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第368話 不死の軍団

「う……い、痛た…こ、ここは?」


 狛が目覚めたのは、既に日も落ちて辺りが夜の闇に包まれてからだった。運よく、学園にある森の木々の方へ飛ばされたので、それらがクッションになったらしい。桔梗の家の近くで助かったというところか。

 重い身体を引きずって起きる頃には、少しは目も慣れてきていたのか、闇の中でもハッキリと物が見えるようになっていた。ただ、遠くに見える赤い光は目が慣れていなくても見えただろう。


「あれ……火事?な、何があったの…」


 よく見ると、あちこちにちらほらと火の手が確認できた。学園の裏手にある森は街の中でも少し高台にあるので見通しやすい、注意して見るとどうやら、数か所で火事が起きているようだった。火事というもの自体は割といつどこで起こっても不思議ではないが、同じ市内で同時に数か所起きるというのはあまりないことだ。災害などの要因が無ければ、だが。

 つまり、こうして見える範囲の離れた場所でいくつもの火事が起きているというのは、放火か、或いは住人が火の不始末に陥るような何らかの問題が発生したという事になる。この場合なら、先程、狛と猫田を襲った風のような異常な何かが起こったという事だ。それが何かはまだ解らないが、怒号や悲鳴が遠くから聞こえてくることと、今までに感じたことのない異常な妖気のようなものが感じられるので、原因は想像がつく。


「それにしても、何でこんなに……あ」


 余りにも暗いので、ふと空を見上げると、そこには闇があるだけだった。ただ曇っているだけではない、何か所か街の明かりが反射している為に雲がかかっている場所は解る。現に雲のかかっていない部分には小さな星も見えるのだ、だが、肝心の月がなかった。それはつまり……


「そっか、今日は新月…だったんだ。……よりによって、こんな時に」


 狛はそこで、ようやく自分の体調不良の原因を知った。昨日は桔梗の家に帰って来られたが、その前は神域に居たし、どうも感覚が狂っているようだ。肉体的にも半人狼となっている狛は、新月には霊力が著しく低下し、思うように身体を動かすことさえ難しくなる。この状況では、狛は単独で戦う事が出来そうにないが、あの異常な事態からして常世神復活が今夜にも起こる可能性は高いだろう。給霊符など、こういった事態に対する対処はいくつか用意していたつもりだが、その場限りのものが多いので、それでどこまで補えるかは解らない。

 ましてや、相手は最大最悪の敵、常世神とそれを補佐する志多羅という神である。狛は冷や汗を一滴たらしているが、それでも前に進むしかない。


 「猫田さんはどこだろう…?私みたいに飛ばされたんだと思うけど」


 猫田と狛が別々の方向に飛ばされた事は理解しているが、あの猫田が吹き飛ばされたくらいでダウンするとは思えない。しかし、既に陽が落ちてそれなりの時間が経っているはずなのに、何故自分を探しに来ないのか。それだけでも、何か不測の事態が起きているのは明らかだ。もしも猫田の身に何かが起きているのならば、こちらから猫田を探しに行かねばならないだろう。


「待っててね、猫田さん…!」


 重怠く、力が出ない身体に活を入れるようにして、両の頬を張ってみた。それすらも普段の力が出せていないが、とりあえず意識は完全に覚醒した気がする。狛はゆっくりと歩き出して、まずは森から出てみることにした。


 神子学園の敷地にある森は広く、その一部は神子神社の土地でもある。神子祭の時にも説明したが、元々この辺りは神子家が所有していた山林の一部なのだ。神子家は犬神家と同様に山や森などを持っていたが、一部の山を崩して造成し、学園を作ったのである。山と言っても、実際には街の中心部に位置する岡のような場所である。過去には、神子家と中津洲家の双方が大名として城を持ち、その周辺にあった二つの城下町が一つになって、巨大な中津洲市を作り上げたのだ。

 学園裏にある山林は、元々その城の盾として作られた森であるらしい。そして、狛は現在その端っこにいる。ここはちょうど神子神社からは一番離れた場所であり、学園の反対側から登り口が作られて、ちょっとしたハイキングコースになっている場所だ。このまま森の道を登っていけば、桔梗の家である神子神社に辿り着くはずだが、この体調で家に戻れば桔梗に連れ戻されるかもしれない。猫田を探しに行かねばならないし、街で何が起こっているのかも気になった狛は、敢えてそのまま森を下っていくことにした。


 ハイキングコース用の登り口を下って橋を渡れば、そこはすぐ住宅街である。とはいえ、この辺りは比較的開発が遅かったので、表の学園入口側ほど密集して家が建ち並んでいるわけではない。人気ひとけも少ないし、夜ともなれば外套の灯りがメインという静かな通りだ。


 だが、新月だという事を加味しても今夜はそれに輪をかけて暗い様子であった。まだそんな時間ではないというのに、まるで人が寝静まった深夜のようにしんとしていて、家から団欒やテレビの音さえ聞こえてこない。というよりも、家に明かりすら点いていないのだ。誰もが息を殺してじっと忍んでいる、そんな雰囲気である。


「何だろ?血の匂いがする……それに、やけに静かだし」


 ゴーストタウンのような不気味な静けさの中、狛はゆっくりと通りを進む。そう言えば、上から見た時に火事が起きているのは確認できたが、消防車のサイレンは聞こえないようだ。この辺りは火事になっていないのだろうが、狛は聴力も上がっているので、サイレンの音ならば多少離れていても聞き取れる。にもかかわらずそうした音が聞こえないのは何故だろう?ましてこれだけ静かな夜ならば、尚更すぐに解るはずなのだが。


 学園の入口側までもう少しというところで、ふと、狛は何かに気付いた。何かがそこに立ち、ゆらゆらと揺れながら外套の灯りに向かって立ち尽くしている。何か、と表現したのはそのシルエットが人のような、そうでないような不思議な形をしていたからだ。強いて言うならば、獣が二本足で立っているような、そんな形である。


「あれっ…て、人……じゃないよね?何か、凄くイヤな感じがする」


 狛は霊力だけでなく、霊感全般が弱っていた。即ち、人でない者に対して感知する能力が落ちていることになる。じっと目を凝らして見てようやく、その何かが濁った妖気を放っている事に気付いたのだ。それと解った瞬間、猛烈な怖気が全身に突き刺さる。あれは、この世にあってはならないものだ。本能的にそれを察して、狛は身構えた。

 狛が少し腰を落として臨戦態勢に入ると、気配を察したのか、その何かがゆっくりと振り向いた。


「なっ……ば、化け物…!」


「ウギャギャギャギャギャギャギャッッ!」


 血に塗れたその怪物は、狛を見つけた途端に奇怪な叫び声を上げて一気に駆け出し、飛び掛かってきた。それは昼間、メイリー達や街の人々を襲った怪物そのものだが、顔つきが昼間とは形から変わっている。より獣のように顔が伸びていて、鋭い牙が乱杭歯のように滅茶苦茶に生えている。狛は昼間の様相を知らない為、これが変化した怪物だという事も知らないが、とにかく不快で、不気味な気配だけは感じ取れたようだ。


「くっ!」


 飛び掛かってきた怪物に対し、狛は密かに霊符を起動して対応する。大量の霊力を溜め込み、供給してくれる給霊符は虎の子だ、やたらに使う訳にはいかないだろう。ここで狛が使ったのはその亜種で、周辺の霊力を呼び集めるという補心符である。補心符は本来、結界を展開する際に補助バッテリーのようにして使う霊符だ。術者の霊力を攻撃に回したいが、結界の維持もしなければならない…そんな状況に対応する為に作られている。

 給霊符ほど大容量の霊力は溜め込めないし、供給量も周辺の環境に左右されるというデメリットはあるが、起動にかかる霊力はごく僅かで、一度起動すれば効果が切れるまで自動的に霊力を供給してくれるという効率のいい霊符である。そんな補心符を、狛は腹巻のように身に着けている九十九つづらの間に数枚忍ばせていた。


 補心符から補給される霊力を全身に回すと、今まで感じていた身体の重さや不調は、かなり軽減されたようだ。狛は内心で胸を撫で下ろしながら、向かってきた怪物に足刀を喰らわせた。かなりの勢いで突っ込んできた分、カウンター気味に入った蹴りの威力は凄まじく、怪物は吹き飛んで民家の塀に激突する。ゴキンと骨が折れる音がして、普通ならば、そこで一発KOであるはずだった。


「…な、なんで?!」


 狛はそこで思わず驚愕した。怪物は首の骨が折れたまま立ち上がり、再び狛へと向かってこようとしていたからだ。狛の知らない事とはいえ、この怪物は常世神によって永遠の命を与えられた存在である。例え首の骨が折れようとも、動きを止める事は無いのだ。


 また、その衝突音を聞きつけたのかどこからともなく他の怪物達が数体、狛の元へ近づき始めていた。恐るべき悪夢の夜は、まだ始まったばかりだった。

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