正月が来た。綺麗な青空は晴れやかな気分にしてくれる。その下で、居住区にある料理屋に、色とりどりの外套を着た女子高生が集まっていた。
「あけおめ~」
なんて気の抜けた挨拶が、座敷の上で交わされる。参加者はヨウマと優香を含めて8人。幹事は優香だった。
「じゃ、徴収しま~す」
優香が金を集める。端に座るヨウマはその隣で参加者を見渡していた。赤毛、白セーター、ポニーテール、三つ編み、青ニット、黒ネイル。ざっと特徴は把握した。
「何頼むの?」
「唐揚げがおいしいんだよね、ヨウマ」
優香に急に話を振られて、彼は一瞬反応が遅れた。
「あー……うん。でっかくてさ」
「じゃそれにしよっと。すいませーん!」
ニェーズの店員に彼女は注文を伝える。それを聞くつもりもなくヨウマが視線を動かしていると、ひそひそ話をする黒ネイルと青ニットが目に留まった。
「ねえ優香ちゃん」
黒ネイルが尋ねる。
「その男の人、どういう関係なの?」
「うーん……えっと……」
顔を赤らめながら優香は言葉を探していた。
「彼氏?」
俯き気味に彼女はそう言った。ヨウマの驚きは、表情に出なかった。
「どこ? どこで知り合ったの?」
「護衛してもらってるの。ユーグラスの仕事で」
「地球人でユーグラス?」
「色々あってね」
「ふーん」
そうこうしている内に飲み物が運ばれてくる。赤かったり、青かったり。優香のものは透明だった。
「いいなあ」
赤毛が流暢な日本語で言った。
「私もイケメンの彼氏欲し~」
そう言って髪と同じ色の飲み物を飲む赤毛を見てから、ヨウマは優香に囁く。
「いつから付き合ってることになってたの?」
「好き合ってて一緒に暮らしてるんだからもう彼氏じゃん」
反駁はできなかった。要素だけを並べると納得するよりなかった。
「待って」
それが聞こえてしまった白セーターが言った。
「一緒に暮らしてるってどういうこと?」
「あ」
優香は肩を竦める。
「不純異性交遊だ!」
三つ編みがそう言うので、女子たちは笑った。
「だって、だって一番安全なところなんだもん」
どうにか弁解しようとする優香を見ていると、ヨウマは帰りたくなった。
「ね、ヨウマさんだっけ。優香のどこが好き?」
ポニーテールが身を乗り出す。
「笑った顔かな」
「キャー!」
女どもが燥ぎ出した。
(最悪だ)
左側に置いてある刀を撫でて心を落ち着かせた。
「その刀触ってもいいですか?」
青ニットに訊かれて、彼は首を横に振った。
「ちえっ」
不服そうな顔を浮かべられても、ヨウマにはどうしようもなかった。本国にいた武士という職業の者は、刀を地位の象徴としたという。それを知ってか知らずか、彼にとって刀は一つの拠り所だった。キジマであったとしても、刀は預けない。そう決めていた。況や知り合ったばかりの人間に接触を許すだろうか。
唐揚げと山盛りの炒飯、麻婆豆腐、その他料理がいくつか。そして取り皿。それらが職人じみた器用さで運ばれてきた。
「いただきまーす!」
優香は炒飯を散蓮華で救って、自分の皿に乗せた。
「ヨウマの分も取ろうか?」
「お願い」
掌より大きな唐揚げと、小籠包が乗った皿をヨウマは受け取った。
「ね、どこまでしたの」
ポニーテールが優香に問う。
「……キスした」
「え~~!」
また騒ぎ出す。ヨウマは食事の味も感じられない状態だった。
「私もこないだキスしたの!」
などと言い出す者も現れる。こういう騒がしさは苦手だった。
(外で警備するべきだったなあ)
とりあえず唐揚げを口にしながら考えた。これはミスだと。今からでも外にいるキジマと合流したかった。さりげなく立ち去ればどうにかならないか──と行動に移そうとしたところで、優香に袖を掴まれた。
「何?」
「近くにいて」
彼女の顔が赤い。恥じらいを殺すのに信頼できる人物が欲しいのだと、彼はすぐに察した。
「……わかったわかった」
上がりかけた腰を戻すと、優香の左手がヨウマの硬い右手に重なった。手の甲に感覚はない。彼は気づかなかった。
「優香ちゃんさ、進学する?」
赤毛が言った。フロンティア7に大学はない。これ以上のことを望むなら、本国に行かねばならない。
「行きたい、けど……」
「けど?」
「一人になるのは、怖いかな」
「彼氏君も一緒に本国行っちゃいなよ」
優香は少し悩んでいる風だった。少なくともヨウマにはそう見えた。
「東皇大ならここから通えるし、無理に引っ越す必要もないと思うの」
東皇大こと東京皇国大学は、日本及びその外地に計12個存在する国内トップクラスのエリート大学の一つである。
「それはそうだけどさあ」
赤毛は何やらつまらなそうであった。
「っていうかさあ、今年の課題むずくない?」
彼女は唐突に話題を変えた。
「余裕。校内1位を舐めるな」
黒ネイルがVサインを見せた。
今なら抜け出せそうだな、とヨウマはそっと立ち上がる。優香に引き止められることもなく、彼は脱出に成功した。その手には、唐揚げの乗った皿があった。
「いいのか?」
外に出るとキジマに言われた。
「ずっとあんなところいたらおかしくなりそう」
「何の話してたんだ?」
「僕と優香が付き合ってるとかそんな感じ」
「客観的に見ればデキてるからな、お前」
「そうだよねえ」
落し差しの刀に左手を置きながら、ヨウマは壁に体を預けた。
「もし、もしの話だぞ。お嬢様と結婚するなんてことになったら深雪ちゃんはどうするんだ?」
「一緒に暮らせばいいんじゃない?」
「あのなあ……」
キジマの溜息の意図を彼は察しかねた。
「お前の考えもわかる。深雪ちゃんは外に出て行って暮らせる状態じゃないからな。でも、目の前で惚れてる男がイチャコラしてるのもストレスだろうよ」
「3人で幸せになれるよ、きっと」
「そうかい」
その楽観的な展望を聞いて、キジマは何を言う気もなくなった。
「あ、これ」
と皿を渡す。
「ありがとよ」
キジマはそれを一口で食べてしまった。感嘆の息を漏らすヨウマである。
「まあなんだ……」
「飲み込んでから話してよ」
バツが悪そうにキジマは咀嚼する。ヨウマはそれをじっと見つめていた。
「んだよ」
終えたキジマは彼にそう言った。
「すごいなって思って」
「お前って時々意味の分かんねえこと言うよな」
空を小鳥の群れが飛んでいく。チキチキという鳴き声が降ってきた。
「最近影術師団の話聞かねえな」
「そうだね。充電してるのかも」
黒く、重い雲がやってきた。
「気をつけろよ」
「何に?」
「エルアウス」
「負けないよ」
「そりゃそうか」
キジマは少し笑った。そしてヨウマの頭をぐいと押さえつけて撫でた。
「お互い長生きしようぜ」
「うん、約束だ」
笑顔を向け合ってフィストバンプを交わした時、扉が開いた。
「外にいたんだ」
優香だった。
「ごめん、外の風当たりたくて」
半分は嘘だった。
「みんなヨウマのこと知りたいって。来て」
綺麗な手が彼の左手を掴む。
「そういうことだから。じゃあね」
「おう、楽しめよ」
◆
冷たく無慈悲な雪が降るフロンティア7に、剣を持った金髪の男の姿。エルアウスだ。その右手には血液が滴り、彼はそれを顔に塗った。足元に転がるニェーズの子供の死体を蹴り飛ばし、フローリングの廊下にどかりと腰を下ろした。
ウゥウゥというサイレンが鳴る。結界に侵入者があったことを告げるものだ。
彼がいるのはある民家。取り立てて述べることもないような、平凡な家だ。鉄筋コンクリート造のそれは雪の中で静かに存在していた。
(来いよヨウマ)
険しい表情でそう思う。
(唐版士、見ていてくれ。君の仇討ちは必ず果たす)
玄関の戸が開く。そこから現れたのは、黒いコートに身を包んだ背丈162センチの少年。右手には黒い刀身の刀がある。
「来たね、ヨウマ」
ヨウマは返事をしなかった。
「唐版士が殺されて、僕はどうすればいいか迷ってしまった……でも気づいた。全てを賭ければいいってことに」
英語混じりでなくなっていることにヨウマは気づいた。
「本当の意味で命を燃やす。これで最期にしよう」
彼が刀を構える一瞬前、エルアウスが急速に接近してきて、蹴り飛ばされてしまった。重い一撃だ。通常の地球人ではありえない、スピードとパワー。扉を突き破り、庭に転がる。立ち上がろうとすれば、剣が振り下ろされた。なんとか弾き返して、見合う。
「身体強化?」
「そう思ってくれて構わない」
ガコン、ヨウマは魂の封を解く。イニ・ヘリス・パーディの強化作用はあらゆる魔術による身体強化を凌駕する──はずだった。反応不可能と思われた斬撃に、エルアウスは的確に対処し続ける。少し離れて斬撃を飛ばすが、容易く躱される。伯仲。まさにその通りであった。
(呪縛──)
加速された思考で考える。何らかの呪縛を用いて強化作用を引き上げているのだということはすぐにわかった。だがそれがどんなものなのかは、とんと見当がつかないのであった。
押され押されて、車道に出る。ヨウマは危うく轢かれるところだった。
「危ねえぞ!」
「逃げて!」
飛び出したエルアウスが、運転手の頭蓋を剣で貫く。悲鳴が上がった。だが構っている余裕はヨウマにはなかった。
その僅かに意識を敵から逸らした時間が隙になった。下段を攻める横薙ぎをジャンプで避けた瞬間、その回転の勢いを乗せた回し蹴りがヨウマの脇腹に炸裂した。着地には成功したが、エルアウスの攻撃は止まらない。一撃一撃に込められた憎悪の重みがヨウマを防戦一方に追い込んだ。
「灼雀!」
無数の火の玉がエルアウスの後方に現れる。それらは一斉に動き出し、ヨウマに飽和攻撃を仕掛けた。辛うじて射撃を振り切ったヨウマはスピードを落とさず斬りかかる。逆袈裟。止められる。
斬り結んだ時、彼は相手の表情を見た。全てを賭ける、その高揚感に浸っている狂った笑顔だった。反吐が出る。そう思った。
押し合いになった。ヨウマは剣がもう一寸というところでなんとか拮抗から脱し、車道を走った。それを追いかける、壊れた心。斬撃を飛ばして距離をとろうとするが、エルアウスは止まらない。
「そんな強くなる方法、教えてよ」
息を切らしながらヨウマは言った。
「簡単さ。式神を封印する、君を殺せば僕も死ぬ……たったそれだけの呪縛で僕は限界を突破した」
「そんな人生楽しい?」
「唐版士がいないなら生きている意味はないよ」
「……そっか」
短い返事の後、脱力。息を深く吸う。吐く。そして柄頭に手を置く印を結んだ。
「現身の形、魂の形。全てを象れ。幽影の双」
徒手のヨウマが二人、現れる。
「知っているよ、それを雷の槍にするんだろう」
「よく知ってるね。それもスパイから聞いたの?」
「わかった上で聞いていると思うけど」
「正解」
切っ先を相手に向けたまま、彼は汗を拭う。
「正直な話をしよう」
エルアウスは剣を下に向けた。
「この強化は僕の体を破壊していく……君のその力が長続きしないようにね。だからもうすぐ終わりが来る。……決着をつけよう」
二人は同時に地面を蹴った。激しくぶつかり合う二つの刃。だがその剣筋が鈍り始めたのはエルアウスの方だった。足払いをもろに受けて倒れ込んだその喉に、黒い刀が迫る。頭を横に倒して回避。
「破天!」
エルアウスは天を指さす。その先に火球が現れた。
「吹き飛べええ!」
指を振り下ろす。火球は重力加速度を超えた加速で落下を始め、ついには地面に着弾した。大爆音。太陽がもう一つ作り出されたような輝きが住宅街を包んだ。
「ハハ、ハハハ……!」
爆風で吹き飛ばされ、顔と髪を焼かれた彼は伏したまま笑い出した。やがて体を起こし、煙の向こうに向かってこう叫ぶ。
「どうだヨウマ! もう動けな──」
そこで声は途切れた。もうもうと立ち込める煙を突き破って、雷の槍が喉を貫いたのだ。
「強かったよ」
晴れた視界の中で、ヨウマは呟いた。
着弾の直前、彼は分身を槍に変え、火球に向けて飛ばしていた。そうして幾許か威力を低下させた上で結界を展開。難燃性のコートもあって、完璧な防御を成功させたのだった。
「さようなら、エルアウス」
刀を納めた彼は空を仰いだ。ただ黙ったまま、雪を降らすだけだった。