上の光栄なことはない。


「声質の問題もあるけどもっと低音も安定させられればもっと化けると思うぞ」

「なるほど……」


 やっぱりプロの意見は説得力あるからかとても参考になる。もっと高みを目指していきたい身としてはありがたい。高い音に関しては今までよりも自信はついたが、低い音が安定しないというのは今後の課題だ。地声が高い方なのは自覚していたから低音が出にくいのはあるだろうが、言い訳ばかりしていられない。


「低音も安定させられるようになれば、ひすいさんの言う化けるのも夢じゃないかもですね」

「うむ。君ならできるだろう?」

「はい!」


 こんなに信じてもらっていて応えないわけにはいかない。それに、こんなに一緒に歌ってもらったのだ。ひすいさんの期待に応えたい……いや、応えて見せる!


「私もひすいさんに負けないくらい歌上手くなってみせます!」

「あっはっは! よく言った! 期待しているぞ」

「はい!」

「よし、ではもう一曲いこうか。君の声質に最も合う曲を用意していたんだ」


 そう言って渡されたのは『beautiful magic』の歌詞。この曲は人間がギリギリ出せるか出せないかの高音部分があり、かなり難易度が高い。高音の部分は私の今の状態なら全く出ないこともなさそうだが、サビの爆発的に音程が上がるところが鬼門だ。ここを外せば聞くに絶えないものになってしまう。

 音を合わせるだけでも大変なのに、合わなかった時のちぐはぐさもすごいのがこの曲だ。だからこそあまり歌っている人を見かけない。それほどまで難しい曲をチョイスするなんて……


「よっぽど私の声を信じてくれてるんですね」

「当たり前だろう。君の歌は素晴らしい。そう思ってここに呼んだのだから」


 タイミングよく始まった曲に合わせ、息を吸い込み大きく声を出す。今、この瞬間にすべてがかかっている。そう思うと手汗が酷くなった。

 大丈夫。今の調子でやればきっと……そう信じて歌に集中した。


「はぁ……はぁ……」

「お疲れ様。いい歌声だったぞ」


 ひすいさんが笑顔で労いながら水を渡してくれる。疲れきって思考が変になっているのか、なんだか青春の1ページみたいだなと感じた。一曲歌い終わった後の疲労感は半端ないが、それ以上に達成感がある。

 それに、今まで褒められることが少なかったから『いい歌声』と評されたことが素直に嬉しい。それに一緒に歌ってくれたひすいさんからの言葉なら余計に。


「ひすいさん……ありがとうございます。私なんかのために」

「『なんか』じゃない。君だから私はここまでしたし、君だから一緒に歌いたいと思ったんだ。それに……君はまだ原石だ。磨けばさらに輝くだろう」

「ひすいさん……」

「だからもっと自信を持て! 君はすごいんだぞ?」


 ひすいさんはそう言って私の頭をわしゃわしゃと撫でる。その行為に少し気恥しさを感じるが、それ以上に嬉しさが勝る。

 ――私だから歌いたいと思った。

 そう言ってもらえたのが何より嬉しい。推しに近づけたような気がして、推しと同じ存在になれたような気がして天に舞い上がれそうなほど気分が上がる。


「ひすいさん、ありがとうございます! 私……もっと頑張ります!」

「うむ。その意気だ。今の歌は歌ってみたとしてアップロードする予定でいるからよろしくな」

「はい! ……はい?」


 今、とんでもなくすごいこと言われていなかったか? 今言っていたことをもう一度頭の中で繰り返してみる。やはり聞き間違えではなかったようでひすいさんからは困惑した顔が窺える。でも、私にはそんなこと気にする余裕はない。だって……


「い、今……歌ってみたって……」

「あぁ。言ったぞ?」

「聞いてませんけど!?」


 連絡をもらった時は一度一緒に歌ってみたいとしか言われてなかったので、完全に不意打ちだ。こんなスタジオに呼び出されたからなんとなくは察していたけど。でも世間に出ることを何も聞かされていなかったので油断していた。


「言ってないからなぁ」

「絶対確信犯じゃないですか!」


 ひすいさんの発言にツッコミを入れると、彼女はあっはっはといつものように笑っていた。この笑い方を見ると怒っていたことがバカらしく思えてきてしまう。

 だが、それとこれとは話は別だ。だって私は素人同然。出すならもっと上手い人の方がいいのでは……圧倒的天才のひすいさんに並び立つくらいの経歴のある方とかじゃないと釣り合わない気がする。動画を観る人もきっとお前なんかの出る幕じゃないと思うだろう。


「……なんで、私なんですか?」

「ん?」

「もっと名のある優れた歌い手さんとかたくさんいると思うんです。その中で、なんで私に声をかけてくれたのかなって……」


 ついに聞いてしまった。こんなこと聞くつもりじゃなかったのに、ひすいさんが歌ってみた動画を出すとか言うから。でも、ここで聞いておかなければきっと後悔する。

 ひすいさんの様子を窺うとキョトンとした顔をしていた。何を聞かれているのか意図がわからないといった感じだ。


「なぜって……君だから誘ったのだが?」

「だ、だって! 私なんて素人同然だし、歌もまだまだひすいさんの足元にも及ばないし……」

「私は君がいいと思ったから声をかけた。他の誰でもない君に」


 ……何が。何がひすいさんをそうさせるのだろう。正直わからないことだらけで怖い。お前には歌の才能がない、なんて言われた方がまだマシだったかもしれない。深入りしたら傷つくかもしれないから。上げて落とされるより、現状維持を貫く方が心地いい。なのに、どうして。


「『こんな才能が眠ってたなんて』って言われても……知りませんよ?」

「ははっ、むしろ望むところだが?」


 こんなにも、這い上がりたいと思うのだろう。


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