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第143話 決死

 一秒、二秒。


 時間が経つにつれ、瓜生をまとう黒き人狼の気は、荒れ狂う暴風と化していた。風は彼女の全身を包み、渦を巻きながら唸りを上げる。


 ふと彼女の右手が血に染まっているのが見えた。力の暴走だろうか。しかし、それもほんの一瞬。その姿もすぐに渦に呑まれて見えなくなった。


「瓜生隊長!」


 上木は立ち上がり、瓜生に向かって走ろうとするが、またもや強風に弾き飛ばされた。


 上木が壁に叩きつけられる寸前、天宮が飛び込んで彼女の体を抱きとめる。誰ひとり、瓜生に近づくことができない。


「おいおい、やべえぞ!あの姉ちゃん!」


 財前の焦りが声となって響く。このままでは瓜生の命が尽きる。だが、恐怖で足が前に出ない。それにこの暴風…どう彼女を救えばいいのか。


「──さん!」


 微かな声が聞こえて、横を向いた。花丸だ。彼は腰を落とし、両腕で顔を庇いながら、必死に瓜生へと歩を進めていた。


「瓜生さん!聞こえますか!?今、行きます……だから、気をしっかり!」


 だが、その直後。飛来した瓦礫の破片が花丸の右足をかすめた。バランスを崩した花丸は、風にあおられて後方へ吹き飛ばされる。


「花丸さ…」


 叫んだ瞬間、丹後が飛び出し、ギリギリのところで花丸を抱きとめた。彼は花丸を見るなり、怒号を叩きつける。


「じっとしてろ!死にたいのか!」


 だが、花丸は怯まない。丹後を見据え、すかさず言葉を返した。


「僕は医者です!あの人を助ける!」


 花丸の声は震えていた。それは恐怖ではなく、目の前の命を諦めないという彼の強さだった。花丸は丹後の腕を振りほどこうともがくが、丹後も離さない。


「手遅れだ、諦めろ!もう近づくことは…」

「違う!」 


 花丸の声が嵐の中に響いた。


「手遅れなんかじゃない!…瓜生さんは生きてる!あの人を助けなきゃ…助けなきゃ、いけないんだ!」


 その言葉が響いた時、ある出来事が脳裏のうりをよぎった。


 以前、上木が瀕死の重傷を負った時。


 皆が彼女の救命を諦めかけた時も、花丸だけは諦めなかった。その必死さに背中を押されたから、私も命を懸ける覚悟ができたのだ。


 今もあの時と同じ。この人はいつも、覚悟を決める勇気をくれる。


 私は大きく息を吸い、風に抗うように丹後と花丸の元へ歩み寄った。私と目が合うなり、丹後があからさまに顔をしかめる。


「…丹後さん!私をあの竜巻の中…瓜生さんのところに全力で投げ飛ばしてください!丹後さん、怪力だからできますよね!?」


 唐突な言葉に丹後は一瞬目を丸くするが、すぐに私を鋭く睨む。その視線は「できるわけねえだろ、この阿呆」と言っているようだった。でも、言わせない。


 彼の口が開くより先に、私は早口で言葉を続ける。


「丹後さん、控えめに言って……私のことそこそこ恨んでますよね!?違うとは言わせませんよ!私、ずっと感じてきましたから!」


 丹後の眉がピクリと動いた。図星だ。

 正直すぎる反応に私はふっと笑うと、叫ぶように言った。


「その恨み、今ここで晴らしてください!思いっきり、全力で!あそこに私をぶん投げて!お願い、丹後さん!」


 一瞬の沈黙。丹後は呆れたように私を見つめていたが、ふと瓜生がいる竜巻の影へ目を向け、息を吐いた。


「…本気か!?無事では済まんぞ!」


 私は力強く頷いた。


「私は陽の気、ソルブラッドの宿主です!瓜生さんの陰の気とは対なる存在!陽の気を全力で放出すれば、きっと暴走を押さえながら近づけるはずです!そして……どうにかして瓜生さんを助けます!絶対!」


 丹後の目が揺れる。迷っているのだろう。だが、そこへ花丸が一歩前へ出る。


「凪ちゃん、僕も…!丹後さん、お願いします!」


 花丸の声は決意に満ちていた。

 この人は、止めても絶対についてくる。だったらもう、一緒に覚悟を決めるしかない。


「花丸さん、私の腰に両手を回して。絶対に離さないでください!」

「うん!」


 花丸はしっかりと頷き、震える手で私の腰に腕を回した。

 丹後は黙って私たちを見つめていたが、数秒後ふっとため息をつき、観念したように頷いた。


「…死ぬなよ、二人とも」

「もちろん!」


 丹後は私と花丸をがっしりと抱き上げた。足を踏み締め、体全体に力を込めて構える。その時、後ろで焔の声が響いた。


「凪!行くな!!」


 私は振り返らず、雷閃刀を構えて陽の気を解き放つ。金色の光が私たちの体を包み、風に煌めいた。


「ごめんなさい!……焔さん!」


 言い終えた瞬間──。


「うおらあああ!!」


 丹後が全身の筋力を爆発させ、私と花丸を竜巻の中心目がけて思いっきり投げ飛ばした。私は空中で風を斬り裂きながら、焔に向かって叫ぶ。


「後でピクルスでも何でも食べますからあああああ!」


 耳元で唸る、風の咆哮ほうこう

 竜巻に手を入れた途端、鋭い痛みが走った。無数の小さな刃が皮膚を断続的に切り裂いているのだ。


 けど、止まらない。


 私は腰を低く構え、歯を食いしばる。雷閃刀を両手で握り、目の前の竜巻を斬りつけた。激しくうねる陰の気に、陽の気をぶつけて道を切り拓いていく。


 拮抗する二つの力が空間を軋ませる中、一歩、また一歩と前進する。


「…凪ちゃん!前……瓜生さんだ!」


 花丸の叫びに、私はハッと目を凝らす。ようやく見えた。荒れ狂う闇の中で、うずくまる瓜生を。


「……瓜生さん!瓜生さんっ!!」


 彼女の名を呼んだ次の瞬間、突風が吹き荒れ、雷閃刀が手から弾き飛ばされた。


「わっ…!」

「凪ちゃん…しっかり!!」


 手が痺れる。頬が裂ける。足がもつれる。

 それでも、花丸が背中を支えてくれている。私が、前へ進めるように。

 私は渾身の力を込めて、彼女に向かって足を踏み出し、手を伸ばす。


「瓜生……さん!!」


 その時、右手が彼女の肩に触れた。

 だが、それと同時に風が渦を巻いて私の体を飲み込んでいく。


 視界が、音が、感覚が、すべて闇に染まる。

 最後に聞こえたのは、自分の心臓の鼓動。私の意識はそのまま、闇に包まれていった。


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