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第77話 モロルド王の嫁奪り

 かくして精海竜王は討ち果たされた。

 角を折られ即席の槍に貫かれた精海竜王は、正直死に体という様子だった。

 だが、その顔つきにはもう険しさはなく、穏やかに俺たちのことを見つめていた。


 港より少し離れた岩礁に横たわり、青い巨竜が息を吐く。

 彼の吐息が起こしたさざ波が、眼前にたたずむ俺たちの髪を撫で足下で飛沫を上げた。


 セリンと隣り合って立つ俺に、精海竜王が赤い瞳を瞬かせる。


「ふむ、ワシの負けだ。よくぞ人の身で立ち向かった、ケビンよ。今こそワシは、お主のことを真のモロルド王として認め、覇王の座を譲ろう」


「精海竜王。よもや、このためにわざと憎まれ役を……?」


「これ、うぬぼれるでない、小僧。ワシは海竜の長として、まっとうにお主に勝負を挑んだ。そしてお主の軍門に降った。その意味が分からぬほど、暗愚の王ではないだろう?」


 精海竜王は海竜たちの代表者だ。

 それが破れたということは、海竜たちも破れたということ。


 すなわち海竜という種族――国の敗北である。


 草の民たちを従えた時と同じだ。

 誇りを持って挑んできた相手を、軽んじることはできない。

 そして、彼らをこれから従える身としても、そのようなことを言ってはならない。


 最後まで精海竜王は王としてのあり方を俺に示した。


「精海竜王。いえ、岳父どの。これからも、俺に力を貸してくれませんか」


「だから小僧。言ったばかりではないか。愚かなことを申すでない。それに、心配せずともお主はもう立派な王だ。大丈夫だ、モロルドも海竜たちも、他の種族も、お主を担ぎ仰ぎついていくことだろう……」


 その時、精海竜王が咳き込む。

 どうやら俺たちの攻撃は想像以上に彼の身体を傷つけたらしい。


「父上!」


 満身創痍の父を前に悲痛な声を上げるセリン。

 そんな彼女に、精海竜王は優しい眼差しを向けると、静かに息を吐いた。


「セリンよ。ワシの娘に産まれたのにお主は優しい子に育ったな。お主が選んだ男は、間違いなく王の器を持っておる。よく支え、共にこの地に楽土を築くがよい」


「…………はい!」


「ケビンよ、娘を頼むぞ。さて、老いた竜はそろそろ、その役目を終えるとしよう」


 らしくない精海竜王の言葉に胸がざわつく。

 まさかこのまま死ぬのか。

 せっかく、爆発を防いだのに。


 岳父の名を思わず叫びそうになったその時。


「……ふんッ!!!!」


 精海竜王の、無事だったもう一つの角が突然折れた。


 というより取れた。


 ぽろりとその頭から外れた角が、モロルドの港湾に沈む。

 すると、精海竜王の姿がもやのように消えて――代わりに、小さな人影が現れた。


 見覚えもなにも、それはかつて精海竜王が変化してみせた姿。

 眉目秀麗な童子に精海竜王は変化した。


「さあ、これで楽隠居じゃ! これからはワシは、モロルドのわんぱく魔性の美少年として、街で浮き名を流しまくってやるからのう!」


「心配したのに、それはないですよ精海竜王!」


「いやぁ、崇められるのは結構なんじゃが、王の務めというのもいささか面倒くさくてのう。そろそろ引退するいい機会はないかと考えておったんじゃ。此度のことは、まさに好機。ということで、あとは頼んだぞケビン……いやぁ~、疲れた疲れた!」


 せっかく人が心配したというのに、この狒々爺(見た目は童子)め。


 怒り心頭の俺。

 調子を外され放心するセリン。

 あっけにとられる他の嫁たち。


 そんな俺たちの視線から逃げるように、精海竜王は海面を蹴ってとっととモロルドの街へと消えてしまった。


 よもや、これが最後の空元気。

 このまま俺たちの前から姿を消すのではないか――と、ふと不安に思ったのだが。


「心配するでない、ケビンよ! 精海竜王の名は伊達ではない! ワシはこれでも千年を生きる海竜の王ぞ! これくらいの怪我で事切れるほどヤワではないわ!」


「本当ですか……?」


「おおさ! それに……まだ腕に孫を抱いておらぬからのう! 孫の顔を見るまでは、死んでも死にきれぬわ! ぬはははははッ!」


 と、軽い声色で言われては、そんな心配も霧散するのだった。


 かくして、モロルドを襲った最大の危機は去った。

 空を覆う暗雲は消え去り、暗い色をしていた海には青さが戻る。

 街に日の光が降り注げば、港湾に寄せる穏やかな波がきらめいた。


 そんな中、俺は隣に立っている、妻の手をさりげなく握りしめる。

 おくゆかしく、気が強いようでいて、引っ込み思案なところがある――かわいい第一夫人は、俺の指先にこわごわとその指を絡めると、そっと肩を寄せた。


「……戻りましょうか、旦那さま?」


「あぁ、戻ろう。俺たちのモロルドへ!」


 妻の手を取って俺たちは振り返る。そこには――いつの間にか、戦争の爪痕などなかったように、綺麗に修復されたモロルドの新都の姿があった。


◇ ◇ ◇ ◇


 さて、それからというもの。


 精海竜王から、正式にモロルド一帯の王の座を譲られた俺は、彼に従っていた多くの種族からも王として認められることになった。


 海竜はもちろん、人魚や魚人族、海妖などがこぞって謁見を申し出てくる。

 流石に、ちょっと気圧されてしまった。


 もちろん、精海竜王の件があるとはいっても一筋縄では行かない。

 中には人間の俺が本当に彼を倒せたのかと、怪しむ者もいたが――そこは、俺の隣に精海竜王の娘が侍っていることで払拭された。


 嫁と岳父の威を借りるのは情けなかったが。


「控えなさい! 我が夫は、我が父――精海竜王を倒して、この地の王として武名を上げた覇王ですよ! モロルド王に逆らってこの地で生きられると思わぬことです!」


 戻ってきた妻が張り切っているので、深く追求するのはやめておくことにした。


「まったく、勝手に出てったと思ったら、勝手に戻ってきて、せわしない娘やわ。もう少しくらい大人しうしとったらええのに」


 なんて小言を言いながら、ルーシーはセリンの帰還を喜んでいた。

 相変わらず口喧嘩は絶えないが、そういうのが二人にはあっているのだろう。


「なるほど、マスターが精海竜王を倒した証拠が欲しいと。では、この不肖ヴィクトリアが脳内メモリーに記憶した映像をご覧にみせましょう……!」


 ヴィクトリアは相変わらず、謎の力で大活躍してくれている。

 今日も、セリンの言葉だけでは信じられない者たちに、摩訶不思議な幻術で、俺と精海竜王の戦いの映像を見せてくれている。


 ちょっとばかり、誇張が入っているのは目を瞑ろう。


「ホオズキ、リハビリがてらに偵察に行こうと思う。つき合ってくれないか?」


「はい! ララ姉さま!」


 ララもすっかりと体調がよくなった。

 狩人としての復帰は絶望的かと思われたが、そこは腐ってもウェアタイガー。

 今やすっかりと往事の力を取り戻しつつある。


 もっとも、それはホオズキの献身によるところも大きい。

 ララのリハビリをずっと手伝ってきた彼女は、今や専属の従女のようだ。


 実の姉妹には見えないのが残念なところだが。


 とまぁ、そんなわけで、今日もまた世はこともなし。

 モロルドには安息の日々が訪れていた。

 ただし――。


「さぁ、旦那さま! 父上もはやく孫の顔が見たいと言っておりました! 今日こそ、私と子作りを!」


「あらあらそんなにがっつきはって。ほんに品のない田舎娘やわ。こういうのは雰囲気が大事やって分からへんのね。なぁ、旦那はん、今日はウチとしっぽりと……!」


「残念ながら仙宝のヴィクトリアに生殖能力はございません……しかし、遺伝子操作とクローン技術で、旦那さまの遺伝子を持った生命体なら造成可能でございます!」


「…………うぅっ! け、ケビン! 今日は私と、ど、どど、同衾しよう!」


 王としての夜のお勤めもまた再開することとなり、俺の安息の日々は遠のくことになってしまったのだが。


 そして、絶倫領主の渾名の原因もまたなにも解決していない。


「うぅっ! 今日こそは……あっ、あっ、やっぱり無理!」


「旦那はんの、やっぱり凶暴やわ。ちょっと囓ってあげるんはあかんやろうか」


「【警告! 警告! 容量オーバー! 結合部に破損の恐れあり!】」


「……ひっ、ひぅっ! な、なにそれ! 子供の頃はあんなにちっちゃかったのに!」


 俺の絶倫領主としての日々は、まだまだ前途多難のようだった。


「あれ、そういえば……ステラはどうしたんだ?」


◇ ◇ ◇ ◇


「ぴっぴぃ~っ♪ よるのおさんぽたのしいのぉ~♪」


「ぐわっぐわぁっ! ぐわっ……コケーッ!」


「とりしゅとらむもうれしがってるの! とべないとりさんはかわいそうだから、ステラがおさんぽさせてあげないと…………うん?」


「…………こけぇッ?」


 後宮を抜け出し、夜の散歩に赴いていた第二夫人のステラ。

 そんな彼女は浜辺に打ち上げられている、妙な生き物に気がついた。


 過日、彼女たちが打ち倒した精海竜王。

 その角と同じ、金色の砂を身体に含んだそれは――。


「とーめーな? おねーさん?」


「くぁあぁッ?」


 人の形をしながら、影を持たぬ、不思議な魔物であった。


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