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第123話


「では、お訊きします。硯さんは今回、虞犯で警察に補導され、鑑別所に入所してきました。その理由としては、去年の六月から成人男性とともに食事をしたり、一緒に車に乗ったり、果ては金銭を受け取って性行為に及んだ。一般的な言い方をすれば、援助交際ですね。それを複数人の成人男性と十数回行った。このことは間違いないですね?」

「……本当にはっきり言うんですね」

 小さく呟かれた硯の言葉は、自分がしたことを正確に認識しているようだった。抑えられた声のトーンに、雫は硯が一般的な社会通念をちゃんと理解していることを感じる。

「はい。私が今こうして面接をしているのも、硯さんがそういった行為に及んだ理由を見つけることが、目的の一つですから」

 今しているのは、面接の土台となる事実の確認だ。だから、雫も回りくどい言い方はしない。硯が認めるにせよ、否認するせよ反応を示さなければ、面接は一歩も前に進まない。

 硯は目を伏せながら、消え入りそうな声で「……はい、そうです」と事実を認めていた。おかげで雫も硯に配慮しながら、質問を重ねることができる。

「分かりました。では、ひとまずは援助交際の是非は一度置いておいて、硯さんが援助交際に至った理由について、思い当たることがあればお聞かせいただけますか?」

 雫がなるべく丁寧な口調で訊いても、硯は顔を上げることはなかった。返答までに少し間があり、硯の中で後ろめたさや恥ずかしさが渦を巻いていることを、雫は想像する。

 それでも、硯はしばし迷った後に、言うしかないという様子で口を開いた。

「……そ、それはお金が必要だったからです」

 硯が口にした理由は、雫にとっても十分想定できるものだった。もちろん、援助交際によって金銭を受け取ることは問題だが、雫にはその後も重要なように思われる。

「なるほど、そうですか。では、硯さんはどうして援助交際をしてまで、お金が必要だったのでしょうか?」

「……そ、それはこんなこと言ったら怒られるかもしれないんですけど、新しい洋服や化粧品を買うためだったり、後はソーシャルゲームに課金するためでもありました。すいません……。こんなどうしようもない理由で……」

 硯が口にした理由に、雫は率直に言えば「そんなことで」といった印象さえ感じてしまう。そのことで自らの時間や身体を差し出してしまうのは、あまりに割に合わないだろうとも。

 だけれど、ある人にとってはどうでもいいことが、その人にとっては人生を左右しかねない一大事になることは往々にしてある。

 だから、雫は安易な否定はしなかった。

「いえ、そんなことはないと思いますよ。それは硯さんにとってはどうしてもしたかったり、手に入れたかったものなんですよね?」

「は、はい。私も親からお小遣いをもらっていないわけではなかったんですけど、それだけだと買える洋服や化粧品の数は限られてきてしまいますし。それに、ソーシャルゲームをやっている時間は、今私が一番楽しいと思える時間なんです。ガチャに課金して引いたレアキャラで無課金勢の人たちを倒していくのは、正直とても気持ちがいいんです。でも、それもやっぱりお小遣いだけでは限界があって……」

「それで、援助交際に及んだのですか?」

「は、はい。正直に言ったらそうです。それに私といたら相手の人はとても喜んでくれますし。そういうことも含めて相手のためになれることを、私はしてるだけだったんです」

 そこまで言って口をぎゅっと結んだ表情に、硯が心の中で「それなのに……」と続けたことを、雫は察する。硯の中で金銭を得るために援助交際をすることは、筋が通っているのだろう。

 だけれど、雫はそれを認めるわけにはいかなかった。高校二年生で間もなく一七歳になろうとしている硯は、まだまだ保護が必要な年齢だ。

「そうですか。でも、たとえ硯さんがそう思っていたとしても、援助交際は社会的には歓迎されるような行為ではありません。そのことは硯さんも分かっているはずです」

「確かにそれはそうですけど……。でも、どうしてそんなにいけないこととされているんでしょうか? 私は自分の意思でそういったことをしたんですけど……」

「それは硯さんのような児童の、健全な育成のためです。もし、硯さんが進んで性行為をしていたとしても、何度も繰り返しているうちに、性行為そのものに依存してしまう可能性はないとは言い切れません。もしその状態になってしまったら、硯さんは生きていくうえで大きな犠牲を払うことになるんですよ」

「それは大丈夫です。私は性行為に依存なんてしません」

「そう言えるだけの根拠は、何かおありなんですか?」

「そ、それは……」

「それにこれは硯さんも分かっているとは思いますが、もし避妊具なしで性行為をした場合、硯さんが妊娠をする可能性もあるんですよ。一〇代での妊娠・出産は、この国ではまだまだ経済的にも情緒的にも大変なことが多いですし、それに産まないという選択をした場合でも、硯さんにはお金や精神的な負荷がかかってしまう。そういった状況を、硯さんは進んで引き受けたいと思いますか?」

「……それは、ちゃんと避妊をすればいいだけの話ですよね?」

「もちろん、そうです。ですが、相手が頑なで、無理やり押し通されてしまった場合はどうでしょうか。自分の意思が通らなかったことで硯さんが傷つくばかりか、避妊具なしの性行為で、エイズなどといった病気に感染してしまう可能性もゼロではないんですよ。今は医学も進歩していますが、それでも私は硯さんに、自分が苦しむような選択をしてほしくはないです」

「……あ、あの、お説教ですか? 山谷さんも結局、私のことは分かってくれないんですか……?」

「いえ、そんなことはありません。鑑別所に入所してきて、こうして向き合っているからには、私は硯さんのことを分かりたいと思っています。ですが、私の立場上、やはり援助交際を是認するわけにはいかないんです。そのことは硯さんも理解していただけますよね?」

 そう呼びかける雫にも、硯は「いや、それはそうなんでしょうけど……」と、まだ完全には納得がいっていない様子だ。自分と雫との間に、距離を感じているのだろう。

 それでも、雫はその距離を縮めることよりも、まずはどうして援助交際をしてはいけないのかを、硯に分かってもらうことを優先させた。

「硯さん、この国では全ての人に人権が保障されていることは、ご存知ですね?」

「は、はい。授業で習いました。でも、どうして今そういう話になるんですか?」

「それは援助交際、言ってしまえば買うという漢字の方の『買春』が、人権の侵害に当たるからです」

「……そうなんですか?」

「はい。たとえ援助交際と言っても、買春は人の性的な自由をお金で買うことですから。それは買う側と買われる側の間に、上下関係や主従関係を作ってしまいます。この国の憲法では、全ての人間が法の下に平等であると定められているのに、買春はそれに反する行為なんです。つまり、たとえ同意があったとしても、買春は買う側である相手が、買われる側である硯さんの人権を侵害していることになるんです」

「山谷さん、それはちょっと大げさじゃないですか? 私は人権が侵害されたなんて思ったことはないですし、それにこれは私も望んでやっていることなんですけど……」

「硯さん。硯さんがどう思っていても、硯さんの人権が援助交際によって侵害されたことは、疑いようのない事実なんですよ。買春が法律で禁止されているのも、買春される立場にある人の人権を保護するためですし。人権の尊重は憲法で規定されていて、それは硯さんも例外ではないんですよ」

「私の方から望んでしていても、ダメなんですか……?」

「はい。はっきり言いますが、ダメです。こんなことを言うとまた説教のように聞こえるかもしれませんが、硯さんはもっと自分のことを大切にしてはいかがでしょうか? 自分の身体や権利を守る意識を、持ってみてはいかがでしょうか?」

 雫の提案にも、硯は明確な返事をすることはなかった。再びかすかに目を伏せてしまっている。

 雫が言ったことも一理あると受け入れようとしているのか、それとも社会通念の押しつけだと反発しているのか、その様子からは雫には読み取ることが難しかった。できれば前者であってほしいなと思いながら、雫は硯をしばし見守る。

 それでも、硯が返事をしないことを確認すると、「では、硯さん。硯さんが行っていた援助交際の内容等について、もう少しお訊きしてもよろしいですか?」と尋ねる。

 硯が小さくても頷いていたから、まずは雫は硯がどのように援助交際の相手を見つけたのか、訊いた。硯は「SNSで探した」と答えていて、非常に現代的だなと雫は率直に感じていた。


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