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79.オス

 王子との決闘が決まって以来、王者一行の食事はカラスナが手配を担っている。

 そして決闘前夜の夕餉は、贅を尽くしたものではないながら彩り豊かで、セルファンを大いに喜ばせた。

「ヨシト氏、こちらの西海魚の蒸し物は僕の郷里である西端の名物なのですよ」

「マジっすか? なんかいい感じのタレあじするっす」

 素材ではなくタレの味を語るあたりに舌の貧しさが表れているが、骨を探りながらちまちまと食べ進める義人の様はどこか幼子めいていて、かわいらしいと言えなくもない。

 だからついつい、カラスナの心も浮き立ってしまった。

「身を剥がした後の骨と数種の菜を煮詰めた出汁です。脂を抑えておりますので、王者殿にもご満足いただけるかと」

「え、これ王女様が作ったんかよ!?」

「……無論です。さ、あたくしがご用意いたしました夕餉のお味、お気に召していただけましたか?」

 料理人に献立を伝えたのは王女なので、まったくの嘘というわけではない。ほとんど嘘だという自覚をしているあたりをどう判断するかはさておくとして。

「んー、なんかうまいんだけどよー。やっぱ野菜と鶏の胸肉煮た塩味のやつがさー」

 隠された真実にまったく気づかずやんわり不満を述べる義人。

「王者殿」

 よく言えば凜然と、悪く言えば居丈高に彼を呼んだ彼女は、これではいけないと表情を緩めつつ言葉を継いだ。

「人が生きるとは喜ばしいものなのですよ。おいしいはうれしい、ひとつひとつ学んでいただきますので」


「うんうん。がんばってるなぁ、王女」

 そっと涙を拭う振りをする花子。

 言わなければそれで終わるところをあえて口にするあたり、北端侯とさぞや気が合うことだろう。

「なにを」

 咄嗟に言い返そうとした口を、これでは竜魔の思う壺と、力尽くで閉ざすカラスナだったが、人の悪い敵の狙いは始めから彼女ではなくて。

「王女様がんばってんすか? わりー、俺、なんかわかんねーで」

 心底申し訳なさげに王女が言うものだから、無視することすらできなくなった。


 竜魔、なんて恐ろしい術数を!


 胸中で歯ぎしりするカラスナなれど、当の花子は殊更に大きくうなずき、義人を煽る。

「空気を読めとは言わないけどね、王女の気遣いは読んであげなくちゃ。君になにを食べさせようかって朝からいろいろ考えてたはずだよ? ……あれぇ、わからないなぁ。なぁんで王女はそぉんなにがんばったんだろぉねぇ?」

「んんんにぃ様にい!? 懐かしい味をお届けしようと思い立ったまでのことですがあ!! 兄様はなにせ兄様は魚介を好まれるのですものね兄様はあ!!」

 大きな声で花子の嫌がらせを遮れば、セルファンは妹の焦燥に気づくことなくうなずいた。

「父の領が海洋に面しているからな。そういえばヨシト氏が話していた淡水魚、ウナギに似た魚が獲れるのですよ。海水魚なので味わいは異なるでしょうか。しかしタレというものはほぼ再現できたかと思います。決め手はそう、ショウユというものですね。豆を発酵させて作ったとは思えない不可思議な味わい! まさかあのようなものがあるなんて!」

 話のくどい兄のおかげで窮地を脱せられた!

 胸をなで下ろす気持ちでカラスナは花子をひと睨み、視線を兄と王者とへ向ける。


「そういえば左の拳で相手の肝と横面を打つ打法なのですが、秘訣、いやコツはあるのでしょうか?」

「あー、ダブルっすね。腹にぶち当てたパンチぐいーって押し込まねーでパンって弾くんすよ。そしたらパンチぴょんって浮くじゃねっすか。で、体捻って肘立ててバチコーン! 顔面に思っきしぶっ込むっす」

「当てた際の反動を使うことと、腕の角度、いや体そのものの使いかたですか。……頭ではわかっても、体で再現できるものではありませんね」

「メシ食ったらちっとやってみましょっか? アタマでわかってたらすぐできるっす。俺もがんばって教えますんで」

「ぜひお願いします!」


 どうにも信じられない心持ちではあった。

 あのふたりが明日、敵同士として決闘を演じるだなどとは。

 というか、兄は王者にそのダブルとやらを打ち込む気なのだろうに、その相手へ教えを請うなど正気の沙汰ではあるまい。当のふたりにとって正気の沙汰というだけのことで。

 兄が王者と闘いたい理由は今も思いつけないままではあるが、憎悪や敵対心などでないことはわかりきっていた。

 筋が通るだの通らぬだのを超えたなにかが兄にはあり、王者にもまた同様のなにかがある。

 その程度しか理解できずとも、答合わせを急ぐ必要はあるまい。なにせ得体は明日になれば知れるのだ。明日を無事に終えられさえすれば。

 あたくしが終えさせてみせます。そのときばかりは王者殿でなく、兄様をお支えして。


 思いに沈む王女の横顔へすがめた目線を送り、花子はひとつ息をつく。

 とりあえず傍観者のぶんを弁えているのは、父御の教育がよかったおかげかな。

 あたしはあたしで弁えて、おとなしく見届けさせてもらうよ。後輩くんの危うい心に王子がなにかを刻んでくれることを期待しつつね。

 と。

 その前に膳立てだけ済ませとこうか。茶番とはいえ今後に関わる大事な一幕になるだろうし。




「それっす! パン、ぴょん、バチコーン!」

 ボディブロウとフックを受けた左右の手を痛そうに振り振り、義人は網を輝かせる。

「出来映えが酷いことは承知しています! でも、それでも、うれしいものですね。できないことができるようになることは」

 冷めやらぬ興奮を噛み殺すように押さえつけ、セルファンはしみじみと自身の両拳を見下ろした。

 なにひとつ満足にできはせぬ、顔ばかりの王子。散々に叩かれてきた陰口は、いつしか己を呪縛し、そうあることを強いていたように思う。

 だが、できた。たったひとつの成功が、無数の鎖の1本を爆ぜ切ってくれた。実感していて。

「すべてヨシト氏のおかげです」

「ちげーっすよ」

 心からの感謝を込めた言葉はしかし、一言で斬り払われた。

「セルさんができねーからってやめちまわねーで、考えてがんばっていろいろやったからできたんすよ」

 ああ、義人がそう言ってくれることはわかっていた。

 だが、なぜそれを己が確信しているものか、説明ができなくて。


 王者についてを記するなら、今から書物数冊を埋められる自信がある。闘いも鍛錬も生活も人となりも、つぶさに見取ってきたのだから。

 されど、義人についてはなにを記すればいいものか、皆目見当がつかなかった。

 実際のところ、記すこと自体は可能だ。なにせ彼は義理と人情、これほどはっきりとしたテーマを備えている。

 だというのに、どれほど言葉を尽くそうとも伝えきれず、漏れ出てしまうように思えてしまって。

 ――これ以上悩んだところで、私に答がひねり出せるはずないか。

 目礼で重ねての謝意を告げるに留め、話題を変えた。


「宴のほうですが、結果的に呪師戦の祝勝を兼ねることもあって参加者が増えました。ですので募金を行うこととなったのですよ」

「あー、なんか聞いたっす。あれっすよね。なんか困ってる人助けよーってやつ」

 貴族が集う場において行われがちなもののひとつが慈善事業である。

 今回は対呪師戦によって王都が乱れ、多くの人々が被害を被った。彼らをせめて金銭的に援助するは“高貴なる義務”のひとつというわけだ。

「カネ集めんのに俺もアイサツしろって女王様言うんすけど、マジなにしゃべったらいーんすかね?」

「勇気づけてあげてください。この騒ぎで苦しめられた多くの民草を。そして城へ呼びつけられたあげく大金を巻き上げられる者たちを」

 ここで果たされるものはあくまで義務。善意の趣味などではありえない。だからこそだ。竜の加護を受けた王者の言葉はまさに、神に等しい竜のねぎらいと成り果せ、彼らの胸を打つ。ついでに「金を払ってくれ」と訴えかければ、固く絞られた財布の紐も瞬時に弾け飛ぼう。


「そっすね。カネ払うだけってんじゃアレっすもんね。俺、ちゃんとお願いしてお礼言うっすわ」

 納得した義人へ美しい笑みをうなずかせ、セルファンはさらりと付け加えた。

「その流れで、僕たちのタイマンでも賭けを募ることとしました」

「どゆことっす?」

「多くの患者を抱える治癒院では、深刻とまではいかずとも医療品不足が問題となっています。王者の名をもってこれを援助することで、看護に向き合う者たちも患者たちも力づけられるでしょう」

 エルバダの象徴たる王者が、落ち着きを取り戻しつつある王都の裏で今なお戦い続ける者へ救いの手を伸べる。この上ないパフォーマンスではあった。

 もっともセルファンには王者へそれを演じさせるつもりなどない。誰も放っておかない王者の心を伝えたい。ただそればかりで。

「押忍」

 王者も他意を勘ぐることなどないまま右手でサムズアップを決め、にっかりと笑う。

「そんなんどんどんやっちまってくださいよ。俺なんか使い倒してくれていいんで。でも」

 ふと表情を引き締め、親指を立てたままの右拳をそっとセルファンへ差し出した。

「セルさんの名前、先に書いといてくんねーとダメっすよ」

「それは」

「セルさんがマジでやるってーから俺ぁ乗っからしてもらうんす」


 王者は寂しさを誰よりも知っているからこそ、人との関わりを求めずにおれぬ男だ。

 そう思うからこそセルファンは彼へ共感し、大切に思っている。なにも間違いはない。おかしなこともありはしない。

 だがしかし。


 あなたがあなただからこそ、僕にはもうひとつ、思うことができたのです。

 胸中で唱え、王者の拳へ己がサムズアップさせた右拳をやさしく当てて、セルファンも応えた。

「オス」

「じゃ、そーゆーこって」

「オス」




 ふたりの胸ぬくもらせる友交を影から見届けた人影は、息を詰めたままそっと位置取りを変え、時至るを待つ。


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