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【第二〇一節/縛られた翼 上】

「殺す……貴女を!?」


 自分で口に出してみても、カナンには到底受け入れられないことだった。


 最初の継火手。暗闇の中で生きることを定められた人間たちに遣わされた、神の御使い。


 たとえその物語にどれほどの嘘が含まれているとしても、カナンにとって、あるいは全ての継火手にとって重要な存在であることは間違いない。



 そんな彼女が、自ら死を乞うている。



 即座に断ろうとしたが、シオンはそれをやんわりと、しかし断固たる口調で退けた。


「悪いけど、出来ない、なんて選択肢はあげないよ。僕はずっと……エマヌエルがここに来るずっと前から、それだけを望んで生きてきたんだ」


 神殿の内部は完全に無風である。にもかかわらず、シオンの純白の法衣は重力に逆らうかのように不自然にはためいている。


「勝手言うなよ。俺たちがお前の自殺に手を貸す義理なんて無ぇだろ?」


 イスラが一歩前に進み出た。不器用ながら、口では血を流す事態を避けようとしているものの、それが不可能だとどこかで感じ取っていた。


「義理、か。それを言うなら、ここまで君たちが何事も無く来られたことが、大きな貸しになるんじゃないかな? これでも、結構頑張って抑えてるんだよ?」


 シオンの両手ががくがくと震えた。何かの発作を起こしたような動きとは裏腹に、彼女の顔は全く表情が変わらない。


「でも、もう無理みたいだ」


 震えは手から腕へ、腕から肩、首、そして全身へと伝播する。乳幼児に揺さぶられた人形のように、彼女の華奢な肢体は奇怪な痙攣を続ける。


 やがて、彼女の背中を食い破るかのように、一対の白い翼が生えた。血を払うように羽ばたくと同時に、羽の間から銀色の火の粉のようなものが大量に地面に吹き付けられた。


 その勢いをもって、シオンの身体が宙に浮かぶ。二人を見下ろすだけの高度に達したところで、全身の痙攣が止まった。



「僕はティファレトの神殿の守護者。時から分かたれたこの場所で、一人永遠に生き続けなければならない。


 それでも心が生まれてしまった。だから死にたいって思うのも、当然だろう?」



 シオンの両手に光が集まり、金色の刀身を持つ剣となる。その色合いは、イスラの持つ明星とよく似ていた。



「私たちと一緒に行くことは……!」



 カナンは必至に食い下がろうとするが、そんなことは不可能だと、頭の一部分で理解していた。


「それが出来……苦ろ、しないよ。僕はここから出ら……ら、ない、し、自分で自分を終わら……ないんだ」


「そんな……」


「さぁ。そ、そろ話すこ、とも、でき……んん、んんんん……」


 不可視の縄で首を締めあげられたかのように、シオンが苦し気な声を漏らす。煩わし気に首を傾け、剣を捨てようとするが、何一つ彼女の思い通りにはならない。見えない手が、その一挙手一投足を封じ込めてしまっている。


(……これが、最初の継火手の姿だなんて)


 言葉を奪われ、身動きすらも操られるシオンの姿は、伝説で語られるような超常的な印象とかけ離れていた。


 それは、カナンが胸の中に抱き続けてきた、継火手の不自由な人生と完全に合致するものだった。


 何もかもを与えられて、何一つ困難なく生きていけるというのに、どうしてこうまで不自由なのだろう……それは、自分の考え方が特異だからではないか……カナンは今まで、そんな思いを捨てきれずにいた。


 だが、それはただの思い込みなどではなかったのだ。始まりの継火手であるシオンからして、何もかもを拘束された存在なのである。


 継火手は聖なる存在でもなければ、自由でもない。それらは全て紛い物の聖性、紛い物の自由に過ぎなかったのだ。



「……か、る……ろ? これ……ぼ……。殺……」



 シオンが絶叫した。それは、ねじ伏せられた自意識のあげる叫びだった。




「ッ、イスラ!」




 彼はすでに明星を抜き放っていた。その刀身に、カナンは自分の権杖を重ねる。



「我が蒼炎よ、汝と共にあれ……!」



 杖の先から蒼い炎が流れ出し、イスラの明星へと吸い込まれていく。天火を受けた剣はその輝きを増し、噴き出した炎が持ち主の半身を覆った。


「カナン、お前は援護してくれたら良い。あいつは俺がやる」


 だが、「いいえ」とカナンは首を振った。


「私に気を遣わないで結構です。私とイスラと、どちらかが……あの人を手に掛けることになったとしても……」


「良いんだな?」


「はい」


 イスラは、絶対に自分が止めを刺さなければならないと己に言い聞かせた。


こういう時のカナンは絶対に無理をしている。状況に強いられて行動に移るものの、常に胸の内に葛藤を抱き続けるのだ。それはカナンという娘の性分であり、直そうと思って直せるものではない。


「……来るぞッ!」


 シオンの翼から、銀色の火の粉が撒き散らされる。カナンはそれに危険性があるか懸念したが、イスラの直感は違うと告げていた。


 翼がはためき、緞帳のように揺らめく銀炎がシオンの全身を覆う。二人は身構えるが、炎が霧散した時、そこにシオンの姿は無かった。


「消えた?」


 呟くのとほぼ同時に、カナンは首筋にぞくりとした悪寒を覚えた。直感に従って飛び退っていなければ、背後に立ったシオンの薙ぎを避けられなかっただろう。


「後ろ!?」


「チッ!」


 カナンと入れ替わるように、イスラは背後のシオンへと斬り掛かった。


 明星と、シオンの持つ双剣が交差する。伐剣の王の一太刀を受けても、彼女の手中の剣は持ちこたえた。


(重い……!)


 明星の柄越しに伝わってきた感触は、まるで岩を叩いたかのような手応えだった。継火手というだけあって、シオンの華奢な肢体には、その外見と不釣り合いなほどの力が込められている。全力で押しているつもりだが、シオンの足は少しも下がらない。


 そこで、一旦鍔迫り合いを解除し、別の切り口から攻め立ててみる。力比べではなく、あくまで技と速度での勝負に切り替える。


 力だけならいざ知らず、技術と速度の点においては、さすがにイスラの方が圧倒していた。


 三合ほどかち合わせたところでシオンの右手の剣が、四合目で左手の剣が砕ける。


(いける!)


 突進しようとするイスラに、シオンは折れた双剣を投擲して足止めする。無論、その程度は難なく弾き飛ばした。がら空きになったシオンめがけてイスラは剣を振りかぶる。


 だが、またしても銀色の炎がシオンを包んだ。構わずに振り切るが、刀身が銀炎を裂いた時、そこにはすでにシオンの姿は無い。


「またっ……!」


 イスラはカナンの姿を目で追う。彼女も自分が狙われることを察してか、杖を手繰り寄せて身構えていた。


「上だ!」


 イスラの声に反応して、カナンは真上から突き落とされた剣を杖で弾いた。一瞬、視線が交錯する。カナンはシオンの瞳の中に、何の光も見いだせなかった。


 着地したシオンの手には、何事も無かったかのように二振りの剣が握られている。それらが、カナンの身体の正中線を的確に狙って突いてくる。何手かは杖で受け流すが、流石に杖の活きる間合いではない。ろくに反撃も出来ないまま、腕や肩に切り傷が走る。


 シオンの猛攻は、梟の爪ヤンシュフが首に巻きつくまで続いた。


 イスラに手繰り寄せられ、シオンが姿勢を崩す。カナンは腰を大きく捻ると、動きを止めたシオンめがけて全力で杖を振るった。最悪、この一打で頭蓋を砕く覚悟だった。


 だが、またしてもシオンの姿が掻き消え、カナンの攻撃は文字通りの空振りに終わった。


 二人は即座に合流すると、背中合わせに立って互いの武器を構えた。


「今の、見たか?」


「ええ、見ました」


 二人からやや離れた空中に、シオンが銀炎と共に姿を現す。


 速度や欺瞞、そんなちゃちな仕組みではない。今のイスラには、ギデオンの剣撃すら読み切った目がある。銀炎の幕が欺瞞だとして、それを察知できないほどカナンも鈍くはない。


 宙に浮かぶシオンは、最初に会った時に見せた豊かな表情が嘘のように、無機質な顔立ちになっていた。



「転移魔法……それしか考えられません」



 自分たちの相手は、大体において「反則だ」と言いたくなるような能力を備えていた。


 ベイベルの無尽蔵の天火。


 サウルの悪意と、最高純度の技量。


 あるいはギデオンの天才。


 そしてどうやら、今度の敵もそうした反則列伝に書き加える必要があるらしい。



「どうやって当てりゃいいんだよ」



 イスラの愚痴などお構いなしに、シオンはまたしても姿をくらませた。

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