のたうち回る精海竜王の前。
黒く長い髪を振りまき、青い着物をはためかせて、美女が宙を舞っている。
仙女かあるいは女神か。
いや、彼女は――。
「セリン!!!!」
俺の愛した妻だった。
「だんなさ……モロルド王! 貴方たちの勝ちです! 我ら海竜は貴方への敗北を認めましょう! そして精海竜王の娘として、父の始末は私が負います!」
「ばかな……なにを言っているんだセリン! すぐに君も逃げるんだ!」
俺を振り返りもしない第一夫人。
彼女はその鮮やかな唇を噛みしめ、その手を悶え苦しむ父にかざした。
巻き起こるのはいつもの雷撃。
そして、精海竜王が起こした波を打ち消す突風。
精海竜王の娘として、その権能を受け継いだ彼女もまた、天と海を操る力を持っているらしい。てっきり、雷撃を操る術だけなのだと思っていたが……。
「我が君! 奥方が精海竜王を止めてくれている間に、我々は避難を!」
相殺されて津波が引く。
その引き際を狙って、近衛兵を指揮するイーヴァンが駆けてくる。
彼の進言はもっともだったが、俺は静かに首を振った。
宙を舞い、父の起こした天変地異に、たった一人で立ち向かっている妻。
その頬を大量の汗が流れていたからだ。
「ダメだ! セリンを助けなくては!」
「……ケビン! 冷静になれ! ここは大人しく引くときだ! 精海竜王は、すぐに死に絶える! 俺たちは勝ったのだ! なのに……!」
「俺は精海竜王に言った! 彼に勝って、この海も、彼の娘も手に入れると! なのに、こんなところで大切な妻を失ってたまるものか……ッ!」
感情的な俺の物言いに、銀猫はその目を剥いて、ぱちくりとしばたたかせる。
そして、しばらく考え込み――。
「えぇいッ、柄にもないことを言いやがって! 好きにしろ絶倫領主!」
「すまん! 兵たちの指揮は任せていいか!」
「任せろ! もしもお前が頓死したら、その時は俺が代わりに王になるからな! だから死ぬなよケビン! 愛する女のために命を賭けるならば、生きて帰って来い!」
「……あぁッ!!!!」
俺の気持ちと決意を汲んで快く送り出してくれた。
肩に静かに拳を突きつけ、背中を向けてイーヴァンが走る。
その一方で――。
「ぴぃっ! セリンおねーちゃんなのッ! 帰ってきてくれたの!」
「やれやれ、やっと帰ってきはったわ。せやけどなんやのあの言い草。素直に、旦那はんの隣に戻りたいって言えばええのに。ほんに、かわいげのない娘」
「セリンさまのメンタルを予測。おそらく、父親に無理矢理離縁されたショックと、その父親を倒して迎えに来てくれたマスターに、嬉しいのだけれどもごごもごご」
「ヴィクトリア、それを言うのは流石に野暮だよ。ケビンとセリンさんの問題なんだから」
俺の妻たちが参集する。
みな、セリンの帰還を心から喜んでくれている。
そして同時に、彼女の煮え切らない態度にやきもきしていた。
親に言われて無理矢理離縁させられて、俺に会わせる顔がない。
ただでさえ、奥ゆかしい性格をしている……セリンだ。精海竜王が倒されたとは言え、俺の下にすぐさま戻ってこれないのだろう。
そして、なによりも今はモロルドの大事である。
自分のことを後回しにするのは、実に彼女らしい。
それだけに、やはり彼女をこのままにはしておけなかった。
「みんな! 俺はこれからセリンを説得しに向かう! そして、精海竜王についてもなんとかする! 協力してくれるか!」
セリンには俺たちに構う余裕がない。
ならばこちらから行くしかない。
ある意味、精海竜王と相対するよりも厳しい対峙だ。
それでも俺は彼女の下に向かいたかった。
そしてその気持ちは妻たちも同じ。
「ぴぃっ! まかせるのぉっ! セリンおねーちゃんをみんなでたすけるの!」
「田舎娘のために働くと思うと、あんまりええ気はしいひんけれど……まぁ、しかたあらへんなぁ。旦那はん、露払いはうちがつとめますえ」
「ヴィクトリア、再起動完了! セリンさん奪還に向けて、行動可能です!」
「私は前線に出て戦うことはできないけれど……ちゃんとケビンを、後方からサポートするから! だから、セリンさんを救いに行ってあげて!」
セリンを救おうと心をひとつにする嫁たち。
なんだかんだで、お互いのことを想い合っている。
セリンのことを本気で案じてくれている。
いまさらだが、俺は伴侶に恵まれたのだな。
そしてだからこそ、彼女たちを大事にしたい。
「おにーちゃん!」
「旦那はん!」
「マスター!」
「ケビン!」
「「「「夫の務めを果たすときです! 頑張ってください!」」」」
「あぁ、任せろ!」
かくして俺は再び、天に向かって土の竜を伸ばした。
愛する人をその手に掴まんと。
彼女に届けと思いを込めて。
「セリン!!!!」
愛しきその人の名を呼べば、身を挺して実の父を止める竜の姫が振り返る。
彼女は今にも泣き出しそうな顔でこちらを見て、そんな顔を隠すように背を向けた。
「モロルド王! 私に構わずはやく逃げなさい! 私は精海竜王の娘です! ならば、父の始末をつけるのは私の役目!」
「セリン、聞いてくれ! 精海竜王は倒した! もう、彼の意志に従う必要はない! 君は君の意志で、したいようにすればいいんだ!」
「ならば尚のこと! 私は――父と一緒にここで果てます!」
「本当にそれが君のしたいことなのか! 精海竜王に寄り添い! その娘として彼を補佐するのが、君の幸せなのか!」
もしそうなら、セリンは俺の下にやって来なかった。
俺についてきてくれなかった。
領主として未熟な俺を支えくれなかった。
彼女の望みが俺には分かる。
嬉しいほどに。
石兵玄武盤で作り上げた土の階段を駆け上がって、俺はセリンへと近づく。
驚く彼女の肩を抱いて――。
「セリン! 好きだ! 一生、俺の傍にいてくれ……!」
彼女にこの胸の思いをはっきりと言葉にした。
「だ……旦那さま!」