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第75話 精海竜王の娘、帰還する

 のたうち回る精海竜王の前。

 黒く長い髪を振りまき、青い着物をはためかせて、美女が宙を舞っている。


 仙女かあるいは女神か。

 いや、彼女は――。


「セリン!!!!」


 俺の愛した妻だった。


「だんなさ……モロルド王! 貴方たちの勝ちです! 我ら海竜は貴方への敗北を認めましょう! そして精海竜王の娘として、父の始末は私が負います!」


「ばかな……なにを言っているんだセリン! すぐに君も逃げるんだ!」


 俺を振り返りもしない第一夫人。

 彼女はその鮮やかな唇を噛みしめ、その手を悶え苦しむ父にかざした。


 巻き起こるのはいつもの雷撃。

 そして、精海竜王が起こした波を打ち消す突風。


 精海竜王の娘として、その権能を受け継いだ彼女もまた、天と海を操る力を持っているらしい。てっきり、雷撃を操る術だけなのだと思っていたが……。


「我が君! 奥方が精海竜王を止めてくれている間に、我々は避難を!」


 相殺されて津波が引く。

 その引き際を狙って、近衛兵を指揮するイーヴァンが駆けてくる。


 彼の進言はもっともだったが、俺は静かに首を振った。


 宙を舞い、父の起こした天変地異に、たった一人で立ち向かっている妻。

 その頬を大量の汗が流れていたからだ。


「ダメだ! セリンを助けなくては!」


「……ケビン! 冷静になれ! ここは大人しく引くときだ! 精海竜王は、すぐに死に絶える! 俺たちは勝ったのだ! なのに……!」


「俺は精海竜王に言った! 彼に勝って、この海も、彼の娘も手に入れると! なのに、こんなところで大切な妻を失ってたまるものか……ッ!」


 感情的な俺の物言いに、銀猫はその目を剥いて、ぱちくりとしばたたかせる。

 そして、しばらく考え込み――。


「えぇいッ、柄にもないことを言いやがって! 好きにしろ絶倫領主!」


「すまん! 兵たちの指揮は任せていいか!」


「任せろ! もしもお前が頓死したら、その時は俺が代わりに王になるからな! だから死ぬなよケビン! 愛する女のために命を賭けるならば、生きて帰って来い!」


「……あぁッ!!!!」


 俺の気持ちと決意を汲んで快く送り出してくれた。

 肩に静かに拳を突きつけ、背中を向けてイーヴァンが走る。


 その一方で――。


「ぴぃっ! セリンおねーちゃんなのッ! 帰ってきてくれたの!」


「やれやれ、やっと帰ってきはったわ。せやけどなんやのあの言い草。素直に、旦那はんの隣に戻りたいって言えばええのに。ほんに、かわいげのない娘」


「セリンさまのメンタルを予測。おそらく、父親に無理矢理離縁されたショックと、その父親を倒して迎えに来てくれたマスターに、嬉しいのだけれどもごごもごご」


「ヴィクトリア、それを言うのは流石に野暮だよ。ケビンとセリンさんの問題なんだから」


 俺の妻たちが参集する。


 みな、セリンの帰還を心から喜んでくれている。

 そして同時に、彼女の煮え切らない態度にやきもきしていた。


 親に言われて無理矢理離縁させられて、俺に会わせる顔がない。

 ただでさえ、奥ゆかしい性格をしている……セリンだ。精海竜王が倒されたとは言え、俺の下にすぐさま戻ってこれないのだろう。


 そして、なによりも今はモロルドの大事である。

 自分のことを後回しにするのは、実に彼女らしい。


 それだけに、やはり彼女をこのままにはしておけなかった。


「みんな! 俺はこれからセリンを説得しに向かう! そして、精海竜王についてもなんとかする! 協力してくれるか!」


 セリンには俺たちに構う余裕がない。

 ならばこちらから行くしかない。


 ある意味、精海竜王と相対するよりも厳しい対峙だ。

 それでも俺は彼女の下に向かいたかった。


 そしてその気持ちは妻たちも同じ。


「ぴぃっ! まかせるのぉっ! セリンおねーちゃんをみんなでたすけるの!」


「田舎娘のために働くと思うと、あんまりええ気はしいひんけれど……まぁ、しかたあらへんなぁ。旦那はん、露払いはうちがつとめますえ」


「ヴィクトリア、再起動完了! セリンさん奪還に向けて、行動可能です!」


「私は前線に出て戦うことはできないけれど……ちゃんとケビンを、後方からサポートするから! だから、セリンさんを救いに行ってあげて!」


 セリンを救おうと心をひとつにする嫁たち。

 なんだかんだで、お互いのことを想い合っている。

 セリンのことを本気で案じてくれている。


 いまさらだが、俺は伴侶に恵まれたのだな。

 そしてだからこそ、彼女たちを大事にしたい。


「おにーちゃん!」


「旦那はん!」


「マスター!」


「ケビン!」


「「「「夫の務めを果たすときです! 頑張ってください!」」」」


「あぁ、任せろ!」


 かくして俺は再び、天に向かって土の竜を伸ばした。


 愛する人をその手に掴まんと。

 彼女に届けと思いを込めて。


「セリン!!!!」


 愛しきその人の名を呼べば、身を挺して実の父を止める竜の姫が振り返る。

 彼女は今にも泣き出しそうな顔でこちらを見て、そんな顔を隠すように背を向けた。


「モロルド王! 私に構わずはやく逃げなさい! 私は精海竜王の娘です! ならば、父の始末をつけるのは私の役目!」


「セリン、聞いてくれ! 精海竜王は倒した! もう、彼の意志に従う必要はない! 君は君の意志で、したいようにすればいいんだ!」


「ならば尚のこと! 私は――父と一緒にここで果てます!」


「本当にそれが君のしたいことなのか! 精海竜王に寄り添い! その娘として彼を補佐するのが、君の幸せなのか!」


 もしそうなら、セリンは俺の下にやって来なかった。

 俺についてきてくれなかった。

 領主として未熟な俺を支えくれなかった。


 彼女の望みが俺には分かる。

 嬉しいほどに。


 石兵玄武盤で作り上げた土の階段を駆け上がって、俺はセリンへと近づく。

 驚く彼女の肩を抱いて――。


「セリン! 好きだ! 一生、俺の傍にいてくれ……!」


 彼女にこの胸の思いをはっきりと言葉にした。


「だ……旦那さま!」

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