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第163話 はた迷惑な奴ら

「はぁっ!はぁっ!今度こそ…や、やった…よね?」


 人狼化が解け、息を切らせた狛がその場にへたり込むと、泣いていた子どもが後ろから抱き着いた。よほど怖かったのか、耳元で再び泣いている。狛は力が入らずに震える手で抱き締め返し、ゆっくりとその頭を撫でてやった。

 その様子を、黒い狼がお座りをしてじっと見つめている。大きさからして普通の狼とは思えないが、一体何者なのか、狛には気にしている余裕など無いようだ。


 そんな中、大勢の鴉天狗が倒れた白眉の元へ一斉に集まりだした。猫田はすぐにそれを追って狛の元へ駆け付け、天狗達に睨みを利かせている。


「狛っ!無事か?!」


「あ、猫田さん、うん。あののお陰でなんとか…でも、もう休まないと戦えないかも……」


「解ってる、後は任せろ。全員叩きのめしてやるぜ!」


 猫田が飛び掛かろうとしたその時、突如空に黒雲が立ち込めて、落雷が鴉天狗達を撃った。そうして、天狗達の身体から大量の黒い靄が一気に抜けていく。次々と起こる不可思議な出来事に、狛達は呆気に取られるばかりだ。しかし、その後に続いて聞こえた声に、猫田だけは反応していた。


「双方、そこまで。後は儂が預かろう」


「この、声は…!」


 黒雲は一塊になって、やがて一人の男性の姿に変わっていった。やがて現れたその姿は、恰幅のいい侍のような出で立ちをした、年配の男となった。それが只者でない事は、狛にも、その傍にいる子どもでさえも理解できているようだ。言葉を失い、震える身体を狛はぎゅっと抱き締めている。


「……久し振りだな、猫又よ。かような場所で会おうとは思わなんだぞ。お前の事は相変わらず、神野の奴めが気に入っておるようだが」


 不敵な笑みを浮かべて現れた男が声をかけると、いつの間にか猫田の隣に、狛の知らない別の男が立っていた。黒地に金の意匠を施した着物を着流し、髪型はオールバックという若い男…そう、神野悪五郎である。


「よう、猫助……邪魔するぜ。おい、山本さんもとのジジイ。テメェ何しに出てきやがった?コイツは俺が目をかけてんだ、俺に断りもなく手出ししようってんならタダじゃおかねぇぞ?」


 神野が山本さんもとのジジイと呼んだ侍風の男…彼はその名を山本五郎左衛門さんもとごろうざえもんという。神野と同じく日本妖怪を纏め上げる妖怪達の大将であり、12体の魔王の一柱だ。

 山本さんもとと神野、同じ魔王という肩書を持つのだが、実はライバル関係にあるようで、事あるごとに勝負をしては争っている仲である。神野は猫田に常時監視を付けており、山本が猫田の前へ現れたことに気付いて自分も出張ってきたらしい。じっと睨み合う山本さんもとと神野の間には、異常な程の緊張が張り詰めている。


 思えばこの二人、猫田が初めて会った時もそうだった。


 当時、猫田はささえ隊解散直後ということもあって、独り適当に山野を彷徨っていた頃であった。総勢32名いた隊員の内、八岐大蛇やまたのおろち撃退後に生き残っていたのは、総隊長である服部景蔵はっとりかげくらを始めとして、蘿蔔義隆すずしろよしたか弧乃木将馬このぎしょうま犬神宗吾いぬがみそうご猿渡心八さるわたりしんぱち猫田吉光ねこたよしみつ御倉持縁みくらもちえん御倉持業みくらもちごうの姉弟、鷲崎八郎わしざきはちろう、アリソン=マーセット、真葛幻さねかずらまほろ、そして当時は九津那草介くつなそうすけと名乗っていた秋月京介あきづききょうすけの計12人である。


 元々、ささえという組織は明治政府と関りの無い明治天皇直轄の隠密部隊であったが、大蛇戦後は隊員の過半数を失い、活動の存続は困難な状況に陥っていた。そんな彼らに目をつけたのが明治政府だ。


 多くの人員を失ったとはいえ、あの大蛇を撃退した彼らの力は凄まじい。新時代を迎え、大蛇がいなくなったとしても、妖怪そのものがいなくなったわけではない。世に不可思議の種が尽きたわけではないのだから当然だ、故に彼らの力は治安維持の為に喉から手が出るほど欲しかったのだろう。そこで、政府は生き残った隊員達に対して、非情な提案を持ち掛けた。八岐大蛇討伐という世間を騒がした大騒動の始末という名目で、新たな治安維持部隊への参加を強要したのである。しかも、それに伴って最初に命じられたのが、猫田吉光の抹殺であった。


 妖怪という存在を公式には認めていない政府ではあったが、実際に力を持つ生物がいる事は認識していた。その上、猫田は大蛇戦でも活躍をみせたほどの力を持っているのだ。つまり、猫田は危険極まりない猛獣のようなものと認識されたらしい。当然、この命令には猫田を除く全員が猛反発をした。当の猫田本人にしてみれば、人間が自分という存在を警戒する理由も理解できたし、なにより大蛇と戦いおおっぴらに人間の側へと着いた彼に、もはや妖怪の世界で生きる場所はなくなったも同然だ。そんな自分の命で皆の命や生活が保障されるなら、それでもいいと本気でそう思っていたのである。


 しかし、この提案に大反対したのは、他ならぬ明治天皇その人であった。


 代々、宮家に伝わる秘史として残されてきた八岐大蛇復活の伝承…それを回避する為に、ささえは創られた。結果として、それに咎無き多くの隊員達を巻き込み、死においやってしまったという悔恨の念が深かったのだろう。その上で、例え妖怪であろうとも、命懸けで戦ってくれた猫田を切り捨てることなど許せなかったのだという。そして、明治天皇は隊員達と結託し、一丸となって猫田を守る為に政府に対して抗議と共に2つの譲歩案を提出し、それが認められた。


 その内の一つは、希望する者に今後再編の予定がある宮内省への編入を認める案だ。明治2年に創られた宮内省は、古代日本に於いて宮廷の庶務を引き受ける役所であったのだが、その分、宮家の意向が通りやすい部署でもある。これを受ければ政府の要望通り、立場としては政府職員となるものの、新設の治安維持部隊などよりは遥かに自由である。だが、その待遇についても難色を示す者達がいた。


 そこで提示されたもう一つは、ささえでの一切を秘匿して野に下り、以降は元隊員同士の不要な接触を禁ずるというものである。そもそも、明治政府が生存した隊員達に目をつけた理由の一つに、彼らが結託して政府への反旗を翻すことを恐れたという事情がある。時は明治5年、国内には未だ戊辰戦争の影響が燻っており、西郷隆盛らを始めとした征韓論者の台頭など、明治政府内にも様々な軋轢が生じていた。そんな中、力を持つ彼らに首輪をつけて飼い殺さなければ、いつ何時反政府運動に加担されるか解らない…そんな恐れが政府の中にはあったようだ。事実、この後数年に渡って各地で不平士族などによる反乱が起きており、その最たる例が西南戦争である。

 余談だがこの案には、壬申戸籍制度に伴う新しい身分と共に、永続的な生活支援が確約されていたのだが、それが通った背景には忍びである景蔵の政府に対する暗躍があったとも言われている。


 ちなみに、前者を選んだのは服部景蔵はっとりかげくら蘿蔔義隆すずしろよしたか弧乃木将馬このぎしょうま御倉持みくらもち姉弟、真葛幻さねかずらまほろの6人で残りの6人は後者を選んでいる。


 後者を選んだ6人の内、宗吾は実家である犬神家を継ぐ必要があった為に早々と帰郷し、猿渡サルは仙術を極めたいと言いさっさと清国へ向かっていた。ちなみに、利き腕である右腕を失って戦闘不能であった鷲崎と、魔力の源を喪失したアリソンは不要と判断され、引き抜きは無かった。


 そうして、行き場の無い猫田と京介はバラバラに去って行くことになるのだが、この時最後に残った京介に対し、政府から猫田暗殺の密命が下されていた。ただし、京介は適当に暴れていた妖怪を退治すると、それを猫田と偽って政府に報告していた。というのも、政府が猫田暗殺を諦めていない事は明白で、猫田と同じ班員だった宗吾や猿渡サルには監視が付けられていたからだ。京介が最後に残ったのは、政府に隠蔽工作を図る為である。全ては猫田を守ろうと、隊員達が一計を案じた結果であった。


 そういった経緯があって、猫田は今も仲間達に命を救われたと恩義を感じているのである。一歩間違えば、政府を敵に回すこととなり、この国で生きていく道を失ってしまうだろう、そんな危険を省みずに皆が行動してくれた…猫にはそれが何よりも嬉しかった。


 とはいえ、腐る気持ちが全く無かったわけでもない。特に力や名の有る妖怪達に対しては、怒りも大きかったのだ。そこへ現れたのが、山本さんもとと神野だったのである。

 あの時は猫田も今より若かったので、突然現れて魔王を名乗る二人に対し、ずいぶんと喧嘩腰であった。その結果、神野と大立ち回りをすることになったのだが……今の猫田はその時の後悔を忘れていない。出来るだけ感情を抑えて、睨み合う二人に声をかけた。


「……おい、あんたらの喧嘩は余所でやってくれ。今はそれどころじゃねーんだ」


「ちっ…!だとよ、ジジイ。この場は大人しく引いてくれや」


「そうはいかぬ、これでも天狗共は儂の眷属なのでな。こやつらのしでかしたことは、儂が尻を拭う必要があるだろう。お前の方こそ関係ないのだ、すっこんでおれ、神野」


「…んだと!?このジジイ!」


「止めろっつってんだろーが!!」


 いつもの調子で喧嘩が始まりそうになり、思わず猫田も声を荒げていた。実際は猫田も二人に負けず劣らずそこそこ短気な所がある。疲れ切っていた狛は、もう3人で勝手に話を着けて来てくれないかなぁと内心で溜息を吐くのであった。

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