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7月22日 夏の一日目

 人間には二種類いると思う。

 夏休み初日から全力で満喫する人間と、初日くらいは「何もしない」をする人間。

 私は言わずもがな後者だけれど、私のダラダラ=勉強をして過ごすということだ。

 本格的な「何もしない」はどうにも身体が落ち着かない。

 というよりも、何かあったときに「あの時何もしなかったからだ」と思う後悔をしたくないってのが一番の理由かもしれない。


 勉強して、疲れたら寝転がって動画でも見て、また勉強して。

 最初の数日は良いんだ。でも、しばらくしたらたぶん、代り映えのない毎日に嫌気がさして来て。

 早く学校が始まんないかななんて思って、実際に始まってみると今度は早く長期休暇が来ないかななんて。

 そういうところは歳を重ねてもあまり変わらないような気がする。


 不意に、スマホにメッセージが入った。

 ユリからだった。


――夏合宿って何持ってけばいいと思う?


「あんた、プリント貰ったでしょ」


 誰もいないのに、思わず口に出てしまった。

 この場合の合宿ってのは、生徒会のでもチア部のでもなくて、三年生限定の夏の学習合宿のこと。

 来週の平日に三泊四日の長期スケジュールであるわけだけど、うだるような夏の暑い時期に、ちょっとでも涼しい山の上のホテルでみっちり缶詰になって勉強しようっていう、毎年の恒例イベントだそうだ。

 本来はスキー客向けの観光ホテルということもあり、避暑地でありながら夏は完全なオフシーズン。

 だから貸し切り状態で好き勝手できちゃうという背景もあると聞く。


 一応、部活を終えて夏休みから本格的に受験勉強を始める人たち向けに、夏休みの最初に伸びしろを確認して、残りの休みを有意義に過ごせるようにという意味合いが強い。

 その一方で、単純に勉強しかできない環境で朝から晩まで集中できるという環境を与えてくれるのも大きい。


 ただ時期的に、まだ部活を引退してない人間も少数ながらいる。

 だから参加はあくまで強制ではない。

 もっとも、そういう人たちこそ部で強制参加にされてることが多いようだけど。

 私は、ファイルの中から合宿の予定表を引っ張り出して、写真を撮ると、トーク画面に流した。

 すぐにユリから「ありがとう!」のスタンプが送られてくる。

 本当に手のかかるヤツだ。

 甘やかしてるつもりはないけど、もうちょっと厳しくしても良いのかもしれない。


 スマホを手にしたついでに、スケジューラーを起動する。

 七月、そして八月に跨る夏休みの期間に、既にいくつかの予定が押さえられている。

 来週さっそくの夏合宿。八月に入ればすぐにチア部の大会。

 応援に行くわけじゃないけど、予定表にメモだけしている。

 それから点々と映画の撮影と学園祭の打ち合わせやらなんやらの登校予定日がメモされていて、お盆の前には生徒会合宿。

 その後は一週間くらいでもう始業式だ。改めて見ると短いな。

 ギリギリ一ヶ月ないくらいか。


 そして始業式から一週間で学園祭の初日が始まる。

 二学期が始まってからそこまでは、忙しい毎日が決まったようなものだ。

 夏休み中だって、たぶん予定にない準備日が生えてくると思う。

 なんてったってクラスの出し物すらちゃんと決まってない始末だ。

 その辺はクラス委員とか中心メンバーに任せてるけど、そのクラス委員が実行委員長で忙しいもんだから、多少なり心配はする。

 かといって私がしゃしゃり出るのは違うような気がするし。

 たぶん彼女も合宿には来るから、そこでそれとなく進捗を確認するなり、必要ならその口から協力を打診して貰うなり、そうすりゃこっちだって多少は動きやすくなる。

 私だって、流石に今年は無関係って顔でやり過ごすわけにもいかないから。

 やれることがあるなら、働くのもやぶさかではない。


 とか気持ちを入れ替えていたら、手にしたスマホが震えた。

 またユリからかと思ったけど、姉からだった。


――お盆の前には帰るけど、お土産何が良い?


 すごくどうでもいい連絡だった。

 後で気が向いたら返そうと思って勉強に戻ると、しばらくしてまたスマホが震えた。


――既読無視さみしい! ><


 うるさいよ。

 これでまた返さないと増長するだけなので、仕方なく返事を書く。


――ひよこ。


――OK!


 別に好きってわけじゃないけど、最初に思いついたのがそれだった。

 送ってから、なんか東京ばな奈を食べたい気分になったけど、訂正するのも面倒なのでそのままにしておく。

 シュガーバターサンドの木なんてのもあるけど、あれはちょっとボロボロして食べにくいのが難点だ。

 やっぱり安定力ではひよこかな。

 かわいいし。


「あ」


 姉とのやり取りを強制されて思い出す。

 そう言えば、防具干すの忘れてた。まだ二週間はあるし、今からでもいいか。

 私は重い腰を上げて、階段下の物置まで足を運ぶ。

 小さな窓から差し込む光にあたって、メタルラックに上下に並んだ革の防具袋が光る。

 上の段は姉のもの。

 そして下の段のが私の。

 姉のはついこの間まで使っていたわけだから綺麗なのは分かるけど、私の方も埃も被らず、綺麗に磨き上げられた状態になっていた。

 一緒に綺麗にしていてくれたんだろうか。

 余計なことを――なんて思うけど、この場合は大事にしてない私の方が悪いだろうから悪態はつかない。


 剣道の防具は高い。

 一式そろえてちゃんとしたものを買えば、五桁後半。

 六桁行くことだって珍しくはない。

 大会に行くと、特に九州の強豪校なんかでは揃いの防具を準備していたりするけれど、ああいうのはさらに高いだろう。

 流石にそれは負担が大きいので、胴だけ揃いにするなんて学校も結構見る。

 それを中学三年間、続ければ高校三年間で後はもう使わなくなるのだと考えると、すごく勿体ないようにも思える。

 もったいないお化けなんての子供頃によく聞かされたな。

 だいたいああいうのって、ご飯を残したときに脅されるものだけど。

 こっちの方がよっぽどもったいないお化けが出そうな気がする。


「干してやるくらいするか」


 私は姉の防具袋を掴むと、もう片方の手で自分のも引っ張り出す。

 結局、高校三年間は一度も身に着けなかったけど、たぶん私は剣道自体を嫌いになったわけでは無いんだと思う。

 単純に部活としての、競技剣道が嫌になっただけで。

 またそのうち、気が向いたら竹刀を振りたくもなるんだろうか。

 いつ来るのかも分からない気まぐれに備えるほど暇ではないんだけど、「ついでなら」と言い聞かせて在りし日を懐かしむ。

 そんな夏休みの一日目。

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