目次
ブックマーク
応援する
2
コメント
シェア
通報

第十三章 魔城フィニスホルン

第1話

 ぐらりと歪む景色、結界が揺らいでいることが手に取るようにわかる。

 マルタンは、ヒルデガルトとライルハルトを庇うように立って周囲を見回す。

「いけませんマルタン下がって……!」

 ヒルデガルトが震える声で止めるのを、マルタンは首を横に振って「否」を伝える。

「先生方はまだお身体が十分に癒えていないはずです。絶対にご無理をさせられません」

 その会話の間にも、穏やかな春の庭園には地鳴りが響く。

 この地に結界を張った張本人である魔王が不在である以上、どんなに魔力の強い者が張った結界であっても破壊を防ぐことは出来ない。魔族は、結界の性質を把握していたのでなぜここが揺れているのかわかっていた。わからないのは、――敵がこんなにも早くこの場所を探り当てて襲撃できるのはなぜなのか、ということだ。それを知っているのは、アドラだけだった。

(……ごめん、マル……)

 マルタンの毛を持っていることで、マルタンの行き先を探ることができる。その能力を有する者が、ユウタの傍らにいる。アドラはそのことを黙っていた。それがネージュ――セルジュとの約束だったからだ。

(けど、あいつなら、おそらく……)

 アドラは勇を守るようにして、下界に通ずる館を向いて立つ。


(……どこから……)

 マルタンは気配を探る。

 右、左、正面、後ろ……耳をぴくぴくと動かして、鼻を利かせて、少しの違和感も見逃さないように。

 なのに、全く予知できなかった。


「――え」


 パン、と銃声が響いた。猟銃。

 二体の龍を守るようにして立っていたマルタンの胸を、凶弾が叩いた――。


 仰向けに倒れるマルタンに、ヒルデガルトは一瞬声を失う。

「マル……タン……?」

「マル!!」

 怒声のようなアドラの声が空間をびりびりと震わせた。

 がらがらと音を立てて、屋敷は崩れ落ちていく。庭園にもノイズが生まれ始めた。


「やあ、ずいぶんのどかな庭園でティータイムをしていたんだね!」

 すっかり消えてしまった屋敷の方から現れたのは、軍服を纏った男――ユウタだった。ゆっくりと手を叩きながら、笑う。

「道案内、ご苦労だったねネズミくん」

 目をとじたままぐったりと動かないマルタンに歩み寄ろうとしたユウタの前に立ちはだかったのは、勇だった。

 その背後では、ヒルデガルトが震える声で何度も何度もマルタンの名を呼び、取り乱している様子がわかる。

「そこを退けよ、田舎者の反逆者が。アロガンツィア転覆を企む首領の小汚いネズミの首を持って帰るんだからさあ……!」

 自分より背が高いユウタの胸倉を、勇の手が掴んだ。

「……俺の事なら何と言ってもいいよ。ただ、マルタンの事を小汚いだのなんだの言うのはやめてもらおうか」

 いつもの柔和な雰囲気からは想像もできないほどに低く、鋭く突きさすような声で勇は告げ、額がぶつかるのではないかというくらい近くに顔を寄せてユウタを睨む。

(――大丈夫、マルタンは生きてる、きっと、生きてる……)

 動揺を隠すように、追撃を阻むように。

「へえ、言うようになったじゃないか、勇君も」

「……どうも」

 ユウタの背後に控えるのは、ネージュ、ロベリア、そして、見覚えのない猟銃使いだ。ユウタは己の胸倉をつかんでいる勇の腕を掴むと、忌々し気に振り払い、わざとらしく勇に触れられた場所を払った。

「おい! ジェイク、さっさと撃て!」

「はっ、少々お待ちを……ッ」

 ジェイク、と呼ばれた猟銃使いは、スラッグ弾を猟銃に込めると、左肩に銃を固定してスコープをのぞき込む。

「マルタン……! 返事をしてくださいマルタン……」

 もはや、今いる場所はうららかな春の庭園ではない。結界が解けて下界へ投げ出された面々は、白い雪に覆われた地に立つ。

 ジェイクの猟銃の引き金に指をかけるが早いか、ヒルデガルトの慟哭に呼応するかのように、ライルハルトの姿が変わっていった。

「……は?」

 スコープが真っ黒に染まる。

 何が起きたかわからず、ジェイクは固まってしまった。

「おい、何をしている!!」

 ユウタの怒声をどこか遠くに聞きながら、スコープから視線を外す。そこで、初めて気づいた。真っ黒なものの正体、それは、巨大な龍へと戻ったライルハルトの姿であった。

「ひ、ひえ!!」

 ジェイクは、補欠としてユウタ軍に入った片田舎出身の猟銃使いだ。撃ったことがある生き物の最大サイズは、せいぜいクマか鹿かと言ったところなので、その何倍もあるドラゴンを目の前にして怖気づき、あまつさえ尻餅をついてしまった。ユウタよりも体格がいい壮年男性のくせにこの体たらく。転んだ拍子に引き金を引いてしまったものだから、銃弾は虚空を貫いてひとつ無駄になってしまった。

 そこへ追い打ちをかけるように、ライルハルトが炎を吐き出す。ごう、と青白い炎が目の前を掠めて、ジェイクは涙目で後ずさった。

「逃げるな! さっさとやれ……!」

 ドラゴンであろうと、銃弾を食らえば倒れるに違いないとユウタは叫ぶ。

「そんな、そんなことを言われましてもそんな……」

 あんなに大きなドラゴン、俺の銃弾では虫がぶつかったようなもんじゃねえですかい、と震える声で言いながらジェイクはユウタを見上げる。

 黒く大きな体、頭部から突き出る二本の角、赤く鋭く光る瞳。開いた大きな口から覗く牙、がっしりとした足の先の、まるで鋼鉄のような爪。それを見ても怯まないあたり、ユウタは腐っても勇者と言うべきだろうか。

(……きっと、転生前にいろんなモンスターを見てきたから慣れてるんだ……)

 勇はユウタがライルハルトの真の姿に動じないのをそう分析しながら、彼が剣を抜くであろうことを想定して自分もメイスを構えた。


「ふ」

 ユウタがたまらないと言った様子で吹き出す。

「はははは、まさか僕とやりあうつもりか!?」

「……できることならば荒事は避けたいけれど、そうもいかないんでしょう」

 きっぱりと言い放った勇を見据えて、ユウタは答える。

「上等だな」

「それは、どうも」

 ひゅ、とユウタが剣を抜く。

「ロベリア!」

 お前も早く応戦しろ、とばかりに、ユウタは呪術師の名を呼ぶ。ロベリアは今回こそはとやってきたのだろうか。……ユウタには命の保障をしてもらえないと承知の上でついてきたのだろう。それでも、後に引けぬ身なのだとアドラは理解して憐れむような瞳を向けた。

(……あんたも気の毒だな)

 そして、ロベリアの眼前に躍り出る。

「あん、た……!」

 ロベリアが作り上げた魔法弾が勇の方へ目掛けて飛ぼうとしているのを、アドラのがっしりとした猛禽類の足が遮り、砕いた。

「なるほどね、呪縛以外も結構できるんだ、あんた」

「……そこを退いて。また酷い目に遭いたいの?」

「よく言うよ、酷い目に遭ってたのはあんただろうに」

 ロベリアの手には、もう捕縛の足環はない。レアアイテムに相当するそれがそう簡単に、おいそれと手にはいるものではないということは知れていた。今回の出撃に、新しい足環の製作は間に合わなかったのだろう。アドラの言葉に気まずそうに下唇を噛むと、ロベリアは手のひらをまっすぐに前に差し出し、次は光線を繰り出した。

「あーあ、だからオイタはやめろっつの。見てわかんだろ、あんたらの敵はでっけードラゴンと……あたしらだぞ」

 光線を軽々と避けるライルハルト。その背後にいたヒルデガルトは、白い龍の姿にいつの間にか戻っており、翼でマルタンと自分を覆って防御して見せた。

 メリアはその翼とマルタンとの間にするりと入り込み、呼びかける。


「マルタン……! マルタン、目を開けてよ! マルタン!!」


この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?