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7月19日 抜擢

 三連休が明けた放課後、私はユリと一緒に放送室に出向いていた。

 琴平さんにユリのキャスティングを提案するためだった。


 生徒会室の向かい、分厚い防音扉に隔てられた、ちょっと油臭い室内。

 中は大きく二つの部屋に分かれていて、手前の部屋には資料棚や小道具、校内放送用の機材なんかが並ぶ。

 もう一つの部屋は大きなガラス窓のある壁で仕切られ、本来はラジオのトークルームのような使い方をする場所なんだろう。

 そこにはパソコンやテレビ、ロッカーにソファーなんかが詰め込まれていて、編集室のような造りになっていた。

 今は特にやることがないのか、テレビにゲーム機を繋いでパーティゲームか何かをやっている部員たちの姿がガラス窓越しに見えた。


「それで、文化祭ビデオの話なんだけど。主演の枠まだ決まってないなら彼女とかどうかなって。わかる? 四組の犬童友梨」

「ユリさんですよね、存じ上げてますよ。チア部の方々には何かと協力してもらったりしてますので」


 琴平さんは、いつもの胡散臭い笑顔を浮かべながら頷いた。

 何となく、笑った顔が狐っぽいんだよな。

 普段からシュッとした一重だし。

 だから胡散臭く見えてしまうのかもしれない。


「やる気だけはあります! よろしくおねがいします!」


 ユリはオーディションを受けに来たアイドルみたいに、ハキハキと口にして頭を下げた。


「良いんじゃないですか。そろそろ撮影準備も始めないとですし」

「いいの? そんな適当に決めちゃって」


 ほとんど身内向けみたいな映画だろうけど、それでも主演だよ。

 多少なり撮る側の拘りとかで渋られるのも覚悟していたのだけれど。


「ぶっちゃけ、演じるのは誰でも良いんですよね。台本もその人に合わせてキャラを調整しますし」

「その割には、私は主人公っぽくないとか、散々なこと言われた気がするけど」

「あはは、それは言葉のアヤですよぉ。会長サンはもっと合う役があるってだけの話です。じゃあこれ、犬童さんの分の台本なので読んどいてください。内容は調整中なので、ざっくり流れさえ掴んどいてもらえれば大丈夫です」

「わーい、ありがとう!」


 なんだかはぐらかされたような気がするけど、まあいいか。

 ユリは、受け取った台本をさっそくぺらぺらとめくっていた。


「チア部の大会って八月頭でしたっけ? そこまではユリさん忙しいですよね?」

「う~ん、そうだね。撮影スケジュール大丈夫かな?」

「それは問題ないですよ。たぶん二~三日集中すれば撮り切れるので。もし纏まった時間が取れなくてスケジュールを小分けにしたとしても、一週間もあれば余裕でしょう」


 琴平さんはぺらぺらとスケジュール帳を開きながら、八月のページに撮影日程らしき項目を書き込んでいた。

 今時紙のスケジューラーを使っているのは珍しい。

 何か予定が決まったら、スマホのカレンダーにメモしてしまうのが手っ取り早いし、リマインダーもあって便利だと思うけど。


「あ、これですか?」


 私の視線に気づいたのか、琴平さんはスケジュール帳を小さく振ってみせる。


「スマホの画面に指を走らせるのと、ボールペンで文字を書くのじゃ、たぶん脳みその使ってる部分が違うんでしょうね。私は医学知識はサッパリなので、詳しいことはわかりませんが」

「まあ、なんとなくわかるかも。スマホでいくら漢字使ったって全く覚えないけど、何回か手で書けばすぐ覚えるし」

「ええ、ええ、たぶんそういう感覚です。つまるところ不便ってのは、人生のいい刺激になるんですよ」


 人生とは、ずいぶん話が大きくなったような気がするけど。

 でも、なんかいい言葉だな。

 不便ってのはいい刺激になる。

 何かの機会があったら使わせてもらおう。


「ところでユリ、台本に熱中してるとこ悪いけど、あんた部活は?」

「あ、そうだった! 今日は通し稽古あるから絶対に遅れちゃいけないの!」

「いや、それ早く言いなよ。明日とかにしたのに」

「大丈夫。あたし、ウォームアップが早いのが取り柄だから」

「ユリさんは、いつも充電バッチリって感じですもんねぇ」

「バッチリもバッチリ!」


 そう言って、ユリは両手で力こぶを作ってみせた。

 琴平さんは、それをしげしげと眺めて、それから愉しそうに頷いた。


「うん、なんとなく主人公の方向性もつかめたのでありがとうございます」

「え? ああ、うん、こちらこそ?」


 一方のユリはいまいち要領を得ない様子で首をかしげていたけど、すぐにどうでもよくなったのか、いつもの人懐こい笑顔を浮かべた。


「じゃ、部活行ってくるね」

「いってらっしゃい」


 私はそれを見送って、小さなため息をついた。


「会長さんは、なんていうかほんとに保護者って感じですねぇ」

「そう見える?」


 琴平さんは、ユリにしたのと同じようにしげしげと私を見つめて、それから小さく小首をかしげた。


「うーん、主人公に殺されるのと、自分で死ぬのとどっちが良いですか?」

「それはどういう質問なの?」


 たぶん映画の話なんだろうけど、ほんとにどういう質問なんだ。

 というかそれって、台本の調整っていうよりもっと大々的な何かのような気がする……映画に関しては彼女と視聴覚委員会に一任しているところがあるので、とやかく口出しはしないけど。

 とりあえず、最後に無事に完成さえしてくれるのなら、それで。

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