巻ノ五十六 関東攻め
沼田城を攻めていた北条の軍勢は援軍に来た幸村の急襲と城からうって出た信之の攻めで散々に打ち破られ逃げていった。
その彼等をかなり追ってからだ、幸村は言った。
「これでよい」
「これ以上は追わぬ」
「そうされますか」
「これ以上は真田の領地を越える」
だからだというのだ。
「追うべきではない」
「それではですな」
「兵をまとめそのうえで退きますか」
「城まで」
「そうしよう、して兄上じゃが」
幸村は彼の兄である信之のことにも言及した。
「城からうって出られたが」
「うむ、わしならここだ」
その信之の声がしてだった、そのうえで。
彼が馬に乗り姿を現してだ、こう幸村に言った。
「よく来てくれた、礼を言う」
「兄上、ご無事で何よりです」
「この通りな」
信之は馬に乗ったまま幸村のところに来て声をかける。
「城では死んだ者もいるがな」
「左様ですか」
「しかし死んだ者は僅かでじゃ」
「城は無事ですな」
「うむ、見事守りきった」
「それは何よりです」
「それでじゃが」
信之は幸村にさらに言った。
「御主が援軍に来てくれたということは」
「はい、父上のご命令でして」
「真田の道を通ってきたか」
「そうしました、それに」
「関白様が出陣されるか」
その目を確かなものにさせてだ、信之は幸村にこうも言った。
「小田原に向けて」
「もう出陣されているかと」
「既に北陸の上杉殿、前田殿が出陣されたとは聞いておるが」
「関白様ご自身もです」
「そうじゃな、では」
「北条家は」
「これで終わる」
信之もこう言った。
「まさにな」
「兄上もそう思われますか」
「関白様のお力は違う」
北条家と比べてもだ、関東の覇者である彼等と。
「だからな」
「それ故に」
「勝てるものではない」
「やはりそうですな」
「小田原城も陥ちる」
「どうして陥ちるでしょうか」
「そこまではわからないが」
それでもというのだ。
「あの城も陥ちる」
「そして北条家も滅びる」
「少なくとも相模、伊豆は守りきれぬ」
到底という言葉だった。
「そうなる、ではな」
「はい、我等はですな」
「まずは城に戻るとしよう」
沼田城の方を見つつだ、信之は弟に話した。
「そこに兵達を収めてな」
「そのうえで、ですな」
「まずは再会を祝そう」
「生きて会えたことを」
「そしてそのうえで北陸勢と合流しようぞ」
「さすれば」
こうしたことを話してだった、信之と幸村は兵を沼田城にまで退かせた。そしてそのうえで軍勢を城で休ませてだった。
まずは二人で酒を酌み交わしてだ、生きて再び会えたことを喜んだ。お互いの家臣達もその場にいて共に飲んでいる。
その場でだ、幸村は兄に言った。
「この度の戦でもです」
「その者達がだな」
「はい」
十勇士を見た兄に答える。
「存分に戦ってくれてです」
「北条の軍勢を乱してくれたか」
「はい」
まさにというのだ。
「そうしてくれました」
「そうか、それは何よりだな」
「はい、よく働いてくれます」
「そして城の者達も救ってくれたか」
「左様です」
まさにというのだ。
「そうしてくれました」
「それは何よりじゃな」
「はい、ですからこの者達はです」
「戦の後でじゃな」
「褒美を弾んで下さい」
「いやいや、我等はです」
その十勇士達は笑ってだ、こう言った。
「褒美は特にいりませぬ」
「今のままで充分です」
「殿と共にいられればです」
「それで何よりです」
「ふむ、相変わらず欲がないのう」
信之は十勇士達のその言葉を聞いて言った。
「御主達は」
「殿が一緒であれば」
「もうそれで充分です」
「ですからもうです」
「何もいりませぬ」
「そうか、しかしこのことは父上にお話しておく」
十勇士の武勲はというのだ。
「そうしておくぞ」
「そうして頂ければ何よりです」
幸村は兄の言葉に微笑んで応えた。
「ではその様に」
「それではな」
信之も頷く、そして。
二人で飲みはじめた、その時にだ。
信之は十勇士達の飲みっぷりを見てだ、笑って言った。
「相変わらずよく飲むのう」
「はい、やはりです」
「酒はいいですな」
「幾らでも飲めます」
「実にいいです」
「酒は飲むべきじゃ」
まさにというのだ。
「飲めるだけな、ましてや勝った後はな」
「こうしてですな」
「勝利の美酒を楽しむ」
「そうすべきですな」
「そうじゃ、心おきなく飲もうぞ」
今宵はというのだ。
「こうしてな、そしてな」
「そうですな、しかし兄上」
幸村も飲みつつ言う。
「この城は酒が多くありますな」
「酒を切らすとな」
「兵達も困るからですな」
「そうじゃ、だから酒は多く用意していてじゃ」
そしてというのだ。
「米も他のものもな」
「多く用意していますか」
「最初からな、籠城のことを考えてな」
「ですな、備えなくしてです」
「戦えぬわ」
伸行は飲みつつ笑って言う。
「酒も然りじゃ」
「その通りですな」
「しかもこの度は敵が来るのがもうわかっておった」
前々からというのだ、北条家が自分達のかつての領地である沼田を取り戻そうとしているのは明らかだったからだ。
「だから用意しておった」
「前以て」
「既にな、酒もな」
「そうですか、では」
「今宵は皆で心おきなく飲みな」
「そしてですな」
「明日は城にある程度の兵を残してじゃ」
そのうえでというのだ。
「上杉殿、前田殿の軍勢に合流しに向かおう」
「父上もです」
「上田の軍勢を率いられてじゃな」
「北陸勢の方に向かっておられます」
「左様か、では尚更よいな」
「左様ですな」
「我等はこの上野から東国に入り」
そしてというのだ。
「北条家の領地を攻めていく」
「そうなりますな」
「そして激しい戦いになる」
こうも言う。
「関東でな」
「関東で戦があり」
飲みつつだ、幸村はこうも言った。
「その後もじゃな」
「奥羽でなると思われますか」
「奥羽の伊達家とじゃな」
「兄上はどう思われますか」
「御主と同じ考えであろうな」
微笑んでだ、信之は幸村に答えた。
「そのことはな」
「左様ですか」
「それはない」
これが信之の考えであり幸村の考えだった。
「奥羽での戦はな」
「伊達殿は冷静に天下を見ておられますな」
「どうもかなり野心の大きな方であるが」
「天下は見ておられる」
「だからな」
「最後の最後はですな」
「あの方は降られる」
こう言い切った。
「関白様にですな」
「そうされますな」
「ただ、奥羽でまだ少し従わぬ者はおろう」
「そうした国人衆はですな」
「攻められるが」
「それでもですな」
「おおよその戦は終わる」
そうなるというのだ。
「そして天下はな」
「遂に、ですな」
「泰平になる」
秀吉の下にだ、そうなるというのだ。
「ようやくな」
「それは何よりですな」
「全くじゃ、天下が泰平になれば」
「民達が喜びまする」
「これ以上よいことはない」
信之も笑顔で語る。
「まさにな」
「その通りですな」
「うむ、ただ御主達はな」
幸村だけでなく十勇士達も見ての言葉だ。
「戦がなければ後は修行か」
「はい、文武の」
幸村は兄の言葉にはっきりと答えた。
「そうしていくつもりです」
「精進していくか」
「左様です」
「我等は学問はあまりですが」
「修行は好きです」
十勇士達も信之に言ってきた。
「ですから泰平になれば」
「その時は修行に励みます」
「そして己を高めていき」
「殿と共にあります」
「そうしていくか、ならそうせよ」
泰平になればとだ、信之は十勇士達にも笑みで告げた。
「鍛錬をしていくがいい」
「はい、是非」
「そうしていきます」
「そして天下一の武士である殿にです」
「天下一の家臣達としてお仕えします」
「例え何があろうともです」
「殿のお傍を離れませぬ」
「よき家臣達を持ったな」
信之はここでまた幸村に言った。
「実にな」
「有り難きお言葉」
「大事にすることだ」
「家臣は宝ですね」
「何よりもな」
「そうしてくれ、しかしここでだ」
こうも言った信之だった。
「御主の宝がわかった」
「この者達ですな」
「うむ、これ以上はないまでのな」
「優れた馬に槍、刀もありますが」
「それ以上にだな」
「はい、そうしたものよりも遥かにです」
幸村は飲みつつも澄んだ目になっていた、そのうえで兄に語った。
「この者達はそれがしの宝です」
「そうじゃな」
「はい、何といいましても」
「なら大事にせよ、そしてな」
「そのうえで」
「生きよ、わかったな」
家臣達、十勇士と共にというのだ。そしてだった。
信之はまた一杯飲んだ、それから。
今度は十勇士達に顔を向けてだ、こうも言った。
「御主達は今回もよくやってくれた」
「いやいや、殿のご命令でそうしただけで」
「それだけのことです」
「ですから何もです」
「褒められることはありませぬ」
「御主達への褒美はわしからも父上にお話するが」
真田家の主である彼にというのだ。
「しかしじゃな」
「はい、別にです」
「我等は別にそうしたものはいりませぬ」
「禄は今のままで充分です」
「むしろ多い位です」
「馬や刀もいりませぬ」
「他のものも」
十勇士達も無欲でありだ、こう言うのだった。そうしたものはいらないと信之に対して言ったのだった。
「いりませぬので」
「殿と一緒にいさせて下さい」
「何時でも何処でも」
「共に」
「それだけでよいか、そう言うか」
わかっていてもだ、信之は納得した。
「成程な」
「はい、ですから」
「あまりです」
「褒美のことは言われないで下さい」
「今で充分なので」
「ですから」
「そうか、しかし一応話はしておく」
昌幸にというのだ。
「これも務めじゃからな」
「はい、それでは」
「その様にお願いします」
「若殿がどうしてもと言われるのなら」
十勇士も強く言わなかった、そしてだった。
そのうえでだ、また言ったのだった。
「その様にお願いします」
「ですが我等は大殿にもお話します」
「禄も宝も銭もいりませぬ」
「その様に」
「ではな、しかし酒はよいな」
笑ってだ、信之は。
傍の者達にだ、こうも言った。
「勝った祝いじゃ、だからな」
「酒をですか」
「ここに樽を二つか三つ持って来るのじゃ」
酒が入ったそれをというのだ。
「よいな」
「畏まりました」
傍の者が応えてだ、すぐにだった。
酒が入った大きな樽が三つ持って来られた、そして。
その樽を前にしてだ、信之は幸村と十勇士達に言った。
「飲むのじゃ」
「その酒をですか」
「我等で飲んでいいのですか」
「それだけ」
「うむ、飲め」
まさにというのだ。
「勿論他の者達も飲むがな」
「ではその酒がですな」
「若殿の我等への褒美ですな」
「そうじゃ、好きなだけ飲め」
また言った信之だった。
「この酒をな」
「酒ならです」
「我等どれだけでも飲めまする」
「それではです」
「有り難く」
「ではな、そして源二郎もじゃ」
また幸村に声をかけた。
「飲むな」
「はい、酒は大好きです」
笑って言う幸村だった。
「そして甘いものも」
「相変わらず好き嫌いがないな」
「それは兄上もですな」
「うむ、何でも食える」
実際にとだ、幸村は愛に笑って答えた。
「甘いものもな」
「左様ですな」
「しかし最近女房が五月蝿い」
「本田平八郎殿の娘御の」
「うむ、酒に甘いものもな」
どちらもとだ、信之は小声で話した。
「どうもな」
「兄上のお身体を気遣って」
「そうじゃ、酒は過ぎれば毒でな」
「甘いものものもですか」
「歯によくないと言ってな」
そのうえでというのだ。
「何かと五月蝿い」
「あまり飲み過ぎず食い過ぎずにと」
「徳川殿がそうであってな」
家康、本多の主である彼がというのだ。
「酒も食いものも節制しておられる方でな」
「随分質素と聞いていますが」
「酒も過ぎない方でな」
それでというのだ。
「徳川家の家臣の方々も酒も食いものも過ぎない方々でな」
「奥方様もまた」
「うむ、実に厳しい」
「では酒も」
「普段はここまで飲まぬ」
「では今日は特別ですか」
「ここまで飲めるのはな」
どうにもというのだ。
「あまりない」
「そうですか、しかし」
「奥の言う通りか」
「それがしどうしても酒が好きで」
このことはどうしようもない、幸村もわかっているがどうしても飲んでしまうのだ。
「飲みますが」
「しかしじゃな」
「はい、やはり酒は過ぎるとです」
「毒じゃからな」
「奥方様の言うことは正しいです」
「その通りじゃな」
信之も何だかんだで頷く。
「酒は過ぎてはならぬ」
「はい、そうです」
「奥はわしを気遣ってくれておるな」
「まさにです」
「では奥がそう言う時は聞かねばな、もっともな」
「もっともとは」
「本多殿の娘御じゃ」
それでとだ、信之は幸村に笑ってこのことをまた話した。
「だからな」
「それで、ですな」
「うむ、強い」
「武芸も秀でておられますか」
「わしも腕に自信があるな」
伊達に真田家の者ではない、信之は軍略だけでなく武芸も秀でている。忍術を含めた武芸十八般を備えているのだ。
「しかしな」
「兄上の腕はそれがしも承知しているつもりですが」
「それがじゃ」
「その兄上以上ですか」
「いや、同じだけな」
流石にそこまで強くはないがというのだ。
「強いのじゃ」
「それはまた」
「おなごでそこまで強い者はおらぬ」
まさにというのだ。
「だから聞かぬ訳にはいかぬ」
「若し聞かねば」
「容赦なく挑んでくる」
「ですか、やはり」
「うむ、あの者は強い」
正真正銘のだ、そこまでの強さだというのだ。
「だからわしも聞く」
「そうですか」
「御主の女房はそこまで強くないか」
「武芸はともかくとしまして」
幸村は兄に応えて自分の女房のことを話した。
「やはりです」
「人してか」
「強いです」
そうだというのだ。
「やはりです」
「ふむ、そうか」
「大谷殿の娘御だけに」
「やはりそうか」
「うちの奥もまた強いです」
「出来た女房でか」
「はい、頼りにしています」
微笑んでの言葉だった。
「何かと」
「それは何よりじゃ、しかしな」
「それではですな」
「御主もまた女房を大事にせよ」
「そしてそのうえで」
「武士として大きくなれ、その道を歩め」
こう幸村に言うのだった。
「わしはこの家を守る」
「真田家をですな」
「そうするからな」
「そうされますか、では」
「うむ、精進する様にな」
「さすれば」
「しかし今日は祝いじゃ」
戦に勝ち兄弟が無事再会しただ。
「好きなだけ飲もうぞ」
「特別にですな」
「そうしよう、皆でな」
こう言って自ら飲む、そして。
その飲む中でだ、幸村は兄にこうも問うた。
「それでなのですが」
「それで?」
「それでといいますと」
「うむ、一つやることはな」
それはというと。
「二日酔いになるからな」
「このまま飲んでいると」
「朝は少しやるか」
「あれをしますか」
「久しぶりにな」
「ですか、では」
「その為にも今はな」
心置きなくというのだ。
「飲もうぞ」
「わかりました、それでは」
「朝にあれをやることを頭に入れてな」
そのうえでというのだ。
「飲むぞ」
「それでは」
「あれといいますと」
「それは一体」
十勇士達は自分達の主の話を思い出して言った。
「それは何でしょうか」
「朝に何をするのか」
「それは一体」
「何なのか」
「朝になればわかる」
これが信之の彼等への言葉だった。
「その時にな」
「二日酔いになればですか」
「その時にわかる」
「そうなのですか」
「そうじゃ」
まさにその時にというのだ。
「だから今は飲むぞ」
「さすれば」
「今宵はそうしましょうぞ」
こうしてだった、十勇士達はこの夜は酒を心ゆくまで飲んだ。そしてその朝だ、彼等は痛む頭と重い身体にやはりと思ったが。
その彼等にだ、共に寝起きした幸村が言った。
「では今からな」
「はい、昨夜殿が若殿とお話されていた」
「そのことですな」
「それをしてですな」
「酒を抜くのですな」
「真田家伝来の酒の抜き方じゃ」
それはというのだ。
「それをするぞ、来い」
「わかりました、ではです」
「お願いします」
「その酒の抜き方を教えて下さい」
「これより」
「ではな、ついて参れ」
幸村は十勇士達の言葉に頷いてだ、そのうえで。
彼等をある場所に案内した、そこは川だった。
その川の前にはもう信之がいた、彼は笑って幸村達に言った。
「さっきまで奥に怒られておった」
「飲み過ぎだとですか」
「うむ、そうな」
まさにというのだ。
「そう叱られておったわ」
「やはりそうですか」
「まあその話は終ったからな」
「だからですな」
「これからやるか」
「はい、それでは」
「酒を抜く、まずはじゃ」
信之からだった、服を脱ぎ。
幸村も服を抜いた、そしてだった。幸村は十勇士達に言った。
「川に入るぞ」
「この川にですか」
「今より」
「ここで泳ぐ」
その川でというのだ、見れば幸村は既に褌だけになっている。信之も同じで泳ぐ格好になっている。そのうえでの言葉だ。
「思いきりな」
「その後は風呂じゃ」
信之も言う。
「泳いだ後はな」
「風呂で思いきり温まるぞ」
「そうすればですか」
「酒が抜ける」
「そうなのですか」
「思いきり泳いでそして風呂で暑くなるまで温まる」
そうすればとだ、幸村は十勇士達に話した。
「そうすればな」
「酒が抜けて」
「楽になっていますか」
「それではですな」
「これより」
「うむ、泳ぐぞ」
こう言ってだ、実際にだった。
信之と幸村はまずはじっくりとだった、体操をしてだった。
川に入った、そして十勇士達もだった。
丹念に体操をして泳ぎはじた、それもじっくりとだ。幸村はこの時に十勇士達に対してこうしたことを言った。
「泳ぐからにはな」
「はい、真剣にですな」
「思いきり泳ぐべきですな」
「それこそ川の流れに逆らう様に」
「いつも通り」
「そうじゃ、鯉になったつもりでな」
こうも言うのだった。
「思いきり泳ぐのじゃ」
「水術にも精を出しておるか」
信之も泳ぎつつ幸村達に言った。
「相変わらず」
「はい、これは武術でも欠かしてはならぬもの」
「だからじゃな」
「こうしてです」
「よいことじゃ、では今もな」
「はい、思う存分泳ぎます」
「わしもそうするぞ」
見れば信之もだ、見事な泳ぎである。そして。
幸村主従も泳ぐ、そうして泳いでいるとだった。
「いや、何かですな」
「酒が抜けてきました」
「随分とです」
「楽になってきました」
「うむ、そうであろう」
幸村はその十勇士達に泳ぎつつ言った。
「二日酔いになればな」
「その時はですな」
「こうして泳いで、ですか」
「身体を冷やしますか」
「身体も動かして」
「どちらも酒を抜くのによい」
泳ぐと、というのだ。
「だからまずはな」
「こうして泳いで、ですな」
「そしてですな」
「酒を抜く」
「そうされますか」
「そしてな」
幸村はさらに言った。
「後は風呂じゃ、そして水も飲むぞ」
「泳いだ後で、ですか」
「水も飲み」
「そしてですか」
「風呂ですな」
「水を飲むことでもな」
それでもというのだ。
「酒が抜けるな」
「はい、確かに」
「幾分か楽になります」
「だからですな」
「酒を抜く」
「そうしますか」
「そうじゃ、そして水を飲みつつな」
そうしてというのだ。
「風呂にも入るぞ」
「そして風呂からあがれば」
「その時はですか」
「楽になっておる」
酒が完全に抜けてというのだ。
「まさにな」
「成程、水に鍛錬にですな」
「そして風呂」
「その三つで酒を抜く」
「そうするのですか」
「そうじゃ、酒はこうして抜くのじゃ」
二日酔いになってもというのだ。
「当家のやり方じゃ」
「しかも鍛錬にもなる」
「水術のですな」
「馬に乗れば身体が動かす落馬しかねませんが」
二日酔いで身体が動かずにだ。
「しかしですな」
「水術はそうではない」
「下手したら溺れますが」
「浸かるだけでも酒は抜けますし」
水の冷たさによってだ、そもそも川に入ることはそのことも狙いにあってそうするのだから当然のことである。
「水の方がよい」
「馬よりもですな」
「そうじゃ、では泳ぎ続けるぞ」
今はとだ、幸村は言ってだった。兄そして十勇士達と共にだった。
泳ぎそれからだった、水を飲み風呂に入った。するとだった。
確かに酒はすっかり抜けていてだ、清海は風呂の中で言った。
「いや、もう完全にです」
「酒は抜けたな」
「はい」
共に湯船、温泉のその中にいる幸村に答えた。伊佐も言う。
「いや、これでもう」
「今日は存分に動けるな」
「そうなりました」
「さて、これから飯を食い」
猿飛も酒が抜けた明るい顔で言うのだった。
「出陣ですか」
「また直江殿とお会いしますな」
穴山はこのことに期待している、顔にそれが出ている。
「お元気であればいいですな」
「うむ、直江殿はよき方」
根津も彼について言う。
「お元気であれば何よりです」
「まあお元気であるから出陣されている」
筧はこう言った。
「ならば心配は無用」
「そうじゃな、しかもこの度は前田殿も出陣されておる」
海野は彼について言及した。
「あの方にもお会い出来るか」
「さて、槍の又左殿」
望月はその前田家の主のことを言う。
「どういった御仁か」
「関白様も一目置く方だからのう」
由利はこの話から前田について考えている。
「お会いするのが楽しみじゃな」
「ご家老の奥村助右衛門殿もかなりの方とのこと」
霧隠は彼のことも考えている。
「お会いしたいな」
「うむ、出来ればな」
幸村も十勇士達に応えて言う。
「前田殿、奥村殿ともな」
「お会いしてですな」
「そしてお話をしたい」
「殿もそう思われていますか」
「そう考えておる、出来れば」
こうも言った幸村だった。
「奥村殿ともお話がしたいな」
「ご家老のですな」
「あの方とも」
「そう考えておる、前田殿はかつて天下の傾奇者であった」
よく知られていることだ、彼は織田家において主君の信長と共に名うての傾奇者として武勇も誇っていた。
「豪放磊落であったという」
「器も非常に大きく」
「胆力も相当だとか」
「だからこそな」
そう聞いているからこそというのだ。
「拙者も是非な」
「前田殿とお会いしたい」
「そうなのですな」
「そう考えておる」
「今日は休むがな」
信之も湯の中にいる、そこから主従に言う。
「明日出陣じゃ」
「そしてですな」
「上杉殿、前田殿の軍勢と合流する」
実際にそうするというのだ。
「よいな」
「わかり申した」
「父上もおられるが」
北陸勢の軍勢の中にだ。
「しかしな」
「前田殿もですな」
「おられる、お会いしようぞ」
「それでは」
「うむ、楽しみにしておれ」
こう幸村に言う、そして実際にだった。
沼田城にいる者達はこの日はじっくりと休んだ、そして次の日だった。
信之を大将幸村を副将としてだ、十勇士達は幸村についてだった。
城に留守の者達を置いたうえで出陣した、その時にだ。
信之は幸村にだ、こうしたことを言った。
「これより出陣じゃが」
「はい、合流の為の」
「そうであるが」
しかしというのだった。
「一つやることがある」
「と、いいますと」
「うむ、奥にな」
まさにというのだ。
「挨拶をしなくてはならぬ」
「そうですか、では」
「少し時間をもらう」
これからというのだ。
「そうしたいがいいか」
「はい」
微笑みだ、幸村は兄に答えた。
「それでは」
「では今から行って来る」
早速だった。
「すぐに戻る」
「ではその間は」
「軍を頼む」
その暫しの間というのだ。
「そうしてくれるな」
「わかり申した」
幸村も頷いて兄に応えた、そしてだった。
信之が戻るまで軍を観ることにした、彼はすぐに軍勢に言った。
「暫し休んでおれ」
「殿が帰ってくるまでですな」
この城では信之が主なので足軽達は彼をこう呼んだ。
「それまでですな」
「そうじゃ、暫しの間待っておれ」
「はい、それでは」
「暫く休んでいます」
足軽達も応えてだ、そしてだった。
彼等は暫く休んだ、その間に。
信之は彼の妻小松のところに来てだ、すぐにこう言った。
「行って参る」
「はい」
小松は己の前に座って言った夫に微笑んで応えた。
「ご武運を」
「ではな」
「生きて帰って来る」
「お待ちしています」
妻の返事は穏やかなものだった、その返事で言うのだった。
「この城で」
「そうしてくれるか」
「お帰りになりましたら茶を煎れますので」
「茶か」
「酒は過ぎると毒になりますので」
「やれやれ、この場でもそう言うか」
信之はそこは退かない妻に苦笑いになった。
だがその夫にだ、妻はまた言った。
「はい、それが私の務めなので」
「わしの身体のことを気遣うことがか」
「旦那様の、そして家を観るのが」
「義父上に言われたか」
「はい、そして徳川様にも」
家康にもというのだ。
「言われましたので」
「そうか、ではな」
「お茶を煎れます」
「わかった、では茶を楽しみにしておる」
「そうして頂ければ何よりです」
「わかった、ではまずはじゃな」
「今も茶を煎れますが」
こう夫に言うが。
信之は笑ってだ、妻にこう返した。
「それはよい」
「お帰りになった時の楽しみですか」
「茶は待った時の方が美味い」
「だからですか」
「帰った時に飲む」
「生きてこの城に帰られた時のですね」
「その時は菓子も頼む」
それもというのだ。
「そちらもな」
「承知しました、では」
「行って来る」
こう妻に告げてだった、信之は妻に暫しの別れを告げてだった。そのうえで軍勢の場所に戻りこう告げた。
「出陣じゃ」
「はい、では」
幸村が応える、留守の間軍勢が観ていた彼が。
「行きましょうぞ」
「城を出るぞ」
信之が告げてだ、そしてだった。
彼と幸村の軍勢は沼田城を出て北陸勢と落ち合う場所に向かった。その進軍中は特に何もなかったが。
信之は幸村にだ、軍を進ませる中でこんなことを言った。
「忍城は知っておるな」
「北条方の城のですな」
「うむ、成田殿が守っておられるが」
「成田殿は北条家の名将でしたな」
「そうじゃ、しかもな」
信之は幸村にさらに話した。
「成田殿には娘御がおられる」
「ご子息はおられる」
「うむ、姫君がおられてな」
「その方がですか」
「おなごであるがかなりの傑物という」
「そしてその姫君にですな」
「忍城を攻める時は気をつけねばな」
まさにというのだ。
「足元をすくわれることになる」
「そうした方がおられるとは」
「北条家にも人がおる」
信之も北条家は負けると見ている、しかしなのだ。
「しかとな」
「そしてその人がですか」
「そうじゃ、その姫君じゃ」
「その名は」
「甲斐姫という」
信之はその姫の名を言った。
「成田家の姫君じゃ」
「ですか、では」
「うむ、若し忍城に行くことになればな」
「甲斐姫に気をつけよ」
「伊予の鶴姫も凄かったというが」
西国の海で戦っていた、その名は信濃にも伝わっていたのだ。
「しかしな」
「甲斐姫もですか」
「相当なものという、だからな」
「わかりました、その時は用心します」
「どちらにしても侮らぬことじゃ」
信之はこうしたことも言った。
「戦になればな」
「その相手を」
「そうじゃ、戦で相手を侮れば敗れる」
「如何なる状況であろうとも」
「それで負けた者は多い」
だからだというのだ。
「決して侮らぬことじゃ」
「ですな、戦になれば」
「そういうことじゃ、北条家にも人がおる」
敗れるにしてもというのだ、こうした話もしてだった。信之と幸村は北陸勢と合流するその場所に兵を進めるのだった。
巻ノ五十六 完
2016・5・4