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第160話 天狗の首領 その名は、白眉

「たあああっ!」


 狛の叫びが、里中に響き渡る。次々に押し寄せる天狗達を前に、狛は一歩も引かなかった。天狗達が一か所に集まって一斉に杖を投げつけると、狛は傘を開いて防御壁を作り、それらを容易く弾き返す。返す刀で狛は空中へと飛び上がって、霊力の込めた尾で集まっている天狗をまとめて叩き落としてみせた。


 そんな狛の戦いを、家々に籠っていた里の者達は食い入るように見つめている。




 たった独り、獅子奮迅の活躍を見せる狛の姿は、まさに万夫不当というべきものであった。人狼の里に隠れ住まう彼らは、長く争いから遠ざかっていた為か、狛の大立ち回りが遠き祖先を思い起こさせるようであった。元来、人狼はその名の通り狼の血と力を受け継ぐ者達である。この国にはほとんどいないが、人狼の天敵である吸血鬼とは、文字通り血で血を洗う死闘を繰り広げ、その覇権を争ってきた。そんな彼らの中には、紛うことなき狼の闘争本能が眠っているのだ。


「おお……なんと、なんという…!」


「すげ…アイツ、あんなに強かったのか……」


 アフリカのサバンナに住む人々が、尋常でない視力を持つように、人狼である有や朔もまた人並外れた視力を持っている。二人はかなり距離のある狛の戦いをつぶさに観察し、魅入られていた。本能が刺激されているのか、うずうずとした感覚を滾らせているようにみえる。その隣にいるこんにとっては、とてもではないが見える距離ではない狛の戦いだったが、狛の霊力の強さと霊気の量はしっかりと感じ取る事が出来るので、改めて彼女の現在の実力の高さを実感しているようだった。


「ふむ。やはり、戦闘能力だけで言えば拍様を超えておるな……身内ながら末恐ろしいもんじゃ。あれでまだ16とは…ゆくゆくはまみ婆どころではない所まで育つかもしれんな」


 今でこそ笑顔の似合う優しい老婆であるが、まみの現役時代は、それはもう凄まじい女傑ぶりであったらしい。どういうわけか、まみの分家だけはヒイ・フウ・ミイ・ヨオ・イツのどの犬神からも選ばれる回数が少ないのだが、皆一様にそれを補って余りあるほどの実力を持っている。狛や拍は、その血を受け継いでいるのだからある意味当然ではあるのだが、しかし、それでもこんが驚きを隠せないほどに狛の実力は高まっているようだった。


「おい!爺さん達、逃げ遅れた連中を集めてきた!開けてくれ!」


 そんな中、里中を駆け回って逃げ遅れた里の人々を、猫田が回収して有の家に連れてきた。合間に邪魔をしてくる鴉天狗達を蹴散らしてきたが、まだ残っている数は多そうだ。すぐさま有達は玄関を開け、猫田の尻尾に包まれた怪我人や、逃げ遅れた人達を家の中へと運び込んでいく。

 しかし、その時、その場の全員が何かに気付いて、そちらに視線を向けた。


「なんだ…?この妖気、尋常じゃねーぞ……?」


「ああ、まさか……あやつが?そ、そんなバカな、何故奴ら、本気で儂らを皆殺しにするつもりじゃったのか?!」


 有は、その何かが近づいてくる方向を見て、ガタガタと身体を震わせている。猫田もその視線の先を追うと、遠い空の向こうから途轍もない力を放つ何かが飛んできているのが確認できた。


「…ありゃあ、鴉天狗か?他の奴より白いが」


「待て、早いぞ。もうすぐ来よる!」


 こんはその姿が見えないまでも、それが近づいてくるのはしっかり解っている。その妖気の元を認識すると、それが異常な程の速さで近づいてきているようであった。そして、こんの言う通り、まだ遠く豆粒のようにしか見えなかったその天狗はあっという間に接近して、狛の頭上へと到着した。


「っ!?」


 他の誰よりもいち早く、狛はその存在と接近に気付いていたのだが、こうして間近でその姿を目の当たりにしてみると、恐ろしいほどの力が感じられた。


(この妖怪ヒト、凄く強い…!他の天狗達よりも、ずっと。一体、何者なの?)


 頭上に滞空するそれを見た時、狛の背中に多量の冷や汗が流れ出していた。他の鴉天狗達とは違い、白い頭と嘴をしていて、金色の頭襟ときんを被っている。また、手にしているのは六角杖ではなく、金剛杖という錫杖であり、左手には見た事もない禍々しい羽根で作られた団扇を持っていた。




「やはり、ヤツか…!遠馬山の天狗達を率いる首領、白鴉天狗の白眉ハクビじゃ!」


「ハクビ……天狗共の、親玉だと!?」


 猫田すらも知らぬその天狗は、一切の感情を感じさせぬ瞳で狛を見据えている。


 人狼達が潜んでいる里がある山……その隣にある山は、かつて遠馬山と呼ばれた修験者達の隠れた聖地であった。そこには鞍馬山から流れてきた天狗達の一派が住んでいるとされ、かつて地元の人々誰もが恐れる伝説の霊山だったという。


 鞍馬山の天狗と言えば、言わずと知れた伝説の大天狗、鞍馬天狗が有名だろう。古くは源義経が幼名、牛若丸に剣術を教えたとされる伝説の存在であり、別名を護法魔王尊という。仏教においては毘沙門天と並ぶ武神の一尊だ。その流れを汲む彼ら遠馬山の天狗達は、恐れを知らぬ武闘派の天狗達である。

 狛はいとも容易く彼らを捌き、地を舐めさせていたが、本来であればそれは簡単に出来ることではない。それだけ狛の力が強力になった証と言えるだろうが、この白眉ハクビという天狗は別格だ。その証拠に、彼が来た途端、それまで狛を狙っていた黒い鴉天狗達は動きを止め、ビタっと空中で整列し、首を垂れている。

 有と猫田達の会話を知らぬ狛には、その光景だけで、彼の白い天狗が次元の違う存在であることが理解できた。その天狗が、自分を狙ってここに現れたのだということも、その気配から察する事が出来ていた。


 無言の圧力を受けつつも、狛は決して怯む事なく、白眉を睨み返していた。気合で負ければ、その時点で心が折れて勝てなくなる。そう直感するほどに白眉から感じられる妖気は凄まじい。だが、今の狛の背中には、この人狼族の里に住む全ての人々の命が掛かっているのだ、戦ってもそうだが戦う前から負けることなど絶対にありえない。そう強く心を保っている。


 しばしの沈黙が流れた後、不意に白眉は右手に持った錫杖を掲げ、有の屋敷を指し示した。それを合図に、それまで首を垂れて動きを止めていた鴉天狗達が再び動き出し、一斉に屋敷へ向かって行く。


「っ!?」


 狛はそれに気付いたものの、その場を動くことはおろか、視線を向ける事さえ出来ずにいた。何故ならば、それは狛の隙を虎視眈々と狙う白眉の視線に気付いていたからに他ならない。もし、その動きに気を取られて白眉から目を逸らしていたら、その時点で狛は手痛い一撃を喰らって、あっけなく敗北していただろう。強烈な妖気に混じって、それだけの殺気が狛に向けられていた。


「このぉっ…!!」


 狛はすぐに意識を替えて、飛び去っていく黒鴉天狗よりも、白眉を倒すことを優先とした。どの道、この白眉を倒せなければ他の天狗達の相手など出来ないし、彼を倒しさえすればこの苦境は終わると瞬時に理解したからだった。

 そして、手にした傘に霊力を込め、その場で跳躍して大上段に斬りかかった。


 その一撃を、白眉は事も無げに、手にした錫杖で受け止めた。鍔迫り合いの間に、白眉の強力な妖気と狛の霊気がぶつかり合って干渉し、稲光のような輝きとバチバチという激しい音を立てて、周囲に走る。その余波に巻き込まれるだけで、力の弱い妖怪や人間は大怪我をするか、場合によっては命を落とすだろう。そんな力の衝突が、今まさに巻き起こっているのだ。白眉と狛の戦いは、更に熾烈を極めるものへと進む…里の住む者全てがそう確信していた。

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