鋼鉄を蹴ったような硬度。彼女の胴ほどの太さはあろう、み空色の尻尾にかぎ状の針。
それは蠍の尾であった。
しかも背後に魔獣が潜んでいるという風ではなく、明らかに彼女の仙骨付近から生えている。
私の脳裏に、今まで出会ってきた人のかたちでありヒトでない者たちがよぎった。
カタツムリの魔獣。
狼の魔獣。
恐らくは、彼女もまたそういった類なのだろう。
この国は、魔獣を信仰している。それを聖職者たちが知っているのかは、分からないが。
緊張感により、身がさらに引き締まる。どこからでも現れ、そして連れ去ることのできる魔獣。これほど脅威的存在には、警戒心を燻らせざるを得ない。
一室という状況から全身を晒していないのだろうが、果たして。尾だけでこの太さならば、全体は一体どれほどの大きさになるのか。ただ少なくとも、カタツムリの魔獣や狼の魔獣は見上げるほどの巨体であった。
それほど大きい蠍は、相手にはしたくない。
だがゲストルームという場所に居続ける限り、彼女は人の形で在り続ける。尾から気を逸らさなければ、まだ私にできることはあるはずだ。
視線は前に向け続けながら、後方へ飛び退く。
毒針という脅威を盾にしながら、尾は中空をゆらゆらと漂う。蹴ったとき、たしかにそれは相当な頑強さであった。加えて私の腕ほどはあるだろう鉤状の針。
牽制として十分すぎる働きだ。
「何故私を襲うのですか、聖女様」
問う。
少しでも、時間が欲しいが為に。
「言いましたでしょう、人を探しにきたとは思えぬ穿鑿。そして我が子への被害。わたくしはそれを攻撃と判断致します」
言って、刺突。
鞭のようにしなやかに、しかして槍の如き鋭さ。
それを、私は飛び込むように前転して躱す。
針は絨毯に深々と突き刺さり、まるで岩でも落ちたかのような衝撃が部屋に響き渡った。それにより、串刺しにする気だった、という明確な殺意が伝わってくる。
「わたくしも問うことがあります」
尾を引き抜きながら、言葉はなおも落ち着いた調子。
「何でしょうか」
「何ゆえ、騎士様は沼に落ちぬのですか。もしや、貴女もまた奇跡を起こす方であられますか」
貴女も、という言葉から察するに、奇跡、とは魔法のことを指しているのだろう。
そして聖女は一貫して、私がどうして人喰い沼に落ちないのかを疑問視している。たしかに、二度も自分の御業が不発になったとなれば、相手が何ならかの魔法使っているのではと錯覚してもおかしくはない。
だが、
「いいえ、聖女様。私はただの騎士。不可思議の類は一切扱えません」
言葉の一振りを以て一蹴する。
私は、何の奇跡も持ち合わせていない。偶然や、理解出来ぬ現象を都合よく奇跡と呼ぶのだろう。少なくとも私はそう考える。
「そんなはずないでしょう。ならば、貴方に宿るそのもう一人の者は一体何なのですか」
知らない。
自分も分からないものを説明はできない。
押し黙る。どんよりと、灰色の絵具を塗るように。
「沈黙は肯定と取ります。……そうですか、では直接お聞き致しましょう」
引き抜かれた尾が、再度私へ放たれる。
答えを持っていないのなら、口外に投げるものなどないのに。思いながら、絨毯を蹴った。
刺突を潜り抜け、一撃する。
状況を打破するのに一番手っ取り早い方法だ。
叩き込むは手刀。
頸動脈に衝撃を与え、気絶させることで無力化する。戦場以外の者にはあまり推奨できない技だが、相手が魔物となるとこれくらいはやらねば制圧できない。
振るう、掌側はしかし。
聖女の首寸前のところで止めなければならなかった。
何故ならば、私の頸部に毒針が添えられたからである。背後から迫る尾の回避よりも、彼女の首への一撃を優先したことで、私たちは互いに一撃を添えたままに睨み合う状態になってしまった。
毒針と手刀。
お互いに一手を首に突きつけ合いながら、陰惨な呼吸を数え合う。だが状況は、彼女の方が明らかにリスクは低い。こちらが突き付けている結果は気絶であり、こちらは死を伴う。
掌側を押し付け続けなければ、私は命を失ってしまう。だが逆に、それであちらも動作を停止しているということは、手刀は振り抜くことができれば人と同じように気絶する恐れがあるということでもある。
「村の者をお帰しください。そうなさって頂けるなら私たちは即刻、この国から出て行きます」
「知りません。もう一度お聞きします。貴女は何ゆえ、わたくしの沼に落ちて行かぬのですか」