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7月21日 三分の一が終わる

 終業式が終わった。

 明日から約一ヶ月の夏休みが始まる。

 漫画やドラマじゃ八月いっぱいの夏休みなんてのが描かれるけど、北国では八月下旬から学校が始まる。

 代わりに冬休みだかが長いらしいけど、比べたことがないので〝らしい〟ということしか私は知らない。


「帰り、どっか寄ってかね?」


 帰り支度を済ませた姿でウチの教室に来るなり、アヤセがそんなことを言う。


「ユリは?」

「部活。心炉も暇なら」

「忙しいってことはありませんけど」


 そうして連れ出されるように学校を出て、向かったのは半ば行きつけのようなチェーンのドーナツ屋だ。

 それぞれ思い思いのものを注文してから席に着く。


「星、今日はオールドファッションだけか?」

「ちょっと甘い物控えてて」

「なに、夏に向けてってやつ? 見せる相手もいないのに?」

「うるさい」


 夏に向けるも何も、もう夏でしょうが。

 これはそういうんじゃなくって、単なる平時のダイエットだ。

 だったら飲み物だけで済ませとけって話なんだろうけど、ドーナツ屋に来てドーナツをひとつも食べないというのはいかがなものか。

 マックに行ってポテトだけを食べて帰るみたいなもん……あれ、それは結構やってるような気がする。

 例えが悪かった。

 つまるところこれはお店への敬意であって、私の心の贅肉だ。


「そして、心炉のそれは頼んでるやつ初めて見た」


 アヤセに釣られて、私も心炉のトレーに目を落とす。

 ホットのカフェオレとは別に、小さなバケツ状のカップに詰め込まれた小さな丸いドーナツたち。

 ちょっとお祭りのスーパーボールっぽい。


「食べやすくて良いんですよ、これ」

「そういうのってほら、シェアして食うもんじゃん。私らシェアとかしねーもんな……それぞれ好きなものを好きなだけ食い散らかす感じ」

「それじゃあ、私が食い意地張ってるみたいじゃないですか。ひとりでバケツ一個食べて」

「一個だけならそんなに量ないんじゃない?」

「たぶん普通の一人前くらいだと思うんですけど……一個食べます?」

「じゃあ、助けるつもりでひとつ貰おうかな」


 私は差し出されたバケツから丸いドーナツを一個摘まんで、口の中に放り込んだ。

 可愛く盛り付けられているけど、モノは普通のドーナツだ。


「なんかアレっぽい。沖縄の」

「サーターアンダギーですか」

「そう、それ」


 ぼんやりと脳裏に浮かんだ沖縄の球状ドーナツに、ピッタリと名前が当てはまった。


「あれ、やたら砂糖使うから焦げやすいんだよな。黒糖だから、普通の砂糖使うよりはまだマシなんだろうけど」

「そうなんだ」

「揚げてるとパカって口開いちまうんだけど、あれが良いんだってさ」

「何か変わるんですか?」

「よく分からんけど、縁起物らしい」


 歪な方が縁起がいいってのは、いろんなところであるような気がする。

 ただ食べる側からしたら、お腹に入れば変わらないんだけども。

 それこそ食い意地張ってるみたいな感想なので、心の中だけで留めておいた。


「あー、なるほど。口が開くってことで、笑ってるって意味になって、縁起物なんだと」


 アヤセがスマホの画面もスクロールしながら教えてくれた。

 わざわざ調べてくれたらしい。


「いくら演技ものでも、つるんと丸いのに口だけ開いてるのってなんか不気味な気がするけど」

「想像しちゃうんでやめてくださいよ。私、今似たようなの食べてるんですから」

「のっぺらぼうみたい」

「やめてくださいって!」

「お前、ホラーはダメなのに妖怪は大丈夫なのな」

「妖怪は大丈夫っていうか、水木しげるは大丈夫」

「またピンポイントな」


 水木しげるのは怖いことは怖いけど、ちょっと愛嬌があるからまだなんとか。

 それこそ琴平さんが言うような、ゆるキャラっぽさがあるから見てられる。


「星さん、ホラーダメなんですか?」


 心炉が初耳だって顔でこっちを見ていた。

 バツが悪くてそっぽを向いた私の代わりに、アヤセが頷き返す。


「ダメなのよー、こいつ。この間のちょっとホラーっぽいヒーロー映画でもダメだったくらい」

「ごめんなさい、その映画を観てないので基準が分からないんですが……」


 心炉は断りを入れてから、ちょと考え込んで、ものすごく真に迫った表情でぽつりと呟いた。


「……映画、大丈夫なんですか?」

「大丈夫じゃないと思う」


 大丈夫じゃないと思う。珍しく、口と心とが一致した。

 それを聞いて、アヤセがクツクツと笑う。


「ま、なんかリアルなシーンが取れそうじゃん。星の心拍数を犠牲にして」

「そんなに生き急ぎたくないんだけど」


 役者目指してるわけでもないのに、なんで命削らなきゃいけないんだ。


「じゃあ、ゾンビを全部水木しげるテイストにしてもらうか?」


 アヤセの提案に、反論する前にちょっとだけ考えてみる。

 水木しげるテイストで……ゾンビ?


「いや、ないない。あれはイラストだからまだ可愛いげがあるんであって、リアルに居たら不気味の谷を軽く越してくるから」

「それこそホラーですね。ねずみ男とかもリアルにアレがいたらまあまあ怖いですよ」

「USJの鬼太郎コラボがそんな感じだったっぽいな」

「そんなんやってたんだ……手が広いねUSJ」


 実はUSJ自体行ったことないんだけども。

 というより大阪自体そんなにちゃんと見て回ったことがない。

 どうしても、東京と比べるとちょっと遠いような気がしてしまうのはなんでだろう。

 新幹線で二時間半か、飛行機で一時間半かで、時間的には近いはずなのに。


「あのゾンビメイク、見せられてから動画とか見てみたけど、結構いろんなやり方があるのな。言ってたティッシュと水溶き糊で作る方法もあったわ。凝ったらいろいろできそうだし、私も覚えんのありだなぁ」

「メイクのお手伝いできるようになってほしいって言ってましたしね。私も予習くらいしておきましょうか」

「なんでふたりともそんなに乗り気なのかが分からない」

「むしろ星がノリ気じゃなさすぎるんだって。ノリと勢いで生きろよ。お前、それでもJKか?」

「ノリと勢いで生きなきゃいけないならJKなんてやめてやる」

「まあまあ、JKなんてあと半年くらいの辛抱なんですから……」


 心炉のよく分からないフォローを受けながら、私はオールドファッションの最後のひとかけを飲み込んだ。


「三年も三分の一が終わったわけだしな。いよいよ卒業が迫ってくるなぁ」

「受験って壁が厚すぎて、まだまだ遠い未来のような気しかしないんだけど」


 来年の三月。

 受験が終わったあとの時間なんてほんとに存在するんだろうかってくらいに、目の前の壁が厚く大きい。


「三学期はほとんど自由登校ですからね。もしやり残したことがあるのなら、二学期のうちに済ませておきたいですね」


 心炉の言葉が、妙に心に沁みた。

 やり残したこと、何かあったかな。

 こういう時にパッと思いつくほど、毎日を注意して生きてなんていない気がする。

 たぶんユリならいくらでも、指折り数えて出てくるんだろうけど。

 そう考えたら、少しは夏休みの間に発散させてやっといた方が良いかな。

 予定がミッチリのこの夏に、そんな時間があるかは分からないけど……。

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