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第162話 真神の使徒

「やった!?」


 金剛杖と梵天を破壊し、狛は華麗に着地した。視線を外さず、その目に捉え続けていた白眉の様子は、明らかに変わっていた。先程までは上半身を水球に押し込められて藻掻いていたはずが、装備を破壊されたことがトリガーになったように、その動きを止めている。水の影響など、まるで微塵も感じさせていない。

 代わりに感じられているのは、激しい怒気…つまり、憤怒の感情だ。


 次の瞬間、白眉を覆っていた水球が、爆発したように破裂した。周囲に大量の水が飛び散って、小さな水溜まりをいくつか作っている。だが、白眉の身体からポタポタと滴る水滴の量は明らかに少ないように思えた。ハッと気づいた狛が目を凝らすと、彼の身体から蒸気が上がっているのが確認できた。それだけではない、周囲の気温が上がっているのだと気付いたのは、その直後であった。




「なんだ?気配が変わった…?」


 有の屋敷の屋根に降り立ち、猫田は狛達が戦っている方を見た。大気が震え、空の色が変わってみえるほどに白眉の妖気が色濃く渦巻いている。それはどんどんと里全体を覆い尽くすほどに膨れ上がっていて、狛と白眉の間に何かがあったことは明白だ。本気を出した神野とはまた質の違う妖気の強さに、猫田も一瞬たじろぐほどの圧が感じられた。


「急がないとマジでヤベーな。だが、コイツらは……」


 鴉天狗達は白眉と繋がっているのか、白眉の力が強くなるほど彼らにもその影響が表れている。一体一体はまだ猫田の敵ではないのだが、それでも強化されている事に違いはない。殺さずに制圧しろと狛は言ったが、これ以上の影響が出るようならば、もはや急ぐためには殺害も止むを得なくなるだろう。出来るだけ天狗と事を構えるなと言った手前、猫田は狛の言葉に従っていたが、そろそろ限界かもしれない。


「ったく…大蛇とやった時は隠れて出て来なかった連中が、いい気になりやがって!」


 かつての大戦おおいくさを思い出し、猫田の心に苛立ちが湧いた。ささえ隊の一員として八岐大蛇やまたのおろちとやり合った一戦では、ほとんどの妖怪達は沈黙して、大蛇と戦おうとはしなかった。それは八岐大蛇やまたのおろちが、日本最古にして原初の妖怪、つまり日本妖怪の祖であったことにも起因しているが、一番の理由は妖怪達がその力を恐れたからである。大蛇にくみして、そのおこぼれにあずかろうとした妖怪達も多かったとはいえ、その他大多数の妖怪達は恐れの余り静観を決め込んでいた。

 大蛇の狙いは人間であって、自分達ではない……そう思っていたこともあるのだろうが、人間が死滅してしまえば、困るのも妖怪達だ。くりぃちゃあの面々のように、人と接する事を望む者だけでなく、極端な話、人を食う妖怪などは人間がいなくなれば食う物が無くなる。それは死と同義だろう。それでも、多くの妖怪達は大蛇を恐れて協力しようとはしなかったのだ。仮に、神野達のような魔王や力の弱い妖怪ならば、戦えない事情があったと理解できる。だが、そうではなく力を持つ妖怪共…即ち今相手にしている天狗達などは、味方をしてくれても良かったのではないかと、猫田は今でもそう思う。


 だからこそ、今も猫田は妖怪より人の側に立っている。元々、人の傍にいたいと思う性質ではあるが、あの一件以来、尚の事、妖怪よりも人間の方が大事になったと言っていい。今更言っても始まらないと解っていても、スッキリしないものがある猫田は、その苛立ちをぶつけるように空を舞う鴉天狗達を叩いていった。





「凄い妖気…!さっきよりももっと強くなるなんて、ま、まずかったかな…?」


 武器を破壊してしまえば、後は楽勝だと思っていた狛は、白眉の変わりように若干の後悔をみせていた。とはいえ、もはや身を守る金剛杖は無いのだ。どれほどの妖力をみせようとも、狛の一撃には耐えられないだろう。そう思った狛が早々に決着をつけようと、霊力を練り始めた時、それは起こった。


「あ、熱っ!?…え、熱風?」


 白眉を中心に強い風が吹き始め、それは高い熱を帯びているようだ。そう言えば、さっきは身体から湯気のような蒸気が出ているのが見えたし、よくよく観察してみると、白眉の上半身は服も翼もすっかり乾いている。狛自身もじわじわと汗を掻いていて、視線を落とせば、あれだけあった水溜まりは無くなりつつあり、季節外れの陽炎が見えていた。


「どんどん水が蒸発してる…!ウソでしょ!?」


 今の季節は真冬で、2月の頭だというのにこんなことは有り得ない事態だ。白眉の妖力が強まっている事に何か関係があるのだろうか?急いで勝負を決めなければと思った瞬間、狛の目の前の空気が


「きゃっ!?」


 ゴウッという音がして、咄嗟に両腕でガードしただけでも大したものだ。狛の身体は勢いよく後方へ吹き飛ばされ、九十九つづらが一部焦げている。白眉はその妖力で風を操り、空気を高密度に圧縮して発熱させ、爆発させたのだ。

 梵天で風の刃を作ったのは、白眉が手加減する攻撃手段に過ぎないのだろう、この熱と爆発こそが白眉の真骨頂であり、真の実力なのである。


「いっつ…、な、何てパワーなの?これが本気ってこと!?」


 あまりの出来事に、狛は眩暈めまいがしそうだった。目に見えない空気が爆発するなど、避けようがない。さっきのように走り回って避けられればいいが、もし地雷のように走った先で爆発が起これば防ぎようがないのだ。これには頭を抱えるしかなかった。


 そんな狛に追い打ちをかけるように、最悪の光景が目に飛び込んできた。


「うぅ…うぇーん!かあちゃーん、どこぉ?!」


 逃げ遅れた子どもが、草むらから顔を出したのである。どうやら田畑の窪みで気絶していた為に猫田も気付かなかったようだが、狛が吹き飛ばされた爆発音で目を覚ましたらしい。恐らく猫田が連れて行ったであろう姿の見えない母親を探して、泣き声を上げている。


「あんなところに……はっ!?危ないっ!」


 白眉は既にその子どもを視界に捉えていた。狛は子どもが狙われる事を直感して、即座にその子の元に疾走はしる。


「間に合って…お願いっ!」


 そんな願いを口にして子どもに飛びついて抱き抱えると、再び熱を帯びた空気が爆発した。


「あああああああっ!!」


 狛の背中に強烈な熱と衝撃が襲い掛かり、抱えた子どもごと、一気に吹き飛ばされてしまった。ゴロゴロと地面を転がりながら、子どもだけは守ろうとする狛は、抱えたその手を離さない。白眉はじっとその様子を見つめ、恐らくはいつでも追撃できるように構えている。


「うわーん!あんあん!こわいよおおお!!」


「だ、大丈夫…?怪我は、無さそう…だね」


 腕の中で泣く子どもの様子を見て、狛は胸を撫で下ろしていた。あの瞬間、九十九つづらが機転を利かせて背中側を分厚くし保護した事と、イツが狛の尾を動かし、盾になってくれたお陰で何とか二人共生きている。だが、もう一撃まともに喰らえば、さすがに耐えられそうもない。狛はよろめきながら立ち上がり、子どもを降ろすと、白眉に向き合って仁王立ちをした。


「この子は…私が守らなきゃ…!」


 白眉を見上げる狛の後ろで、子どもはうずくまって泣いている。しかし、狛に反撃する余裕があるとは思えない。




「狛ッ!?くっ、もう我慢ならねぇ!」


 それを見た猫田が魂炎玉を全開にし、周囲の鴉天狗を巻き込んで白眉を撃とうとしたその時だった。里に近い山の方から、凄まじいスピードで何かが駆け降りてくる。音を追い抜くほどの速さで走るそれは、有の屋敷の前をすり抜けて白眉に向かっていった。


「あ、あれは…?!まさか…!」


「は、速ぇ…!?」


 猫田でさえ、その動きを追うのは難しい、そう思わせるほどの信じられないスピードである。そして、その黒い影はあっという間に白眉の元に到着すると、そのままの勢いで跳躍し、その腕に噛みついた。




「え…?」


「ガルルルルッ!」


 目の前に黒く大きな狼が飛び込んできたかと思えば、目にも留まらぬ速さで白眉の腕に噛みついている。狛は一瞬何が起こったのか解らず、立ち尽くしていたが、やがて黒狼は白眉の腕を噛み千切り、地面に着地して大きく吠えた。


「ウオオオオオオオオーンッ!!」


 その遠吠えが、狛の中のイツを大きく刺激した。それに共鳴するように、イツが激しく力を溢れさせていく。


「イツっ!?…あ、今だッ!!」


 イツから溢れ出した霊力を元に、狛はありったけの自分の霊力も合わせて再び傘にそれを込める。そうして、傘の先端から空にまで届くほどの巨大な霊気の刃を発生させると全力でそれを振り下ろした。刃は見事、腕を無くして悶える白眉を捉え、彼の大天狗はようやくその身を大地に墜とす事になったのであった。

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