セリンのことが大事すぎて、居ても立っても居られなかった。
精海竜王に自分の人生を握られた乙女を、その宿命から解放したくて必死だった。
再び、彼女の隣を歩むためなら、なんでもするつもりだった。
たとえ拒絶され、紫電に焼かれても構わない。
覚悟と共に海竜の姫を抱きしめる。
はたして、俺の大事なセリンは――。
「旦那さま。はじめて私を好きと言ってくださいましたね?」
「…………へ?」
予想もしていなければ、緊張感もなにもないひと言だった。
ただ、満足げに頬を染めるセリンに、気持ちが伝わったことは分かった。
彼女は雷撃を放つ手をほんの少しだけ止め、俺の背中に手を回す。
そして、俺の胸に顔を預け、まなじりから雫を流した。
精海竜王との戦いでボロボロになった服を、彼女の温かい涙が濡らしていく。
「好きだ好きだと、言うばかりの身は悲しいものです。もう、本当にひどい人」
「す、すまない。そうか、そう言えば。俺はいつも君に、迫られてばかりで」
「その癖、第二、第三と、次から次に夫人を連れてくる。正妻として魅力がないのかと、涙で枕を濡らさぬ日はございませんでした……!」
「そんなこと! 俺は……セリンが一番大事だ! もちろん、他の妻たちも大事だ! けれど、最初に俺のことを選んでくれた君が……やっぱり特別なんだ!」
クツクツとセリンが俺の胸の中で笑う。
どうも、俺の言い方がまずかったらしい。
正直に気持ちを伝えようとしたのに、どうしてこうなるのか。
セリンに愛想を尽かされるのも仕方ない。
「私を、特別と言ってくださるのですね。まだ、正妻だと言ってくださるのですね。貴方の下を去り、父の命に従った、この私を」
「あぁ。モロルドのことも大事だが、俺は君を精海竜王から取り返したかった。君を失いたくなかったんだ」
「ひどい王ですこと。領民の命より、妻の命を優先するのですか?」
涙を俺の胸で拭った、海竜の姫がこちらを見上げる。
父親譲りの赤い瞳を濡らし、こちらを見つめる乙女に、俺はしっかり頷いた。
領主として間違っていても。
今は、夫として正しくありたい。
普段、領民のために身を粉にして働いているのだ。
これくらいのことを言っても、きっと彼らも許してくれるさ。
「セリン。帰ってきてくれ、俺の下へ」
「……どうしようもない。本当にどうしようもない旦那さま。けど、どうしてでしょう。こんなにも胸が高鳴ってしまうのは。貴方のことを思えば、この世のなにもかもがどうでもよくなってしまうのは。私も、どうしようもない妻なのかもしれません」
もう一度、セリンは俺の胸に顔を埋める。
そして、最後までまなじりに溜まった涙を、俺の胸へと預けた。
それが彼女の――妻の答えだった。
「旦那さま! これより私は、精海竜王の娘としての立場を捨て、ただ一人の女として、貴方に寄り添い、添い遂げることを誓いましょう! それでも、私と一緒にいてくださいますか! 竜王の娘という利用価値のない女でも、おそばにおいてくれますか!」
「さっきからそう言っているじゃないか! 君が精海竜王の娘だなどと、そんなことは俺にとってどうでもいい! セリンだから好きなのだ!」
「ありがとうございます、旦那さま! いえ、ケビンさん!」
見つめ合い、そして、唇を重ねる。
モロルドの領土は今、精海竜王の起こす荒波によって危機に瀕しているのに。
岳父である海竜の王が死の淵に瀕しているのに。
そんなことどうでもよかった。
再び、セリンと夫婦になれた悦びが俺を満たす。
この理不尽に思えた試練に、無理にでも意味を見出すとすれば、それはこの気持ちを確かめるためだったのかもしれない。
「お二人はん! いちゃつくんはそろそろにしてもらえへんやろか!」
「ぴぃいいいッ! おにーちゃん、おねーちゃん! はやくあんぜんなところに、ひなんするのー! このままだと、せーかいりゅーおーのかみなりでこげこげなの!」
「プライバシー保護のために視界を遮断――いえ、システムをシャットダウンします。ララさま、旦那さまとセリンさまのいちゃこらが終わったら、再起動をお願いします」
「そ、それって! 私は二人のいちゃこらをずっと見てなきゃダメってこと⁉」
港に置いてきたルーシーたちが、盛り上がって我を忘れた俺たちを諫める。
少し不満げに頬を膨らませたセリンだったが――俺の自慢の正妻で、賢母で、術士の彼女は、すぐさま構えを取ると、再び術で稲光を操って精海竜王を止めにかかった。
「とはいえ旦那さま! まずは父上にトドメを刺すのが先です!」
「トドメ……なんとか、穏便に済ませる方法はないのだろうか?」
「竜の力の源である角を折られてしまったんです。こうなってしまっては、竜はもう死に絶えるより道はありません」
セリン曰く、竜の角というのは体内を巡る力を操るのに不可欠な器官らしい。
角を壊されれば、魔力を御することができなくなり、死に絶える宿命なのだという。
そして絶命の際に、溜め込んだ力をすべて放出し爆発する。
並の竜ならばともかく、海竜の王たる精海竜王。
その衝撃は尋常ならざるものになるだろう。
「そうなる前に、父上にトドメを刺してください!」
「しかし……!」
最後まで内海の覇者として、俺はもちろんモロルドの領民を気遣ってくれた精海竜王。
そんな彼にしてやれることが、命を絶つことだけなのか――。
悩む俺の手を力強く握り、セリンがこちらを見つめる。
「父上も、旦那さまに討たれるのであれば本望だと思います! これ以上、精海竜王の名を汚さぬうちに、引導を渡してあげてください! それがせめてもの手向けです!」
長くこの地に君臨し、数多の命を守護してきた真の王。
その最後が、厄災を呼び込むようなことでいいはずがない。
せめてその名に恥じぬ最後を父に。
忸怩たる思いで石兵玄武盤に力をこめたその時――ふと、精海竜王の巨体に、めり込んでいる鈍色の弾丸が俺の目に入った。
ララの指揮で打ち込んだ砲弾とは違う。
それは、近衞兵たちが浴びせたものだ。
あまりに小さく、その巨体に軽微なダメージしか与えられなかったが――。
そこから微弱にではあるが、紫電が海へと漏れ出ているではないか!
「セリン! 精海竜王の身体にめり込んだ鉛を、使うことはできないか!」
「なんとかとは……あぁ、なるほどッ!」
鉛をはじめとした金属類には雷を通しやすい性質がある。
その性質を利用して、精海竜王の身の中を巡っている力――紫電を身体の外に流し出すことができるかもしれない。
試してみる価値はある。
「精海竜王! きっと、助けてみせるぞ!」
「父上! どうかもう少しのご辛抱を! 旦那さま!」
俺たちは、この海の偉大なる王を救うべく手を取った。
石兵玄武盤をたぐって、土中から俺は急いで鉱石を集める。
対して、セリンは俺の掘り起こした鉱石を、雷撃で切削して尖らせると、実父の身体に撃ち込んでいく。
細く長い鉱石の針を撃ち込まれ、精海竜王が身体から血と紫色の稲妻を放出させる。
それは、爆発というには穏やかで、海中に緩やかに吸収されていった。
これなら精海竜王を助けられる……!
「いくぞ、セリン!」
「はい! 旦那さま!」
青い鱗で覆われた海竜の巨体に次々に針を撃ち込む。
はたして、身のうちを駆け巡る力――雷撃を逃がす道を通された竜の王は、次第に落ち着きを取り戻していった。
針の先から放出される稲妻が、やがて少なくなっていく。
「も、もう、大丈夫だ……! ケビン! そして、星鈴よ!」
「精海竜王!」
「父上!」
内海の覇者はなんとか、その命をギリギリのところで繋いだ。