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巻ノ百三十四

               巻ノ百三十四  寒い春

 大坂での戦が終わり大坂城は完全な裸城になった、天下の名城も今や本丸だけの実に心もとないものになった。

 その有様に浪人達は次々と去り有楽もだ、子の長頼に言った。

「ではこれでじゃ」

「我等もですな」

「都に入るとしよう」

「もうおられませぬしな」

 長頼は父にこう応えて言った。

「我等を疑う目が強くなり」

「ははは、疑うというよりかな」

「真実をですな」

「見られておる、我等は実はじゃ」

「幕府の者であることを」

「もう殆どの者がわかっておるわ」

 豊臣家のというのだ。

「それこそな」

「茶々様以外は」

「そうじゃ、それにもうこうした裸城になったのじゃ」

「豊臣家にしましても」

「城を出るしかないわ」

 そうした状況になったというのだ。

「この様な城の有様で戦をしてもじゃ」

「敗れるだけですな」

「そうなるのは必定、だからな」

「もうですな」

「豊臣家は幕府の言葉に従いじゃ」

 そのうえでというのだ。

「大坂を出るわ」

「そうせざるを得ませんな」

「だからじゃ、我等のやるべきことは終わった」

「幕府に大坂のことを色々と伝え」

「講和、そして今までもっていった」

「ならばですな」

「これでじゃ」

 全てが終わったからこそというのだ、彼等がすべきことが。

「都に入るぞ」

「そうしてですな」

「わしは楽隠居じゃ、茶に専念するとしよう」

 三度の飯より好きなそれにというのだ。

「これからはな」

「そうされますか」

「そのうえで大坂を見るが」

「右大臣様は大坂を出られて」

「そしてじゃ、暫く閉門なり何なりになられるであろうが」

「少しして許されてですな」

「国持の大名に戻られるわ、これでよいのじゃ」

 有楽は我が子に微笑んで話した。

「右大臣様にとってはな」

「それでは」

「すぐに都に入る用意をするぞ」

「わかりました、ただ父上」

 長頼は有楽の言葉を受けたうえで自身の父にあらためて問うた。

「一つ気になることがあるのですが」

「茶々様のことじゃな」

「あの方は天下一の強情殿、ですから」

「それでじゃな」

「今の有様になろうともです」

「大坂から出られぬか」

「そうされるのでは」

「その時は致し方ない」

 有楽は達観した顔で長頼に答えた。

「右大臣様も豊臣家もな」

「また戦になり」

「そのうえで滅ぶ」

「そうなりますか」

「もうその時はじゃ」

 それこそというのだ。

「滅びるしかないわ」

「左様ですか」

「人は引き際がある」

「それを誤れば」

「滅びるわ」

 そうなってしまうというのだ。

「だからじゃ」

「その問いはですか」

「茶々様もじゃ」

「滅びるしかありませぬか」

「そしてな」

 さらに話す有楽だった。

「右大臣様もな」

「茶々様が言われたことでも」

「あの方が今の大坂の総大将だからのう」

 茶々、彼女がというのだ。

「総大将が決めたことならな」

「それに従いですな」

「ついていくしかないからじゃ」

 それ故にというのだ。

「ここにおる者達もな」

「茶々様の強情に従い」

「滅びるしかないわ」

「左様ですか」

「普通ならここで出る」

 大坂の城をというのだ。

「しかしな、お主が言う通りにじゃ」

「あの方ならば」

「出られぬこともな」

「普通にですな」

「有り得るわ」

 こう語った。

「あまりにも強情だからな」

「もう豊臣の天下ではないこともですな」

「わかっておられずな」

 そしてというのだ。

「政も戦もわかっておられずじゃ」

「人の話も聞かれず」

「そしてあまりにも強情でじゃ」

「まだ大坂に留まられることも」

「有り得るわ、わしとしてはな」

 有楽はその顔に苦い、そして残念なものを感じてそのうえで我が子に話した。

「茶々様には滅んで欲しくないからですな」

「だからじゃ」

「それ故に」

「もう大坂から出てじゃ」

「そして江戸にですな」

「入って欲しいのじゃがな」

「そうなれば最もよいですな」

 長頼も言う。

「やはり」

「あの方にとっても豊臣家にとってもな」

「しかしですな」

「それはどうもじゃ」

「ならぬかも知れませぬか」

「わしは茶々様を止められぬ」 

「父上でもですな」

「叔父でしかないからのう」

 茶々から見て敬愛する立場のだ、彼女の母であるお市の方が信長の妹つまり有楽の姉妹だからのことである。

 しかしだ、その彼でもというのだ。

「ただの叔父ではな」

「あの方にはですな」

「言えぬわ、天下人の母と思われている方にはな」

「治部殿は言えましたな」

「あ奴はまた別格であった」

 石田三成、彼はというのだ。

「太閤殿でももの怖なく言えたな」

「どの様なことでも」

「ああした気質の者は稀有じゃ」

 誰が相手でもそれがよいと思えば憶することなく言うことが出来る者はというのだ。

「そして太閤殿に言えたからにはな」

「茶々様ならば」

「止められた、太閤殿は止められなかったが」

 言いはすれどだ。

「それは出来たわ」

「治部殿程の気概があれば」

「わしはそれはない、只の叔父じゃ」

 その程度ならというのだ。

「止められぬわ」

「それで、ですな」

「どうしようもない、今の大坂はやはりな」

「茶々様を誰も止められぬ」

「それが一番の頭痛の種じゃ」

「何もわかっておられぬ方を」

「これからもそれでどうなるかじゃ」

 有楽は瞑目する様にして述べた。

「若しここで大坂に残れば」

「戦ですな」

「そうなってな」

「そして今度こそですな」

「豊臣家は滅ぶわ」

 有楽は自ら茶を煎れ長頼に出し自分も口にした、そうして茶を飲みながらそのうえでだった。彼なりの大坂のことを案じ続けていた。

 その大坂にも春が来た、だが春になってもだった。

 城の雰囲気は悪かった、実に殺伐とし些細なことで刀を抜く様な者が多くなっていた。その状況を見てだった。

 幸村は苦い顔でだ、十勇士達に言った。もう真田丸もなく本丸の中にもうけられた彼の部屋の中でそうした。

「浪人達もどんどん去りな」

「十万いたのが六万を切りましたな」

「今は五万と八千程でしょうか」

「随分と減ったものです」

「戦がはじまった時から見れば」

「大坂の有様、特に裸城になったのを見てじゃ」

 どうして浪人達が多く去ったのかも話す幸村だった。

「それ故でじゃ」

「豊臣家を見限ってですな」

「そのうえで、ですな」

「多くの者が去り」

「そして残った者達もですな」

「殺伐としていますな」

「この様な有様でどうなるか」

 浪人達から見ればというのだ。

「敗れるな」

「ですな、だからですな」

「もう他に行くあてもなく」

「今もまだ残っている者達ばかりですが」

「その者達もわかっていますな」

「また戦になれば」

「敗れるのは必定、死ぬ様なものじゃ」

 敗れてそしてというのだ。

「だからじゃ」

「この様にですな」

「城の雰囲気が荒みきっていますな」

「些細なことで刀を抜いている」

「そんな有様になっていますな」

「そうじゃ、何とも嫌な状況じゃ」

 幸村は苦い顔で述べた。

「大坂の今はな」

「全くですな」

「この様な状況が続きますと」

「見ている方も嫌になります」

「一体どうなるか」

「甚だ不安ですな」

「このままではじゃ」

 さらに話した幸村だった。

「戦になる前にな」

「自ら割れますか」

「兵の者達が」

「そうしてどうしようもなくなり」

「豊臣家自体も」

「うむ、どうしようもなくなるのは同じじゃ」

 兵達だけでなく豊臣家もというのだ、兵達がそうなって家もそうならない筈がないというのだ。

「分かれるなり何なりしてな」

「そしてですな」

「そのうえで」

「動くこともままならぬまでになるやもな」

 そこまでになるかもというのだ。

「下手をすれば」

「ううむ、そうなってはです」

「どうにもなりませぬな」

「家自体も続くかどうか」

「わかりませぬな」

「豊臣家が生きる道はある」

 それは否定しない幸村だった。

「この城を出ることじゃ」

「前から言われている通りにですな」

「茶々様も江戸に入られ」

「他の大名家と同じ様にする」

「そうすればですな」

「まず生きられる」

 幕府にもそれを許してもらえるというのだ。

「相模の北条家の様に暫し高野山にでも入るやも知れぬが」

「右大臣様が」

「そうなってもですな」

「暫くすれば許され」

「そうしてですな」

「許される、そしてその場合はじゃ」

 豊臣家が大坂を出て幕府に従うならというのだ。

「我等浪人衆はどうなるかというとな」

「やはり大坂から出てですな」

 そうしてとだ、大助が言ってきた。

「そのうえで」

「うむ、そうしてじゃ」

「元の浪人暮らしですな」

「そうなる、多くの者はな」

「やはりそうですか」

「幕府はそうした者達を百姓や町人にさせるわ」

 浪人達はというのだ。

「多くはな、そして後藤殿や長曾我部殿はな」

「召し抱えられますか」

「幕府にな、石高は小さくともじゃ」

 それでもというのだ・

「後藤殿や長曾我部殿ならば大名にも取り立ててもらえよう」

「そうなりますか」

「そして拙者も望めばな」

 他ならぬ幸村自身がというのだ。

「その時はじゃ」

「大名にですな」

「返り咲くことも出来る」

「では」

「しかしお主達はどうじゃ」

 幸村は服の袖の中で腕を組んで大助と十勇士達に問うた。

「大名に返り咲く、幕府に従いたいか」

「それは」

「さて、どうでありましょうか」

「我等の主は殿お一人です」

「このことは変わりませぬが」

「しかしです」

「殿もそうでありましょう」

 大助も十勇士達に幸村にあえて言葉を返した。

「幕府、徳川家にはです」

「どうも我等は従えませぬ」

「まつろわぬのでしょうか」

「そうした者達の様です」

「そうじゃ、拙者はどうも幕府の下にはいられぬ者」

 ここでこう言った幸村だった。

「どうしてもな、そうした運命らしいわ」

「ではですな」

「幕府には従わずですな」

「豊臣家が幕府に降れば」

「それで右大臣様のお命が護られるならば」

「もう戦うこともない、それでじゃ」

 それ故にというのだ。

「拙者はお主達と共に何処かに行こうか」

「ならばです」

 ここでまた大助が言ってきた。

「本朝を後にして」

「そうしてじゃな」

「何処か別の国に行きますか」

「海に出てな」

「そうしますか」

「それがよいであろうな、琉球にでも出てな」

 そうしてとだ、幸村は大助に応え彼と十勇士達に話した。

「我等十二人風来坊として生きるか」

「風の赴くままにですな」

「そうしてですな」

「旅をして暮らすか」

「のどかに狩りや漁をして暮らすかですな」

「田畑を耕してもいいですし」

「そうして暮らしてもよい」

 幸村は我が子と家臣達に応えた。

「その時はな」

「ですな、特にです」

「我等は権勢や富貴に興味がありませぬ」

「ならばです」

「修行を続けて強くなるならです」

「何処でもいいですから」

「それでじゃ、まつろわぬならな」

 例えそうであってもというのだ。

「本朝を出て暮らせばよい」

「ではですな」

「その様にされて」

「そうしてですな」

「我等で暮らしますか」

「その時は」

「そうしようぞ、そして戦になればな」

 その時のことも話す幸村だった。

「負けるにしてもな」

「真田の武士の道をですな」

「天下に見せますか」

「思う存分働き」

「そのうえで」

「そうしようぞ」

 こう言うのだった。

「その時はな」

「わかり申した」

「それではです」

「その時に備え」

「今はですな」

「策を考え鍛錬を続ける」

 そうするというのだ。

「よいな」

「はい、それでは」

「その時に備えてです」

「策を講じてです」

「鍛錬をしましょうぞ」

「それではな」

 幸村も頷き鍛錬もした、彼等は戦がなければそれに励んでいた。だが大坂全体の空気はというと。

 重苦しくだ、木村はその有様を見て大野に眉を曇らせて話した。

「修理殿、今やです」

「兵、特に浪人となった者達がな」

「そうです、殺伐として自暴自棄になり」

「喧嘩が多くなっておるな」

「刃傷沙汰も出ております」

「士気も落ちてのう」

「そこまでおわかりですか」

「声が聞こえるわ」

 その兵達のものがというのだ。

「もうこうなればとな」

「戦をしてそうして」

「死んだ方がましだとな」

「そう言っている者が多いです、最早です」

 木村は彼等が今いる場所から外を見た、その外はもう何もない見事なまでに平らになってしまっていた。

「城はこの有様、逃げた者も多く」

「残った者達はな」

「そうなっております」

 気持ちが荒んでしまっているというのだ。

「そうなってしまっておりまするぞ」

「無理もない、全てはわしの責じゃ」

「茶々様を止められなかった」

「若しわしがな」

 自分を責めて言う大野だった。

「あそこで茶々様をお止めしてな」

「講和自体をですか」

「止めていれば」

 堀を埋めるという話にもならず今の様に裸城になることもなかったというのである。

「そうなっていたわ、しかしな」

「今の様にですな」

「なってしまったわ、これではじゃ」

「兵達も荒みきってしまうのも道理」

「全てわしのせいじゃ、そして主馬はな」

 すぐ下の弟である治房の話もした。

「わしのことで随分肩が狭い思いをしておるのう」

「そしてかなりです」

「わしに怒っておるな」

「茶々様をお止め出来なくこの有様だと」

「それもわかっておる、全ての責はわしにある」

 大坂方の執権である自分にというのだ。

「だから主馬の怒りもな」

「受けられますか」

「城の者達の言葉もな、そして茶々様と右大臣様にはじゃ」

「言わせぬ」

「そうする、しかし思うことはな」

 それはというと。

「もうこれでは戦のしようがない」

「では」

「幕府から話が来ておる」

 ここで木村にこのことを話したのだった。

「浪人のことは幕府も力を貸してな」

「豊臣家から離してですか」

「そしてそのうえでな」

「この城をですか」

「出て他の国で国持大名にならぬかとな」

「言ってきていますか」

「その様にな」

 こう木村に話した。

「わしに文が届いておる」

「それでは」

「もうこれでは戦にならぬ」 

 城は裸城になり兵達は減り残った者達も士気が落ち荒んで我を見失っている者が多い様な状況ではというのだ。

「だからな」

「大坂を出て」

「国持大名になる、そしてこの度の戦の責じゃが」

「修理殿がですか」

「受ける、これは幕府は言っておらぬが」 

 それでもというのだ。

「やはり戦の責はある、それはじゃ」

「腹を切られますか」

「そうして取って茶々様と右大臣様に危害が及ばぬ様にする」

「そこまでお考えですか」

「そうじゃ、これでどうじゃ」

「それで宜しいのですか」

 豊臣家譜代の臣としてだ、木村は同じく譜代の臣である大野に問うた。

「腹を切られて」

「構わぬ、それで豊臣家が残るならな」

「それならばですか」

「わしも本望、そしてじゃ」

「右大臣様は他の国に移られ」

「そこで大名として静かに暮らされる」

 そうなるというのだ、秀頼は。

「やがて千様との間にお子をもうけられてな」

「そのお子がですな」

「豊臣家を継ぐ、名は変わるであろう」

 その子が跡を継げばというのだ。

「松平にでもな」

「千様のお子なので」

「姫の血であるが」

 徳川の血はそこから入っているがというのだ、父方ではなく。

「そこはな」

「強引にもですな」

「松平、親藩にしてじゃ」

「家は残りますか」

「豊臣はな、ならよい」

「ですか、では」

「その時の為にな」

 秀頼を他の国に移してというのだ。

「わしは腹を切る」

「では」

「うむ、それでは何とか今度こそじゃ」

「茶々様を説得されて」

「浪人衆を城から出してじゃ」

「右大臣様を他の国に移してもらい」

 幕府によってだ。

「そして茶々様も」

「江戸に入ってもらいな」

「そうしてですな」

「静かに暮らしてもらう、そして戦の責はわし一人が負う」

 このことをまた話した大野だった。

「そうしてもらう」

「左様ですか」

「幕府にはそう伝える、そして何としてもな」

「茶々様を説得されますか」

「そうする」

「そのお考えわかりました、ですが」

 木村は大野の話を聞いた、そのうえで今度は自分の考えを話した。

「それがしはもうこの度のことで、です」

「覚悟を決めたか」

「はい」

 その通りだというのだ。

「これは真田殿や後藤殿も同じの様ですが」

「ここに至ってはか」

「戦をするしかありませぬ」

「豊臣家が天下人である為にか」

「もう時の流れで。天下人がどうかではなく」

「戦自体がが」

「せねばならぬのでは」

 こう大野に問うた。

「あの茶々様がです」

「大坂から出られるとはじゃな」

「思えませぬので、それにこの度の裸城のことは」

「嵌められたか」

「そうも思いまする、この雪辱もです」

「晴らしたいか」

「さもなければ武門の名折れ、武門として是非」 

 騙され裸城にされた雪辱、それをというのだ。

「晴らしたいので」

「戦いたいか」

「そうも思っておりまする」

「この度の戦は何もない場所で大軍を少ない兵で迎え撃つ」

 護りをなくなった大坂城を拠点として六万に満たない兵で二十万の幕府の軍勢を迎え撃つというのだ。

「それはな」

「最早ですな」

「負けることが決まっておる戦じゃ」

 これは駄目の目にも明らかだった。

「それでもか」

「戦いたいのです」

「死のうともか」

「死んでも意地と誇りを見せるのが武門といいますので」

「それでか」

「それがしそうも思っております」

「お主はまだ若い」

 大野は木村のその若さを惜しんで言った。

「その才覚もこれからじゃ」

「だからですか」

「生きるべきじゃ」

「いえ、それではです」

「武門の誇りが立たぬか」

「そうも思いまするので」

 それ故にというのだ。

「戦いたいともです」

「思っておるか」

「そして戦いになれば」

「散るか」

「はい、見事に」

「そうするか、茶々様が大坂を出られねば」

「そして茶々様は」

 再び彼女がどうするのか、木村はその読みを述べた。

「やはり」

「大坂から出られぬというのじゃな」

「修理殿もそう思われていますな」

「何とか説得する、常高院様のお力も借りてな」

「そうされますか」

「ここに退かねばまことに戦じゃ」

 それになるというのだ。

「だからな」

「お家の為にですな」

「わしはあえて武門の誇りを押し殺してな」 

 そうしてでもというのだ。

「茶々様、右大臣様には生きて頂く」

「そしてその為にも」

「ことがなれば責を取って腹を切るからな」

「それでことを収めるのですか」

「豊臣家の為に、あと真田殿や後藤殿はあの才じゃ」

 先の戦でもそれを見せたのでというのだ。

「必ず幕府か何処か大きな家がな」

「召し抱えられますか」

「大名にもなれよう、後藤殿はかつての主君黒田殿の横やりがあり続けたが」

 そうしてこれまでの仕官が思う様にいかず浪人暮らしひいては物乞いの様なものにまで身を落としていたのだ。

「しかしな」

「それもですな」

「幕府のお墨付きか幕府に直接召し抱えられてじゃ」

「それもなくなりますか」

「塙殿もな」

 この者もというのだ。

「加藤孫六殿からそれがなくなりな」

「無事にですか」

「召し抱えられる、そうなるからじゃ」

「だからこそですか」

「わしは話をもっていく」

 豊臣家を守る方にというのだ。

「そうする」

「何としても」

「その考えじゃ」

「それでは」

「うむ、お主とは考えは違うがな」

「その様にですな」

「進んでいく」

「わかり申した、では修理殿はです」

 木村は自分と大野の考えが違うことをわかった、だがそれでも彼の考えを汲み取り否定せずにこう返した。

「その様に進まれて下さい」

「それではな」

「ただ、身の回りのことにはです」

「気をつけよというのか」

「はい、近頃とかく殺伐としております」

 先に話した様にというのだ。

「城の中は、そして修理殿はです」

「裸城になったことでじゃな」

「激しく怨みを買っていますので」

「わかっておる、それでじゃ」

「常にですな」

「身の回りには気を配っておる」

「そうして下され、修理殿に何かあれば」

 その時はというのだ。

「その右大臣様が移られることも」

「なくなるな」

「はい、戦に向かいまする」

 城の流れがというのだ。

「ですから」

「わかっておる、だからじゃ」

「常にですな」

「身の回りは頼りになる者達で固めておる」

 実際にというのだ。

「そうしておるからな」

「さすれば」

「そのうえでな、ことを進めていく」

「そうされて下され」

「その忠告確かに受け取った」

 大野は木村に確かな声で答えた。

「今な」

「はい、実はそれがし危惧しておりますが」

「あ奴がか」

「そうです、修理殿の弟君ですが主馬殿が」

 治房、彼がというのだ。

「よからぬことを考えておるのではとです」

「実はわしもな」

「その様にですか」

「思いもしておる、まさかと思うが」

「主馬殿は血気盛んな方、そして何かあれば」

「動く者であった、子供の頃からな」

「そう聞いております、それがしも」

「だから余計にじゃな」

「御身のことはです」

「気をつけておく」

 大野も城の気配はわかっていた、それで実際に常に身の回りには気を配っていた。彼の周りには常に岡山、平山、米村という頼りになる者達が控えて彼を護っていた。

 だがその大野にだ、今度は幸村が申し出た。

「修理殿、それがしもです」

「拙者の警護をか」

「させて頂きたいのですが」

 かつては大名なので礼を尽くして応じている大野に答えた。

「大助と十勇士の誰かをつけて」

「一騎当千の十勇士の中から」

「はい、十勇士の誰かが大野殿の傍におられれば」

 それでとだ、幸村は大野に話した。

「軽挙妄動を考える者はおりませぬ」

「それでと言われるか」

「はい、何でしたら大助だけでも」

 彼の嫡子も出すのだった。

「おつけしますが」

「それには及ばぬ、いや」

「出来ませぬか」

「大助殿は貴殿のご子息、十勇士は貴殿の家臣であるし」

 大野は幸村の申し出を手振りも交えて断って話した。

「しかも貴殿にとって義兄弟そして友でもある者達」

「だからでござるか」

「拙者の下におることは出来ぬ」

 あくまで幸村の者だからだというのだ。

「拙者の臣も真田殿につけられぬのと同じ」

「そこは弁えてでありますが」

「真田殿の申し出は有り難いが」

 しかしというのだ。

「それは出来ぬということで」

「左様でありますか」

「お気持ちだけ受け取って頂く、それに何よりも」

「ご自身の家臣の方々がおられるので」

「岡山、平山、米村とおる。あの者達が拙者を護ってくれておるのでな」

「その信を疑う様な真似はですな」

「何があってもせぬ」

 彼等を心から信頼しているからだというのだ。

「実際に腕が立つ忠義の者達、拙者の宝」

「そういえば米村殿は」

「実は草履取りであったが非常に優れた者であったので」

 それがわかったからだというのだ。

「侍にして傍に置いているでござる」

「そうですな」

「太閤様が元の右府様に取り立てられた時の様に」

「そうされたのですか」

「あの者ならば拙者の子も預けられる」

 そこまで信頼しているというのだ。

「岡山と平山も必ず」

「修理殿を護って下さる」

「そのことを確信しているが故、そして先に申し上げた訳で」

「それでは」

「真田殿のお気持ちだけ受け取らせて頂く。ただ」

 ここでだ、大野はその顔色を変えた。そうして幸村に対して周囲を目だけで探り人払いもさせてから二人だけになったところで小声で話した。

「右大臣様のことであるが」

「はい、実はそれがしは」

 幸村は大野が何を言わんとしてるか察した、それで彼にすぐに自分がかつて高野山で秀次と約したことを話した。 

 その話を聞いてだ、大野も言った。

「左様でござったか、では」

「都合がよいですな」

「また戦になれば」

「豊臣が敗れるのは必定」

「その時は右大臣様をお願い申す」

「既に肥後の加藤家、薩摩の島津家とも話をしておりまして」

 このことも話した幸村だった。

「落ち延びた後もご安心下され」

「何と、そこまで」

「密かに肥後藩に文を送り」

「戦になればでござるか」

「はい、それがしと大助、十勇士達が必ず」

「右大臣様を薩摩まで送って頂けるか」

「そして薩摩において」 

 幕府も忍の者すら容易に入り込ませることが出来ない島津家の領内にというのだ。

「暮らして頂けます」

「そこまでされておるとは」

「真田の忍道もあり申す」

「その道を通り」

「それも考えておりまする」

 戦で豊臣家が敗れたその時はというのだ。

「若しくは加藤家に文を送っておき」

「戦になれば」

「はい、北政所様の兄上のお家がありますな」

「木下家ですな」

「あちらにも密かにお願いし」

「右大臣様をまずは肥後まで」

「船で海を通りお送りし」

 そうしてというのだ。

「それから薩摩に入る」

「そうお考えでござるか」

「如何でありましょうか」

「お任せ致す」

 これが大野の返事だった。

「そのことは」

「左様ですか、では」

「そうして頂く、拙者は最後までこの城に残り」

「敵を引き付け」

「最後は腹を切り申す」

 戦の責を取ってというのだ。

「右大臣様が腹を切られたということにして」

「そうされますか」

「拙者が茶々様を止められぬことからこうなったからには」

「ですか」

「その様に、では真田殿はいざとなれば」

「お任せ下され、例え何があろうとも」

 秀次との約を守ってというのだ。

「そうさせて頂きます」

「それでは」

「修理殿は」

「拙者の果たすべきことをしてな」

「豊臣家を護っていかれますか」

「そうしていく、しかし貴殿は拙者を護ると言われたが」

 ここでだ、大野は幸村にこうも問うた。

「拙者を嫌っていたのでは」

「何故その様に言われますか」

「茶々様に逆らえず今の事態を招いたと」

「いえ、修理殿は修理殿がされることを十二分に果たされています」

 幸村は暗い顔で己に問うた大野にすぐに答えた。

「それも二心なく、ですから」

「それがしはか」

「疚しいことのない忠義の方と思っておりまする」

 それでというのだ。

「決して嫌ってはおりませぬ」

「そうであられるか」

「はい、ただ修理殿は講和を望まれていますが」

「それはか」

「星を見ましたが」

 しかしというのだ。

「それはどうもです」

「適わぬか」

「どうやら」

「星の動きではそうか」

「そもそも残っている浪人達を見ていますと」

「あの荒み様ではか」

「戦になることは」

 星を見ずともというのだ。

「避けられぬかと」

「大人しく出て行かぬか」

「そうかと、確かに右大臣様が大坂を出られれば幕府はよしとされましょうが」

 秀頼の命と身分、そして家の格は保証するというのだ。

「しかし」

「それでもか」

「戦は避けられぬとです」

「真田殿は思われているか」

「そうした意味でそれがしはです」

「戦を言われるか」

「避けられぬと見ていますので」

 避けられぬのなら覚悟せねばならない、そういうことだった。

「ですから」

「左様か、そうした考えか」

「それがしは、そして後藤殿や長曾我部殿も」

 彼等もというのだ。

「そうしたお考えかと」

「戦は避けられぬか」

「そうかと、こう言うのは何ですか」

「浪人達を集めた時点でか」

「こうなることは決まっていたかと」

「浪人衆を出すには幕府も力を貸すとのことだが」

「それで去る者はもう」

 既にというのだ。

「去っておりまする」

「そうでない者が残ってか」

「今に至るので」

 それでというのだ。

「ことここに至っては」

「最早か」

「戦になるかと、ですから」

「右大臣様はか」

「何としてもです」

「助けて頂けるか」

「それがしも十勇士達も何があっても生き残り」

 どれだけ激しく苦しく辛い戦になろうともというのだ。

「約を果たします」

「ではその時は」

「必ずや」

 こう大野に話してだ、幸村はすぐに肥後の加藤家に密かに文を送りそうして木下家にもそうした。そして島津家にも。

 そうしてことを進めていた、大野はその間に秀頼と茶々の為に幕府と彼等が大坂を出て他の国に入る話を進めていた。

 それで連日夜遅くまで城内の己の御用部屋で政の働きをしていた、それはこの日もだった。

 夜分遅くになってだ、米村が大野に言った。見れば若く端正な顔をしている。

「殿、もうです」

「むっ、もうか」

「はい、間もなく子の刻です」

「そうか、ではな」

「お屋敷に戻られるべきかと」

「ここで休んでもよいが」

 この部屋で寝て、とだ。大野は米村に話した。岡山と平山もいる。二人は非常に逞しく強そうな顔をしている。

「しかしな」

「それはです」

「己の屋敷でしかと身体を休めてこそじゃな」

「これからも満足に働けます」

 米村は大野にこう話した。

「ですから」

「そうか、それではな」

「はい、お屋敷に帰りましょう」

「わかった」

 大野は米村、己が取り立てた彼の自身を気遣う言葉に頷いてだった。

 部屋を片付けてそうして彼等に護られつつ己の屋敷に向かった。大野は特別に城の中でも駕籠に乗ることを許されていたが。

「今宵もですな」

「馬に乗られますな」

「そうされますな」

「これならすぐに避けられる」

 例え刺客が来てもというのだ。

「それでじゃ」

「馬に乗られ」

「そのうえで、ですな」

「我等が護りますな」

「そうしてくれて何よりじゃ」

 家臣達への労わりの言葉も忘れない彼だった。

「ではな」

「はい、これより」

「屋敷に戻ってです」

「明日また励みましょう」

「このままいけばじゃ」

 己の働きに手応えを感じて言う大野だった。

「ことはなるぞ」

「右大臣様にですな」

「無事に他の国に移って頂き」

「茶々様もですな」

「何とか」

「苦心して説得しておる」 

 大野も今回ばかりは必死になってだ。

「そうしておる、だからな」

「ここはですな」

「あと一歩なので」

「ことを確かにしますな」

「そうしていくぞ」

 己の家臣達にも言う、そうしてだった。

 大野は己の屋敷に戻っていた、だがその途中だ。 

 夜の闇に乗じて何者かが大野に迫った、すぐに米村が大野を護ろうとしたがその刀を抜いた彼の横をすり抜けて。

 大野に切りつけた、だが大野は咄嗟に身体をかわしてだった。

 左肩は切られたが急所は切られなかった、そのうえで彼も刀を抜いて叫んだ、

「何奴!」

「殿、ご無事ですか!」

「お怪我はありませぬか!」

「大したことはない、それよりもだ」

 駆け付けてきた平山に支えられつつだ、大野は家臣達に言った。

「その者、逃がすな」

「承知しております!」

「それがしが!」

 岡山がすぐに刺客が逃げようとする前に出た、するとその岡山を見てだった。刺客は別の方に逃げようとするが。

 大野はそれを見てだ、己を介抱する平山に言った。

「わしは大事ない、それよりもじゃ」

「刺客をですか」

「何とかせよ」

 こう命じた。

「よいな」

「では」

「うむ、そうせよ」

 こう言って平山を行かせた、するとだった。

 平山は主の命に素直に従ってだった、すぐに刺客を追ってだった。

 逃げ道を塞ぎそのうえで切った、こうして何とか大野は難を逃れたが。

 彼はことが収まってからだ、その刺客の骸の傍に来て家臣達に言った。

「この者、夜なので顔は見えぬが」

「それでもですな」

「道に晒しておき」

「知っている者が出るのを待ちますか」

「そうしますか」

「うむ、そうせよ」

 家臣達に命じた、すると家臣達もだった。

 その刺客の骸を城の中の道に晒した、するとその日のうちにその刺客を見て豊臣家のある侍がこう言った。

「これは成田殿の家臣ではないか」

「何っ、成田殿というと」

「大野主馬殿の家臣ではないか」

「その御仁の家の者か」

「と、なると」

 疑いの目が治房に向かった、それを受けてだった。

 傷の手当てを受けたばかりの大野は米村を呼びすぐに言った。

「お主の三男に頼みたい」

「はい、兵を率いてですな」

「成田の屋敷に向かいそしてじゃ」

「成田殿を捕まえそうして」

「この度の話を聞こう」

 傷は受けていたが確かな命だった、米村もそれを受けてすぐに彼の三男に五十の兵を与えて成田の屋敷に向かわせた。

 だが成田は兵達に己の屋敷を囲まれると屋敷に火をつけて自らはその中で腹を切ってしまった。これではだった。

「参ったのう、これではな」

「はい、何もですな」

「わからぬわ」

 大野は米村に苦い顔で答えた。

「その成田が死んではな」

「死人に口なしですな」

「全くじゃ、おそらくな」

 己の読みを話した大野だった。

「成田が主馬に言われてじゃ」

「そうしてですな」

「己の家臣で腕の立つ者にじゃ」

「殿を殺す様に命じられましたか」

「黒幕は主馬じゃ」

 このことは間違いないというのだ。

「他に考えられぬわ」

「そうでしょうな、やはり」

「うむ、しかしな」

「それでもですな」

「死人に口なしじゃ」

 自分でもこの言葉を出した大野だった。

「だからじゃ」

「わかりませぬな」

「最早な、しかしこれでな」

「殿はですな」

「あと一歩であったが」

 講和の話を忌々し気に言った。

「暫く政を執れず茶々様にお話をするのもな」

「出来ませぬな」

「わし以外にも講和を言う者はおるが」

「その方々も」

「うむ、こうして命を狙われると思えば」

 講和を言う者の筆頭である大野が襲われたのを見てだ。

「怯えるわ」

「そうなりますな」

「しかも茶々様に直接お話することもな」

 講和の話をする為にだ、その利を解くこともだ。

「出来ぬ、これではな」

「どうにもなりませぬな」

「講和の話は終わりじゃ」

「戦ですか」

「そうなる、これで主馬の声が強くなりな」

 自身の暗殺の黒幕であろう彼のだ。

「そしてじゃ」

「そのうえで、ですな」

「うむ、戦になる」

「そして戦になれば」

「滅びるのはこちらじゃ」

 豊臣家だというのだ。

「そうなった時はお主にも頼みたい」

「と、いいますと」

「わしの娘をな」

 こう米村に言うのだった。

「頼みたいのが」

「殿のご息女をですか」

「うむ」

 その通りという返事だった。

「頼みたいが」

「それがしなぞに宜しいのですか?」

 米村は大野の言葉に思わず問い返した、それも信じられないといった顔で。

「一介の草履取りだった者に」

「元はそうでもそなたは立派な武士じゃ」

 だからだというのだ。

「誰よりも立派で誰よりも信じられるな」

「だからですか」

「そうじゃ」

 それ故にというのだ。

「娘を任せたい、いざという時はな」

「そうですか、では」

「その時はな」

 その時が来るのは間違いない、確信しつつの言葉だった。

「任せたぞ」

「はい、是非」

 米村も大野に強い言葉で応えた。

「それがし全てを捧げてです」

「わしの娘をか」

「慈しみお育てします」

「済まぬな、お主には迷惑をかける」

「いえ、それがしは殿に引き立てて頂いた身」

 草履取りから武士にとだ、米村は大野にこう返した。

「そのことどれだけの恩があるか」

「恩か」

「はい、そう思いますれば」

 まさにというのだ。

「その様なこと。当然です」

「そう言ってくれるか」

「世の者達は殿を色々言われますが」

 今の事態を招いた迂闊者とだ、とかく大野は天下から笑われているのは事実だ。特に豊臣家の家中においては。

「それがし達にとってはこれ以上はないご主君です、常に我等のことも気にかけて案じて気を配って下さる」

「わしはそうした主君であったか」

「殿以上の主なぞおられませぬ」

 米村ははっきりと言い切った。

「まさに」

「そうであったならよいがな」

「そのことまことです」

 嘘は言っていない、米村はまた大野に話した。

「それがしだけでなく殿にお仕えしている者ならば」

「そう思ってくれているか」

「左様であります、ならば」

「娘もか」

「必ず幸せに致しましょう」

 このことを誓った米村だった。

「例え何があろうとも」

「お主がそうしてくれると確信しておるからな」

「それがしにですな」

「任せるのだ」

 自身の娘をというのだ。

「しかしそこまで思われておるとはな」

「思いませんでしたか」

「わしはいい家臣ではない」

 大野は自分をそう思っていた、豊臣家の家臣として。

「茶々様をお止め出来なかった、常にな。そしてな」

「よき主ともですか」

「お主達も負け戦に付き合わせるのじゃ」 

 それならばというのだ。

「いい主である筈がない」

「そう言われますか」

「しかしお主はそう言うのじゃな」

「これまで悪いことをされたことは全くありませぬ」

「だからか」

「殿以上の方はおられませぬ」

 大野以上の主はというのだ。

「まことに」

「わしは最高の家臣達を持っておる」

 大野は米村に答えなかった、だが。

 静かに瞑目する様にだ、こう言ったのだった。

「天下一の果報者じゃ、幸せであったわ」

「そう言われますか」

「まことにな、悔いはない」

 米村の言葉を聞いて心から思ったことだった、このことは。

「ならばな」

「それならばですか」

「思う存分果たそう、もう流れは戦に傾いているが」

「それでもですな」

「戦を止めるし戦になればな」

「右大臣様をですか」

「お助けしよう、そして何かあれば」

 その時はというのだ。

「もう手は打ってある」

「では」

「このことは言わずともわかるな」

 米村ならばとだ、大野は彼に問うた。

「そうであるな」

「はい、それでは」

「その様にな、お主には娘を任せた」

 今確かにというのだ。

「そしてわしも動く」

「さすれば」

 米村も応えた、大野はいざという時の備えもせんとそちらの動きもはじめた。そして彼の読み通りにだった。

 大坂の流れは彼が襲われたことから日増しに戦へと傾いていっていた、このことに治房は強い声で己の家臣達に話した。

「我等最早死ぬ気で戦いじゃ」

「そして、ですな」

「そのうえで、ですな」

「武士としての意地を見せる」

「そうするのですな」

「黄金の旗と具足の力を見せるのじゃ」

 即ち豊臣家のというのだ。

「よいな、そしてじゃ」

「はい、敗れてもですな」

「右大臣様だけはお守りする」

「そしてご子息の国松様も」

「あの方もですな」

「国松様は例え何があろうちもじゃ」

 それこそというのだ。

「わしがお護りしてじゃ」

「そうしてですな」

「生きて頂く」

「そうされますな」

「わしは懸命に戦い豊臣の武を見せてじゃ」

 そのうえでというのだ。

「国松様をお護りする」

「その二つを果たされますな」

「必ずや」

「そうされますな」

「そうじゃ」

 まさにというのだ。

「何に替えてもな」

「わかり申した、では殿はです」

「そうして下され」

「我等はこの戦に全てを捧げます」

「見事散ってみせましょう」

「国松様お頼み申す」

「是非共」

 家臣達も口々に応える、彼等は覚悟を決めてそのうえでこれからどう戦うのかを考えていた。それは滅びを意識したものだったが。 

 確かに誓い合った、彼等にも彼等の忠義があった。だがそれでもだった。

 自身の兄についてはだ、治房はこう言った、

「まだ講和と言われておるのはな」

「残念ですな、殿としては」

「やはり」

「無駄だというのに」

 最早戦に流れが向かっていてというのだ。

「兄上はわかっておられぬのか」

「あれだけ聡明な方が」

「まことに残念ですな」

「最早覚悟を決めるしかないというのに」

「それでもとは」

「もう何もする必要はないが」

 それでもというのだ。

「ああして迷っておられるとはな」

「まことに残念なことですな」

「実に」

「全くじゃ」

 大野についてはこう言ってだ、治房は苦い顔で述べた。そうして彼はあくまで兄とは袂を分かつのだった。再び戦が起こることを確かだと思いそこに向かいながら。



巻ノ百三十四   完



                   2017・12・10

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