巻ノ五十七 前田利家
信之と幸村の軍勢は上杉家、前田家の軍勢から成る北陸勢と合流した。するとすぐにだった。
兼続が幸村のところに来てだ、微笑んで声をかけてきた。
「お元気そうで何よりで」
「それがしに会いに来られたのですか」
「はい」
その通りだとだ、兼続は上杉家の黒の具足に陣羽織、愛の文字が入っている兜といった格好で幸村の前に馬に乗って出て答えた。無論幸村も彼と共にいる信之も馬に乗っている。
「お元気かと思い」
「有り難きお心遣い」
「いえいえ、それなのですが」
「はい、これよりですな」
「合流しましょうぞ」
まさにというのだ。
「そしてです」
「進軍ですな」
「関東に向けて」
即ち北条家の領地にというのだ。
「行きましょうぞ」
「そしてその前にです」
まさにというのだ、そしてだった。
幸村は信之、十勇士達と共に兼続に上杉家の陣に入った、その中で。
兼続は信之と幸村にだ、こうも言った。
「殿もおられますが」
「前田殿もですか」
「はい」
その通りとだ、兼続は信之に答えた。
「そうです」
「そうなのですか」
「前田殿と共に軍議を進めています」
まさにというのだ。
「そしてその中にです」
「我等もですか」
「どうぞ」
こう言うのだった。
「宜しくお願いします、そしてその場でです」
「前田殿ともですか」
「お話をして下さい」
「それでは」
こうした話をしてだった、そのうえで。
信之は本陣に入った、そして本陣の奥でだった。
幸村は十勇士達にだ、こう言った。
「悪いがな」
「はい、ここでですな」
「我等はですな」
「ここに留まりですな」
「待つのですな」
「そうじゃ、そうしてくれるか」
こう言うのだった。
「ここはな」
「はい、わかりました」
「それならです」
「我等はです」
「ここで待ちます」
「そうしておきます」
「ではな、暫し待っていてもらう」
こう十勇士達に告げてだ、彼等を待たせてだった。
信之にだ、幸村はあらためて言った。
「ではこれより」
「うむ、これよりだな」
「行きましょうぞ」
「こちらです」
兼続も二人を案内する、そしてだった。
その本陣の奥の中に入った、そこは。
その本陣の中にだ、兼続がいてだった。
大柄で細長い顔をした青い具足と陣羽織の者が彼と同じ年代のやや小柄な者
を連れていた、その者を見てだった。
信之と幸村は二人に対して一礼した。
「真田源三郎信之です」
「真田源二郎幸村です」
「ほう、御主達がか」
その大柄な男が笑って二人に応えた。
「真田家の二人か」
「はい、そうです」
「我等がです」
「真田家の者です」
「今名乗った通り」
「噂は聞いておる、わしが前田犬千代じゃ」
男は笑って言った。
「槍の又左、そしてこちらの者がな」
「奥村助右衛門と申します」
その小柄な男も名乗った、小柄であるが顔立ちは悪くない。
「以後お見知り置きを」
「はい、こちらこそ」
「宜しくお願いします」
二人も応える、そこには景勝もいるが。
彼は今も寡黙だ、そしてだった。
二人は利家と主に話した、話せばだ。
利家は気さくで陽気な男だ、それで軍議もだ。
彼と兼続で話をしていた、その中で利家は信之と幸村に問うた。
「それでじゃが」
「はい、我等もですか」
「考えをですか」
「聞きたい、このまま関東に入るが」
そこでというのだ。
「御主達はどう思う」
「はい、我等はです」
「忍城が問題やと思います」
二人は自分達で話したことを利家に話した。
「あの城にいる甲斐姫という姫君です」
「あの姫君が問題かと」
「ふむ、それではだ」
二人の言葉を聞いてだ、利家はこう言った。
「上杉殿、直江殿と同じ考えか」
「そうなのですか」
「そうじゃ」
こう信之に答えた。
「まさにな」
「ですか、それでは」
「ここは」
「忍城が問題であるな」
利家は強い声で言った。
「あの城は只でさえ堅城というし」
「平城ですが」
兼続がここで言った。
「しかしです」
「三方が沼地でじゃな」
「大層攻めにくい城です」
「・・・・・・・・・」
景勝も無言で頷いてそうだと意思表示をする。兼続もさらに話す。
「ただでさえ」
「そこにそうした姫がおる」
「ですから」
「余計にじゃな」
「はい、難攻不落かと」
「そうか、やはりな」
「他の城ならともかく」
こう言うのだった。
「あの城はです」
「簡単には陥ちぬか」
「そうかと」
兼続は利家に話した。
「やはり」
「そうか、ではな」
利家は兼続の話まで聞いてだ、そしてだった。
腕を組み考える顔になりだ、上杉に顔を向けて言った。
「上杉殿、よいか」
「何ですかな」
「それがしの考えを話したいが」
「それなら」
景勝は利家に一言で応えた。
「お願い申す」
「では」
景勝に言われてだ、そしてだった。利家は自分の考えを述べた。
「忍城は放っておいて」
「そのうえで」
「他の城を攻め落としていこう」
こう言うのだった。
「この度は」
「例えあの城を攻め落とさずとも他の城を攻め落とせば」
それでとだ、奥村が言った。
「同じことですな」
「そうじゃな」
「はい、忍城だけになればどうしようもありませぬ」
「そして肝心は小田原城」
「あの城をどうにかすれば我等の勝ちです」
「既に小田原はな」
利家は北条家の本城であるこの城のことも話した。
「関白殿が攻められる」
「ならばですな」
「関白殿が攻められれば」
利家は確かな声で言った。
「あの城もな」
「攻め落とせますな」
「関白殿は人を攻められる」
城ではなく、というのだ。
「だからな」
「はい、如何に小田原城といえど」
「陥ちる」
「逆に関白様でなければですが」
「あの城は陥ちぬがな」
「それでもですな」
「あの城は陥ちる」
秀吉が行くからだというのだ。
「その時までにどれだけ他の城を攻め落とせるかじゃ」
「では忍城は」
兼続は景勝を代弁して利家に問うた。
「我等はですか」
「うむ、特に声がない限りはな」
「攻めませぬか」
「そうしようぞ、我等はな」
「わかりました、それでは」
「関東に入るとしよう」
こう話してだ、この日は軍議を終えた。そして。
幸村は十勇士達のところに戻るとだ、彼等に言った。
「ではな」
「はい、これでですな」
「今日は」
「休もうぞ」
こう言うのだった。
「ゆうるりとな、そしてな」
「明日からですな」
「また進軍ですな」
「そうじゃ」
まさにというのだ。
「だから今日はゆっくりと休むぞ」
「わかり申した」
十勇士達も応え休息に入った、その次の日から。
北陸勢は関東に向かいそのうえで昌幸が率いる真田本軍との合流の場所にも向かっていた。
その時にだ、信之と幸村に声がかかった。
「前田殿のところにか」
「我等に」
「はい、是非にとです」
二人のところに来た前田家の旗本が答える。
「殿が申されています」
「前田殿のところに来て」
「共に昼飯を食したいと」
「そう言われています」
利家、彼がというのだ。
「来て頂けますか」
「前田殿がそう言われるのなら」
信之が兄として二人を代表して答えた。
「それならば」
「そう言って頂けますか」
「はい、我等これより」
「さすれば」
「では殿」
十勇士達が幸村に応えた。
「行ってらっしゃいませ」
「そして昼をお楽しみ下さい」
「ではな」
幸村も彼等に応える、そしてだった。
昼に二人で歳家のところに来た、丁度休憩の時で前田家の者達は整然と集まって飯を食っていた。その前田家の軍勢の状況を見てだ。
幸村は信之にだ、こう言った。
「流石ですな」
「うむ、見事じゃな」
信之もこう応える。
「関白様の古くからのご盟友でありな」
「多くの戦場で戦ってこられただけはあり」
「こうした時もじゃ」
「何時でも戦える様にしてありますな」
「戦は寝てる時と飯を食う時が危うい」
この二つの時が最もというのだ。
「一番隙が出来るからな」
「はい、どうしても」
「しかしじゃ」
「こうしてそうした時も整然としれおれば」
「敵が来てもな」
それでもというのだ。
「すぐに戦える」
「だからですな」
「前田殿も備えておられるのじゃ」
「既に」
「流石は天下の名将じゃ」
幾多の戦を生きてきた、というのだ。
「それだけはある」
「全くですな」
「ではじゃ」
信之はさらに言った。
「我等もこのことはな」
「見習うべきですな」
「見習うべきものは見習い」
そしてというのだ。
「そのうえでじゃ」
「よりよき軍勢にすべきですね」
「飯の時と寝る時こそ用心する」
人として必要なその時にというのだ。
「そういうことじゃな」
「ですな、まことに」
「前田殿はよくわかっておられる」
「我等もそれを取り入れ」
「戦にかかろうぞ」
こうした話をしながらだった、二人は利家のところに来た。彼は奥村と前田家の主な将帥達と共に飯を食おうとしていた。
それでだ、利家は二人を見て言った。
「来てくれたか」
「はい、参上致しました」
「それなら」
「うむ、それではな」
「これからですな」
「飯を」
「待っておった」
まさにという返事だった。
「それではな」
「はい」
二人で応えてだ、そしてだった。
利家は二人の場所を空けさせてそこにそれぞれ迎え入れてだった。二人にも飯を出してそれで食いはじめた。
飯は白米を炊いたものだった、利家はその飯を頬張りつつ二人に声をかけた。
「美味いか」
「はい、やはりです」
「白米はよいですな」
「こうした戦の時はです」
「白米の方が炊きやすいですし」
「そうじゃ、それでこうした時はな」
出陣の時はというのだ。
「炊かせておるのじゃ、しかしな」
「しかし?」
「しかしといいますと」
「いつも白米を食っておる訳ではない」
利家はこのことは断った。
「当家もな」
「玄米や麦飯もですな」
「そして干し飯も」
「そうしたものの時もある」
実際にというのだ。
「当家もな」
「ですな、我等もです」
「出陣の時は白米もありますが」
「やはり玄米の時もあります」
「干し飯の時も」
「ましてや普段はです」
信之が利家に話した、その白米の握り飯を頬張りつつ。
「麦飯や玄米が常です」
「麦飯か」
「左様です」
「実は麦飯はな」
その麦飯についてだ、利家は信之そして幸村にこんなことを話したもだった。
「関白殿もお好きでのう」
「あの方もですか」
「大層食いものに凝ってもおられるが」
「麦飯もですか」
「それが一番とのことじゃ」
「そうなのですか」
「関白殿とは長い付き合いじゃが」
それこそ共に織田家の家臣であった時からだ、利家は秀吉と仲がよく夫婦ぐるみで付き合いがあったのだ。
「若い頃は麦飯すらな」
「満足にはですか」
「足軽じゃったからな、あの御仁は」
百姓の倅だ、秀吉はそこからはじまったのだ。
「それでじゃ」
「麦飯しらですか」
「食えない時もあってな」
「そして今もですか」
「麦飯が大層お好きで一番の馳走とさえ言われておる」
「そうなのですか」
「うむ、それでな」
だからだというのだ。
「麦飯を今もよく召し上がられておる、一緒に食うのはな」
「その麦飯と」
「漬けものじゃが」
その漬けものはというと。
「ねね殿が漬けられた」
「それですか」
「それを召し上がられておるわ」
「そうなのですか」
「実は贅沢でもな」
秀吉、彼はというのだ。
「昔のままのところもある」
「そうなのですか」
「そうじゃ、そのことも知っておることじゃ」
こう二人に言うのだった。
「よいな」
「はい、わかりました」
「そのことは」
二人で利家に答えた。
「麦飯ですな」
「関白様は」
「あれが一番お好きで」
「馳走なのですな」
「あれが一番美味いとのことじゃ」
まただ、利家はまた言った。
「そういうことじゃ、わしにしてもだ」
「前田殿もですか」
今度は幸村が言った。
「麦飯は」
「好きじゃ」
今は白米を食っていてもというのだ。
「実はな」
「左様ですか」
「そうじゃ」
笑ってだ、利家は幸村に答えた。
「だからよく食う」
「天下人、そして前田殿程の大身になられても」
「徳川殿もじゃ」
利家は家康のことも話した。
「あの御仁は尚更じゃ」
「はい、確かに」
家康についてはだ、彼をよく知る信之が答えた。
「あの方は大層質素です」
「そうであるな」
「あの方の質素さたるや」
「わしはあの御仁とも長い付き合いじゃが」
それこそ織田家の家臣であった頃からだ、利家は家康もよく知っているのだ。
「しかしな」
「実際にですな」
「うむ、驚く位質素じゃ」
こう信之に言うのだった。
「そして民にも無駄な苦労はさせぬ」
「民も大事にしておられますな」
「実にな」
「そしてそのうえで」
「あの様にじゃ」
まさにというのだ。
「質素にされておる」
「そうした方ですな」
「あの質素さには頭が下がる」
利家にしてもだ。
「わしなぞ到底じゃ」
「及ばぬと」
「左様じゃ、器もな」
家康のそれについてもだ、利家は話した。
「非常に大きな方じゃ」
「まことに」
「このこともわしなぞな」
人としての器もとだ、利家は自分から家康には及ばないというのだ。しかしその彼に奥村が言った。
「いえ、それがしが見たところです」
「わしもか」
「はい、徳川殿に及ぶまでのです」
「器があるか」
「左様です」
「御主は世辞は言わぬ」
奥村のその気質を知ったうえでだ、利家も言う。
「ならばじゃな」
「はい、まさにです」
「その通りか」
「殿は徳川殿に対することが出来ます」
そこまでの器だというのだ。
「ですから」
「卑下するなというのじゃな」
「左様です」
「わしは自分を卑下はせぬがな」
ただ自分が見たところを言ったのだ、家康には及ばないと。
「しかしじゃな」
「はい、殿もです」
「わかった、ならば堂々としていよう」
家康、彼に対してもというのだ。
「これからもな」
「そうして頂ければ何よりです」
「それではな」
「その様に」
こうしたことを言ってだ、そしてだった。
利家は信之と幸村にだ、笑って言った。
「遠慮はいらぬ、どんどんな」
「飯をですか」
「食えと」
「たんと食ってじゃ」
笑ってそうして言うのだった。
「そのうえでな」
「戦の場で、ですな」
「戦えというのですな」
「そうじゃ」
まさにというのだ。
「ではな」
「はい、それでは」
「お言葉に甘えまして」
「食おうぞ、無論わしも食う」
他ならぬ利家自身もというのだ。
「そうするぞ」
「飯はたんとあります」
奥村がここでまた言って来た。
「ですから」
「うむ、ではな」
「たんと召し上がられ」
「そしてじゃな」
「戦われて下さい」
「そうするか、この度の戦で天下が一つになる」
天下統一、それが成るというのだ。
「だからこそな」
「たらふく食いそのうえで」
「思う存分戦おうぞ」
こう言ってだ、実際にだった。
利家は信之達にも飯を食わせ自身も相当に食った、それがこの昼だった。
その飯の後でだ、自身の軍に戻ってだった。幸村は十勇士達に言った。
「前田殿とお話してきたが」
「はい、如何でしたか」
「どうした方でしたか」
「噂以上の方であった」
まさにというのだ。
「大身のな」
「ですか、やはり」
「そうした方でしたか」
「天下の前田家の主に相応しい」
「そうした方でしたか」
「うむ」
その通りだとだ、幸村は十勇士達に答えた。
「実にな」
「そして、ですか」
「その方とお話が出来てですか」
「殿もよかった」
「そうだというのですな」
「大きなことを話して頂いた」
こう言うのだった。
「実にな」
「それは何より、それではですな」
「その前田殿と共にですな」
「我等もいられる」
「有り難いことに」
「そうなる」
まさにというのだ。
「だからな」
「はい、このままですな」
「我等は関東に入り」
「そして上杉殿、前田殿と共に戦う」
「そうしていくのですな」
「うむ、そうなる」
まさにというのだ。
「では再び行くぞ」
「進軍ですな」
「それの再開ですな」
「もうすぐ父上も来られる」
昌幸もというのだ。
「だからな」
「その時にですな」
「父上にお会いしようぞ」
「さすれば」
幸村も頷く、こうした話もしつつ彼等も関東に進んでいく。その彼等の動きは北条家の方でも察していてだった。
氏規はその話を聞いてだ、己の家臣達に苦い顔で言った。
「こうなることを恐れておった」
「殿はですな」
「そうなのですな」
「そうじゃ」
まさにというのだ。
「総勢で二十万じゃな」
「はい、それ位になります」
「恐ろしい数です」
家臣達も答える。
「北陸からも東海からもです」
「押し寄せてきています」
「おそらくじゃ」
氏規はあらためて言った。
「敵はどうしてくるか」
「そのことですな」
「一体どうして攻めてくるか」
「まず小田原を攻める」
小田原城をというのだ。
「そして海からも完全に囲む」
「あの城をですか」
「我等の本城を」
「うむ、そうしてくる」
「しかし殿」
家臣の一人が氏規にここで問うた。
「如何に大軍で囲んでも」
「あの城はじゃな」
「はい、陥ちる城では」
「兵糧も何年分もあります」
別の家臣も言う。
「では」
「陥ちぬというのじゃな」
「そう思いますが」
「あの城は」
「確かにあの城は見事な城じゃ」
氏規自身も言う、彼の居城において。
「謙信公も信玄公も攻め落とせなかった」
「はい、そうです」
「あの方々を以てしてもです」
「謙信公の時は十万の大軍で囲まれましたが」
「それでも」
「そうじゃな、しかし城は陥ちぬが」
しかしというのだった。
「人はどうじゃ」
「人ですか」
「人はどうなのか」
「そのことですか」
「城を守るのは人じゃ」
まさにというのだ。
「人の心を攻めればどうか」
「その時はですか」
「どうなるかわからない」
「殿が仰ることはそういうことですか」
「城を守る人ですか」
「関白様は城攻めの名人じゃ」
氏規は秀吉の評判をよく知っている、実際に彼は城攻めにおいては常にその知略でその都度様々な攻め方で陥としているのだ。
それでだ、今もこう言うのだ。
「小田原城とてじゃ」
「あの城もですか」
「天下の名城ですが」
「それでもですか」
「人を攻めればですか」
「攻め落とせるのですか」
「城を守るには様々な条件が必要じゃ」
氏規は袖の中で腕を組み言った。
「御主達が言った様に兵糧が必要で堅城であること」
「そして兵も必要ですな」
「その城を守るだけの」
「そうじゃ、そして外から援軍が来ることじゃ」
このことも大事だというのだ。
「これは我等が務めるが」
「いざという時はですな」
「そうしますな」
「是非共」
「ご本家をお助けに参りますな」
「しかし小田原城を囲んだうえで周りの城を攻め落としていく」
北条家の領内の城達をというのだ。
「そうすればどうじゃ」
「それは」
「そうなりますと」
家臣達はその状況を聞いて言った。
「援軍もなくなり」
「まずいですな」
「そのうえで小田原を囲んでいくとじゃ」
まさにというのだ。
「辛くなるぞ」
「ですな、言われてみれば」
「二十万の大軍ですし」
「そうした攻め方も出来ますな」
「殿の言われる通り」
「しかも関白様は謀も得意じゃ」
秀吉のこのことも言うのだった。
「人の心を惑わし揺さぶるな」
「それも有名ですな」
「降ることを勧めることも得意で」
「それで戦わず相手を降したこともあります」
「相手の家を乱すことも常です」
「そうしたことも得意な方じゃからな」
それ故にというのだ。
「城を囲みな」
「そうして人を攻めれば」
「小田原城もですか」
「陥ちますか」
「降るしかない様にされるであろう」
これが氏規の読みだった。
「そのままな」
「では」
「この戦負けますか」
「二十万の大軍の前に」
「そうなりますか」
「そうなる」
氏規は言い切った。
「間違いなくな」
「では、ですな」
「北条家は滅びますか」
「この度の戦で」
「それだけは防ぐ」
何としてもという言葉だった。
「必ずな」
「では新九郎様だけはですか」
「あの方のお命だけは」
「その様にされますか」
「うむ、あの方だけはお守りする」
氏規は今もその誓いを言った。
「それがわしの務めじゃ」
「大殿はおわかりになってはいませんか」
「まだ」
「うむ、何もな」
それこそというのだ。
「関白様のことも天下のこともな」
「最早天下は一つになる」
「それはそう定まっていますか」
「東国も例外ではなく」
「一つになりますか」
「既にそれは織田殿の時に決まっておった」
信長の時にというのだ。
「あの方が武田家を滅ぼし上野から東国を統一せんとされていたな」
「はい、滝川左近殿を関東管領に任じられ」
「そのうえで東国の仕置を定められんとしていました」
「それならばですな」
「最早その時に決まっていた」
「そう考えていいですか」
「そうじゃ、それが数年遅れただけのこと」
信長が本能寺で倒れてというのだ。
「だからな」
「それで、ですな」
「最初から従うべきだった」
「そうあるべきでしたか」
「うむ、しかしそうはならなかった」
全く以てという言葉だった。
「今に至った、だからな」
「はい、それでは」
「新九郎様だけはお助けし」
「北条家を守る」
「そのことを考えますか」
「それは何とかなる」
最早戦に敗れ相模及び伊豆は守れぬにしてもというのだ。
「まだな」
「ではそこに力を注ぎ」
「そうしてですな」
「戦を終わらせる」
「そのことに専念しますか」
「そうしようぞ」
こう己の考えを言う氏規だった、そしてだった。
氏規は己の居城の守りを固めると共にだった、北条家を何とか守ろうと決意していた。そして実際に家康にも話していた。
家康は陣中において氏規からの文を受け取りだ、自身の家臣達に言った。
「助五郎殿の言われることもっとも」
「何とか新九郎様はお助けし」
「北条家は残す」
「そのことはですな」
「最初からそうあるべきだったし出来る」
出来た、ではなかった。今の言葉は。
「今もな」
「では関白様にもですか」
「その様にお話されますか」
「新九郎様だけはお助けをと」
「そして北条家も」
「相模と伊豆はもう無理だが」
領地、北条家のそれを守ることは適わずともというのだ。
「しかしじゃ」
「それでもですな」
「新九郎様とお家は何とかなる」
「だからこそ」
「我等もその為に動こう、しかし」
ここでだ、家康は己の家臣達にこうも言った。
「新九郎殿ご自身がな」
「その様に動かれる」
「ご自身で、ですか」
「そうされますか」
「わしが見た通りの方ならな」
氏規、彼がというのだ。
「必ずそうされる」
「ですか、それでは」
「我等はとりなしですな」
「それを関白様に行う」
「そうしますか」
「うむ、それで充分であろう」
氏直が家康の見た通りの者ならというのだ。
「我等が強く動かずともな」
「新九郎様が動かれる」
「ご自身で道を開かれる」
「そうされますか」
「だから不安はない」
それはというのだ。
「わしにもな」
「わかりました、では」
「その様にですな」
「殿も動かれますか」
「その様にな、出来れば北条殿もと考えていたが」
氏政のことだ、家康は彼にも思うことがあり言うのだ。
「それは無理であるな」
「どうしてもですか」
「それはですな」
「北条殿は」
「そうなろう、それでじゃが」
ここでまた言った家康だった、今度言うことはというと。
「我等は箱根を越えればな」
「はい、それからですな」
「小田原を囲む」
「そうしますな」
「その時に凄いことがある様じゃ」
こう家臣達に言うのだった。
「どうやらな」
「というとすぐに攻め落とすのではなく」
「小田原城を囲みですか」
「そしてですか」
「あるのですな」
「関白様が何かされる」
家康は家臣達に確かな声で言った。
「先程お会いした時に楽しそうに笑っておられた、その笑顔はな」
「まさにですか」
「考えておられるお顔」
「凄いことを」
「うむ、だからじゃ」
その笑みを見ての言葉だった。
「何かあるぞ」
「あの方は凄い方ですな」
「とかく思いも寄らぬことをされます」
「特に城攻めに」
「あの方の頭は切れる」
実に、という言葉だった。
「だからな」
「それで、ですな」
「こうした時もですな」
「その知恵を使われ」
「小田原城を攻められますか」
「あの方が何を考えておられるのか全てはわからぬ」
家康にしてもというのだ。
「しかし決して陥ちぬ城はないしじゃ」
「小田原城も然り」
「そういうことですな」
「うむ、そうした城は有り得ぬ」
決してとだ、家康はまた言った。
「異朝の話じゃが宋の開封は知っておるか」
「確か宋の最初の都でしたな」
「後で金に攻められ南に移りましたが」
「大層栄えていたとか」
「この世にある街では最も」
「開封は三重の城壁と広い堀に守られていてな」
異朝の城だ、この国の城の殆どとは違い街を囲む城なのだ。その為街と城が同じ意味で使われることも多い。
「十一万の兵が守っておった」
「それだけの守りがあれば」
「陥ちぬのでは」
「小田原よりもです」
「攻め落としにくい筈ですが」
「しかし攻め落とされた」
そうなったとだ、家康は家臣達に話した。
「金にな」
「では、ですか」
「小田原城もですか」
「攻め落とされる」
「そうなりますか」
「うむ」
まさにという返事だった。
「あの時宋は戦う気概も何もなくてそうなった」
「では人ですか」
「城を守るのは人」
「その人次第で、ですな」
「攻め落とされますか」
「そうなる、だからな」
それ故にというのだ。
「小田原もな」
「関白様もそれはわかっておられますな」
「城を守るのは人」
「そうであることを」
「むしろ誰よりも人をわかっておられる」
それが秀吉だというのだ。
「あの方が何故天下一の人たらしと呼ばれるか」
「人をよくご存知だからこそ」
「誰よりもですな」
「だからこそ人の心を己に向けられる」
「そうなのですな」
「そうじゃ、天下無双の人たらしはな」
まさにというのだ。
「天下で最も人を知っているということなのじゃ」
「では、ですな」
「小田原を守るその人を攻める」
「それも出来ますか」
「そうしたことも考えるとな」
実にと言う家康だった。
「北条家は負ける」
「その小田原城を攻め落とされ」
「そのうえで」
「間違いなくそうなる、具体的な攻め落とし方はわからぬがな」
それでもと言うのだった、そしてだった。
家康は己の家臣達にだ、今度はこう言った。
「ではそろそろ昼じゃな」
「はい、それではですな」
「これより飯にしますか」
「そうしますか」
「うむ、飯を炊いてじゃ」
そしてというのだ。
「食うとしようぞ」
「ではこれよりです」
「飯を炊かせますので」
「暫しお待ち下さい」
「そうさせてもらおう」
こう言ってだ、家康は飯も食うのだった。同じ時に秀吉も彼の陣中で秀長達と共に飯を食っていた。その時に。
彼は麦飯を食いつつだ、共に食う秀長達に言った。
「楽しくやるぞ」
「小田原攻めをですか」
「そうされますか」
「うむ」
実にという言葉だった。
「どうせ攻めるのならじゃ」
「楽しくですか」
「そうされますか」
「そうじゃ」
こう石田と大谷にも答える。
「思いきってな」
「では兄上」
秀長が彼に問うた。
「やはり」
「うむ、御主に話した通りにな」
「あの様にされますか」
「ははは、そうしてじゃ」
まさにと言うのだった。
「北条家の者達も天下の者達もな」
「驚かせるのですか」
「これがわしのやり方だとな」
口を大きく開いて笑っての言葉だった。
「天下に見せてやるわ」
「そうされますか」
「そしてそれはな」
「奥羽のですな」
「伊達政宗も観る」
この者もというのだ。
「むしろ観せてやるのじゃ」
「そしてですな」
「戦わずしてじゃ」
政宗、彼をというのだ。
「降らせる、そしてな」
「天下もですな」
「ここで一つにする」
「では小田原城は」
「よいか、力攻めはせぬ」
秀吉は笑顔で言い切った。
「そうはせぬ」
「しかし攻めますな」
「攻めるのは鉄砲や槍ばかりではない」
「他の攻め方もありますな」
「この度はそちらを使ってじゃ」
そのうえでというのだ。
「やってやるか」
「ですか、それでは」
「さて、北条の者達がどういった顔をするか」
まさにという言葉だった。
「今から楽しみじゃ」
「兄上はいつもそうですな」
秀長はここではやれやれといった顔で兄に言った。
「戦でも楽しまれますな」
「ははは、特に城攻めでな」
「はい、悪い癖です」
「またそう言うか」
「戦は真剣にやるものなので」
「わしはそこに楽しみも求めたいのじゃ」
秀長が言う悪癖をだ、秀吉は笑ってこう言った。
「そうしたいのじゃ」
「左様ですか」
「うむ、そのうえで出来るだけ死ぬ者が少なくな」
「勝つのですな」
「それが一番よいであろう」
「確かに勝ち死ぬ者が少ないとです」
「それに越したことはないな」
「兵糧攻め、水攻めにしても」
「ああした方が死ぬ者は少なかった」
鳥取城での兵糧攻め、そして高松城での水攻めでもというのだ。かつて秀吉が毛利家との戦でした城攻めだ。
「だからな」
「三木城の時から」
「そうもしてじゃ」
「出来るだけ死ぬ者がないようにして」
「攻めているのじゃ」
「そして小田原城も」
「うむ」
一言での返事だった。
「そうするぞ」
「左様ですか」
「あれだけの城、下手に攻めてはな」
それこそというのだ。
「多くの者が死ぬ」
「敵も味方も」
「攻め落とせてもな」
例えだ、そうなってもというのだ。
「だからな」
「はい、ここは」
「その様にされますか」
「そうする、そしてじゃ」
秀吉は今自分に応えた石田と大谷に言った。
「御主達はな」
「はい、忍城ですな」
「あの城をですな」
「攻めよ」
こう命じたのだった。
「わかったな」
「そうしてですな」
「あの城を手に入れるのですな」
「小田原城を囲み他の軍勢で北条家の他の城を攻め落としていく」
小田原城という幹を動けなくしてだ、そのうえで枝を一本一本切り落としていく。そうしていくというのである。
「よいな」
「そして忍城も」
「あの城もですな」
「あの城は攻めにくい」
そのことがわかっているからこその言葉だった。
「しかも城主は強い」
「成田殿ですな」
「あの方ですな」
「成田には男子はおらぬが」
しかしとだ、秀吉はさらに言った。
「姫がおる」
「確か甲斐姫といいましたな」
大谷が応えた。
「大層な武芸者だとか」
「だからじゃ、城攻めにはな」
「気をつけることですな」
「だからこそ御主達を行かせるのじゃ」
秀吉子飼いの者達でも特に優れている石田と大谷をというのだ。
「よいな」
「ですか、それ故に」
「我等を」
「そうじゃ」
まさにという返事だった。
「行かせるのじゃ、しかしな」
「しかし?」
「しかしとは」
「焦ってはならぬ」
秀吉は二人にこうも言った。
「焦って攻めてはじゃ」
「かえってですか」
「ことを仕損じると」
「そうじゃ、特に佐吉御主じゃ」
石田を見ての言葉だ。
「御主は焦る時がある」
「はい、確かに」
石田の己を振り返り冷静に答えた。
「それは」
「そうじゃな、御主は生真面目じゃがどうもじゃ
「ことは順調に進まねば」
「急ぐ傾向がある」
そしてそれがというのだ。
「焦ってかえってな」
「仕損じることにですな」
「なっておる、だからじゃ」
「ここは物事を抑え」
「そしてじゃ」
まさにというのだ。
「落ち着いていくのじゃ」
「わかりました」
「桂松、御主はいざとなればじゃ」
「はい、佐吉をですな」
「抑えよ、わかったな」
「わかり申した」
「では桂松」
石田は己の前で自分のことを言われたがそれには何も思うことなくだ、その大谷に対して確かな声で言った。
「わしが過つと思った時はな」
「止めるぞ」
「そうしてくれ」
こう毅然と言うのだった。
「是非な」
「わかった、ではな」
「殴ってでも止めよ」
こうまで言った、大谷に。
「そうせよ」
「遠慮なくか」
「勝つ為には遠慮なぞ無用じゃ」
公を立てての言葉だった、明らかに。
「殴ってでも止めよ、わかったな」
「よし、言われた通りにする」
大谷もこう石田に答える。
「容赦はせぬぞ」
「それではな」
「それでは行くのじゃ」
秀吉は二人にあらためて告げた。
「忍城にな」
「はっ、それでは」
「その様に」
「わしは小竹を連れて小田原に行く」
秀長に顔を向けての言葉だ。
「そして北条家を降す」
「さすれば」
秀長が秀吉に応えた、そしてだった。
秀吉は軍勢を東に東に向けていた、箱根を越えてだった。
東国に入り小田原にも着いた、だがその大軍を見てもだった。氏政は悠然として家臣達にこう言ったのだった。
「あの者達もやがてはじゃ」
「帰る」
「そうなりますな」
「これまでもそうであった」
それならばというのだ。
「上杉謙信、武田信玄」
「ならば関白殿も」
「同じですな」
「小田原城は何があっても陥ちぬ」
確信している言葉だった。
「何をしてもな」
「では敵が帰るのを待つだけ」
「我等はそれだけですな」
「それまで城に篭っていればよいのじゃ、ではじゃ」
ここまで言ってだ、そして。
氏政は櫓にいる家臣達にだ、あらためて言った。
「城の中に戻るぞ、してじゃ」
「酒ですな」
「そちらを楽しまれますな」
「うむ」
その通りという言葉だった。
「ではよいな」
「はい、では」
「その様に」
周りにいる家臣達も太鼓持ちの様に応える、そして櫓を去りそうしてだった。氏政の言う通り酒を楽しむのだった。秀吉の考えなぞ察するどころか何も思うところはなく。
巻ノ五十七 完
2016・5・14