す、すごい──。
私は震えながら、焔の太刀筋に見入っていた。
焔の人狼の「気」が込められた刀は、禍々しさを纏いながらも、神々しいほどに美しい。一太刀が放つ力に、私は息を飲むことしかできなかった。
ところが、焔は刀を地面に力強くガンっと突き刺すと、右手で柄を握りしめたままうなだれるように立ち尽くしていた。よく見ると、肩が大きく上下し、荒い呼吸をしているのがわかる。相当疲労しているのだろうか。
「ほ、焔さん!」
私はよろめきながらも慌てて立ち上がる。だが、次の瞬間、焔の手の甲が小さく裂け、そこから赤い血が噴き出すのが見えた。驚いた私は小走りで駆け寄り、彼の肩に触れる。
「大丈夫ですか!?」
「ああ」
そう答えながらも、呼吸は荒い。それに酷い汗だ。だが、まだ気を緩めていないのか、焔は人狼の気を纏いながら倒れた塚田を鋭く睨んでいる。その時、私の目の前で彼の頬に新たな裂け目が走り、血が静かに流れ落ちた。
普通、体の内側が突然裂けて、血が噴き出るなんてあり得ない。
もしかして、この人狼の「気」はこの人の体を内側から傷つけているのではないだろうか?それに今日は、ずっと戦い続きだったはず。人狼の力は強いけど、それを扱う方にもリスクがあるんじゃ…。
「凪、大丈夫だ」
焔は息を整えて地面に突き刺した刀を納め、ゆっくりと塚田に近づく。焔は懐から拘束具のような物を取り出した。塚田を拘束するつもりなのだろう。ところが、塚田は深手を負いながらも、ふらりと起き上がり、深く、大きく息を吸い込む。
私はハッとした。さっきも、塚田は大きく息を吸った後に…。
考えるよりも早く、塚田の姿がふっと消えた。あの高速移動だ。右上、左横、そして真後ろ。一秒に満たない間に、幾度となく別々の方向から塚田の気配が波のように押し寄せてくる。
今度は、一体どこから襲ってくるつもり…?
焔は瞬時に警戒態勢を取り、再び刀の柄に手をかける。私も思わず身構えるが、焔は空いた手で私の体を抱き寄せてこう囁いた。
「離れるな」
その時、塚田の気配がふっ消えた。おかしい。一体どこへ…?さっきまでは確かに…。その時、私は足元が微かに揺れたように感じて、ハッと下を見やる。
まさか、塚田は…。
次の瞬間、塚田が地面から泥まみれになって飛び出し、私たちに迫る。焔は顔色ひとつ変えず素早く抜刀。私は反射的に目を閉じ、両手を顔の前に掲げた。すると…。
──バチッ!
電流が走るような衝撃音と金属がぶつかり合うような甲高い音が耳元で微かに響く。
数秒目を閉じていた私は、ふと小さな違和感を覚える。ついさっきまで激しい雨が降り続いていたはず。それなのに、雨音も、肌で感じていた冷たい感触も、なぜか跡形もなく消えていたのだ。奇妙に思いゆっくりと目を開けると、私と焔の前に金色の光が弧を描き、まるでバリアのように柔らかく包み込んでいた。顔を上げると、相変わらず雨は激しく降り注いでいるが、その冷たい滴は金色のバリアに滑り落ち、私たちに届くことはなかった。
一方、塚田は数メートル先で倒れ込み、苦しそうに手を抑えている。その指は赤く腫れ、皮膚からは灰色の煙が上がっている。私はあまりの光景に目を見開く。
またこの金色の光…。さっきから一体…?
「凪…」
横を見ると、焔も驚愕の表情でその光を見つめていた。
やがて、金色のバリアは薄まり、雨空へと吸い込まれるように消えると、冷たい雨粒が再び私たちの肌へ打ちつける。塚田は痛みで声を荒げつつも立ち上がり、再び構えようとするが、焔は一瞬の隙を与えまいと疾風のように駆け寄り、鋭く一太刀を浴びせる。
ついに観念したのか、塚田はうめきながらも手から頑丈な糸を放ち、絡ませるように木に結びつけ、素早くその場を去って行った。
ようやく塚田を追い払うことができた…。私はほっと胸を撫で下ろし焔に視線を向けるが、彼の表情は驚きに満ちたままだ。
「凪…その光は…」
先ほどの金色のバリアも消えたが、私の両手にはまだ微かに金色が宿っていた。
「それが、わからないんです。さっきから出てて。それに、この光、前にも出たことがあるんです」
「前?」
焔が眉をひそめる。
「学校で襲われた時です。その時は太陽の光を見間違えたと思ってたんですけど…。これ、何がどうなっているんでしょうか…?」
私は答えを求めるように焔を見上げるが、彼の表情にも困惑が浮かんでいる。焔は目を泳がせながらも刀を鞘に納め、私に手を伸ばす。
「…凪。まずは手当だ。立てるか?」
「は、はい」
金色の光を手に宿したまま、私は焔の手を握る。その瞬間、突如として電流のような鋭い閃光が走る。焔と私は光に包まれ、眩しさで思わず目を閉じる。数秒後、静かに目を開けると、目の前に白衣を着た女性の姿が見えた。
場所は──病院だろうか?
彼女の前には、点滴を繋がれた青年が静かにベッドで横たわっている。白衣の女性が誰か、すぐにわかった。おばあちゃんだ。そして、その横にいる青年。肩ほどまで伸びた銀髪に、鋭くも穏やかな眼光。青年はおばあちゃんと微笑みを交わしながら話をしているが、その顔立ちは驚くほど見覚えがある。
まるで──。
そう感じた次の瞬間、バシッという鋭い音が響き、私は再び目を閉じる。
ゆっくり目を開けると、いつの間にか私たちは手を離していた。さっきまでのビジョンはかき消え、再び周囲に激しい雨音と風の音が響く。
今のは…。
今の光景は一体…?
私は息を震わせながら焔を見る。すると、彼もまた、私と同じように驚きに満ちた表情で立ち尽くしていた。その表情を見て、私は確信した。
金色の光に包まれながら、今私たちはまったく同じ光景を見ていたのだと。