巻ノ五十五 沼田攻め
氏規は上洛し秀吉と会った、秀吉は顔はにこやかであったが。
氏規は彼の本心がわかった、それで相模に戻る時にずっと付き添ってくれていた家康に対して小声で言った。
「これはです」
「はい、残念ですが」
家康も暗い顔で応えた。
「戦になりまする」
「そうですな」
「かなり危ういです」
こう氏規に言う。
「これは」
「そうですな」
「ここで間違ってもです」
「沼田を攻めれば」
「ご公儀に反したとしてです」
まさにだ、そうなってというのだ。
「そのうえで」
「確実にですな」
「関白様は攻められます」
「そしてですな」
「北条家はです」
まさにというのだ。
「滅ぼされます」
「そうなりますな」
「ですから」
それ故にというのだ。
「ここは何とかです、それがしは考えましたが」
「もう一度ですか」
「はい、北条殿にです」
氏政にというのだ。
「上洛してもらいましょう」
「では」
「本当に何でしたらそれがしが相模に入ります」
小田原、この城にというのです。
「そしてです」
「そのうえで」
「はい、北条殿を説得致します」
氏規と共にというのだ。
「ですから」
「何としても」
「ここはもう一度です」
何としてもというのだ。
「お話を」
「わかりました、それでは」
「お願いします」
「しかしです」
ここでまた言った氏規だった。
「それでもです」
「それがしが行ってもですか」
「兄上は聞かれないでしょう」
「左様ですか」
「こうなってはです」
「新九郎殿を」
「はい、あの方をです」
是非にというのだった。
「そして北条家自体は」
「守る為に」
「ここはですか」
「務めましょう」
こう言うのだった。
「最悪の状況は避けましょう」
「そして民も」
「無論です」
彼等については言うまでもなかった、氏規も家康も。二人共民のことには心を砕いていた。それ故に言うのだった。
「戦は恐ろしいもの」
「民を巻き込むこともあります」
「だからこそですね」
「それ故に」
「戦が避けられないのなら」
「民を害せず」
そしてというのだ。
「家を守り」
「最悪の事態を避けねば」
この想いが一致した、そして。
そのうえでだった、氏規は家康に帰り道も付き添ってもらってだった。まずは駿府まで戻った、そしてだった。
その駿府でだ、彼は家康に穏やかな顔と声で言われた。
「武運長久を祈ります」
「はい、では」
「小田原に帰られましたら」
「それがし、何とか致します」
例えそれが難しいとわかっていてもだ。
こう話してだ、そしてだった。
氏規は相模に戻りだ、そのうえで。
すぐに氏政にだ、こう言った。
「関白様はです」
「何と言っておった」
氏政は即座に己の前に控える氏規に問うた。
「一体」
「特に何も」
氏規は氏政にありのまま答えた。
「そうしたお話はされませんでした」
「ならよいな」
「いえ」
すぐにだ、氏規は言葉を返した。
「言葉で申されてはいませんが」
「しかしというか」
「お考えは既に」
「左様か」
「お館様、ここはです」
氏規は兄にあえて言った、それも強く。
「御自ら」
「だから何度も申しておろう」
「では」
「何故わしが行かねばならぬ」
氏政の返事は変わらない、当然ながら態度もだ。
「御主が行ったではないか」
「しかしです」
「さもなければか」
「はい、西国いえ天下の軍勢が来ます」
「この小田原にか」
「箱根を越えて」
「それなら大丈夫じゃ」
悠然とさえした仕草でだ、氏政は氏規に言うばかりだった。
「何度も言っておろう、我等には箱根がありな」
「多くの城とですか」
「この小田原の城もある」
こう鷹揚に言うのだった。
「それで何故西国の軍勢を恐る必要がある」
「では」
「そうじゃ、西国の軍勢が来ようともな」
「それでもと言われますか」
「十万の軍勢がこの小田原を囲む」
かつての上杉謙信が関東の大名達を糾合し小田原城に攻め入った時のことだ、この時の北条家の主は氏政の父である北条氏康だった。
その父の面影を猛々しくした顔でだ、氏政は氏規自身の弟であり父の顔を穏やかにさせたその顔を見て言うのだった。
「それでどうなる」
「十万ですか」
「兵糧はどうなる」
氏政が言うのはこのことだった。
「十万の兵を養うな」
「では」
「そうじゃ、十万いや二十万の兵でこの城を囲もうともな」
それでもというのだ。
「敵はやがて去る、臆することはない」
「では」
「その後で話をする」
「北条の領地を完全に守ったうえで」
「そうじゃな、関東管領は上杉殿であるからな」
上杉景勝だ、元は長尾家であるが上杉家を継いだのでそうなったのだ。
「その別に何か貰いな」
「対等の立場で」
「羽柴殿と手を結ぼうか」
「東国を守ったうえで」
「そうじゃ」
氏政は氏規に己の考えを述べた。
「そう考えておる」
「左様ですか」
「安心せよ、この城を囲んでも数月」
囲める間はというのだ。
「それだけ守ればよい」
「父上、しかしです」
ここでだ、名目上の主である氏直が叔父である氏規を見てからだった。彼を助ける形で父に言ったのだった。
「羽柴殿は帝を戴いていて」
「天下もか」
「はい、関白の位にあり」
朝廷の最高の官位だ、まさに天下を委ねられている役職だというのだ。
「帝から天下の政を任されております」
「はい、摂政か関白か」
氏規もまた言った、氏政に。
「そうした方、その方に逆らいますと」
「一度退けてもです」
氏直も叔父に続く。
「また来たら」
「その時は同じじゃ」
「退けられると」
「そうじゃ、どうした相手でもじゃ」
それこそというのだ。
「この城は陥ちぬ、つまりな」
「北条家もですか」
「敗れぬ、若し羽柴殿の軍勢が来てもな」
こう言うばかりだった、そして。
氏政は今度は松田や大道寺といった彼の言葉をよく聞き従う者達に目を向けてだ、こうしたことを言ったのだった。
「してじゃ」
「はい、沼田ですな」
「あちらのことですな」
「うむ、あの地を取り返すぞ」
こうも言うのだった。
「兵を進めてな」
「はい、それでは」
「その様にしますか」
「やはりですな」
「そうしますか」
「うむ、真田家が従えばよいが」
沼田を引き渡す、それをだ。
「従わぬ場合はな」
「その時はですな」
「いよいよですな」
「あの城を攻めますか」
「沼田城を」
「真田家は従わぬ」
氏政もわかっていた、昌幸がどういう者かを。天下のことには興味はないが手に入れた領地については固執する、そうした者だとだ。
だからだ、こう彼に従う重臣達に言ったのだ。
「それ故にじゃ」
「攻める」
「そうされますな」
「そうすることを念頭に置いていき」
「話をしていきますか」
「そうじゃ、話が終わればな」
それが破談に終わればというのだ。
「すぐに攻められる様にしておけ」
「殿、それはなりません」
「父上、お止め下さい」
氏規も氏直も必死にだ、父を止めに入った。
「若しそれをすれば」
「もう言い逃れは出来ません」
「関白様が兵を起こされます」
「今以上に」
「だからそれがどうした」
兵が来ること自体をだ、どうとも思っていない氏政の返事はこうだった。
「今更な」
「どれだけの兵が来ても」
「それでもですか」
「守られそして」
「大丈夫だからこそ」
「そうだ、だから攻める」
沼田をというのだ。
「よいな」
「しかしそうすれば」
まだ言う氏規だった、だが。
氏政の言葉は変わらずだ、そのうえで。
彼はまずは沼田に人をやった、それと共に戦の用意にも入った、そのことは十勇士達が即座にであった。
聞きつけてだ、昌幸そして信之と共にいる幸村に言った。
「殿、一大事です」
「沼田に北条の兵が来ます」
「一応人をやってとのことですが」
「それでもです」
「人をやりわしに沼田を返せというのじゃな」
昌幸は十勇士達の話を聞いて言った。
「そうじゃな」
「はい、そうです」
「そしてそのうえで、です」
「若し当家が沼田を返さなければ」
「その時にとのことです」
「返さぬ」
平然とだ、昌幸は言った。
「そのつもりはない」
「では戦ですか」
「これよりそれに入りますか」
「そしてそのうえで」
「北条家を退けまするか」
「そうする、では源三郎よ」
昌幸は今度はその沼田城を預かる信之に言った。
「よいな」
「はい、それがしが沼田城に戻り」
「守れ、そして源二郎はじゃ」
次に幸村に顔を向けて彼に言った。
「兵を率いてじゃ」
「そのうえで」
「沼田城を助けよ」
「わかりました」
「無論御主達もじゃ」
昌幸は己のこの話を届けた十勇士達にも言った。
「御主達の主と共に行け」
「我等全員が、ですな」
「殿と共に行く」
「若殿をお助けする」
「そうせよというのですな」
「そうじゃ、御主達にとっては久方ぶりの戦じゃな」
こうもだ、昌幸は彼等に言った。
「だから思う存分暴れてこい」
「はい、わかりました」
「ではその様にしてきます」
「殿と共にです」
「若殿をお助けします」
「これで沼田の城は守れる」
実に落ち着いてだ、昌幸は言った。
「そしてな」
「関白様にですな」
「文を送る」
昌幸は信之にも応えた。
「北条家が攻めてきたとな」
「宋無事令に逆らったと」
「そうじゃ、これでじゃ」
「関白様もですか」
「北条家を攻められる」
「関東、そして奥羽の仕置がですか」
「果たされる」
無事にというのだ。
「そうなる」
「沼田の話どころではないですな」
「うむ、北条家は終わる」
氏規や家康と同じことをだ、昌幸は言った。
「これでな」
「やはりそうなりますか」
「全く、愚かな話じゃ」
昌幸は袖の中で腕を組んでだった、真田家の主の座で無念の顔になりそのうえで言ったのだった。
「こうしたことで家を滅ぼすとはな」
「全くですな」
「北条家は勝てぬ」
昌幸はまた言った。
「到底な」
「関白様には」
「関白様は天下人となるべきしてなった」
それが秀吉だというのだ。
「百姓であったがな」
「それだけの方だからこそ」
「将の将たる方」
「北条殿とは違いますか」
「北条殿は精々関東の主」
「天下人ではない」
「そこが大きく違う、だからな」
その器の違いがあり、というのだ。まず。
「北条殿は勝てぬ、勝負は戦う前から決まっている」
「では」
「うむ、関東の仕置がはじまるぞ」
沼田攻めからというのだ。
「ではよいな」
「はい、これより」
「我等は守る」
沼田をというのだ。
「関白様が来られるまでな」
「さすればそれがしも」
幸村も言って来た。
「戦の用意を」
「それに入れ」
幸村にも言った。
「わかったな」
「わかり申した」
「何はともあれ天下は一つとなる」
この度のことでというのだ。
「完全にな」
「そうなりますか」
「泰平になる、そして後はな」
「政を誤らないと」
「泰平は続く」
秀吉が築くそれがというのだ。
「そうなる」
「泰平がはじまってもですか」
「それが続くかどうかはですか」
「関白様とその後の方次第じゃ」
昌幸はこう幸村に話した。
「そうなる」
「そういえば父上は仰っていましたな」
信之がまた父に言った。
「関白様は創業の方ですな」
「天下統一のな」
「かつての右府殿と同じく」
信長のことだ、彼が右大臣だったことからくる呼び名だ。
「創業の方で」
「後は創業の間に出来るだけ足場を固め」
「そのうえで」
「次の方がその足場を完全にする」
「そうされればいいですか」
「そうじゃ、創業の後は守成じゃ」
こう信之、そして幸村に話した。
「まさにな」
「では」
「その守成がしっかりしてこそじゃ」
「泰平が成りますか」
「創業で終わった国も多い」
昌幸はここで遠い目になり話した。
「一代で興ったはいいがな」
「一代で滅んだ」
「そうした国も多い」
「だからですな」
「創業だけではいけませんか」
「守成あってこそじゃ」
こう言ったのだった、息子達に。十勇士達も控えていて話を聞いているがこのことは政にはあまり縁のない彼等には聞いてもあまり関係がなかった。
「そこまでせねばな」
「ですか、では」
「泰平はこれからですか」
「これから定まる」
「そうなりますか」
「うむ、関白様の後も大事じゃ」
昌幸はまたこう言った、だが。
ここまで話して顔を曇らせてだ、こうも言ったのだった。
「しかしな」
「はい、関白様はもうです」
「五十を超えておられます」
「人間五十年といいますが」
「既にですな」
「それではな、何時どうなるか」
秀吉はそうした歳だというのだ。
「人は老いには勝てぬ」
「だからですか」
「ここは、ですか」
「関白様の後の方もですな」
「大事ですな」
「そうなる、後継は捨丸様がおられるがまだ幼い」
秀吉は老いの歳だがだ、しかしだ。
しかもだ、幼いだけに何時死ぬかわからない。捨丸はそうした者であるから甚だ不安だというのである。
「それではな」
「天下はまだわからない」
「そうなりますか」
「そうも思う、とにかくどうなるか」
泰平、それはだ。
「まだわからぬ、しかし一つになることはな」
「そして泰平が訪れる」
「そのことはですな」
「これで確かになった」
北条家が沼田に向けて動いたことによってだ、こう話してだった。
真田家の者達は戦の用意に入った、そして沼田のことは程なくして秀吉の耳にも入った。彼はその話を聞いて周りに告げた。
「出陣じゃ」
「わかりました」
「それでは」
「やはりこうなったな」
秀吉はこうも言った。
「戦にな」
「北条殿が上洛されれば」
「こうはなりませんでしたが」
その秀吉に彼の弟である秀長と利休が話した。
「しかしです」
「そうされずにです」
「しかも沼田まで攻められた」
「それならば」
「仕方ない」
まさにというのだ。
「行くぞ」
「それではそれがしも」
秀長も出陣を申し出た。
「お供します」
「うむ、頼むぞ」
「では早速用意に入りましょう」
利休も秀吉に言う。
「出陣の」
「早速な、もう沼田では戦になっておる」
幸村はそのことも読んで言う。
「ならばな」
「これより戦を起こし」
「北条家を倒しましょう」
「小田原城は陥とす」
何でもないといった笑みでだ、秀吉は言い切った。
「このわしがな」
「そうされますか」
「見ておれ、どうして攻めるかをな」
にこにことさえして言った言葉だった。
「あの城をな」
「既にその攻め方はですな」
「頭の中にある」
秀長にもこう答えた。
「それでじゃ」
「小田原まで行かれますか」
「これよりな」
秀吉は立ち上がり自ら出陣の用意に入った、そして先陣の者達を出し自身も大坂を発った。その中には家康もいてだ。
彼の家臣達にだ、出陣の時に言った。
「こうなっては致し方ないが」
「しかしですな」
「それでもですな」
「北条家と新九郎殿、助五郎殿はな」
「お助けする」
「そのお命を」
「そうされますか」
「そのつもりじゃ」
「ではです」
ここで言って来たのは酒井だった。
「殿、いざという時に関白様にです」
「申し上げるべきか」
「誠心誠意」
「それがよいな」
「何しろ殿はです」
「うむ、新九郎殿の義父になるからな」
氏直の妻が家康の娘だからだ、娘は少ない家康であるがそれでも婚姻は結ばせているのである。氏直の様にだ。
「だからだな」
「はい、そのお立場は関白様もご存知」
「わしが言うのも道理」
「そして関白様のお話なら」
「聞いて下さるか」
「関白様も」
「ではな」
家康は酒井の言葉を聞いて言った。
「わしからも申し上げよう」
「その時になれば」
「そうしようぞ」
こう言うのだった、そして。
榊原もだ、主に言った。
「殿、その北条攻めですが」
「そのこともじゃな」
「はい、我等にもですな」
「出陣せよとな」
家康は榊原に答えた。
「そう言われておる」
「それでは」
「出陣の用意じゃ」
家康はあらためてだ、家臣達に告げた。
「よいな」
「畏まりました、では」
今度は井伊が言った。
「これよりですな」
「今すぐな」
「出陣の用意にかかりましょう」
「うむ、わしも出る」
出陣するというのだ。
「そしてな」
「北条殿にはですか」
四天王の最後は本多だった。
「降られよとですな」
「機会があれば言う」
「それを続けられますか」
「どのみち天下は定まっておる」
それ故にというのだ。
「関白様のものになるとな」
「もうそれはですか」
「決まっておる、だからじゃ」
「北条殿も戦になりましても」
「降るべきじゃ、だからな」
「では」
「何度でもお話する、しかし今の北条家には」
難しい顔になりまた言う家康だった。
「どうもな」
「ですな、どうも」
「人がいませぬな」
「天下のことがわかっている御仁は」
「どうしても」
「うむ、天下全てを見られる」
そこまでの者はというのだ。
「だからな」
「それ故にですな」
「この度の様なことにもなっている」
「そうなりますな」
「そうじゃ、天下を広く見なくては」
到底という言葉だった。
「生き残れぬがな」
「それが出来ているのは助五郎殿のみ」
「新九郎殿はその助五郎のお話を聞かれる」
「しかしですな」
「今は」
「問題は北条殿じゃ」
氏政がというのだ。
「あの方がのう」
「そして北条殿の周りの方々」
「その方々がですな」
「わかっておられぬ」
「そうなのですな」
「それが厄介になってな」
そのうえでというのだ。
「こうなった、これでは相模と伊豆もなくなる」
「北条家は失いますな」
「この二国を」
「そうなることは避けられぬ」
「では」
「そのうえで」
「新九郎殿と助五郎殿、北条家は何としてもじゃ」
まさにというのだ。
「お助けしようぞ」
「わかりました」
「さすれば我等もです」
「その為に力を尽くします」
「そうします」
「ではな」
出陣と共にだ、こうした話もしてだった。家康も出陣した。そして他の大名達もまさに続々とであった。
関東に向けて出陣した、昌幸は上田城でそれを聞いて言った。
「これでじゃ」
「はい、沼田はですな」
「救われた」
こう幸村に言った。
「無事な」
「そして」
「うむ、北条家もな」
この家自体もというのだ。
「終わったわ」
「そうなりますな」
「勝てるものではない」
言い切ったのだった、ここで。
「北条家だけではな」
「徳川殿が仲裁されるとです」
「北条殿は思われているな」
「どうやら」
「それはない」
昌幸はまた言い切った。
「絶対にな」
「最早ですな」
「徳川殿はされようとしておった」
「既に」
「両家の戦を止める為にな」
「しかしですな」
「北条殿は聞かれなかった」
昌幸は言った。
「あくまで今の領地を維持したいと思いな」
「相模、伊豆のみとする関白様に従わず」
「徳川殿の仲裁を退けた」
「だからですな」
「もう避けられぬ」
戦はだ、そしてというのだ。
「徳川殿の仲裁も出来ぬ」
「徳川殿の仲裁はあくまで相模、伊豆でしたな」
「北条家の領地はその二国としてのな」
「それでしたな」
「しかし北条殿は違った」
北条家の今の領地全ての維持即ち関東の覇者としての座を保ったままで羽柴家と手を結ぼうというのである。
「そう考えておられるからな」
「それ故に」
「徳川殿の仲裁を退けたからには」
「最早ですか」
「徳川殿は北条家の存続に考えを移された」
昌幸はこのことも既に知っていたかというとそうではない、彼の読みでありこれはもう大坂での話を聞いいてのことだ。
「もうな」
「北条家の、ですか」
「うむ、相模と伊豆は無理でもな」
「北条家の存続自体はですか」
「関白様は認められる」
それはというのだ。
「だからな」
「徳川殿もそちらに移られましたか」
「戦は避けられぬ」
既に秀吉は出陣を決めている、それではだ。
「最早どうにもならぬわ」
「それが北条殿はわかっておられぬ」
「残念なことにな」
「ですか、では」
「わかっておるな」
「はい、我等もですな」
幸村は父の言葉に畏まって応えた。
「出陣ですな」
「そうじゃ、そしてな」
「関東に入りますか」
「沼田は行くことはない」
嫡男である信之が守っているこの城はというのだ。
「源三郎が守っておる」
「だからですな」
「そうじゃ、源三郎なら充分じゃ」
「兄上はあの城を守られる」
「そうじゃ、わしは出陣し関東に入るが」
「それがしもまた」
「御主も家臣達を率いて出陣せよ」
幸村もというのだ。
「よいな」
「では早速」
「あの者達も連れて行け」
十勇士達もというのだ。
「よいな」
「畏まりました、では」
「その様にな」
こうしてだった、幸村もまた関東に向けて出陣することになった、彼は己の屋敷に戻るとすぐに居間に入ってだった、彼等を呼んだ。
「皆集まれ」
「はっ」
幸村の言葉と共にだった、十勇士は幸村の前に集った。それは一瞬のことだった。
そしてだ、彼等は幸村にすぐに言って来た。
「それではですな」
「これより出陣ですな」
「関東に向けて」
「左様ですな」
「そうじゃ、拙者も兵達を率いて出陣するが」
それでとだ、幸村は彼等に話した。
「御主達もじゃ」
「ですか、それではです」
「我等殿と共に戦いまする」
「では今より関東に入りましょうぞ」
「この上田から」
「そうする、では拙者はこれより具足に兜を着けてじゃ」
そのうえでというのだ。
「馬に乗るぞ」
「戦の姿ですな」
「では我等はその殿をお護りしてです」
「そのうえで戦います」
「そう致します」
「頼むぞ、御主達は拙者の傍にいて共に戦うかな」
若しくはというのだ。
「忍として働いてもらう」
「ですな、さすれば」
「我等もお供致します」
十勇士達も応える、こうしてだった。
幸村は十勇士達と共に出陣した、彼は赤備えの真田家の具足を着て陣羽織も羽織った。兜も被り二本槍に太刀も持っている。
そして馬に乗りだ、後ろに控える十勇士達に言った。
「兵達にも声をかけた」
「ではですな」
「兵達が集まればですな」
「すぐに城に馳せ参じ」
「そこからですな」
「そうじゃ、父上と共に出陣じゃ」
東国へというのだ。
「兵達がここに来ればな」
「その兵達ですが」
「次々と来ていますな」
「いや、実にです」
「集まるのが早いですな」
「流石は真田じゃ」
こうも言った幸村だった。
「真田の兵じゃ」
「声があればすぐに馳せ参じる」
「それが真田の兵ですな」
「そして戦う」
「まさにそれが」
「そうじゃ、もう集まった」
集まるべき兵達がだ、それを見てだった。
幸村は集まった兵達にもだ、強い声で言った。
「ではこれより城に入る」
「はい、さすれば」
「城に入りそのうえで出陣ですな」
「いよいよ」
「そうじゃ」
そうなるというのだ。
「ではな」
「はい、それでは」
「これよりですな」
「出陣ですな」
「あらためて」
「そうなる、関東に出る」
まさにと言うのだった。
「その前に城に入るのじゃ」
「さて、では」
「これより」
兵達が皆集まりだった、幸村達は上田城に入った、そしてそのうえでだった。
幸村は兵達を然るべき場所で休ませて自身が十勇士達を連れて昌幸の前に参上した。見れば真田家の重臣達が揃っていた。
当然昌幸もいた、その彼も重臣達もだった。
既に具足で身を固め陣羽織も身に着けている、昌幸はその幸村を見て言った。
「来たか」
「はい、只今」
「ではこれより軍議を開こう」
こう言ってだ、実際に昌幸は軍議を開いた。その結果だった。
「それがしは、ですか」
「そうじゃ、御主は沼田に行くのじゃ」
こう幸村に言うのだった。
「十勇士達と己の兵を連れてな」
「そしてですな」
「源三郎の救援に向かうのじゃ」
「兄上と共に沼田城を囲む北条税を退けよといいますか」
「そうじゃ」
「ではすぐに」
「そしてそのうえで源三郎と合流してな」
昌幸はさらに話した。
「沼田の方から上杉殿の軍勢と合流してじゃ」
「そのうえで」
「北条家を攻めよ」
「わかりました、その様に」
「頼むぞ、わしは主な者達を連れてな」
今ここに集まっている重臣達の中でというのだ。
「甲斐から武蔵に入る」
「では徳川殿と共に」
「そうなる」
「ですか、では」
「うむ、沼田は御主達二人に任せた」
信之と幸村、二人の息子達にというのだ。
「ではな」
「畏まりました、しかし」
「わしのことか」
「はい、徳川殿の軍勢に加わるとのことですが」
「心配は無用じゃ、今は味方同士じゃ」
「かつて刃を交えても」
「それは戦国の常」
だからこそというのだ。
「相手にしてもな」
「それでもですか」
「何ということはないわ」
「徳川殿がどう思われていても」
「そうじゃ、わしは何も表に出さぬ」
相手がどれだけ嫌な顔をしてもというのだ、昌幸は幸村にこの場でも何でもないといった顔になって話している。
「では何の問題もない」
「そういうことですか」
「そうじゃ、では御主は御主の仕事をせよ」
「わかりました、では」
「すぐに沼田に向かうのじゃ」
「そして沼田の戦の後で」
幸村も言う。
「上杉殿の軍勢と合流ですか」
「前田殿の軍勢もあるぞ」
「前田殿ですか」
「そうじゃ、槍の又左殿じゃ」
昌幸は前田利家の名前を出す時には微笑んで言った。
「この御仁も天下の傑物じゃ」
「関白様が徳川殿と共に頼む」
「うむ、武も政も併せ持ったな」
「見事な方ですか」
「今も戦の時はその豪胆を出される」
織田家で自ら槍を振るい戦っていた時と同じくというのだ。
「それを見るのもよい」
「さすれば」
「沼田に行くのじゃ、よいな」
「わかりました」
「ではな」
「すぐに沼田に発ちます」
幸村は微笑み父に応えた、そしてだった。
幸村は出陣しようとした、だがここでだった。
上田城二秀吉の使者が来てだった、幸村は一旦呼び戻され昌幸に言われた。
「真田家全てが上杉殿、北条殿と共に行くことになった」
「父上もですか」
「そうじゃ、そうなった」
「左様ですか」
「そうなった、しかしな」
「それがしはですな」
「同じじゃ、沼田に向かえ」
このことは変わらないというのだ。
「よいな」
「はい、それでは」
「では真田家は全て北陸から攻め入る」
こう重臣達にも言った。
「わかったな」
「はい、関白様のお言葉ならば」
「是非です」
「そうしていきましょう」
「そしてそのうえで」
「戦に加わりましょう」
「この戦、勝つのは我等だが」
昌幸にはそのことがわかっていた、だが。
それでもとだ、今この場にいる者達に言うのだった。
「油断はならぬぞ」
「はい、油断すればです」
「その時が終わりの時ですからな」
「逆に我等が首を取られる」
「そうなってしまいますな」
「この度は生き残る戦じゃ」
昌幸はこうも言った。
「だからな」
「油断せずにですな」
「死なぬ様にすること」
「それが大事ですな」
「そうじゃ、油断するでないぞ」
重臣達にも幸村にも言う。
「わかったな」
「必ずここまで生きて返ってきます」
「殿の言われる通りにです」
「そう致します」
「ではな、出陣じゃ」
最後にこう告げてだ、そしてだった。
真田家の者達も出陣した、彼等の主力は上杉、前田といった北陸勢に合流する為に合流場所に向かった。
幸村は父の言った通り沼田に向かった、彼の兵達と十勇士を連れて。
その中でだ、彼は己と共にいる十勇士達に言った。
「さて、沼田に着いたならな」
「その時はですな」
「一気に攻めまするか」
「敵の不意を衝き」
「そうしますな」
「うむ、そうする」
こう十勇士達に答えた。
「そしてそのうえでな」
「沼田城を囲んでいる敵勢を一掃し」
「源三郎様をお助けする」
「そうされますな」
「そうじゃ、しかし兄上ならな」
兄である信之の軍略を見計らってだ、幸村は話した。
「相当な数の軍勢でもな」
「大丈夫ですな、若殿なら」
「あの方ならば」
「無事に敵を退けられますな」
「相当な軍勢でも」
「例え数万の軍勢で囲もうともな」
それでもというのだ。
「兄上なら大丈夫じゃ、しかし」
「あえてですな」
「ここは、ですな」
「一気に攻めて」
「若殿をお救いする」
「そうされますな」
「囲まれているままは辛い」
城と守る兵達はというのだ。
「だからじゃ、早いうちにじゃ」
「救援に出てですか」
「若殿をお助けし」
「そして北陸勢力との合流を果たし」
「そうして」
「関東に入る」
そうするとだ、幸村は十勇士達に話した。
「兄上と共にな」
「その若殿ですが」
「若殿なら如何なる大軍が来てもですな」
「沼田の城を守れるとのことですが」
「うむ、父上が言われていた通りにな」
実際にとだ、幸村は答えた。
「兄上なら大丈夫じゃ、しかしな」
「それでも援軍は必要ですな」
「北条家の軍勢を早いうちに退けるには」
「それ故に我等も」
「そうじゃ、沼田に向かうのじゃ、では行くぞ」
幸村は十勇士達に告げてだ、そしてだった。
彼等と兵士達を連れて一路沼田に向かった、その進軍はかなり速く普通の軍勢の行軍よりも速いものだった。
その行軍を見てだ、十勇士達は幸村に言った。
「この軍勢ですが」
「我等は真田家の軍勢しか知りませぬが」
「それでもですな」
「かなり速いですな」
「うむ、そう思う」
今彼等は夜の休息の時に入っている、日の出と共にまた進軍するのだ。だが今は晩飯の干し飯を食っている。
その中でだ、幸村は共に車座になって座って一緒に飯を食っている十勇士達に話したのだ。
「拙者もな」
「やはりそうですか」
「我等の進軍は速いですか」
「真田の軍勢は」
「うむ、少なくとも上田から沼田までの道は整えてある」
軍勢が通るべきそれをというのだ。
「だからな」
「余計にですか」
「軍勢が進むのは速いですか」
「そうなのですな」
「そうじゃ、父上と兄上が道を整えてくれた」
それ故にというのだ。
「兵が進むのも速いのじゃ」
「そうですか、兵を速く進めるのはよき道ですか」
「兵の足が強いのも大事ですが」
「それと共にですか」
「兵の進軍にはよき道も大事ですか」
「そうなのですな」
「そういうことじゃ、戦はただ戦場で戦うだけではないからな」
干し飯を食ってから水を飲みだ、幸村はまた話した。
「だからな」
「こうして道を整えておく」
「こうした時の為に」
「さすればですな」
「こうして速く進むことも出来る」
「左様ですか」
「そうじゃ、では沼田に着いたらな」
その時のこともだ、幸村は話した。
「わかるな」
「はい、その時はですな」
「すぐに戦にかかる」
「城を攻めている北条の軍勢を逆に攻める」
「そうするのですな」
「そうじゃ、不意を衝いてな」
その北条家の軍勢をというのだ。
「そうする、そして御主達にはな」
「わかっております、総勢で攻め」
「そしてですな」
「北条の者達を大いに攻めて」
「退けますか」
「そうする、兵達も攻めるがその前にな」
十勇士達がというのだ。
「一気に攻めよ、よいな」
「ですな、そして一気に攻めて」
「そのうえで、ですな」
「思う存分暴れる」
「そうするのですな」
「そうじゃ、遠慮することはない」
十勇士達の思うままにというのだ。
「暴れよ。わかったな」
「わかりました」
十勇士達は主の言葉に強い声で応えた、そして干し飯と水の質素な食事の後はすぐに寝てだった。日が昇るとだ。
また道を進みだした、そしてだった。
その日の昼前に沼田に着いた、城が見えたのだ。
その城を見てだ、幸村は言った。
「ではこれよりじゃ」
「戦ですな」
「思う存分攻めますか」
「今より」
「うむ、敵はまだ我等に気付いておらぬ」
見れば敵の軍勢は城を完全に囲んでいる、兵の向きは完全に城の方を向いている。周りを見ている者は一人もいない。
それを見てだ、幸村は言うのだ。
「ではな」
「まずは、ですな」
「我等十勇士が攻める」
「そうせよというのですな」
「うむ、まずは御主達十人が攻めてな」
実際にだ、そうしてというのだ。
「敵を混乱させよ、それから拙者が軍勢を率いて攻める」
「では」
「今より攻めるぞ」
こう言ってだ、幸村は軍勢を山の中に潜めそのうえで徐々に北条の軍勢に近付いた。そして十勇士達はそのままだった。
北条の軍勢に近付いてだ、まずは霧隠が霧を出した、すると。
急の霧に北条の軍勢は戸惑った、それで周りを見回し口々に言った。
「霧!?」
「霧が急に出て来たぞ」
「これはどういうことじゃ」
「何故今霧が出る」
「朝でもないというのに」
北条の兵達はそれに戸惑う、しかし。
彼等はそれを妙に思ってもこれからどうなるかまでは考えていなかった。しかしその彼等に対してだった。
穴山が鉄砲を放ち由利が鎌ィ足を飛ばしてだった。
次々に倒す、そして。
三好が金棒を振り回し伊佐も錫杖を手に続く、根津の居合が煌き。
海野は手裏剣を投げ筧の術が敵を撃ち望月は拳を振るった、猿飛は駆け回ってだった。
北条の軍勢を倒していた、それに北条の兵達は一気に浮き足立った。
「敵か!?」
「敵襲か!?」
「上田から来たのか」
「そうなのか!?」
皆戸惑い何とか陣を整えようとする、しかし。
そこにも十勇士達の攻撃が来る、霧の中で十人の猛者達の攻撃を受け忽ちのうちに大混乱に陥った。
それを見てだ、幸村は満足した声で言った。
「見事じゃ」
「流石は十勇士の方々ですな」
「恐ろしい戦いぶりです」
「城を囲んでいた北条の兵達が浮き足立っています」
「混乱しております」
「では殿」
「今じゃ」
幸村は己が控えている兵達に応えた。
「ここで攻めるぞ」
「ではこれより」
「攻めましょうぞ」
「鬨の声をあげよ」
ここでとだ、幸村は命じた。
「それもこれ以上ないまでに大きくな」
「混乱する敵にですか」
「あえて大きな声をかけ」
「そして混乱にさらに拍車をかけさせる」
「そうするのですな」
「そうじゃ、敵をこれ以上はないまでに乱せ」
まさにというのだ。
「そしてそこに攻めればな」
「我等の勝ちは疑いなし」
「そうなりますな」
「ではこれより」
「一気に」
「そうじゃ、突撃でよ」
鬨の声を挙げたうえでとだ、こう命じてだった。
幸村は自ら先頭に立ち二本槍を手に駆け出した、そこに真田の兵達の法螺貝と鬨の声があがり。
兵達も続いた、その声を聞いてだった。
十勇士達に攻められている北条の兵達はさらに戸惑った、実際に北条の兵達は幸村の兵達にも攻められ散々に倒されている、そこに霧の中で何処からかこうした声がした。
「敵じゃ!」
「真田の兵が来たぞ!」
「何千といるぞ!」
「城からもうって出たぞ!」
次から次に声がきた、そして。
その声を聞いてだ、北条の兵達はさらに狼狽し。
どうしていいかわからなくなった、そこにだった。
「退け!」
「退くのじゃ!」
「城の囲みをとけ!」
「この城から去れ!」
「帰るのじゃ!」
こうした声にだ、多くの者は疑わず。
一気に退きだした、そこにだった。
幸村は兵達にだ、今度はこう命じた。
「よいか、今度はじゃ」
「追撃ですな」
「そうしてですな」
「敵を徹底的に叩く」
「そうするのですな」
「そうじゃ、今は攻めておるが」
それに加えてというのだ。
「そこにじゃ」
「さらにですな」
「攻めて敵を倒しですな」
「沼田に二度と攻められぬ様にしますか」
「そうじゃ、拙者がいいというまで攻めよ」
まさにというのだ。
「よいな」
「はい、わかりました」
「それではさらにです」
「我等攻めまする」
「そういたしまする」
兵達だけでなく十勇士達も応えてだった、彼等は即座にだった。
幸村に率いられ退く北条の兵達を散々に攻める、それを沼田城から見てだった。
信之は彼の家臣達にだ、こう言った。
「あの攻め方は源二郎じゃ」
「何と、源二郎様がですか」
「援軍に来て下さったのですか」
「うむ、間違いない」
こう兵達にも言う。
「それではじゃ」
「我等もですな」
「城をうって出て攻める」
「そうするのですな」
「皆わしに続け」
信之はこうも言った。
「源二郎達と共に攻めるぞ」
「では」
沼田城の者達も応えた、そしてだった。
城からもうって出てだ、北条の軍勢を散々に打ち破った。こうして真田家は沼田での戦を彼等の勝利で終えたのだった。
巻ノ五十五 完
2016・4・28