圧倒的な力の前に、屈するか。
刹那、勇の前にふわふわした毛玉が転がり込んできた。
「えっ……」
マルタン、と呼ぶ前に、マルタンが頬袋を膨らませる。
「む!!」
以前よりも大きく、そして強くなったチークポーチバリアがまばゆい光と共に勇たち全員を包む。バリアは、ほぼ勇に接触しかけていたユウタをバチン! という大きな音とともにはじき出した。
「ぐっ……!」
ユウタは仰向けに倒れ、呻く。
「マルタン、大丈夫?」
「うん、メリアが回復してくれたから……」
マルタンは起き上がろうとするユウタを注視したまま、バリアを展開し続ける。
「あのね、イサミさん、マルわかった」
ふわ、とマルタンの毛が空気を含む。艶のある絹毛が、ざわりと逆立った。
前方では、あの異常なまでの力を得たユウタが立ち上がり、再度剣を振りかざしているのが見える。
「マル、タン……?」
マルタンの身体が、淡く神聖な光を纏っていることに気づき、勇はマルタンに手を伸ばした。まだその柔らかな体毛に触れていないのに、仄かな熱を感じる。
「……マルは、世界からの加護を受けていない」
ぐ、とマルタンは四肢に力を込める。小さな桃色の足が、手が、大地を掴んだ。その手は、大地のエネルギーを受け取ることは出来ない。
「マルには、何もない。それは――」
振り下ろされるユウタの剣。
「マルが、守る側だからだ――!!」
マルタンの叫びと共に、より強大なチークポーチバリアが展開される。強い光を放つドーム状のバリアは、きらきらと美しい虹の粒子を放ちながらユウタの剣を弾き、シャボン玉の様に弾けて割れた。あまりに強い衝撃に、剣はユウタの手から離れ後方に吹き飛んでいく。ユウタもそれと同じように、かなりの距離を宙に舞うことになった。
バリアの持ち主であるマルタンも衝撃を一身に負うことになり、無事とはいかなかった。きゅ、と小さく鳴いて、身を縮こめる。
「マルタン!」
勇は小さく震えるマルタンを抱きしめた。腕の中でマルタンがふすふすと呼吸しているのがわかる。あたたかい。生きていた。それだけで、勇の頬を涙が伝っていった。
「イサミさん、怪我してない?」
「少しだけ。でも大丈夫だよこのくらい」
マルタンが生きててよかった。と続けると、マルタンは小さく頷いて、それから勇を見上げる。
「……ゴブくんのポーチが……ううん、ゴブくんが助けてくれたの」
あのポーチを背負えるようにしてくれたイサミさんのおかげでもあるの、というと、マルタンは勇の手をぎゅ、と握ってその瞳をしっかりと見据えた。
「ありがとう」
「うん」
守ってくれてありがとう、と言って勇は背に感じる殺気に振り向く。振り向いた先では、もうユウタがゆらりと立ち上がっていた。
「ユウタさん、もうおやめになって」
ネージュがユウタの手を握って、足元もおぼつかなくなっている彼を引き留めようとする。その手を振り払い、執念でユウタはマルタンの方へ歩み始めていた。
「退けない! 僕はやるしかないんだ、国のために、世界のために……!」
ネージュはどうしたものかと思考を巡らせる。このままユウタの前に躍り出てしまえば、状況を正確に判断できなくなっている彼の剣の錆になっておしまいだ。普段のユウタの剣であれば首から下げたアロガンツィアの紋章でだって受けることができるレベルの軟弱なものだが、今のユウタはそうはいかない。周囲から奪ったエネルギーで、引き上げられた攻撃力は、ユウタ自身を翻弄するレベルになっている。おそらく、このエネルギーが霧散したあと彼は立っていられないほど消耗するだろう。それほどまでの力だ、ネージュ一人で食い止められようはずもなかった。
ロベリアは足をツタに絡めとられて動けない。ジェイクはライルハルトに睨まれてがたがた震えている。この無様な勇者パーティーには、何もできない。理性的なネージュはユウタを止めようとしているが、聞く耳を持たないユウタは握りこんだ剣を振りかざしてマルタンたちの方へ突っ込んできていた。
(――だめだ)
マルタンはチークポーチバリアを再度展開しようとして、己の力が尽きていることに気づいた。力んでも、バリアが展開しない。それでも、勇を守りたい。考えるより先に、マルタンの小さな両腕が勇の身体へと伸びていた。
アドラだって黙ってみているだけではない。凶刃が襲い掛かる前に、とユウタの前に躍り出て、今度はジェイクから奪った猟銃でユウタの一撃を受けた。
「ちょこまかと……!」
「う、あぁ!」
猟銃を切断した刃が、アドラの肩口に食い込む。
「アドラ!!」
マルタンと勇の声が重なる。切り付けられながらもユウタの脇腹を蹴り上げたアドラは、そのまま地面に倒れこむ。雪の大地を、アドラの血が赤く染めた。
「逃げろ!!」
アドラが叫ぶ。
蹴りつけられた痛みにわずかに顔を歪めたユウタだったが、次の瞬間には地に転がるアドラを足蹴にして、マルタンの前へと走り寄っていった。ネージュは、ユウタがもうこちらのことなど気にもかけていないのを好機とばかりにアドラに駆け寄り、止血にかかる。
「……っ、もういいのか?」
絞り出すように、囁くように声を落としてアドラはネージュに尋ねる。
こちらの味方であることを勘付かれるぞ、と。
「言ってる場合か。黙って」
やはり声を潜めて、『セルジュ』は答えた。
どくどくと流れ出る血を、白いハンカチで覆って治癒魔法をかける。
太い血管の近くをここまで深く切られているのだから、酷い出血だ。それを癒すための魔力量だって、馬鹿にならない。それでも、セルジュは必死でアドラの傷を癒す魔法をかけた。一時的に血流を遅くする魔法、傷口に魔力による瘡蓋のようなものを生成する魔法――。何種類もの魔法をいっぺんに使うものだから、彼自身も息が上がってしまっている。
「おい……」
「黙れつってんだろ」
駆け付けたメリアも気付けの魔法をかけ、なんとか意識を保っているアドラだが、マルタンたちの事が気がかりでならなかった。
向かってきたユウタを阻むため、ヒルデガルトが前に出る。ライルハルトが吐き出した炎は、とうに飛び越えられてしまっていた。
「姉上!!」
ライルハルトの鋭い叫び。ヒルデガルトは凍てついた吐息でユウタを阻もうとしたが、ユウタには全く効いていないようで、マントを凍り付かせながらもマルタンたちの方へ駆けてくる。呼吸が乱れようとも吹雪を吐き続けているヒルデガルトをあざ笑うかのように越えると、ユウタは剣を振り上げた。
「マルタン! イサミ!!」
悲鳴が響く。
勇を守ろうとしていたマルタンを、勇はがばりと覆うように抱き込んでユウタに背を向け蹲る。
「――!!」
イサミさん、と、勇の胸に顔を押し付けられたマルタンのくぐもった声がした。
その背に刃を受けてでも、守りたい。このまま死んだって、マルタンだけは傷つけたくない。今、手に届くところにマルタンがいるのなら、強くなることとはどういうことか、教えてくれたマルタンを守れるのならば。それでも、勇の想いが何かしらのバリアになることは無かった。に、とユウタの顔が歪な微笑みに変わる。
しかし、彼が切り裂いたのは勇の背ではなかった。