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第4話

 セベネスの背の上ということも忘れてしまうほどに快適な空の旅は、夜明けとともに終わりを告げようとしていた。東の空が明るくなっていくのを先に起きて見ていたのはアドラだ。

「……アドラ? 起きたのですか?」

「はい」

 短く答えたアドラに、セベネスは優しく語り掛ける。

「あなたも大変な思いをされましたね。到着にはもう数刻かかります、もう少し眠っていても良いのですよ」

「ありがとうございます。……けど、綺麗だったから」

 アドラはどことなく嬉しそうにそう言って、昇ってくる太陽に照らされてピンク色に染まりゆく空を指さす。

「この時間しか見られない光景ですね」

「はい、落ち着いて朝焼けを見るのなんて久々だなと思って」

 もそ、とアドラの傍らでメリアが身じろぎした。

「あ、悪ィ起こしたか」

「いいえ、自然と目が覚めただけよ。……あら」

 メリアも東の方を見て、感嘆のため息を漏らす。

「綺麗……こんな景色があるのね」

 森の中ではこんなに開けた光景はどうしても見られないからね、と続け、メリアは身を乗り出して桃色の光の海を見つめる。アドラはエスコートするようにメリアに腕を差し出した。言わんとしていることを理解したメリアは、差し出されたアドラの前腕のあたりにふわりと腰掛ける。

「これも、この道を選び取らなければ知ることのなかった光景だわ」

「そうだな」

 アドラはメリアがあたりをよく観察できるように、腕を少し上げてやった。ふわ、とメリアの髪がアドラの頬を掠める。セベネスが小さく笑った。

「……セベネス様?」

「ふふ、いいえ、あなた達なら大丈夫だと、そう確信しただけです」

 マルタンはふくふくと穏やかな呼吸で眠っている。それに寄り添うようにしていた勇が、マルタンのひげに鼻をくすぐられて笑った。




「着いたぞ、マル、イサミ」

 着陸するのに一切の振動が無かったので、マルタンも勇も熟睡したまま地上に降り立った。アドラは二人を揺り起こす。むにむにと目をこすりながら、マルタンは顔を上げた。

「おはよ……」

 そのまま、桃色の手で顔の毛繕いに入る。くるくると顔を洗うと、マルタンはふすっ、と一つ息を吐いて、セベネスの尾を伝い、その背を降りた。勇もそれに続く。

 辿りついた場所は、雪景色の森の中。何の変哲もない質素な屋敷が一件佇んでいる。

「ここが……?」

 勇が問うと、セベネスはゆっくりと頷いた。

「扉越しに声をかけてごらんなさい、きっと届きます」

 おずおずとマルタンが扉の前に歩み出る。


「ごめんください……。エビルシルキーマウスの、マルタンと申します」

 そう言った瞬間、建物の中からガタン! と音が響いた。がた、ばたばた、と続いてあわただしく誰かが動いているような音がして……。

「マルタン!!」

 そして、扉が荒々しく開いた。

 姿を現したのは、真っ白な肌に真っ白な髪を後ろで結わえた品のよさそうな老女。濃いグレーのワンピースは張りのある仕立てで、高貴な身分なのだろうということが伝わってくる。その青い瞳にしっかりとマルタンの姿を映すと、ぼろぼろと大粒の涙を零してマルタンを抱きしめた。

「校長先生!」

 その姿、声、におい、オーラ、全てでマルタンはその老女がヒルデガルトであると悟る。短い手ではヒルデガルトの背を撫でてやることは出来ず、マルタンは抱きしめ返すのでいっぱいいっぱいだ。

「よかった、よく、よく無事で……」

 それからヒルデガルトは顔を上げると、その後ろにいたアドラに視線を向ける。

「アドラも、息災ですか……」

「はい。……ちょっと、いろいろありましたけど」

「いろいろ……? 大丈夫なのですか?」

 そして、勇とメリア、セベネスの姿を認めると恥ずかしそうにパッとマルタンから離れて姿勢を正す。

「失礼いたしました、生徒の無事を喜ぶあまり取り乱して……」

「ヒルダ、相変わらずで安心しましたよ」

 セベネスは龍の姿のままくすくすと笑っている。

「セ、セベネス殿!」

「ふふ、あなたの生徒への愛は、まるで親のよう」

 少し過保護なところがあるのが玉に瑕だけれど。そう言うと、ヒルデガルトの背後から黒髪の初老の男が顔をのぞかせた。

「私と同じことを言われているではないですか姉上」

「……ライル。わたくしどもは教育者としての在り方を少し考え直した方がいいときかもしれませんね……」

 こほん、と小さく咳ばらいをし、ヒルデガルトは頬を赤くして俯く。顔を見合わせて笑うと、ライルハルトは屋敷の中へ入るよう促した。下界にいられる時間が限られるというので、セベネスは天上へ戻ることとなったが、一行は招かれるままに屋敷の中へ歩みを進める。外からはわからなかったが、ここもガランサスの庵への道のように奥へ行くと少し空間にゆがみがあるということに勇が気づいた。

「よくお気づきですね、ここは外から見れば普通の人間の老婆が住む屋敷。ですが……」

 ヒルデガルトはポケットから取り出した水晶の鍵を中庭の扉にかざす。かちり、と軽い音がして、扉が開けば、そこには色とりどりの花が咲き乱れる庭園が広がっていた。

「わあ……」

 マルタンは、ふんふん、と花々の芳香を胸いっぱいに吸い込む。

「すごい、ここだけ春が来ているみたい……」

「これは魔王様のお力で作り上げられた空間、私どもの療養のための空間となっているのです。あなたたちもお疲れの事でしょう、そこのテラスで休みましょうか? それとも、奥の間のベッドをお貸ししましょうか……」

 視線を巡らせるヒルデガルトに、マルタンは首を横に振る。

「あの、この場所に脅威が迫っていることをお伝えしたくて急いできました」

「え……?」

 もっと順を追って説明したい。けれど、万が一にでもユウタ達がここを嗅ぎつけるのが早かったら。そう考え、マルタンは先に結論を述べる。

「旅の中で、魔族を根絶やしにしようと考えている……勇者に出会いました。学校が焼け落ちたのも、その人の作戦です。先生ならご存じと思いますが、地の力の乱れも、おそらくは……」

 ヒルデガルトは悲し気に眉を寄せると、「そうだったのですね」と答える。そして、勇とメリアに視線を移すと深く頭を下げた。

「わが校の生徒たちが、大変お世話になりました、ええと……」

「勇と申します。異世界より参りました人間の討伐者ですが、訳も分からず森でさ迷っていたところを出会ったマルタンの話を聞いて、こちらに義があると感じ、共に行動をしています」

 勇も頭を下げ、そしてヒルデガルトと視線を合わせる。ヒルデガルトは嬉しそうに微笑むと頷いた。

「ありがとう、イサミさん。……そちらのドリュアスのお嬢さんは……」

「メリアと申します。里の大樹が瘴気に侵されて私も狂い果てるところを、マルタンたちに救われました」

 ね、とメリアはマルタンに視線を投げて、それからヒルデガルトをまっすぐに見つめ、最上の敬礼として腰を折る。

「まあ……! ご無事で何よりでした」

 ヒルデガルトはそう言った後、マルタンに視線を移して、笑う。

「本当に、いろいろなことを乗り越え、素晴らしい友を得たのですね、マルタン」

「はい、わたしは先生方にも両親にも教えてもらっていたから。魔族も人も関係ないって……、手を取りあえる相手は存在するって」

 アドラは肩を竦める。

「びっくりしたんですから。雨上がりの森の中、マルったら人間と一緒にいるんだもの。その直前にゴブリンの悲鳴が聞こえたから……まさかって思って」

 あたしなんか、マルが止めてくれなかったらイサミに一発殴りかかるところでした。そう言ったアドラにライルハルトは顔を青くする。

「ええ!? イサミくん、アドラがなにか失礼してないかね」

「え!? いいえ、ずっと助けてもらってました。俺、戦闘力が本当に低いので……」

 いつも頼りっぱなしで申し訳なかったくらいで! と身振り手振り付きで必死に訴える勇に、アドラは吹き出す。

「大げさだって……。でも、あたしが窮地に陥ったときに助けに来てくれたじゃん。あんたはもう出会った頃の弱い人間じゃないよ」

 ステータスカードは相変わらずかもしんねーけど、なんて笑うが、しかしアドラの中で勇の存在は、ただ『守ってやらなければならないやつ』から、『背中を預け合っても良い』と思えるものに変わっていた。

 ふふ、と笑って、そしてヒルデガルトは真顔になると、アドラの話で気がかりな部分を指摘する。

「ゴブリンの……」

 マルタンはそっと背負っているポーチを見せる。

「……はい。ゴブ君は、亡くなりました。あの襲撃の、夜に……」

 このポーチはゴブ君が持っていたものを背負えるようにイサミさんが加工してくれたもの、と付け足して、その時のことを思い出してしょんぼりと耳を寝かせ、口を一文字に引き結ぶ。

「そうでしたか……」

 ヒルデガルトは落胆した声色ではあるが、冷静に答えてしゃがみ込むとゆっくりマルタンを抱き寄せた。

「ゴブは、良き友と学べたことをきっと誇りに思ってくれているはずです」

「……」

「志半ばに亡くなりましたが、彼の亡霊は現れていない。彼はきっと、安らかに眠ることができたのでしょう。彼が望めば、巡ることもできましょう」

 アドラは頷く。

「イサミが、ゴブの墓を作ってやったんです。あいつなら、大丈夫」


 少しだけ一同がしんみりとした顔になったその時だった。

 どん、と重たい音が響き、一帯が揺れたのだ。先ほど通ってきた、外界へ通ずる屋敷が歪んでいくのが見える。

「どうして……」

 ヒルデガルトが目を見開く。咄嗟にライルハルトは彼女を庇うように抱き込み、蹲った。


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