巻ノ五十八 付け城
秀吉は小田原城に来た、そのうえで。
大軍で城を囲ませた、海にもだった。
多くの船がある、秀吉はそこまでして城を完全に囲んだうえでだった。彼の周りにいる諸将に対して言った。
「これからな」
「それでは」
「あれをする」
こう秀長に言った。
「これよりな」
「ですか」
「あれとは」
「あれとは一体」
殆どの諸将は秀吉の今の言葉に問い返した。
「こうして城を囲みましたが」
「まだ何かありますか」
「海も囲みましたが」
「それで終わりではないのですか」
「こうして城を囲んでもじゃ」
秀吉は己が率いるその城を見つつだ、彼等に悠然と笑って答えた。
「あの城は陥ちぬ」
「ではです」
ここで言ったのは家康だった。
「小田原城を囲んだうえで」
「北条家の他の城をじゃな」
「はい、一つ一つ攻め落とされていきますか」
「徳川殿の言われることもっとも」
秀吉は家康のその言葉をだ、まずはよしとした。
「それが為にこの城を囲み」
「他の軍勢をですな」
「北条家の他の城に向けておる」
「ではこの城を囲み動けなくし」
家康は秀吉の己への称賛の言葉を受けつつさらに言った。
「支城を攻め落としていきますか」
「左様、しかしそれだけではな」
秀吉はその猿面をにこやかにさせて言うのだった。
「時間がかかるし面白くない」
「面白くないですか」
「うむ、だから今からな」
秀吉はここで己の考えを述べた、そして。
そのうえでだ、こう言ったのだった。
「どうじゃ」
「何と、そうされますか」
「ここで、ですか」
「そうされますか」
「うむ、では兵を集めてじゃ」
秀吉は笑ったままさらに言った。
「やっていこうぞ」
「はい、では」
「その様にしましょう」
「これよりです」
「一気に」
「城は城を攻めるものではない」
また小田原城を見てだ、秀吉は言った。
「人を攻めるものじゃ」
「それもまたですか」
「人を攻めるもの」
「そうなのですな」
「人を攻めるということは人の心を攻めること」
それになるというのだ。
「だからじゃ」
「それでは」
「ここでそうして」
「ゆうるりと攻めますか」
「小田原城を」
「これから楽しみじゃ」
こう言ってだ、秀吉は采配を振るうのだった。そして。
兵達は城を囲んだ者達を置きそのうえで多くの兵達が動きはじめた、するとだった。
小田原の近くの山の方の動きを見てだ、北条の兵達はすぐに言い合った。
「何じゃあれは」
「あれは何じゃ」
「何をしておるのじゃ」
「兵達が集まりだしたぞ」
こう言い合う、そして。
その動きを見るとだ、これが。
「何か築いておるな」
「壁を築いてな」
「石垣も建てておる」
「門までな」
「矢倉もじゃぞ」
「まさか」
ここでだ、彼等も気付いた。
「まさかと思うが」
「いや、まさかじゃ」
「他には考えられぬ」
「うむ、そうじゃな」
「それしかないぞ」
「どう考えてもな」
「このことはじゃ」
すぐにだ、彼等は血相を変えて言い合った。
「殿にお話しようぞ」
「大殿にもじゃ」
「これは一大事じゃ」
「すぐにお伝えせねば」
こう話してだ、そしてだった。
彼等はすぐに氏直、彼の父である氏政に報告した。氏政はその話を聞いてまずは笑ってこう言った。
「そんなことがあるものか」
「いえ、ですが」
「まさに」
報告をする家臣達は口々に言う。
「築かれようとしています」
「実際にです」
「あの山に」
「ではじゃ」
ここまで聞いてだ、氏政は。
真剣な顔になりだ、家臣達に言った。
「今よりわしも観よう」
「是非御覧になって下さい」
「大殿もです」
「これはまさにです」
「そうして頂きたいことなので」
「よし、行くぞ」
矢倉の一つ、そこに最も近い場所にとだ。氏政も応えてだった。彼は氏直と主な家臣達を連れて馬を飛ばしてそうしてそれを見た、すると。
小田原の傍の山にだ、今まさにだった。
城が完成しようとしていた。氏政はそれを観て言った。
「まさかこれは」
「墨俣ですか」
「あの噂に聞く」
「一夜城ですか」
かつて秀吉が織田家の家臣だった時に稲葉山城を攻める時にやったことだ、稲葉山城の傍に瞬く間に城を築いてみせて稲葉山城にいた斎藤家の者達の度肝を抜いたのだ。
「あれをしたのですか」
「まさに」
「しかもじゃ」
氏政はその城を見つつさらに言った。
「あの城は確かな造りじゃ」
「確かに」
氏直も言う。
「多くの兵が入ることが出来ます」
「壁も石垣も確かでな」
「瞬く間に出来ましたが」
「かなりの兵が入る」
「あの城が付城となれば」
氏直はさらに言った。
「何年も籠城が出来るかと」
「ではじゃ」
氏政は驚愕した顔のまま己の子に応えた。
「関白殿は」
「そうかと」
「何年もか」
「この城を囲むおつもりかと」
「何ということじゃ」
「父上、何年も囲まれてはです」
流石にだ、そこまで至るとだ。氏直は父に言った。
「兵糧も尽きます」
「わかっておる」
氏政も応えて言う。
「それはな」
「では」
「降らぬ」
我が子の言葉を撥ねつけてだ、氏政は言った。
「決してな」
「しかし父上」
「この城は陥ちぬ」
まだこう言うのだった。
「何があってもな」
「ですが囲まれますが」
「何年もか」
「ああしてです」
「例え付け城が築かれてもあれだけの兵が何年も囲める筈がない」
小田原を囲む兵は十万はいる、その兵の数を見ての言葉だ。
「あの城だけになればな」
「その時にですか」
「攻めるまで、だからじゃ」
「降ることはないですか」
「そうじゃ、その必要はない」
築かれている城を血走った目で見つつ言っていく。
「よいな、敵が去るのを待つのじゃ」
「ではその間は」
「他の城には忍達を放て」
彼等だけが知っている道を使ってというのだ。
「よいな、そして戦えと伝えるのじゃ」
「これまで通り」
「待つのじゃ」
まだ言う。
「例え付け城が築かれてもな」
「では」
「うむ、戦うぞ」
こう言ってだった、氏政は氏直達講和派の言葉を撥ねつけてまだ籠城を決めていた。秀吉はここで降る様に使者を出したが。
氏政から追い返されたと使者に言われてだ、にんまりとしてこう言った。
「そうであろう」
「では」
「わかっておった」
北条の動きはというのだ。
「そうなるとな」
「そうなのですか」
「御主には褒美をやろう」
「ですが」
「降らせなかったとか」
「それで褒美は」
「御主は御主の仕事をした、ここで降る筈がない」
つまり北条が秀吉の読み通りに動くのかを確認したに過ぎないというのだ。そして使者はその責を果たしてくれたというのだ。
「だからじゃ」
「それがしは」
「褒美をやる、ほれ」
傍の者に顔を向けてあるものを持ってこさせてだった。秀吉はそれを自ら手に取り使者のところに来て手渡した。
「取っておけ」
「これは」
「些細なものじゃがな」
「いえ、これは」
ここでだ、使者はその褒美を見て目を瞠った。それは金貨だったのだ。それも相当にある。
その金貨を見てだ、使者は秀吉に言った。
「ただ行って帰っただけで」
「それだけのことをしたからじゃ」
「ここまでの褒美をですか」
「まだ欲しいなら言ってみよ」
「いえいえ、とんでもない」
使者は首を慌てて横に振って応えた。
「これでもう充分過ぎる程です」
「そうか、ではな」
「はい、有り難く」
恐縮してだった、使者は秀吉に平伏してだった。
その金貨を手にして彼の前から消えた、そして。
秀吉は使者を笑顔で見送ってからだ、居並ぶ諸将にその笑顔のまま言った。
「ではこれからじゃ」
「はい、策をですな」
「仕掛けていきますか」
「兵達に伝えよ、暇な時は酒を飲み女と遊べ」
こう秀次に言う、彼の甥である若く背の高い者に。
「そして思う存分楽しんで騒げとな」
「そうせよというのですか」
「囲みは解かぬが」
しかしというのだ。
「昼から多いにじゃ」
「暇なら遊べ」
「楽器も賑やかに鳴らしてな」
そうもしてというのだ。
「楽しめとな」
「酒に女」
「そして舞楽」
「歌って踊れ」
「そうせよというのですか」
「思う存分な、しかもじゃ」
さらに言う秀吉だった。
「相手に見せるのじゃ」
「北条家の者達にもですか」
「その遊ぶ様をよく見せる」
「そうするのですか」
「そうじゃ、存分に見せてやるのじゃ」
まさにという言葉だった、笑いながら。
「勿論我等もじゃ」
「暇なら酒を飲みですか」
「女と遊ぶ」
「そして舞楽も聴く」
「そうしてよいのですか」
「うむ、舞楽は思いきり大きく鳴らすのじゃ」
それも言うのだった。
「よいな」
「そしてその舞楽の音もですか」
「北条の者に聴かせる」
「そうするのですな」
「昼も夜もじゃ」
常にというのだ。
「とかくな、そして城の中にはな」
「はい、外で騒ぎ」
「そしてですか」
「それだけでなく」
「さらに仕掛けられますか」
「色々と流言飛語を流すのじゃ」
小田原城の中にはというのだ。
「外で見せて聞かせてな」
「そして中ではですか」
「様々に謀略を仕掛け」
「乱していく」
「そうしますか」
「そうする、流す言葉はわしが考える」
秀吉は笑みを浮かべたまま話す。
「常にな、ではよいな」
「わかりました、では」
「兵達を楽しませてです」
「我等もそうする」
「そして、ですな」
「城の中に流言飛語を巻く」
「様々なものを」
諸将も言う、そして実際にだった。
秀吉は実際に兵を遊ばせ自身も酒を飲み大坂からわざわざ側室を呼んでそのうえで茶や舞楽も楽しんだ、それをだ。
小田原の兵達に見せる、それを見てだった。
北条の兵達は実際にだ、歯噛みして言うのだった。
「何と楽しそうなのじゃ」
「皆遊んで美味そうなものを食っておるわ」
「酒を飲み女と遊び」
「歌って踊ってな」
「関白殿もそうしてな」
「楽しいものじゃ」
こう忌々しげに言う、そして。
彼等は自分達のことを振り返る、翻って彼等はというと。
「遊ぶなぞとてもじゃ」
「酒は夜に飲むが」
「昼におおっぴらに飲めるか」
「女もあそこまではな」
「とても無理じゃ」
守る方は常に緊張しているというのだ。
「全く、どういう違いじゃ」
「城の中と外で天国と地獄じゃ」
「ここまで違うとはな」
「全くも以てな」
「しかもな」
城の中ではだ、何かと。
「もう既に城に向けて穴が掘られているという」
「そうらしいな」
「旗本のどなたかが内通するとな」
「そうした噂もあるのう」
「まことかどうかわからぬが」
「門の一つが兵ごと寝返ったとかな」
「あれこれと話が出ておるな」
不穏な噂も流れていた、それも数多く。
「探せばどれも全て違う」
「しかし本当に違うのか」
「わかったものではないぞ」
「城の外はもう全て関白殿に降ったとかな」
「残った城は僅かとかな」
こうした噂もだ、秀吉は流していて北条の兵達は次第に不安にかられだしていた。秀吉は弓矢も鉄砲も城に向けて放っていないが。
そしてだ、北条方の城が陥ちるとだ。
「よし、それをじゃ」
「城に向けてですな」
「これ以上はないまでに騒げ」
そうせよというのだ。
「よいな」
「そしてですな」
「うむ、兵達も喚声をあげよ」
北条方の城を攻め落としたことを喜んでというのだ。
「一つ一つにな」
「そうしてですな」
「一つ一つじゃ」
まさにというのだ。
「北条方が追い詰められていると教えてやるのじゃ」
「それを信じないと」
「信じずとも心には残る」
聞いた者のそこにというのだ。
「それでよいのじゃ」
「それが、ですな」
「心を惑わすからな」
それ故にというのだ。
「だからそうせよ、よいな」
「はい、では」
「その様に致します」
「この城のことも」
「そして他の城のことも」
「例えあの城が大丈夫でもじゃ」
小田原城、今も見えるその城がというのだ。
「他の城が攻め落とされればな」
「それがですな」
「心にきく」
「そうなりますな」
「誰それが降っても同じじゃ」
それもというのだ。
「大々的に言うのじゃ」
「小田原城に向かって」
「そうしていきますか」
「喜んでもみせるのじゃ」
こうもせよとだ、秀吉は楽しんで言う。
「わかったな」
「わかりました」
こうしてだった、秀吉は小田原城を囲み付け城を築かせたうえでそうしたことを続けていた。この話を聞いてだった。
幸村は唸ってだ、ある城を攻めている時に十勇士達に言った。
「それこそまさにじゃ」
「まさにですか」
「関白様のやり方が」
「そうじゃ、よい戦の仕方じゃ」
そうしたものだというのだ。
「城を攻めるのは下計じゃ」
「しかし人を攻めるのは上計」
「そういうことですか」
「人の心をですな」
「それを攻めることがよいからこそ」
「そうじゃ、城は所詮は容れものじゃ」
それに過ぎないというのだ。
「空なら攻め取るのは何でもないな」
「はい、それこそ」
「家と同じです」
「空き家に入ることも同じです」
「それならば」
「そうじゃ、むしろじゃ」
まさにと言うのだった。
「人が大事なのじゃ」
「だからですな」
「ここは人が大事ですな」
「城を守る人を攻める」
「そのことこそが」
「うむ、そしてじゃ」
さらに言う幸村だった。
「関白様はそれをされておる」
「だからですな」
「小田原の城をああして攻めておられる」
「そういうことですか」
「うむ、そしてその人も大事じゃ」
幸村は城を守る人のことも話した。
「そちらもじゃ」
「人もですか」
「城を守る人の質ですな」
「それも大事なのですな」
「城は人が守るからこそ」
「強き者、賢き者が守る城は強い」
幸村は言い切った。
「そうした城はな、しかしな」
「弱兵、愚者が守る城は弱い」
「そうなりますか」
「うむ、そして城の者の心がまとまっていなければ」
守るという意志を以てだ。
「それも駄目じゃ」
「北条氏政殿は愚かではないですが」
「戦もお強いですが」
「家臣の方々も」
「しかしですか」
「ならば心を乱すのじゃ」
守る者が強いのなら、というのだ。
「先程言った通りな」
「そういうことですか」
「強い者ならば心を乱す」
「そうすればよいですか」
「そうじゃ、囲み逃げられぬ様にすればそれも容易い」
丁度今の小田原の様にというのだ、幸村は今囲んでいる敵の城を見つつ言った。これから攻めるところである。
「思う存分策を仕掛けられるからな」
「ですか、では」
「小田原城は守る人の心を攻められ続けられますか」
「このまま」
「そうなりますか」
「そしてじゃ」
やがてはというのだ。
「陥ちる」
「そうなりますか」
「あのまま」
「やがては」
「そうなる、最早な」
こう言うのだった、そして。
幸村は今彼等が囲んでいる北条方の小さな城を見てだ、十勇士達に言った。
「拙者もそうしたい」
「では、ですな」
「この城は攻めぬ」
「そうお考えですか」
「城は攻めぬ」
こう言う、実際に。
「だからな」
「はい、それではですな」
「我等が動き」
「そしてですな」
「そのうえで」
「城の中に入ってもらう」
十勇士達に言った。
「そしてじゃ」
「流言を流し」
「そして、ですか」
「城を守る者達の士気も落とし」
「そのうえで」
「降らせる、そして降ればな」
その時のこともだ、幸村は言った。
「誰の命も奪わぬ」
「城主の方のお命も」
「誰も」
「戦はしても無用な血はいらぬ」
これも幸村の考えだ、彼は決してそうしたことは求めないのだ。
「だからな」
「はい、では」
「これより徹底的に流言飛語を流します」
「そして城を開城させましょう」
「そこに持っていきましょう」
十勇士達も応える、そしてだった。
幸村は彼等にだ、こうも言った。
「城に入ってもな」
「殺生もですな」
「無闇にはですな」
「そうじゃ」
まさにというのだ。
「戦はしてもじゃ」
「無駄な血を流すことはない」
「殿がいつも言われていることですな」
「だからじゃ、御主達も命は大事にせよ」
例えそれが敵のものであってもというのだ。
「戦って敵を倒すことはよいが」
「悪戯に命を奪う」
「それはせずに」
「殿の言われるまま」
「攻めよというのですな」
「そうじゃ、よいな」
こう十勇士達に言う、そして実際にだった。
幸村は囲んでいる城を力押しせずにだった、城の中に十勇士達を送り込み彼が伝えた流言飛語を流し。
城の中の敵の将兵達を惑わした、その流言飛語はというと。
「援軍は来ぬのか」
「ではこのまま我等は城で討ち死にか」
「周りの城は全て攻め落とされたという」
「しかも敵の援軍がまた来るという」
「それならもう終わりじゃ」
「戦っても意味がない」
「しかも降れた皆助けてもらえるそうじゃ」
こうした噂をだ、十勇士達は幸村に授けられ城の中に忍び込み北条家の者達に流していたのだ。事前に捕虜から貰い受けた北条家の白の服や具足を着けたうえで。
それを聞いてだ、北条の兵達も口々に彼等の中で話をした。
「助かるのならな」
「うむ、無理に戦うこともない」
「どうせ援軍も来ぬし周りも囲まれておる」
「ここは降った方がよいぞ」
「全くじゃ」
城の兵の士気は瞬く間に落ちてだ、それを見てだった。
城主もだ、城の主な者達を集めて言った。
「話は聞いておるな」
「兵達がですな」
「戦う気をなくしていますな」
「囲まれ援軍も来ぬ」
「しかも命は助けてもらえると聞いて」
「実際にじゃ」
城主は彼の下にいる旗本達にこうも言った。
「真田殿からそうした話が来ておる」
「誰も殺すことなくですな」
「命を助けると」
「その様に」
「上杉殿にお話して関白様にとりなしもしてくれてじゃ」
ただ開城して命を助けるだけでなく、というのだ。
「しかもじゃ」
「さらにですな」
「我等の領地も安堵して頂く」
「そうも言われていますな」
「これは破格じゃ」
まさにというのだ。
「だからな」
「降るべきですな」
「そもそも援軍も来るかどうかわかりませぬ」
「それで攻められてはどうしようもありませぬ」
「真田の兵は強いですし」
「降るべきじゃな」
城主は決断した、そしてだった。
旗本達にだ、あらためて言った。
「では真田殿に使者を送ってじゃ」
「降ることをお伝えする」
「そうしますな」
「うむ」
その通りという返事だった。
「そうするとしよう」
「わかりました、では」
「早速敵の本陣に使者を送りましょう」
「そしてそのうえで」
「降りましょう」
旗本達も言う、こうしてだった。
幸村は己の前に来た使者にだ、満面の笑顔でこう言った。
「わかり申した、では」
「はい、我等の命をですか」
「約束致す」
こう告げた。
「それがしも武士、ですから」
「約束はですか」
「真田の名にかけて」
決して、というのだ。
「必ず」
「それでは」
「城をお開け下され」
降る相手にも謙虚で穏やかな物腰で告げる。
「その様にされて下さい」
「ではこのこと殿にお伝えします」
使者もこう答えてだ、そしてだった。
城は一戦も交えることなく開城となった、幸村は城の者達の命を一切奪わず城を手に入れた、そのことを聞いてだった。
昌幸は他の城を囲んでいる時に笑ってだ、周りにいる者達に言った。
「源次郎がやったわ」
「城を陥とした」
「そうされましたか」
「一兵も失わずにな」
まさにというのだ。
「そうしたわ」
「ですか、源三郎様も城を一つそうされていますが」
「源次郎様もですな」
「そうされましたな」
「そうじゃ、しかし源三郎は兵糧攻めにして攻め落とした」
信之はというのだ。
「城の中の兵糧を忍を送って焼かせたうえでな」
「しかし源次郎様はですな」
「流言飛語で敵の士気を落とし」
「そうして開城にまでもっていかれた」
「それぞれ違いますな」
「うむ、しかし二人共戦わずして勝ったとはな」
昌幸は笑って言うのだった。
「見事じゃ、それでよい」
「戦わずして勝つ」
「まさにそれが最良ですな」
「だからこそですな」
「お二方はよいのですな」
「そうじゃ、しかも降った敵の命は奪わなかった」
二人共、というのだ。
「このこともよい」
「実にですな」
「そのことも」
「左様じゃ」
まさにというのだ。
「それでよい、帰ったら褒美をやろう」
「お二方に」
「その様にされますか」
「書をな」
自身が持っているそれをというのだ、二人共書が好きなのでそれを褒美にしようというのだ。
「そうします」
「ですか、では」
「その様にされますか」
「お二方の功を認められ」
「そうしますか」
「是非な」
こう言うだった、そして。
昌幸は行く先々の城に様々な噂を流し北陸勢の主力が行く先はほぼ戦うことなく開城させていっていた、その状況を見てだ。
利家は奥村を連れ景勝と兼続にこう言った。
「流石は武田家きっての智将と呼ばれた方」
「確かに」
景勝はその利家に彼特有の短い声で応えた。
「まさに戦うことなく」
「城を明け渡させていますな」
「あえて行く先々に話を流し敵の戦意を削ぎ開城させる」
兼続も言う。
「お見事ですな」
「そもそもこの度の戦は兵の数が違いまする」
奥村も言う。
「北条はその時点で負けていました」
「やはり兵は多いに限る」
利家はその奥村にも言った。
「やはりな」
「左様ですな」
「戦にも有利に立つしな」
「その兵を見てですな」
「それだけで敵は怖気つく」
「それを利用して」
さらにとだ、奥村は言った。
「真田殿は戦えば負けると言われていますな」
「敵にな」
「そして降れば助かるとなれば」
「それだけで戦う者は減る、しかし」
ここでだ、利家はこうも言った。
「真田殿は既に読まれていると思うが」
「はい、そのことですな」
「北条家の士気が元からな」
「あまり高くないですな」
「どうも多くの者は戦をしたくなかったらしいな」
「関白様とは」
「最早天下は定まっておる」
利家は青い、織田家のそれをそのまま受け継いでいる青い具足と陣羽織の己の軍勢を見つつさらに言った。共にいる上杉の軍勢は黒だ。
「それを北条の者達も既にな」
「肌ではですな」
「感じておるな」
「そうですな」
「それで最初からじゃな」
「北条家の戦意は低いですな」
「その様じゃな、しかしどうもな」
さらに言う利家だった。
「近頃特にじゃ」
「士気が落ちていますな」
「どの城もすぐに降る」
昌幸の策があるにしてもというのだ。
「どうもな」
「ですな、戦意は落ちる一方です」
「小田原城に付け城が築かれています」
兼続は利家と奥村、そして景勝にこのことを言った。
「そのうえで城を完全に囲んでいますので」
「それでじゃな」
「はい、北条家は負けるとです」
「多くの者が思いはじめておるか」
「それ故にかと」
兼続jは景勝に述べ利家主従にも話した。
「北条家の士気は落ちています」
「そうか、ではな」
「この戦が終わるのは早いか」
利家も言う。
「それでは」
「そうではないかと」
兼続は利家にも答えた。
「やはり」
「そうか、北条家も長く強い力を持っていたが」
「これで終わりですな」
奥村も言う。
「そしてその後は」
「伊達じゃな」
「はい、そうなりますな」
奥村は歳家の言葉にも答えた。
「やはり」
「そうじゃな、しかし」
「しかしとは」
「北条家とは戦になっていますが」
「それでもか」
「はい、伊達家はこれから次第かと」
「降ればじゃな」
利家は自身の家老の言葉を受けて言った。
「それもないな」
「はい、そうかと」
「そうなるか」
「わかりませぬな、ただ」
兼続は己の目を鋭くさせて伊達家、もっと言えば伊達家の主である伊達正宗について話した。
「あの御仁の野心は強いです」
「噂には聞いていますが」
奥村が応える。
「そこまでですか」
「天下すらです」
「それもですか」
「望んでいるまでに」
「何と、そこまでとは」
「はい」
まさにというのだ。
「あの御仁の野心は強いです」
「左様ですか」
「ですから」
それ故にというのだ。
「ご注意です」
「わかりました」
奥村は兼続に答えた。
「噂以上のですな」
「危険な御仁です」
「天下までとは」
「生まれるのがより早く」
そしてというのだ。
「近畿や東海、せめて甲斐や安芸に生まれていれば」
「それで、か」
「はい、天下を争っていたでしょう」
こう利家にも話す。
「それ程の人物です」
「騎馬隊に鉄砲を持たせて戦うのは聞いておる」
利家にしてもというのだ。
「それはな、しかし」
「野心についてはですか」
「資質もな」
利家は兼続の話からそのことまで見抜いていて言うのだった。
「それだけあるとな」
「前田殿もそう思われますか」
「直江殿の言われる通りじゃ」
まさにというのだ。
「恐ろしい男じゃな」
「しかも二人の優れた家臣がおらまして」
「二人もか」
「片倉小十郎、伊達成実」
兼続はすぐにその二人の名も挙げた。
「このお二人がです」
「その伊達殿を支える」
「両腕です」
「その二人もいてか」
「伊達家は尚更強いです、ですから」
「ここで降ってもじゃな」
「用心が必要かと」
こう言うのだった。
「くれぐてもです」
「わかった、では関白殿にお話しておこう」
利家は秀吉と昔馴染みで今も親しい間柄だ、だから彼の場合は秀吉を様付けでなく殿付けでも許されているのだ。
「伊達政宗殿のこととはな」
「用心すべき御仁だと」
「後で文を書く」
その秀吉宛にというのだ。
「そうしよう」
「それがよいですな」
奥村も利家に応えて言う。
「拙者も直江殿のお話を聞きますと」
「危ういと思うな」
「独眼竜といいますが」
奥村は政宗のその仇名も言った。
「その隻眼で恐るべきものを見ていますな」
「天下をじゃな」
「そう感じました」
「だからじゃな」
「降ってもです」
「そこで終わりではないな」
「機があればです」
まさにだ、その時はというのだ。
「動くでしょう」
「そうじゃな、ではな」
「はい、あの御仁はです」
「降っても備えが必要じゃな」
「殿か徳川殿か」
奥村は鋭い目になって主に語った。
「蒲生殿か」
「忠三郎か」
利家はその蒲生氏郷の名を聞いて彼を常に呼ぶ名で言った。
「あの者位か」
「はい、そう思います」
「そうか、ではな」
「はい、間違ってもです」
それこそというのだ。
「油断してはなりません」
「では関白殿にお話しよう」
「是非共」
「その様にな、そして関東じゃが」
今彼等が攻めている場所のこともだ、利家は話した。
「思った以上に順調じゃ」
「確かに。このままいくと」
景勝も言う。
「半年も経たずに」
「戦は終わりますな」
「そうなるかと」
「思ったもよりも楽か、しかし」
「北条家にもです」
景勝は懸念を抱いた利家に言った。
「骨のある者はいます」
「ですな」
「忍城はです」
この城のことを言うのだった。
「特にです」
「その甲斐姫がいるという」
「あの城はそうそう陥ちぬかと」
こう利家に言うのだった。
「相当な御仁に相当な兵を付けぬ限り」
「あの城は確か」
利家はここで兼続を見て言った。
「佐吉と桂松が攻めることになっておる」
「佐吉殿ですか」
実は兼続は石田と深い付き合いがある、親友同士と言っていいまでに仲がいい。お互いによく知った間柄である。
「佐吉殿は戦もです」
「うむ、出来る」
利家もこう言う。
「戦のことをよくわかっておる」
「特に銭と兵糧のことが」
「桂松もな、二人共な」
「はい、しかも勇も備えています」
「決して柔弱の徒ではない」
利家は強く言い切った。
「佐吉もな」
「はい、しかし」
「それでもじゃな」
「甲斐姫は強いです」
「女でもじゃな」
「巴御前の様な」
「そこまでか」
「はい」
まさにというのだ。
「相当と聞いています」
「だからか」
「あのお二人でもです」
石田、大谷でもというのだ。
「難しいかと」
「あの二人なら」
利家が言うには。
「相当な、な」
「相手でもですな」
「戦えるが」
「それがしもそう思いますが」
「忍城は堅城でじゃな」
「甲斐姫もです」
「恐ろしい女武者か」
こう兼続に言った。
「そこまでの」
「ですから」
「そうか、では若しもの時は」
「援軍を出すべきかと」
景勝の言葉だ。
「我等からも」
「そうなるやも知れませんな」
「むしろです」
奥村も言う。
「そうした声がかかることもです」
「有り得るか」
「若し佐吉殿、桂松殿で無理なら」
「そうか、ではな」
「お声がかかれば」
「そうなるか」
「考えておきましょうぞ」
「そうじゃな、しかし戦全体で考えれば」
利家は広く見て言った。
「この戦はな」
「勝ちですな」
兼続も言う。
「やはり」
「そうなるな」
「趨勢は決まっていました」
「戦う前から」
「既に」
最早というのだ。
「数が違いますし」
「何もかもがじゃな」
「関白様には天の時もあります」
「それが最も大きいか」
「はい、天下人になられています」
既にというのだ。
「ですから」
「後はどのみちじゃったな」
「関東も奥羽もです」
即ち東国全てがというのだ。
「関白様の下に収まるものでした」
「戦もなくじゃな」
「はい」
これが兼続の言葉だった、そして。
話が一段落したところでだ、景勝が一同に言った。
「では」
「はい、それでは」
「これより明日のことを話すといたそう」
兼続にも言った。
「これより」
「ですな、それでは」
「割等は明日も進みますが」
今度は利家に言った。
「その戦は」
「ですな」
利家もすぐに応えた。
「真田殿の策のお陰で」
「幾位先々の城は次々と降っております」
「ならばこのまま進みますが」
「しかしです」
ここでくこう言った景勝だった。
「中には降らぬ城もあるやも」
「そうした城があれば」
「その時は囲むなりして」
そのうえでというのだ。
「攻めることも頭に入れておきましょう」
「ですな」
利家もわかっている返事だった、そして。
あらためてだ、こう言ったのだった。
「ではその時はそれがしが」
「前田殿がですか」
「攻めまする」
景勝に対して言った。
「お任せあれ」
「いえ、それはです」
景勝も静かだが負けていない返事だった。
「それがしがです」
「そう言われますか」
「上杉家の武をお見せします」
こう言って引かない。
「お休みあれ」
「そうはいきませぬ」
前田はまた言った。
「それはです」
「前田殿のですか」
「我等も武をお見せしたいので」
利家は笑みを浮かべて言う。
「是非共」
「引かれませぬか」
「はい」
どうしてもという言葉だった。
「ここは」
「それは弱りましたな」
「ははは、ですな」
「どうしたものか」
「ではです」
「ここはです」
兼続と奥村がここで言った。
「くじ引きかです」
「何かで決めてはどうでしょうか」
「当たればそちらにと」
「そうされては」
「ふむ」
利家は二人の言葉を聞いて言った。
「そうじゃな」
「はい、では」
「そうしましょうぞ」
「ではな」
頷いてだ、そしてだった。
彼等は彼等の戦を進めていた、北陸勢は順調に進軍をしていた、だが全ての者がそうでもなかった。この戦においても。
巻ノ五十八 完
2016・5・22