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第2話

 ――遠くで、声がする。

 ごめんね、なんだかすごく眠たい。

 ふわふわして……。



「……マルタン!!」

 悲鳴にも近い声で呼びかけながら、メリアはマルタンに回復魔法をかけ続けた。

 ヒルデガルトの翼の中に入り、気づいたのだ。

 マルタンは、血を流していない。

 凶弾に貫かれたのではない。

 小さな白い手のひらに温かな光を纏わせ、メリアはマルタンの胸元にあるポーチをそっとずらした。

(……やっぱり)

 ゴブの遺品であるポーチの真ん中には、穴が開いていた。けれど、ポーチをずらしたその先のマルタンのふかふかの毛皮は、少し凹んでいるだけだったのだ。メリアは、ポーチの留め具を外して持ち上げ、軽く揺すってみた。中からはナッツが数粒、乾燥豆腐、それから、ポーチの縫製の間から何かがするりと滑り落ちてきた。

「わっ……」

 カチャン、と音を立てて地に落ちたのは、ポーチの身体側の面と同じサイズの板金だった。中央が、べっこりと凹んでおり、銃弾がめり込んで潰れて一体化してしまっているのがわかった。

 板金を拾い上げ、メリアは顔をくしゃりと歪める。

(マルタンが言っていたゴブって子が、これを……?)

 自分は討伐者にやられてしまったのに、ずいぶんと粋な庇い方をするじゃない。

 顔も知らないゴブリンを想い、メリアはぐっと奥歯を噛んだ。そして――。

「マルタン! 起きて!!」

 大きく息を吸ってから、一際大きな声で名前を呼ぶ。

 ぴく、とマルタンの耳が動いた。ヒルデガルトはそれに気づいて、声を震わせる。

「マルタン、聞こえますか?」

「……」

 ひく、ひく、とひげが動いた。ヒルデガルトとメリアは顔を見合わせ、小さくため息をつく。

「あ、れ……、マル、生きてる」

「マルタンー!!」

 目を開いて瞬きを数度したマルタンに抱き着くと、メリアはわんわんと声をあげて泣いた。

「心配かけちゃった、ごめんね、でも、みんなのことちゃんと守れた?」

 メリアの背を撫でながら弱弱しい声で言うマルタンは、自分を包んで守ってくれているのがヒルデガルトの翼だと気づく。

「校長先生、ご心配をおかけしました」

 もぞ、と立ち上がり、マルタンはヒルデガルトの翼から這い出ようとする。

「お待ちなさい、マルタン。……外ではまだイサミさんやアドラが戦闘しています。ライルハルト……教頭も」

 桃色の足をぴたりと止め、マルタンは息を潜める。声を落とし、ヒルデガルトは続けた。

「敵は恐らくあなたが死んだか、或いは致命傷を負ってあと少しで死に絶えるか、と思っているでしょう。あの銃を受けて生きている方が不思議なのです」

「そう……そうだ、マル、撃たれて……」

 どうして血が出ていないの? と首を傾げたマルタンに、メリアはポーチと板金を差し出した。

「……!」

 真ん中がめしゃりとひしゃげている板金の、その右下にはつたない文字でゴブのサインが刻まれている。

「……Gobu……」

 ――おれさ~! 卒業したら鍛冶師になるんだ! そんで、武器職人のこいつと組んで、みんなを守るつえ~装備作るからよ!

 なんでもない日の昼下がり。昼食の後で教室でそんな話をしたのを思い出した。

 ――マルタンは将来何になるんだ?

「マルは……」

 あの時は答えられなかった、将来の夢。

 レジスタンスという職を与えられ、少し戸惑いながら、けれど勉強できる環境に感謝しながら過ごしていたあの日々。

 鼻の奥がつんとなるのを堪え、マルタンはポーチをぎゅっと抱きしめ、それからメリアに手渡した。

「これ、預かって」

「ええ」

 確かに、と言って、メリアは板金をポーチにしまって受け取った。

 マルタンは、ヒルデガルトの翼の隙間から静かに外を窺う。


 漆黒のドラゴンは、怒りを露わに息を大きく吸いこんで炎を吐き出した。

 龍の形を取った青白い炎が、ユウタ一味目掛けてうねる。

「ロベリア! ネージュ!」

 ユウタに呼ばれた二人は、瞬時に結界を展開して炎から身を守った。その二人に礼も言わないまま、ユウタは剣を振り上げてライルハルトへとかかっていく。

 が、そこへ割り込んだのは勇であった。ユウタの剣の半分ほどの長さしかないメイスで、その一撃を受ける。ガキン、と音がして、ユウタの鋼の剣が刃こぼれを起こした。この瞬間に至るまでの戦闘において、ロベリアの魔法弾を吸収したおかげか、メイスの強度が上がっている。

「貴様……」

「これが、あなたのやるべきこと?」

「そう、これこそ僕がやらねばならないことだ! 魔族を……魔王を、そしてそれらに与するものを殲滅する!」

 ぎりぎりと押し込まれる剣を受けながら、勇は落ち着き払った様子で答えた。

「……もう一度問いたい。それは、『あなた自身が望むこと』か? 自分で辿りついた答えか?」

 クーナ湾で問うたユウタの戦う理由。あれから時は経ったが、何も変わっていないのか、と。

「くどい!!」

 ユウタは苛立ちを露わに、剣を力いっぱい押し込む。勇とて負けるわけにはいかなかった。この世界に来てからほんの少しだけたくましくなったとは思うが、それでも戦い慣れしている戦士たちに比べればもやし同然と笑われるような身体。大地をしっかりと捉えるように踏ん張って、両手でメイスをグッとユウタの方へ押し付ける。

(今か)

 そして、ここまで抵抗できると思っていなかったのであろうユウタが躍起になって馬鹿力を剣にかけた、重心がわずかにずれたところを見定め、するりとその身をユウタの前から右前方に滑らせ、抜けた。

「っわ!?」

 勇の肩に剣がわずかかすったが、急に支えを無くしたユウタはその場に勢いよく倒れこむ。

「ユウタさん!」

 ネージュは駆け寄り、ユウタを抱き起す。それを横目で見送りながら、アドラはロベリアの肩を軽く押した。

「ッ!」

 悲鳴も出せないまま、ロベリアは後方へ倒れこむ――前に、アドラの腕が彼女の細腰を支えた。

「ど、どういうつもりよ」

 そのままひょい、と横抱きにすると、アドラはあきれ顔で答える。

「……あんた、だいぶ魔力消耗してんだろ。無理だって。やめとけ」

「降ろして」

「いいけどさ……それ以上魔法撃ったら、次は後頭部を地面とごっつんこだぜ?」

 そっとロベリアをその場に降ろしてやると、彼女は頭一つ分背の高いアドラを見上げてきつと睨んできた。アドラはため息交じりにぼやく。

「……なんであたしは味方にも敵にも無理すんなってストッパーみたいなことやってんだか……」

 こんなんじゃすっかりカーチャンだよもう……と続けて、ロベリアの顔をのぞき込む。

「あーあ、真っ青通り越して真っ白じゃん……」

「う、うるさいわね!」

「せっかくの可愛い顔が台無しだぜお嬢さん」

 ロベリアはプライドを傷つけられた怒りからか恥ずかしさからか頬を赤く染めて、右手を上げる。その手のひらに炎が宿るのを見て、アドラはそっとその手首を掴んだ。

「――いい加減にしろ。もう一度忠告する。死ぬぞ」

 そのまま魔力を消耗し続ければ、やがて体と精神力の方へ負担がかかる。魔法使いが魔法を使う際に削るのは、魔力が尽きた後は命の方だ。そんなことも知らずに呪術師をやっているわけではあるまいに、とアドラはロベリアを諭すように言う。しかし、彼女は首を横に振った。その瞳の奥には、何かに追い立てられるような、怯えるような色があった。

「離して、こうでもしないと家は……アルシオン家は埋もれていくの!」

「……は?」

 アドラには理解できない発言だった。

 この娘は、家のためなら自分の命も惜しくないというのか?

 詳しく聞きたいと思ったが、そんなことを話している時間もない。アドラはロベリアが作り出した小さな炎をフッと一息で吹き消すと、手を離した。立っているのもやっとだったロベリアはその場に頽れる。

「わーった。それがあんたの信念だってんなら、もう止めやしねえ。……目の前で死なれンのが嫌だってのはあたしの我儘だしな」

 アドラは初めて呪術師の名を呼ぶ。

「からかったのは悪かった。ごめん、ロベリア」

「……へ?」

 マルタンの元からアドラの方へ向かっているメリアに、目配せをする。瞬間、ロベリアの足元の草木が騒めいた。

「な、に……!?」

 焼き払おうと思ったのか、再度炎を練成しようとするが間に合わない。あっという間に若木がロベリアの足元に一本生じて、そこから伸びるツタが彼女の右足を絡めとった。大きくスリットの開いたドレスからのぞく脚の、その太ももまでまるでブーツのように覆ったツタは、ロベリアがどれほど抵抗しようとも微動だにしない。

「安心なさいな、動けなくなる以外に害はないわ。――捕縛の足環と違ってね」

 焦燥を露わにするロベリアの眼前にふわりと飛んでいくと、メリアは腕を組んでそう告げる。

「ほんとは一発お顔をひっぱたきたい気持ちもあるけど」

「やめとけ」

「ん」

 そんなやりとりにロベリアはかっとなって、目の前にいるメリアを払おうと右手を振り上げる。

「あら、そちらも拘束されるのをお望み?」

 メリアが人差し指をひょい、と下から上へ挙げると、若木から枝が伸びてきてロベリアの右手をパシンと叩いた。痛みに怯んだ隙に、枝からするりと生じたツタが瞬きの間にロベリアの手首を捕らえる。

 もがくほどに食い込むツタにロベリアは歯ぎしりをすると、メリアを睨みつけた。

「怖いお顔。言っておきますけど、これは正当防衛よ」

 メリアはロベリアに背を向けると、勇たちの方へふわりと飛んで行ってしまった。


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