巻ノ百三十二 講和
砲が大坂城に向けて放たれ続けていた、だが城の殆どの者が滅多に堀を越えられぬ砲弾達を笑っていた。
「無駄なことじゃ」
「幾ら撃っても精々城の壁や櫓にたまに当たるだけ」
「当たった後は戦の後でなおせばいい」
「それだけのことじゃ」
「精々撃っておれ」
「そうしておるがいいわ」
足軽達が笑って言う、だが。
その状況を自身の持ち場から見ていてだ、後藤は腕を組み危ういといった顔で彼の家臣達に言った。
「このまま砲撃が続くとな」
「やがてはですな」
「茶々様が折れられ」
「そうしてですな」
「講和を言われるわ」
そうなるというのだ。
「だから砲撃をする前にうって出たかったがな」
「こうして砲撃がはじまってしまった」
「しかも茶々様が震えておられてですな」
「何の下知も出せぬ有様」
「そうした状況ですな」
「こうなってしまってはどうにもならぬ」
最早という言葉だった。
「砲弾が尽きるのを待つだけじゃ」
「若し茶々様が折れる前に尽きれば」
「その時はですな」
「攻められますな」
「それが出来ますな」
「その時はな、そうなって欲しいが」
ここでこうも言った後藤だった。
「若し城の中、しかも茶々様のお傍に弾が落ちれば」
「この大坂城の中にですか」
「弾が落ちるとですか」
「その様になるのですか」
「まさか」
「そのまさかじゃ、若しもじゃ」
それこそというのだ。
「そうなればもうその時点で終わりじゃ」
「いえ、大坂城の中に弾が落ちるなぞ」
「今で精々外堀を越える程度だというのに」
「それもごく稀に」
「風じゃ」
強い風、それを感じつつ言う後藤だった。
「この風に乗せて撃てば届く弾もあろう」
「茶々様のお傍に」
「あの方は今奥御殿におられますが」
「そこまで弾が届きますか」
「そうなるのですか」
「そうやも知れぬ、それで茶々様のお傍に落ちれば」
その砲弾がというのだ。
「それでこの戦が終わるぞ」
「講和ですな」
「それも幕府の言うままの」
「それで終わりますな」
「それは負けと同じじゃ」
幕府の言うまま講和してはというのだ。
「だから危うい、届かないことを祈るわ」
「大砲の弾が茶々様のところまで」
「奥御殿まで」
「何とかな」
こう言ってそしてだった、後藤は城への砲撃が続く状況に危惧を感じていた。それは幸村はさらに切実だった。
砲撃が続く中でだ、彼は十勇士達に問うた。
「守りはそこまで厳重か」
「はい、非常にです」
「我等も何とか出ますが」
「その都度十二神将だけでなくです」
「伊賀者、甲賀者が総出で出ます」
「そうして大砲を破壊するまでは出来ておりませぬ」
「その動きも阻むことが出来ておられません」
幸村の命じたことが出来ない、それで苦い顔で言う十勇士達だった。
「ですからここはです」
「何とも出来ておりませぬ」
「せめて軍勢が出れば共に戦い砲撃も止められますが」
「それも出来ないので」
「苦しい状況です」
「そうか、それで今は危ういぞ」
そうした状況とも言った幸村だった。
「奥御殿が狙われておるぞ」
「茶々様のおられる」
「あの場所がですか」
「狙われているのですか」
「そうなのですか」
「うむ、茶々様ご自身は狙っておらぬが」
それでもというのだ。
「あの方のお心を狙っておられる」
「若しもです」
ここで大助が言ってきた。
「茶々様に当たらずとも」
「それでもな」
「茶々様の御心はそれで、ですな」
「怯えられてな」
そうしてというのだ。
「講和を言い出される」
「そうなってですな」
「負けてしまうわ」
そうなってしまうというのだ。
「我等は」
「では」
「何とかしたいがな」
幸村にしてもというのだ。
「どうにも出来ぬか」
「大砲が億御殿に届けば」
猿飛が言ってきた。
「流石に我等も砲弾はどうにもなりませぬし」
「左様、それがし達が風を操りましても」
風を使う由利も言う。
「砲弾の動きを変えることは出来ませぬ故」
「この風ですと」
筧は風の流れから言った。
「流れを使いますと弾は届きませんな」
「ううむ、どうすればよいか」
清海も深刻な顔である。
「この状況は辛いですな」
「霧を出して狙いを乱そうにも」
霧隠は彼の術から述べた。
「もう奥御殿の場所はわかっていますしな」
「後は撃つだけです」
穴山も難しい顔であった。
「そして奥御殿まで届けば終わりとは」
「全く以て辛いですな」
海野もどうしていいかわからない。
「この状況では」
「殿、やはり我等が無理にでも攻めてです」
望月は主である幸村に申し出た。
「砲を壊しましょう」
「そうするのがよいかと」
根津もこう幸村に話す。
「一刻の猶予もなりませぬし」
「我等にお命じ下さい」
沈着な伊佐も主に申し出た。
「後の責は我等が取ります」
「いや、また言うがお主達だけで攻めても相手は万全な備えをしておる」
幸村は出陣を申し出た十勇士達に返した。
「それではお主達だけで攻めるよりな」
「殿も攻められる」
「軍勢と共に」
「そうせねばなりませぬか」
「どうしても」
「それは出来ぬ」
茶々の許しが出ていないからだ。
「これまでの様なちょっとした夜討ちや迎え討つものではないからな」
「ですな、到底」
「それはですな」
「出来ませぬな」
「流石に」
「そうじゃ、だからな」
それ故にというのだ。
「やはり出陣は出来ぬ」
「では父上、最悪今講和も」
「あるわ、そしてその時はな」
「幕府の言うままにですな」
「講和もあるわ」
「そうなればもう」
「負けじゃ、我等は」
そうなってしまうというのだ。
「大坂城もどうなるかわからぬ」
「この城を出されますか」
「それか出るしかない有様になるわ」
そうした状況に追いやられてしまうというのだ。
「幕府は大坂が欲しいのじゃからな」
「そして大坂城をですな」
「だからじゃ、我等を大坂城から出す為にな」
「そうですか、では」
「我等の負けは近いやもな」
苦い顔で言う幸村だった、彼がこう言った瞬間に奥御殿への砲撃がはじまっていた。その砲撃は激しいが。
大坂城の外堀すら中々越えられない、それを見て城の兵達はまた笑っていた。
「ははは、またやっておるわ」
「無駄なことをな」
「何時までやっておるのか」
「何度撃っても城まで届く筈がないわ」
「そんなことをしても無駄じゃ」
こう言って笑っていた、しかし。
そのうちの一発がだった、追い風に乗って。
そうして奥御殿の真ん中に落ちた、それに茶々の側に仕えていた女中達が数人吹き飛ばされてしまった。
砲が屋根と壊した音と侍女達の泣き叫ぶ声を聞いてだった、茶々は瞬時にだった。
血相を変えてだ、大蔵局に叫んだ。
「修理、修理を呼ぶのじゃ!」
「戦のことで、ですか」
「そうじゃ、話があるわ」
蒼白になった顔で言うのだった。
「だからじゃ」
「すぐにですな」
「ここに呼ぶのじゃ」
こう言ってすぐに大野を呼んで彼にも叫んだ。
「修理、講和じゃ」
「講和ですか」
「ここまで砲の弾が届いたのじゃぞ」
「はい、そのお話は今聞きまして」
それでと答える大野だった。
「今からこちらにと思っていました」
「そうであったか」
「そこで母上から人が来まして」
「それで来たのじゃな」
「そうです、それでなのですか」
「妾はもう耐えられぬわ」
蒼白になったその顔での言葉だった。
「だからじゃ」
「講和ですか」
「そうじゃ、講和じゃ」
何度も言う茶々だった。
「よいな」
「そうですか、ですが」
「もう我慢出来ぬわ」
あくまでこう言う茶々だった。
「だかじゃ、よいな」
「では」
大野は即答しなかった、流石に己の一存で講和なぞ出来ないと思ってだ。それですぐに諸将を集めてだった。
この話をするとだ、諸将は皆こう言った。
「今講和なぞなりませぬぞ」
「とんでもない話です」
「その様なことをしてはなりませぬ」
「断じてです」
「戦です」
「その様なことは論外です」
「しかしじゃ、茶々様が言っておられるのじゃ」
苦い顔で返す大野だった。
「だからな」
「どうしようもない」
「そう言われるのですか」
「事実上の総大将である茶々様が講和と言っておられる」
「だから」
「そうじゃ」
「しかしですぞ」
治房が声を荒わげさせて兄に言ってきた。
「諸将、そして兵達の多くはです」
「元は大坂の者達ではないというのじゃな」
「皆この城に豊臣を慕い集まってきております」
だからだというのだ。
「ここで講和をしてはなりませぬ」
「戦じゃな」
「左様、ここで講和なぞしては」
「それがしもそう思いまする」
治胤も言ってきた、弟達は二人共兄に言うのだった。
「ここで講和をすれば幕府の思う壺ですぞ」
「講和なぞせずにです」
「かえって攻めましょう」
「奥御殿のあれはたまたまです」
「何でしたら茶々様には天守に移ってもらいましょう」
「あそこなら砲なぞ届きませぬぞ」
「修理殿、なりませんぞ」
後藤も大野に強く言ってきた。
「ここでの講和は」
「後藤殿もそう考えておられるか」
「はい、講和なぞしては」
それこそというのだ。
「幕府の思う壺です」
「だからじゃな」
「逆にうって出るべきです」
それがいいというのだ。
「ですから」
「そう言われるか、しかしな」
「茶々様はですな」
「違うお考えじゃ」
諸将とはというのだ。
「講和じゃ、ではな」
「修理殿、まことにです」
今度は幸村が大野に言った。
「ここで講和をしては」
「幕府にじゃな」
「何を言われるかわかりませぬぞ」
「それは拙者も思うが」
「ならば茶々様を説得されて下さい」
「何ならそれがしが行きまする」
治房はもう席を立たんばかりだった。
「そして茶々様にお話します」
「それがしもお供しますぞ」
治胤は次弟に従った。
「それでは」
「若し有楽殿がまた出られるなら」
木村は二人以上に激昂していた、それで白い整った顔が赤くなっている程だった。
「それがしが止めます」
「ではその間に我等が」
「茶々様にお話します」
「だからそれはならんと言っておるのだ」
大野は逸る彼等に強く言った。
「茶々様がそうお考えならじゃ」
「我等は聞くのみと言われますか」
「左様」
長曾我部にも苦い顔で答える。
「わかって頂けよ」
「ここで講和は心中の様なものですぞ」
明石も顔が蒼白になっている、それだけ今ここで幕府と講和すれば深刻なことになってしまうというのだ。
「それでも宜しいか」
「この戦負けますぞ」
毛利もこう見ていた。
「それでも宜しいか」
「我等で一気に打って出ましょうぞ」
塙は聞けぬという態度すら見せていた。
「講和は断じてなりませぬ」
「右大臣様はどうお考えですか」
治房は大野に表向きの主のことを問うた。
「一体」
「講和は早いのではと言っておられる」
「ではです」
「右大臣様のお考えでか」
「行くべきです」
是非にと言うのだった。
「そうしましょうぞ」
「だから茶々様が言われておるからな」
「兄上はいつもまず茶々様ですが」
治房も引き下がらない、まだ言う。
「どうかここはです」
「講和ではなくじゃな」
「戦です」
こう言って引き下がらない。
「どうか」
「いやいや、それはなりませんぞ」
ここで別の者の声がした、有楽が場に来た。その傍には長頼もいて親子共にいる形となっている。
「茶々様のお言葉ですから」
「だからと言われるのですか」
「左様、ここは主のお言葉を聞かれて」
そうしてというのだ。
「講和すべきですぞ」
「何でも主命でござるか」
木村は有楽を睨みつけて問うた。
「そう言われるか」
「左様、それが武士ではありませぬかな」
「忠義だというのですな」
「そうではありませぬか」
「違いまする」
断じてと返す木村だった。
「武士は主の過ちを諫めるもの」
「だからでありますか」
「ここは諫め」
茶々、彼女をというのだ。
「講和なぞせぬことです」
「そうですぞ、ここはです」
治房も有楽に言う。
「戦です、絶対に」
「断じてですか」
「そうすべきです」
「いや、待て」
大野がここで断を下した様に言った。
「やはりな」
「ここはと言われるか」
「講和じゃ」
こう諸将に告げた。
「それでお願い致す」
「それでは決まりですな」
有楽は他の諸将が何か言う前に言った。
「それでは修理殿」
「はい、これより幕府に使者を送り」
「常高院様が受けて下さいますぞ」
「あの方がですか」
「既に大坂にお呼びしていますので」
万事に抜かりのない有楽だった、こうなる様にしてそのうえで茶々のすぐ下の妹であり秀忠の妻であるお江の姉である彼女を呼んだのだ。
「では」
「丁度いい、それでは」
「講和ということで」
こうしてだった、大野はその常高院を呼びそのうえで彼女を茶々のところに案内した、すると常高院は大野と共に姉に会いすぐにこう言った。
「講和されますか」
「そうじゃ、そなただから言える」
妹に切羽詰まった顔で言うのだった。
「ここは講和じゃ」
「そうされてですか」
「戦を終える、よいな」
「それはよいのですが」
常高院は姉の言葉を受けて心配する様に言葉を返した。
「私から申し上げることがあります」
「何じゃ?」
「はい、講和されたらです」
こう姉に言うのだった。
「姉上は私と一緒に住みませんか」
「そなたとか」
「はい、そうして頂けますか」
「というとそなたが大坂に来てくれるのか」
茶々は妹の言葉をこう受け取った。
「そうされるのですか」
「それは」
「違うのか」
「いえ、ではこのまま大坂におられますか」
「わらわのおる場所はここしかおらぬ」
妹に強い声で返した。
「違うか」
「そう言われますと」
「他の何処があるのじゃ」
「いえ、ですから」
「あの、常高院様」
大野が戸惑う常高院にそっと言った。
「ここは」
「わかりました、では」
「その様に」
眉を曇らせての言葉だった。
「お願いします」
「それでは」
「何を話しておる、とにかく講和すればわらわは大坂におられるのじゃな」
「その場合お覚悟はありますか」
「覚悟とな」
「そうです、何があろうとも」
「おかしなことを言う、そもそもそなたと共に住めとな」
茶々も常高院にこのことを問うた。
「一体どういうことじゃ」
「また申し上げますが私と共に穏やかに住みませぬか」
「何故じゃ、わらわは天下人の母であるぞ」
「ですから」
「とにかく講和じゃ、わらわは講和して大坂に留まる」
「そのおつもりは変わりないですか」
「だからどうして変わるのじゃ」
あくまでこう言う茶々だった、そしてだった。
常高院には己の言いたいことだけを言い幕府に伝える様に言った、常高院はすぐに家康の前に出てそのことを伝えたが。
その常高院にだ、家康は難しい顔で問うた。
「わからなかったのじゃな」
「はい、申し上げましたが」
家康に項垂れた顔で返すしかない常高院だった。
「ですが」
「左様か、貴殿と共に住むということはな」
「江戸に住むことであり」
「江戸に茶々殿がおればな」
「それで、ですね」
「わしもかなり違うが」
人質ということでそこに豊臣の幕府への恭順があるとみなせてことの次第を大目に見ることが出来るというのだ。
「それがわからぬか」
「大坂におられることが絶対とです」
「そうか、ではな」
「はい、それではですか」
「やはりあれしかない、講和わかったと伝えてくれ」
「では」
「講和の条件は後日伝える」
その条件が整い次第というのだ、家康はまずは停戦をさせた。常高院は彼女の仕事を果たしたのだが。
家康は幕臣達を集めてだった、強い声で言った。
「では考えていた通りな」
「鳴かせてみせよ、ですな」
秀忠が聞いてきた。
「そうされますな」
「うむ、やはりそれでいくことになった」
「無理にでもですな」
「大坂から出てもらう為にな」
「ここはあえてですか」
「仕掛ける、思い切ってな」
こう秀忠に話した。
「そうするぞ」
「しかしこの様な簡単な騙し手乗りますか」
柳生はこのことが疑問だという顔だった。
「何処から何処までかと修理殿や大坂の諸将ならすぐに言ってです」
「確実にはさせぬな」
「むしろそれ位ならとです」
「茶々殿をじゃな」
「そう考える将も多いのでは」
「茶々殿が江戸に来ればそれで同じじゃ」
その場合はそれでいいと言う家康だった。
「後はどうとでもなるではないか」
「大坂もですな」
「幕府のものとなる、さすればどのみちじゃ」
「大坂城はですな」
「あそこまで大きくなくともよいしな」
「左様ですか」
「諸将がそう言っても同じでじゃ」
大坂の、というのだ。
「茶々殿がどう言うかが全ての城じゃからな」
「講和になりますか」
「わしが出した条件を絶対にじゃ」
「茶々様は飲まれますか」
「うむ、そうするわ」
「しかしです」
秀忠がどうかという顔で家康に言ってきた。
「それがしも常に思っていますが」
「茶々殿をわしの正室にじゃな」
「そのお考えは今もおありですね」
「変わりない」
秀忠にあっさりと答えた。
「それはな」
「やはりそうですか」
「しかしな」
「茶々様のお考えもですな」
「変わっておられぬ、どうしても大坂から離れぬわ」
「天下人の母だと思っているからこそ」
「それで動かぬ、それではな」
最早と言うのだった。
「こうするしかないわ」
「講和の中にですな」
「細工をするからな」
「その細工にかけてですか」
「そうしてじゃ」
「どうしてもですな」
「大坂から出るしかなくすが。しかし」
茶々の強情さ、頑迷さとも言っていいその気質を知っているからこそだ。家康は難しい顔になってこうも述べた。
「そうしてもな」
「それでもですな」
「あの方は去らぬかもな」
「あの城を」
「そうするかも知れぬ」
こう言うのだった。
「あの強情さを思えば」
「鳴かせてみせよにしても」
「鳴かぬ不如帰もおるな」
「ですな、不如帰もそれぞれです」
不如帰次第だとだ、秀忠も応えて言う。
「ですから」
「そして茶々殿はな」
「どうしても鳴かぬ、ですか」
「そしてその茶々殿が主だからな」
「大坂は今から我等の細工に乗り」
「出ざるを得なくなる」
そうなってしまうというのだ。
「そしてそうなってもじゃ」
「出ぬやも知れませぬか」
「全く、大坂は実に厄介な主を持ったな」
「若しもです」
正純がここで言うことはというと。
「関白殿ならば」
「うむ、おそらく既にな」
「大坂から出られていますな」
「関ヶ原が終わったならばな」
最早その時点でというのだ。
「そうされておったわ、しかしな」
「そもそもですな」
「わしも天下を狙わなかったであろう」
秀次が生きていればというのだ。
「その時はな」
「そうですな、あの方がおられれば」
「豊臣家もああはなっておらなかったであろう」
「ですな、せめてあの方がおられれば」
「間違ってもこうしたことになっておらんかった」
戦にもというのだ。
「まだわかっておられた御仁だったからのう」
「茶々様と違い」
「そうじゃ、確かな方であったからな」
政も戦も知っている者だったというのだ、そして茶々の様に意固地なまでに強情ではなかったというのだ。
「わしも江戸におったままやったやもな」
「そうでしたな、しかし」
「今は茶々殿じゃ」
秀次はもう亡く、だ。
「そしてじゃ」
「その茶々様だからこそ」
「仕掛けてもな」
細工、それをだ。
「大坂を手に入れられる様にするぞ」
「わかり申した」
「あと右大臣殿じゃが」
家康は彼のことにも言及した、大坂の名目上の主である彼の。
「わしはあの御仁の首なぞはじゃ」
「見たくありませぬな」
「そうじゃ」
こうはっきりと言った。
「おそらく責は大野修理が全部受けてじゃ」
「そしてですな」
「腹を切ることになるであろうが」
「いざという時は」
「それでもじゃ」
「右大臣殿はですな」
「右大臣の地位は高い」
その官位の高さからも言うのだった。
「そこまでの地位の御仁に無礼は出来ぬな」
「はい、とても」
正純も官位のことは熟知している、それでこう家康に応えた・
「その様なことは」
「出来ぬな、何しろ竹千代よりも高い」
秀忠を見ての言葉だ、内大臣である彼を。
「それならばじゃ」
「無礼のない様にですな」
「せねばならぬ、だからじゃ」
「そのことからもですな」
「命はよい」
「では最悪でも」
「少し高野山に入ってもらうやも知れぬが」
それでもというのだ。
「首はいらぬ」
「左様ですか」
「腹を切ってもらうこともない」
「修理殿のことだけで」
「済ませたい、あと諸将もな」
その彼等もというのだ。
「立派な者達が揃っておるからな」
「出来れば幕府で、ですな」
「召し抱えたいがのう」
彼等もというのだ。
「そう思うが」
「ではここで、ですな」
「豊臣家が大坂を出ればこれ以上いいことはない」
家康にしてもというのだ。
「それならな、後藤又兵衛なぞはな」
「埋もれさせておくのは惜しいですな」
「あの御仁にしても」
「やはり」
「浪人のままでは」
「大名として迎えたい」
その格でというのだ、このことは後藤が黒田家の中では万石取りの身分であったことも影響している。
「そしてだ」
「他の御仁もですな」
「多くの者は幕府に迎えたい」
「そうお考えですな」
「うむ、流石に切支丹の者は無理じゃが」
明石、彼はというのだ。
「しかしじゃ」
「それでもですな」
「切支丹の者以外はですな」
「幕府としても召し抱えたい」
「そうお考えですな」
「あの長曾我部も今ならな」
今講和して大坂を出ればというのだ。
「また大名に戻してじゃ」
「そうしてですな」
「そのうえで」
「召し抱えたい、確かに治の才能はないが」
成り行きで西軍につきそして土佐に帰ってから家督を脅かしそうな兄を粛清したことで取り潰したことからだ、実は家康は関ヶ原だけならば長曾我部は許すつもりだったのだ。
「それでもな」
「その武は見事」
「だからですな」
「しかも中々よい大坂への入り方であった」
このことも評価している家康だった。
「それでじゃ」
「長曾我部殿もですな」
「召し抱える」
「そうされますか」
「そう考えておる、そしてな」
真田丸、そこを見ての言葉だった。
「あの者もじゃ」
「真田殿も」
「あの御仁もですな」
「召し抱える」
「そうされますか」
「因縁はある」
それこそ最初の上田攻めの頃からだ、赤備えとのことを考えると三方ヶ原以来のものとなるだろうか、
「しかしな」
「それでもですな」
「あの才は惜しい」
「だからですな」
「ここで大坂を出れば」
「やはり大名としてじゃ」
この格でというのだ。
「召し抱えたい、しかしな」
「どうもです」
幸村にしきりに文を、弟の政重と共に送りそのうえで幸村に降る様に言っている正純が言ってきた。
「あの御仁は」
「幕府にはじゃな」
「つかぬおつもりです」
「まつろわぬか」
家康は真田丸を見たまま言った。
「あの者は幕府には」
「まつろわぬ、ですか」
「まつろわぬ民、まつろわぬ神という言葉があるが」
「古事記や日本書紀に出て来る」
「そうした者か、幕府にどうしてもな」
「従わぬ」
「そうした者であろうか」
こう言うのだった。
「あの者、そしてな」
「家臣もまた」
「十勇士か、どれも見事な者達じゃが」
「やはりまつろわぬ」
「そうした者達か、幕府にはな」
「つかぬ御仁達ですか」
「そう思う、だからな」
幸村、そして十勇士達もというのだ。
「あの者は無理か、しかし考えてみれば」
「といいますと」
「あそこにおる者達は大抵そうなのか」
秀忠に言った言葉だ。
「大坂に入った者達は」
「そうかもな
「まつろわぬ者達ですか」
「天下のそうした者達が大坂に入りじゃ」
「そうしてですか」
「幕府に死ぬ為の戦を挑む」
こうも言った家康だった。
「そうやもな」
「死ぬ為のですか」
「あの城を墓にしてな」
「大坂城を」
「そうも思えてきた、惜しい者達ばかりじゃが」
それでもというのだ。
「まつろわぬ者達でじゃ」
「死ぬ為にですか」
「大坂に入ったのやもな」
幸村も他の者達もというのだ。
「若しやな」
「そうだとすれば」
大久保が言ってきた。
「我等はです」
「戦いそしてじゃな」
「あの者達に素晴らしい花をやることです」
「花をか」
「戦の華を」
そうした花をというのだ。
「そうすべきです」
「華をか」
「華々しい最期を」
「そうしてやるべきというのじゃな」
「それがしそう考えていますが」
「そうじゃな、出来ればそうしたくはないが」
その時はとだ、家康も答えた。
「やはりな」
「はい、戦を続ければ」
「そうするしかないということか」
「そうかと」
「わかった、ではじゃ」
「大坂を出ずあくまで戦おうとうするならば」
「あの者達に花をやれ」
武士のそれをというのだ。
「最高に華々しいものをな」
「そして我等も」
「無論じゃ、お主もわかっておろう」
「それがし三河武士でござる」
これが大久保の返事だった、強いものだった。
「ならばでござる」
「そうじゃな、戦の場ではな」
「敵も味方も両方がでござる」
「花を手に入れる、だからじゃ」
「拙者も見事です」
「花を手に入れてみせるか」
「そう致します」
こう家康に言った、もっと言えば言い切った。
「大御所様に敵の将達の首を持って来ましょうぞ」
「ははは、お主は変わらぬのう」
「槍一筋故」
この考えが変わらないからだというのだ。
「それがし戦の場に生きそして」
「戦の場で死ぬか」
「それが本望です」
「三河武士としてじゃな」
「左様でありまする」
「そうか、しかし三河武士も変わってきたわ」
家康は大久保の言葉を受けてここで少し遠い目になった、彼がこれまで戦ってきた数々の戦のことを思ってだ。
「四天王、十二神将とおってな」
「当家には」
「どの者も生真面目な武の者達でな」
それでというのだ。
「槍働きを第一としておったな」
「左様でしたな、どの方も」
「田舎者ばかりで茶も雅も何もじゃ」
「知りませんでしたな」
「そうであった、三河の田舎で肩を寄せ合って暮らしておったな」
当時の三河者達はというのだ、家康にとっては若き日々だ。
「岡崎でも浜松でも」
「左様でしたな」
「皆な、誰もが戦の場では命を賭けて戦ったわ」
三方ヶ原では家康の為に多くの者が倒れている、家康は彼等のことを忘れたことは一度たりともにあ。
「不器用じゃが率直で飾らぬな」
「武辺者ばかりでしたな」
「傾きもせずな」
そうした派手さとも無縁であった。
「しかしそれがじゃ」
「今はですな」
「江戸も徐々に開かれてきてじゃ」
「三河の趣も」
「次第に薄くなってきておるわ」
それが今の徳川家だというのだ。
「幕府を開いてな」
「四天王も今は亡く」
四人共だ、家康を支えた彼等も。
「そして十二神将もな」
「殆どですな」
「残っておらぬ、もう三河武士も色褪せてきたか」
「しかしわしはです」
「黄色の具足に旗にじゃな」
「この陣羽織です」
黄色、徳川のそれだというのだ。
「これを着ております故」
「陣羽織に誓ってじゃな」
「思う存分戦い」
そうしてというのだ。
「武勲を挙げてみせましょうぞ」
「頼むぞ、しかしそう言える者もな」
「幕府ではですな」
「殆どいなくなったわ、旗本衆もじゃ」
家康を護ってきた彼等もというのだ。
「若い、戦を知らぬ者達も増えた」
「左様ですな、日増しにです」
「武が薄くなってきておるのう」
「泰平の世になれば」
この戦が終わりだ。
「もうです」
「わし等がいなくなればな」
「戦を知る者もいなくなり」
「幕府から三河武士はいなくなるか」
「そうなるでありましょう」
大久保は口惜し気に言った。
「間違いなく」
「お主にとっては無念じゃな」
「はい」
嘘を言わない大久保は確かな声で答えた。
「まさに」
「そうじゃな、ではな」
「はい、必ずやです」
「戦が続けば花を手に入れよ」
「そうしてみせます」
大久保は誓った、そして後で家康に呼ばれ二人だけになった時にこう言われた。
「お主には済まぬことをした」
「ご本家のことですか」
「お主を巻き込むつもりはなかったがな」
大名から一旦改易し旗本に落としたことだ、大久保は本家の罪に連座してそのうえでそうなってしまったのだ。
「しかしな」
「法、仕方なきこと」
「そう言ってくれるか」
「それがしが何故大御所様、そして上様を恨みましょうぞ」
三河武士である自身がというのだ。
「それは有り得ぬことです」
「だからか」
「はい、それはです」
決してというのだ。
「ありませぬ」
「左様か」
「ですからお気遣いは無用でござる」
「そうか、その心有り難く思う」
家康は大久保に瞑目する様に告げた。
「そなたの様な者を臣に持ってわしは果報者じゃ」
「有り難きお言葉」
「お主の様な臣を多く持って来た、だから天下人にもなれてじゃ」
そしてというのだ。
「今に至る、ではな」
「これよりですな」
「飲むか」
「酒ですか」
「三河の酒じゃ」
彼等の故郷の酒だった。
「それを飲むか」
「おお、三河の酒ですか」
「我等が若き日に飲んできた酒じゃ」
徳川家の故郷、そこのだ。
「ならばな」
「はい、共に」
大久保も笑顔で応えた、そしてだった。
家康と大久保は今は二人で三河の酒を楽しんだ。それは彼等にとっては若き日々を思い出す実に美味いものだった。その酒を大坂城を見つつ飲んだのだった。
巻ノ百三十二 完
2017・11・22