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第133話


 それからも雫は、硯の緊張を解そうと「鑑別所での生活には慣れてきたか」といった質問をいくつか尋ねた。


 硯はそれらに過不足ない答えを返してくれていて、自分に下る処遇を見据えているのか、面接へのモチベーションは確かにあることが雫には感じられる。


 いくらか会話を重ねて、硯の話すハードルも少しは下がってきたことだろう。そう雫は感じて、面接開始から一〇分ほどが経ったところで、「では、硯さん。そろそろ今回の面接の本題に入ってもよろしいですか?」と尋ねる。「……はい」と頷いた硯の表情に、より緊張の色が覗く。


「では、お訊きします。今回、硯さんは援助交際を行って警察に補導され、ここにやってきたわけですが、そのことについて今はどう感じていますか?」


 自分で訊いておいて、大雑把な質問だなと雫は思う。それでもいきなり「こう思っていますよね?」と、会話の方向を限定してはいけないだろう。それは誘導尋問にも繋がりかねない。


 雫はまずは硯が言うがまま、感じているがままに任せようとする。硯は、少し口ごもるような様子を見せながらも答えた。


「……それは本当に悪かったと感じています。自分が警察に補導されるだけのことをしたって、ここで生活をしているなかで身に染みて分かりました。本当にしてはいけないことをしてしまったと思います」


 硯は入所してきたときとは違い、素直に反省を述べていた。きっとそれは鑑別所での生活や、自分たちと接するなかで生まれた心境の変化なのだろう。そう単純に信じたい気持ちは、雫にもある。


 それでも自分の目を見られていない硯の様子が、雫にわずかにでも疑念を抱かせた。単に答えるのが恥ずかしいのかもしれないが、それでも審判が自分に有利に進むように、雫たちに迎合している可能性もないとは言い切れない。


 硯を疑うことは気が引けたが、それでも「反省しています」という言葉を額面通りに受け取ることは、雫には自分の立場もあって難しかった。


「そうですか。硯さんは自分がしたことをしっかりと振り返られているんですね。ですが、援助交際がしてはいけないことだとは、どうしてそうお考えになっているのでしょうか? できれば具体的に教えてもらえるとありがたいのですが」


「それは法律で決められているから、法律に反することはしてはいけないと言いますか……」


 その硯の答えが、雫にはとりあえずで言ったことだと察せられてしまう。「法律で決められているから」と言ってしまえばその通りだけれど、雫には硯がただ便利な概念を用いただけのようにさえ感じられてしまう。


「確かにそれはそうです。でも、法律にはどうしてそう決められているのでしょうか?」


「そ、それは……」


 やはり硯の反省は、悪く言ってしまえば口先だけのものだったのだ。言葉に詰まっている様子に、雫はそう感じざるを得ない。どうして援助交際がいけないのかは、初回の面接でも説明したのに、それも硯の心にはいまいち響いていなかったのかもしれない。


 だけれど、「硯さん、本当は反省していませんね」と直球を投げ込むことは、いくら雫と言えども憚られる。頭がまだ追いついていないだけで、心では硯が本当に反省している可能性だってあるのだ。それを否定することは、雫にはしてはいけなかった。


「硯さん。硯さんが法律で守られているのは、硯さんの健全な成長のためなんですよ。大人の勝手な期待の押しつけだと思うかもしれないですが、私たち大人は硯さんの健全な成長を守らなければならないんです。そのことは分かっていただけますか?」


「そ、それは確かにそうかもしれないですけど……」


「硯さん。硯さんは自分から望んで援助交際を行ったと、初回の面接の時に言ってましたよね。洋服やソーシャルゲームに使うお金を得るために」


「は、はい。そうですね」


「ですが、それは本当のことだったのでしょうか。もちろんお金が必要だったということはあるかもしれませんが、でも本当にそれだけだったのでしょうか」


「……どういうことですか?」


「硯さんが援助交際に及んだのは、私には別の理由があるように思えます。たとえば、何かストレスを抱えていたり、嫌なことがあって、それを紛らわすために援助交際に及んだりですとか、そういったことはありませんでしたでしょうか?」


「……それは違います」硯がそう否定するまでには少なくない間があって、雫は硯の中で生じた葛藤を思う。「はい、そうです」と認めているのにもほとんど等しいように、雫には思われる。


 どうしたら硯の本音を引き出せるだろう。雫はある一つの仮定を挙げてみる。


「そうですか。私は硯さんが勉強をストレスに感じていて、そこから逃れたいがために今回のような行為に及んだと感じていたのですが、それは間違いなんですね?」


 雫としては、それなりに可能性の高い仮定を挙げたつもりだった。硯が勉強を負担に感じていたことは、雫は硯の裏アカの投稿を見て分かっている。


 でも、そう言った雫にも硯は小さく首を縦に振るだけだった。それは目を凝らしていなければ見逃してしまいそうなほどで、雫は硯が内心で大いにためらっていることを感じる。


 それでも、雫はある程度の確信を得ていながらも、それ以上突っ込んで訊くわけにはいかなかった。硯が「違う」という態度を見せているからには、違うのだろう。雫にはそう受け入れるしかなかった。


「分かりました。勝手な憶測で物を言ってしまい、すいませんでした」


 謝罪されてどうすればいいか分からなかったのだろう。硯の目は戸惑っているような色を見せていた。「い、いえ」と答えることすらできていない。


 そんな硯にも、雫は変わることなく穏やかな目を向け続けた。自分の予測が外れていたことに対する落胆は、たとえ思っていたとしても顔に出してはいけなかった。


 それからも雫は、硯の学校生活や家庭環境について、今一度確認するように尋ねた。硯も訊かれたことにはちゃんと答える姿勢を見せていたけれど、それでもその口調は今までよりも少し歯切れが悪いように、雫には感じられる。


 それを雫は、硯がまだ緊張しているのだと解釈した。自分を警戒して心を開いてくれていない、と。


 雫は、それを仕方がないと受け入れざるを得ない。まさか語気を強めて、硯に本当のことを言うよう迫るわけにもいかない。口惜しい気持ちはあれど、雫が働きかけられる程度に限度があることも、また事実だった。


 結局めぼしい新事実も得られないまま、雫が今回の面接で訊こうと思っていたことは、一時間もしないうちにあらかた尽きてしまう。まだ面接の時間としては短かったが、硯がこれ以上話したくないと思っているのも明らかだ。


 だから、雫も話を強制するわけにはいかず、面接を終わらせようとする。自分の力不足をひしひしと感じながら。


「それでは硯さん。そろそろ今回の面接を終わろうと思うのですが、最後に硯さんから何か言っておきたかったり、訊きたいことはありますか?」


 雫がそう尋ねても、硯は言葉少なに「いえ……」と言うだけだった。かすかに伏せられた目から、もうここにはいたくない。何も話したくないと思っていることが雫にも伝わる。


 雫は、硯のその意思を尊重することにした。ここまで得られた限られた情報だけで、鑑別をするしかないだろう。


「それでは、これにて今回の面接を終了したいと思います。硯さん、お疲れ様でした」


 軽く頭を下げた自分に続いて、小さくお辞儀をした硯を確認してから、雫は席を立とうとする。


 そのときだった。硯が「すいません」と声をかけてきたのは。


 迷った挙げ句といったようなその声色に、雫は再び席に着く。

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