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第122話


 硯を私服から鑑別所で過ごす制服に着替えさせ、雫たちはまずは鑑別所の施設を案内する。食堂や運動場、図書室といった施設を巡るなかでも、硯の目には怯えが覗いていて、自分たちの説明も頭に入っていないかのように、雫には感じられてしまう。

 それは第一面接室での入所時のオリエンテーションでも同様で、別所がこれから行われる面接や心理検査、行動観察の概要や、鑑別所で過ごすうえで守ってほしい注意事項を伝えていても、硯は小さく俯いていて、雫たちの顔を見てはいなかった。完全に委縮している姿に、雫でさえも少し気の毒に思ってしまいそうになるほどだ。

 でも、硯がしたことは現実としてあって、雫たちはどうして硯がそのような行為に及んだのか、再発を防ぐためにはどうしたらいいかを、鑑別のなかで明らかにしていかなければならない。

 そう思うと、目の前の硯に過度な肩入れは、雫にはできなかった。

「では、硯さん。私たちからの説明は以上ですが、反対に何か硯さんから訊きたいことはありますでしょうか?」

 別所がそう尋ねると、硯はおそるおそる顔を上げていた。でも、その瞳の奥がまだぐらぐらと揺れているのが、雫には分かってしまう。

「……あの、私って少年院送りになるんでしょうか?」

 硯の声は消え入りそうなほど小さくて、まだ決まってもいない処遇をひとりでに決めつけて、不安に苛まれていることが雫には窺えた。

 虞犯で補導された女子少年が少年院送致になる可能性はあるものの、何が硯にとって適切かを探ることが、雫たちの仕事だ。確かなことは、今はまだ何も言えない。

「硯さん。それはまだ私たちにも分かりません。これから硯さんが、ここでの日々をどう過ごしていくか、面接や心理検査等にどう取り組んでいくか。もちろんそれが全てではありませんが、適切な鑑別のために、私たちはなるべく硯さんにも協力していただきたいと考えています」

「それって、少年院送りになる可能性もあるってことじゃないですか……」

「そうですね。絶対に少年院送致にならないとは、現時点ではまだ言い切れないです。鑑別は硯さんの生育歴や現在の状況、どうして当該事案に至ったのか、その理由などを総合的に見るものですから。できることなら、私たちは一番硯さんのためになる処遇を、家庭裁判所に進言したいと考えていますよ」

「ということは、その結果が少年院送りになる場合もあるんですよね……。どうして、私がそんな目に遭わなければならないんですか……? 私、何も悪いことはしてないですし、誰にも迷惑はかけていないのに……」

「確かに、硯さんは犯罪行為はしていないかもしれません。でも、警察等でも説明を受けたと思いますが、少年法には虞犯という概念がありまして。犯罪行為をしていなくても、将来そういった行為に及ぶおそれがある少年も、保護や教育の対象になることがあるんですよ」

「そんな。私、犯罪なんてしないですよ。犯罪もしていないのに、おそれがあるだけで補導するなんて、おかしくないですか?」

「硯さん、虞犯の認定事由には、『自己または他人の徳性を害する性癖があること』という事項がありまして。もし誰にも迷惑をかけていなかったとしても、自身を傷つける行為を繰り返していたら、それは虞犯の対象に当たってしまうんです」

「そんな。私、傷ついてなんてないですよ。自分から進んでしたことなのに」

「硯さん、本当に心の底からそうだと言い切れますか?」

「……はい」別所の問いかけに硯は一瞬返事に詰まっていて、硯の深層心理を雫は垣間見るようだ。もし、それが本当に自分から望んでしたことだとしても、それでも心は完全に無傷ではいられないだろうと、雫は同性として感じる。

「そうですか。ですが、社会に存在する通念は、硯さんが自分を傷つけていたと見なしてしまうんです。もちろん、硯さんは自ら望んで行為に及んでいたのかもしれませんが、それを明らかにするためにも、私たちは必要なんです。そのことを、どうか分かってはもらえないでしょうか?」

 そう声をかける別所に、硯は小さくても頷いていた。だけれど、雫にはその態度が少年審判が終わるまでは鑑別所から出られないと、諦めてしまったようにも見える。

 硯には今回の事案に至った背景があるのかもしれないし、もしくはただ欲望の赴くままにしていたのかもしれない。

 いずれにせよ、自分ができることは面接でしっかりと話を聞いて、心理検査の結果とも合わせて、硯に適切な処遇を与える一助となることだ。そう硯を前にして、雫は気を引き締めていた。





「それでは、これから初回の面接を始めたいと思います。硯さん、よろしくお願いします」

 硯が鑑別所に入所してきた翌日、雫はさっそく第一面接室で硯と向かい合って座っていた。「よろしくお願いします」と答えながら小さく頷いていた硯の動きはどこかぎこちなくて、自分と向かい合っていることに怯えている様子が、雫には窺えてしまう。

「硯さん、まずは話しやすい環境を整えるためにも、簡単な話題から面接を始めていきしょうか。硯さんには何か趣味がおありですか? 何をしているときが一番楽しいと感じられますか?」

「あ、あの、ゲームです……」

 消え入るような語尾は、後ろめたいと感じているようだった。

 それでも雫はそれが、恥ずかしいことだとは思わない。雫もたまにソーシャルゲームはするし、趣味としてゲームをすることはありふれているだろう。

「なるほど。例えば、それはどのようなゲームなのですか?」

「あの、ソーシャルゲームです。『バビロン・ヘブンズ・ドライブ』っていう。知ってますか?」

「はい。名前だけは聞いたことがあります。確か終末を迎えた世界で、キャラクターがバトルをするゲームですよね?」

「はい、そうです。えっ、どうして知ってるんですか? もしかして山谷さんも、プレイヤーだったりするんですか?」

「いえ、私はやったことはないのですが、ネットを見ているとたまに広告が出てくるので。それで知った形です」

「そうですか……。そうですよね……」硯は少し意気消沈した表情を見せていたけれど、それでも雫はそのソーシャルゲームをやっていると嘘はつけなかった。キャラクターもほとんど知らないから、もし硯がその話を掘り下げてきたら、ボロが出てしまうだろう。

 面接室の空気は微妙に沈んでいたが、それでもいきなり本題に入るよりかは、硯も少しは話しやすくなっただろう。雫は改まった調子で切り出した。

「では、硯さん。硯さんが今回鑑別所に入所してきた理由について、お訊きしてもよろしいですか?」

 雫の声かけに、硯は小さく「……はい」と応じていた。その伏せられた目から、言ってほしくないと硯が思っているのは雫にもありありと分かったが、それでも鑑別のために雫は言わなければならなかった。


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