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12月18日 オリオン座しか知らないけど

 ショーワスタジオのいつもの部屋に、クリコンのメンバー全員(+見学のユリ)の姿があった。

 まず、宍戸さんがちゃんと練習に来てくれて良かった。

 同じく須和さんも。

 本番は次の土曜日だから、楽器も機材も完璧に揃った状態で練習ができるのは今日が最後となる。

 その大切さは、みんなも分かっているようだった。


「天野さん、来るって言ってましたっけ?」

「ううん、言ってないよ」


 当たり前のように顔を出した天野さんは、動きやすそうなトレーニングウェアを上下に身に着けて、試合前の陸上選手みたいに念入りな柔軟体操を行っている。


「代打」


 私たちに向かい合うように立って、すっかり監督のポジジョンについた須和さんが、さらりととんでもないことを口走る。


「もしかして……スワンちゃんの代わりってこと?」

「サックスとか年単位振りだから、うまくできるか心配だな」


 疑問に答えを得られないまま、天野さんはマイ楽器ケースから白銀のサクソフォンを取り出す。

 あの部屋にあった楽器コレクションのひとつなんだろう。

 それほど使い込まれてないように見えるそれは、新品同様の曇りない輝きを放っていた。


「あの……!」


 ひと呼吸おいて、宍戸さんが手を上げる。


「わたしもサックス……挑戦、したいです」


 はっきりと口にした彼女の言葉に、他のメンバーからは「おぉ」と感嘆のため息がこぼれる。

 須和さんも、真意を確かめるようにじっと宍戸さんのことを見つめた。


「それは、今日できるの?」

「今日は……ごめんなさい。まだ……」

「なら、今日はトランペットを吹いて。宍戸さんが〝ダメなとき〟の完成度を確認しておきたいから」

「はい……わかりました」


 須和さんの容赦のない進行に、宍戸さんは大人しく頷くしかない。

 しかし須和さんは、最後にもう一言だけ添えた。


「間に合わせることができるなら、当日のゲネプロからでも変える」


 宍戸さんは大げさに瞬きをして、もう一度、今度は力強く頷き返す。


「はい」


 彼女にしては、お腹の底から絞り出したような、ハッキリとした返事だった。


 そうして、その日の練習は滞りなく進み、終わった。

 始まる前は「心配だ」と言っていた天野さんも、須和さんの吹くサックスと同じくらいの完成度と安定感を見せてくれた。

 これがセミプロの実力か――と、始めて彼女のことを素直に尊敬したような気がする。


「今日は良い感じだったな。流石にみんな、気合が入ってるって感じだった」


 機材の片づけをしながら、アヤセが弾んだ声で練習を振り返る。

 かと思えば「そう言えば……」と、声のトーンをひとつ落として続けた。


「結局、シング以外の持ち時間どうすんだ? ソロパートとか多少贅沢に使っても、三~四分余るだろ」


 その言葉は須和さんに向けられていた。

 考えておくって言ったのは彼女だったから、そろそろ答えが欲しいところだ。


「私が短いソロの曲……ないし、ピアノとのデュオと考えていた」

「私ですか?」


 突然、白羽の矢が立った心炉が、ぎょっとして自分自身を指さす。


「毒島さんなら数日で合わせられる」

「そりゃ、買ってくれるの嬉しいですが……」

「だけど、状況が変わった。今は天野さんに頼るつもりで、話もしているけれど」

「私は構わないけど、みんなのステージなんだから、他にも手を考えて良いんじゃないかな。簡単な曲をもう一曲増やすとか、既にできる曲を組み込むとか」

「既にできる曲?」


 そんなの、あったっけ。

 戸惑う私に、天野さんがニコリと微笑み返す。


「学園祭の曲とか」


 なるほど……その手で来たか。


「でも、一番肝心のギタボが居ませんよ」


 ちらりと傍らに視線を向けると、ユリが大量のケーブルが詰まった箱を台車に乗せてガラガラと運んでいた。


「そこはどうとでもなると思うよ。こういうコンサートの場だったら、ベースとドラムのリズム隊だけでも、演出として案外サマになったりするし」

「あー、ライブとかでもたまにそう言う演出ありますよね。延々とドラムの超絶技巧聞かせるだけの息抜きパートみたいなのとか」


 理解を得たらしいアヤセが、何もない空中にスティックを走らせる真似をする。

 私は今いちピンとこなかったけど、残りの時間で用意できるものが何かと考えたら、だいぶ現実的な案のようには聞こえた。


「このあと、どうします? ごはんとか」


 穂波ちゃんがぽつりとつぶやく。

 そう言えばさっきから、きゅるきゅるとお腹が鳴る音が響いていたような気がする。

 夕飯にはちょっと早いけど、演奏でカロリーを消費したせいもあって、言われてみたらお腹がぺこぺこだった。


「ごめん、今日はウチ、家族と約束あるんだ。ユリも」


 みんながこの後どっか行くのは好きにしてくれていいけど、私たちは先約がある。

 今日は、ユリがウチで過ごす最後の日曜日なのだから。


 というわけで、夕飯時になって家族で揃って行きつけのイタリアンに出向く。

 ユリの送別会件、ちょっと早いクリスマス会だった。

 今年は土曜も日曜も予定があるので、家族のクリスマスを今日に使用ということになった。

 このイベントを、単なるパーティーチャンスか何かにしか捉えていない、日本人ならでわの采配だ。


「お父さん、順調に回復して良かったわね」

「ありがとうございます! しばらくは自宅療養なので、年末年始も無理できないみたいですけどね」


 母親のひと言に、デザートのケーキを頬張りながら、ユリはしみじみと語る。


「受験もあるし、今年は祖父母の家に行くのもやめました。代わりに春休みに行こうかなーって」

「ウチも今年はそうなるよね?」

「もちろん。星ちゃんの合格が最優先」

「今年〝は〟ってことは、去年は違ったの? 明ちゃん受験だったのに?」

「アレは規格外だから」


 首をかしげるユリに、私はそう返さざるを得なかった。

 強いて言えば、姉は〝どこでも〟パフォーマンスを落とさずに勉強できる人。

 一方の私は、環境が変わるたびに能率が良くも悪くもなる。


「ユリちゃんは、ひと月半もウチに居て、お勉強集中できた?」


 心配そうに尋ねた母親に、ユリはバッチリと手でOKマークを作ってみせる。


「期末テスト七七位! 縁起はバッチリです!」

「ええと……それって、いい結果なの?」


 母親が反応に困っていたので、私は何事もなさそうに頷き返して、ケーキの皿に添えられたバタークッキーを摘まむ。


「四ヶ月の成果と考えたら上出来。たぶん、ユリの志望校なら合格ラインに乗ってる」

「そう、なら良かった」


 母親は心底安心した様子で、食後のコーヒーに口をつけていた。


「ウチでお預かりしたら成績下がったなんてことになったら、親御さんに顔向けできないものね」

「下がりようがないところからスタートしてるんだから、どうやったって上がって行くよ」

「もうちょっと素直に頑張りを褒めても良いんだよ?」

「はい、頑張った頑張った」

「褒め方がざつぅー」


 でも「まあいっか」と独り言ちて、ユリはケーキの最後のひとかけを口に放り込む。

 私も最後のクッキーで、さらに残ったベリーのケーキソースを掬い取った。


 食事を終えて、母親がお会計をしている間を店の外で待つ。

 父親が車のエンジンをかけてくれていたけど、今は少しだけ、この寒さを噛みしめてみたかった。

 ぼんやりと空を見上げると、久しぶりに澄んだ夜空に星の瞬きが広がる。


「オリオン座! あと知らない」


 ユリが、遠くに見える砂時計の正座を指さして笑う。


「流石は田舎というか、星綺麗だよね……理科選択で地学をとっても良かったかな」

「そう言う考え方もあったねー。あたしたち、なんで生物にしたんだっけ?」

「たぶん、楽そうだからとか、そんな感じだったと思う」


 ほんとに覚えてないけど、アヤセと三人で決めたことだけは覚えてる。

 とりあえず選択科目全部被ってたら、クラス替えで同じクラスになりやすいんじゃないかとか、理由としてはそっちの方が強かったはず。

 結局、三年ではバラバラになってしまったけど、一緒に集まって勉強する理由づけにはなったのかな。


「さっきはあんなこと言ったけど、この四ヶ月、ユリはホントに頑張ったよ」


 ふたりきりになって言い直したのは、ちゃんと言っておかないと後から後悔するような気がしたからだ。


「だからちゃんと合格して、私を安心させてよね」

「それを言ったら星もだよ。ちゃんと明ちゃんの背中にタッチしなきゃ」


 姉のことを言われても、それほど腹が立たなかったのは、それだけ私も自信を積み重ねて来たということなのかもしれない。

 自信をつけ合うように、自然と互いの手をつなぐ。

 見上げる空にオリオン座しか見つけられなくっても、今夜と言う時間を共有するのには、十分すぎるものだった。

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